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二人の世界

 少女は壁に体を預け、肩で息をついていた。喘ぐ口元は切れて血が流れている。目元の痣や腫れ上がった頬は、暴行の跡を匂わせた。


 彼女の顔に浮かぶのは恐怖でも怒りでもなかった。苦痛の色は浮かべていれど、さも当たり前と言わんばかりの表情で目の前に立つ人物を見上げていた。



 振るわれる拳。少女の左頬に炸裂し、体を床に叩きつける。鼻から垂れた血液は床を濡らし、短く煩雑に切られた灰色の髪を赤く汚していった。


 少女は腕を振るわせながら体を起こす。床についた鼻血が指に触れたが、彼女は気にも留めなかった。口を動かすと何かを吐き出した。硬く、小さな音を立てて、赤い泡のついた奥歯が床に転がった。



 少女は自分を打ち据えた相手に顔を向けた。


喰頼(くらい)……」


 名を呼ばれた人物は表情を緩め、お礼とばかりに少女の名を口にした。


凪木(なぎ)


 凪木、と名を呼ばれた少女の顔に浮かんだのは笑みだった。人によっては微笑みとも思わないだろう小さな笑顔。儚さのある笑顔だった。



「凪木、凪木、本当に可愛いなあ……」


 喰頼は凪木を抱き寄せる。凪木の体は小さく、喰頼の体にすっぽりと収まった。凪木の適当さが目に見える灰色のショートカットに触れる。彼女は笑みを壊さぬまま、髪を撫でる手に身を任せた。


 血の臭いに紛れて柔らかい香りが喰頼の鼻をくすぐる。凪木の匂いだ。一番好きな匂い。


 彼女の匂いを堪能すると、顎を掴み、顔を上に向けた。痛々しい傷、流れたままの血。それらに覆われてなお、彼女の顔は整っていることが窺える。湧き上がる感情。端の切れた薄い唇に顔を近づけた。


 凪木の全てが愛おしい。



 歯を剥き、下唇に喰らいついた。口内に溢れる血の味。顎に力を込める。ブチッという感触がして校内に肉が転がり込んだ。体液の味。塩の味に混じって甘味を感じる。


 口内の凪木の一部に再び歯を立てる。咀嚼する度潰れていく。肉片ですら愛おしい。それを飲み下す。早く消化吸収してほしい、そうすれば、凪木と少しだけ、一つになれる。


 両手で口を押えて呻く凪木に視線を落とす。一口齧った程度では愛情が押さえきれない。喰頼は左足を支えにして勢いをつけて凪木の腹部に蹴りを叩きこんだ。うげっ、と小動物を潰したような声が耳に入る。


 鳩尾に爪先を叩きこまれたことで息が詰まったようだ。背中を見せて蹲り、背中を震わせている。そんな壊れそうな姿も可愛くて仕方がない。そんな姿をもっと見たい。



 腹を押さえている右腕を探り、引きずり出す。左腕は指先まで不自然に包帯が巻かれているが、右手は外界に晒されている。


 手首を掴み、腕を硬い靴底で踏みつけた。握る腕、踏みつける足に力を込める。凪木も何をされるか分かったのか、口を押えた右手の奥で何かを言いかけた。


 今までと異質な音が鳴る。悲鳴が上がった。喰頼の何かが満たされていく。でも、まだ足りない。口を押えることも忘れて右腕を庇う凪木を見つめていた。凪木の目から水滴が落ちる。それでもあの笑みを浮かべていた。


 喰頼はしゃがみこむと、凪木の右腕を取った。恋人同士がするように指を絡ませて握る。腕を捻り、手の甲に頬を当てる。つるりとした感触は何にも代えがたい。腕を覆う長袖の安っぽいパジャマをずらす。傷だらけの腕が現れた。



 線の刻まれた腕にゆっくりと歯を立てた。唇よりも硬い。それを思い切り噛み千切る。腕を負った時ほどではないが、悲鳴が上がる。口内の凪木の一部を歯で潰し、体内に取り込むともう一度歯を立てた。


 続く。営みは続いていく。凪木を取り込むことが喜びだった。暴行を加え、歪む表情を見ることもまた喜びだ。



 全ては愛故だ。歪んでいる、狂っていると言われようと、愛だった。



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