34 海化
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「がふっ……」
「ミネコ!!」
ミネコの口から血が溢れ出し、その綺麗な口元を赤く汚す。
彼女の胸に突き刺さっているのは、忍者と呼ばれる者がよく使う武器、クナイである。
そのひし形の刀身は半分ほど突き刺さっており、胸部の服を赤く染めていた。
口から血を吐いたということは、おそらく内蔵にも少なからず傷がついているのだろう。
(だめ……っ! この深さの傷じゃどうしようもできない……!)
突き立ったクナイを見て、リヴァイアは自分の回復魔法の能力不足を恨んだ。
せいぜい打撲や切り傷程度しか治せない彼女では、現状、役立たずとしてミネコを眺めることしかできない。
「……セツしかない……!」
リヴァイアはミネコに何もしてやることはできないが、セツならば回復魔法でどうとでもできる。
〈大食い〉の使用は不可能としても、彼ならばこの傷を治せるはずだ。
嬉し涙から一転、悲しみの涙を流すシロネコを置き去りにして、リヴァイアは窓から飛び出す。
ミネコを助けるには黒装束の女とリヴァイアが戦い、セツが彼女の治療に入るしかない。
「セツ!! 退きなさい!!」
リヴァイアは地に足をつけると同時に、魔法を放つ。
小柄な人ならば飲み込んでしまうであろう大きさの水砲が、セツと黒装束へと向かう――――――
◇ ◇ ◇
「はぁ!!」
「よっと」
あらゆる角度から飛んでくるクナイや手裏剣を、俺は黒丸を大きくひと振りすることで全て叩き落とす。
「随分と粗暴な男ですね……ッ!」
「そういうお前は粘着質な女だなッ!!」
さっきからコイツの攻撃は俺の対応しにくい位置を的確に攻めてきやがる。
思い切って攻めようにもそれのせいで身動きが取りにくい。
(いっそのことスルーしてなぎ払うか?)
別に当たったところで大したダメージはないんだが……さすがに眼球なんかに当たってしまえば俺でもただじゃ済まない。
向こうもそれがわかっているのか、何本に一本かが顔面を狙ってきている。
ほんと気持ち悪い攻め方をしてきやがる。
ネチネチと気持ち悪い。
「っち……やっぱりダメージ覚悟で――――――」
「――――――セツ!! 退きなさい!!」
反射的に横へ跳ぶ。
すると後方から水飛沫を撒き散らしながら、巨大な水弾が飛んでいった。
「なっ……くっ……〈炎術・厚壁〉!!」
真っ直ぐとクロイヌへと向かったその水弾は、彼女の目の前に出現した炎の壁に命中し、水蒸気を辺りに撒き散らす。
煙のように漂うそれのせいでクロイヌの姿が見えない。
代わりに俺の近くに来たのは、おそらくさっきの水弾を撃ったであろうリヴァイアだった。
「あぶねぇことしやがる……俺に当たってたらどうする気だったんだよ」
「当たっても死にはしないでしょあなた。それより交代よ。あなたはミネコの治療に行ってあげて、あの犬っころは私がやるから」
俺は後ろを振り返り、シロネコの家の中へと目を向ける。
この距離でもわかる出血の跡、確かにあれじゃリヴァイアが真顔で飛び出してくるわけだ。
「……そうだな。ミネコは俺に任せろ、だから犬は任せたぞ。やつは魔力でおかしな技を使うみてぇだが……」
さっきの炎の壁は、炎系魔法を使う際の魔力の流し方と異なっていた。
まともな魔法ではないことは確か……まあ忍者が使う術なんて忍術くらいしかねぇと思うが、この世界に忍術なんてあったけな?
「わかってるわよ。あなたはさっさとミネコのもとへ行きなさい、私はさっさとあの犬っころを倒すから」
「……油断すんなよ? 今のお前は――――――」
「誰に言ってんのよ、私は海神よ? ちょっと変な術が使えるだけの犬になんか負けるわけないじゃない。さっさと行って?」
「はっ……わかったよ」
俺はその場で踵を返して家へと戻る。
リヴァイアが負けるとは思わない、だが苦戦はするだろう。
ミネコの傷をさっさと治しリヴァイアの加勢に向かうため、俺は窓からシロネコの家へ飛び込んだ。
「おいシロネコ! 手ぇどけろ!」
「……え?」
ミネコを抱き抱えて、なんとか血を止めようとしているシロネコから彼女の体を奪い取る。
呆然としているシロネコをよそに、俺は刺さったクナイに手をかけて、一気に引き抜いた。
「ごふっ……」
「ミネコ!!」
その瞬間さらなる量の血が口から吹き出て、俺たちの服を汚す。
俺はゴポッと血が溢れ出した傷口に手を当て、治療に取り掛かった。
「〈完全回復〉!」
押さえた手に強力な光が宿り、ミネコの体に注がれていく。
思っていたより傷が深刻だ。
心臓は無事だが、肺が片方やられてしまっている。
(おまけに〈再生阻害〉つきかよ……っ! こりゃちょいと時間取られそうだな……)
再生阻害と呼ばれている能力は、その名の通り負わせた傷の治りが遅くなるというものだ。
武器に魔力をまとわせることで発動でき、暗殺者の必須技術でもある。
本来〈完全回復〉をかけてしまえば死んでない限りは一瞬で治してやれるのに、この傷は徐々に傷口が狭まっていくばかりでいつもの数百倍、数千倍並に遅すぎる。
「こりゃあの犬っころ……SS級はあるな」
このレベルの〈再生阻害〉を武器につけられるのは相当実力がある証拠。
そうなると今のリヴァイアじゃ厳しいな、現状S級程度の実力しかないし。
「セツ! ミネコは大丈夫なんです!?」
「……」
今のこいつを加勢に向かわせたところで使い物にはならねぇよな……
「俺がこうしてる限りは死なせねぇよ……黙って見てろ」
どちらにせよ、さっさとミネコを治せば俺があいつの加勢に行ってやれる。
傷が治り切るまでまだ数分かかっちまうが――――――
(それまで気張れよ……リヴァイア)
◇ ◇ ◇
(――――――とか……思われているのかしらね)
リヴァイアは水蒸気の向こう側から飛んできたクナイを水を纏わせた手のひらで弾きながら、現在のセツの思考を予想する。
「……あなた、その魔力、気高さから海神リヴァイアとお見受け致しますが……なぜにこんなところに? そしてなぜあの男に手を貸すのです? 海に居てこその海神でしょう」
「あの男には借りがあるのよ。それにあのまま姉妹離れ離れなんて可愛そうだしね。あと、別に海に私がいるわけじゃないわ――――――私がいるところが海なのよ」
水蒸気が晴れて姿を現したクロイヌに、リヴァイアは手から水弾を飛ばす。
クロイヌはクナイを取り出しながら駆け出し、銃弾ほどの大きさの水弾をそれで弾きながら彼女に迫る。
「正面からの攻撃など当たりません!!」
「っ!!」
一瞬で間合いを詰めたクロイヌは、目を見開くリヴァイアの喉元を斬りつけた。
血が吹き出し勝敗が決したかと思われたが、彼女の喉から吹き出したのは透明の液体。
「変わり身!?」
「セツでもあるまいし……まともに正面から勝負するわけないじゃない!!」
「――――――っ!」
水で作られていたリヴァイアの体が弾け、その後ろにいた本体がクロイヌの胴に掌底を放つ。
裏をかかれた不意打ちによりガードが間に合わず、彼女の手のひらはやすやすとクロイヌの腹にめり込んだ。
「がっ……」
「もう一発っ」
「なめ……るな!!」
もう片方の手が打ち出されるが、それは手をクロスさせることで防がれる。
しかし、
(お、重い……!)
クロイヌが想像していたよりも、リヴァイアの掌底はかなり威力が高かった。
衝撃を殺しきれなかった彼女の体は、大きく仰け反りながら後ろへと突き飛ばされる。
(海神が地上でもこんなに力があるなんて……)
クロイヌは同時にさらなる驚愕すべき現実を受けていた。
海神の恐るべきところと言ったら、その無限に存在する海の水を使用した圧倒的質量での攻撃である。
しかも海神はどういう原理か海水に浸かっていると力が増すのだ。
怪力となったその龍の体から放たれる尾での攻撃は、水での攻撃並に警戒すべきである。
だがそれは海水に浸かっている時の話。
現在海でもないこんな陸地では、海神にこんな力があるはずないのだ。
「なぜ……ん?」
クロイヌは反った体を利用して地面に手をつき、バク転の要領で体制を立て直して着地する。
その際にわずかに感じ取った違和感、地についた足から先程までとは確実に違う何かを感じる。
「これは……ぬかるんでいる!?」
「あら、気づかれてしまったわね」
靴が体重で地面にめり込み、その下からジュクジュクと茶色く濁った水が滲み出している。
そして犬族であったがためにクロイヌの鼻を刺激したのは、その水から香ってくる潮の匂い……
「海水がないなら私が作って広げればいいだけの話よ。私もなんで今までこの方法に気付かなかったのかしらね?」
めちゃくちゃだ――――――
クロイヌは神と名のついた存在の力量を測り間違えたことを後悔した。
すでにぬかるみは辺り一帯に広がっており、染み出す水の量はどんどん増えていく。
「これなら少しくらい戻っても大丈夫よね」
そう言ったリヴァイアの姿が変化する。
腕にウロコが浮かび上がり、肩から先が歪な龍の腕へと変貌する。
細い女の体とは少々バランスの狂ったその大きな青色の腕は、確かな力強さを感じさせていた。
「セツの加勢を待つまでもないわ。あなたはここで私が倒す、海神の名にかけて」
そう言った少女の姿をした海神の迫力に、クロイヌは一瞬体を震わせた。