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 せっかく私が夜なべして作った「お兄様に妹を女性と意識させよう大作戦」の脚本を、

「そんな安っぽく、かつ嘘くさい話、参考にもならん。さっさと引っ込めろ」

 と、クラウスは素気無くお蔵の中に放り込んだ。

 言い分は山ほどあれど、とにかく協力体制に入ってくれたクラウスの機嫌を損ねて、私自身が作戦を潰すわけにもいかない。

 なので、私は、何やら一計を案じているらしい彼に全てを委ねることにした。


 認めたくはないが、クラウスは頭の良い男だ。はっきり言ってたぶん兄よりいいと思う。


 その分、お約束のように性格は悪いが、この男、私以上に猫を被るのが上手いため、その性根の歪みがまるで外に漏れていないのが凄いところだ。いやむしろ爽やかな好青年で押し通している。

 この面の皮の厚さだけは、私もしっかり見習わなければならない。


「お兄様が、アラナは渡さん! っていきなり斬りかかってきても、ちゃんと避けてね。いくら貴方でも、怪我なんかされたらさすがに嫌だわ」

「せいぜいその愚かな妄想を今のうちに楽しんでおけ。俺に協力を仰いだのがお前の運の尽きだ」


 兄の執務室へと向かう傍ら、そんな会話が取り交わされる。

 運の尽きとはどういう意味かと尋ね返す間もなく、目指す部屋へと辿り着いた。






 クラウスはイグナーツ軍総帥の副官。同時に、彼自身、一万の騎士を率いる軍団長の一人でもある。

 私は戦場など行ったことがないので風の噂で耳にする程度だが、兵の指揮は巧みで、剣の腕前は確かということだ。

 兄は舞うように華やかに得物を操るが、クラウスは無駄なく隙なく、針の穴を通すような精緻さで敵を屠る。

 まるで完璧な暗殺術のようだ……誰かがそんな事を言っていたのを、なぜか唐突に思い出していた。


 執務室に兄はいた。

 考え事の最中だったらしく、私たちの呼びかけに応じる声は、一分近くもずれていた。


「入るぞ」


 クラウスが扉を開けた。

 兄は両手を腰の後ろに組んで、窓に向かっていた。ゆっくりと振り返り、私たちを見とめて、にこ、と微笑んだ。

 ああもう、何度見ても太陽神のように神々しいお姿だ。いっそ平伏して拝んでしまいたい。


「また二人一緒か。お前たちは本当に仲が良いな」


 兄が言った。……大いに誤解を招きそうなことを。

 これについてはハッキリきっぱり否定したい私である。断じて仲が良い訳ではない。いやむしろ悪い。

 単に、クラウスは私が猫かぶりであることを知っているだけだ。私としても、とっくに尻尾を掴まれている相手に余計な気遣いなど無用なので、楽と言えば楽である。

 それに、兄に関する情報を得るなら、何と言ってもこの男が最も多くの引き出しを持っている。

 ……一筋縄ではいかない相手なので、一つ手に入れるためにも並々ならぬ辛酸を舐めさせられてはいるが。


「そうかな。……まぁ、アラナのことは誰よりもよく知っているとは思うが」


 クラウスが答えた。その横腹に肘鉄を食らわせてやりたくなったが、我慢した。

 兄の前では、私は淑女で通している。淑女であるからには、男に対して、口ではなく腕っぷしで暴力を加えるわけにはいかない。

 ……口でも駄目だろうという突っ込みは無しの方向で願いたい。

 私はクラウスの隣で恥ずかしそうに俯いてみせた。もう少し長いスカートを穿いてくれば良かったと後悔した。そうすれば足を踏んづけてやれたのに。


「今日はどうしたんだ? 二人揃って」

「重要な話があってな」


 突然クラウスが私の肩に手を回して引き寄せた。不意打ちだったので、抵抗する暇もなく、気付けば彼の胸にもたれかかるような格好になっていた。

 思わずぴきっと固まった私の頭越しに、二人の男がやり取りを続ける。


「あと一年、アラナが十八になるまで待つつもりだったが、少々事情が変わった。単刀直入に言おう。レオニード、アラナを俺の妻にもらい受けたい」


 首から上に熱が集中するのを感じた。

 これは芝居だ。何を隠そう、私がクラウスに頼んだ芝居だ。……兄の気を引くために。

 なのに、俺の妻とか、もらい受けるとか、巷で大流行の愛憎劇にしか出てこないような文句を耳にした途端、心拍数がたちまち跳ね上がった。


 落ち着け自分……!

 私が時めく相手は兄様だ。クラウスでは断じてない!


 さぁ兄様。いつものように「アラナは誰にもやらん!」と怒って下さい。怒るついでに、妹をもう少し一人の女性として見てやって欲しいと言いますか……。

 髪の一筋からつま先まで、兄様好みの女になれるよう、童女の頃から頑張ったんです。少しは報われたっていいじゃありませんか!


「お前なら安心だ。アラナを幸せにしてやってくれ」


 あり得ない台詞が返ってきた。

 いやいやいや、ちょっと待ってー! と叫ぼうとしたとき、肩にクラウスの指がぐっと食い込んできて、私はびびって思わず言葉を飲み込んだ。

 上目づかいに恐る恐る傍らの青年を見上げると、私を見下ろす藍色の双眸と目が合った。

 身から出たサビだろうがこの馬鹿娘、観念しろジタバタするな、という、頭の中に捻じ込まれてきたこの声は、天の声だろうか。それともクラウスの心の声だろうか。


 後者か。やっぱりそうか。なんでそんな声だけ聞き分けてしまうんだ。私のバカヤロー。


「はねっ返り娘で苦労をかけるだろうが、頼んだぞ」


 兄がぽんとクラウスの肩を叩いた。

 私は兄の前では完璧な淑女を演じてきたはず。なぜはねっ返り娘であることを知っているのだろう。

 のほほんな兄が自力で私の猫を見破ったとは思えない。犯人はあんたか。クラウスか。おのれ諸悪の根源……!


「このじゃじゃ馬を乗りこなせるのは俺だけと自負しているからな」


 あんたなんかに乗られてたまるか。私に乗っていいのは兄様だけだっ!


「お前とこれで本当の意味で兄弟だな。何やら感慨深いものがある……」


 婚約発表は、式は、と、兄がクラウスに矢継ぎ早に質問を投げかける。

 それに、一つ一つ、前もって用意していたかのように淀みなくクラウスは答えていた。


 どうしよう。今さら嘘ですゴメンナサイ、と言えるような雰囲気ではなくなってきた。

 そもそも、可愛い妹がライバルに引っ攫われる瀬戸際だというのに、どうして兄はそんなに嬉しそうなのか……!


「さて。どう料理するかな……」


 なんだ今の声。


 私はもう一度クラウスの顔色を窺った。

 この上もなく人の悪い笑い方をした、ご近所のお兄さんという名の天敵と、再度目があった。


 いや。

 今のは気のせい。幻。蜃気楼。


 私は何も見ていない……。




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