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「メム?」
「明日からお祭があるの、 知ってる?」
「え。 ううん」
「……良かったら、 案内、 するけど」
「いいの? やったぁ!」
お願い! と喜ぶイリスを少しだけ振り返り、 今度こそメムは自分でも笑っていると感じた。
「じゃあ、 また明日。 お昼過ぎでいい?」
「うん。 楽しみにしてるね!」
メムの後姿を見送り、 お祭の約束にくすぐったくも温かい何かを胸に感じて嬉しそうな笑顔を浮かべたイリスの背後から声がした。
「やるじゃん。 イリス。 けど、 及第点には届かねーな」
「ひゃわぁ!」
クックックと笑い声帯びたそんな言葉に振り返れば面白そうに笑うシェナと、 そんなシェナを眼鏡の奥から半眼で見遣るルシアが立っている。
「女から誘って貰ってるようじゃまだまだ」
「え。 あ。 あぅ」
「同じ誘いでも、 “一緒に行かせてください”だったら文句ねーんだけど」
「シェナッド。 あなたじゃあるまいし……。 良いんですよ、 イリスはこれで」
「えー。 でも、 男として格好ちょっとは付けたいよな?」
なー? と笑いながらイリスにシェナが首を傾げ、 反射的にイリスも頷き返してた。 それを見たルシアが困ったような微妙な表情でイリスを見て。
「無理して背伸びしても成長にはなりませんよ?」
「うるさい!」
「第一君にカッコいいは、 今のところ無理が」
「喧嘩うってるの?」
この変態。 キッと見上げて睨み付ける。
眼鏡の向こうにあるタレ目と視線がかち合い。
「……はぁ」
「……。 ねぇ、 何。 その溜息」
「いえいえ。 大したことでは」
フッと笑って視線を逸らした様子にイリスの口許が引きつった。
「言いたいことがあるなら、 はっきり言いなよ」
「言いたいことなんて……言ったらきりがありませんし、 君のなけなしの矜持を傷つけるなんて私にはとても……」
「なけなしって何! ってゆーか、 言いたいことってそんなに酷い事考えてるのっ」
「ふふふ……」
やっぱりこいつ殺す。 もう出会ってから何度目になるかわからない殺意をイリスがルシアに抱いた時、 そばで見ていたシェナがこらえきれなくなったように吹き出して声を立てて笑い出した。
「っは、 あははは! っく、 クククッ」
「ちょ、 シェナ兄様っ?」
シェナ兄様まで笑うの! と頬を膨らませて抗議しそうになるイリスの頭をシェナが片手でくしゃりと撫でる。
「や。 悪りぃ悪りぃ。 じゃなくて、 まさかルッシー……んな態度だとは……く、 はは」
「へ? 変態が?」
何? と小首を傾げシェナを見た。 と、 そんなやり取りの一瞬があった後、 イリスの頭を撫でるシェナの手を容赦なく払い、 ルシアが声を上げる。
「ちょっと待って下さい。 何で私が変態呼ばわりで、 このド変態が“兄様”呼びなんですか!」
「変態だから変態って呼んでるじゃない。 それに、 シェナ兄様のどこが変態だって言うの!」
「ルッシー、 酷ぇ」
ルシアに払われた手をひらひらと振り、 それでも何ら気を悪くした素振りもなくシェナが笑う。 二人の様子を面白がるように紅玉のような瞳を細め。
「なるほど。 ―― 待ち望んだ、 か」
ひっそりと呟いたシェナの言葉は、 ぎゃあぎゃあと言い合いをしている二人には届かない。
「お前たち、 その辺にしとけよ……目立つ」
「お師匠様」
抗議するルシアに回し蹴りを繰り出そうかとしていたイリスの肩を捕まえ、 それまで店内にて三人が帰ってくるのを待っていたワースが溜息混じりにそう言う。
「明日の予定ですが、 イリスは先ほどのお嬢さんとお祭りに行くお約束を取り付けました」
「よし。 行って来い」
「ちょっと待って! ちゃんとお仕事もするよっ」
慌ててそう言ったイリスの頭を、 ワースは微笑みながらくしゃくしゃと撫でる。
「女の子のエスコートを途中で放り出すなよ。 一日くらい楽しんでいいんだぞ」
「でもっ」
「別にお祭と君のやる事は並行して行えるでしょう。 君はこの街の大体の地理を覚えることが今回の課題なんですから」
お祭で街を回ればおのずと道も場所も覚えるものです。 ルシアがにっこり笑ってそう付け足せば、 ワースも「そうそう」と気軽な様子で同意した。
変態は兎も角、 師匠にまでそう言われればイリスも黙る。
「ああ、 ですが……お祭を楽しみつつ街の地理を覚える程度のことも君には無理というのならそれは仕方ないですね」
爽やかさすら纏い笑顔でそう言うルシアの言葉にイリスがギラリと瞳を凶悪に光らせた。
「誰が無理なんて言ったの……勝手に決めないでよこの変態」
「人の名前も満足に呼べない君に出来ますか? お祭を楽しみつつ自分のすべきことも成し遂げることが」
はーはっはっは、 とかまるで御伽噺の悪い魔女が上げる高笑いにも似た雰囲気のルシアにゴールデンレトリバーの子犬が立ち向かっている。
イリスとルシアの様子にそんなイメージを抱きつつ、 シェナはクスクスと笑う。
「楽しそうだな」
「まぁ、 な。 あ、 オレも明日ルッシーたちに同行すっから」
ワースにそう言ってシェナはツナギのポケットから飴玉を取り出し口に放り込む。
「ああ」
「……信用なんねー?」
蜂蜜色の瞳が僅かに何かを検分するように細められ、 自分を見ていることにシェナはニィッと笑って見せた。
それは蟲惑的でイリスに広場で見せた笑みとは違う。 魔に属するもの特有の妖しい笑みを形作る。
その笑みに首を振り、 ワースはまだ言い合っているイリスたちを見遣った。
「イリスが平気なら良い。 ルシアもいるしな」
「そりゃどーも。 まぁ、 心配しなくとも、 今回はルッシーに呼ばれて来てっから、 何かするつもりもねーよ」
口の中で飴を転がしながら言うシェナに、 ワースは軽く腕組みをしつつ苦笑して問う。
「ルシアに呼ばれてなかったら何かするのか?」
「さーな。 それはその時の気分次第だろうけど。 ま、 やんねーよ。 ルッシーすげー怖ぇし。 絶対」
シェナとワースの見遣る先で二人はまだ不毛な言い合いを続けていた。
「だ・か・ら! 変態は変態でしょ! この変態っ」
「失礼な。 ですから私のどこが変態ですか」
「全部!」
「本当に君は失礼ですねぇ」
「いきなり人気の無い所に連れ込んだ挙句、 脱げとか言ってくる奴のどこが変態じゃないっていうの!」
「ルッシー、 それは変態だわ」
「ルシア……」
シェナと胡乱気なワースの後ろ盾を受けて「ほらね!」とイリスは碧眼でルシアを睨みつける。
三人から視線を受けて、 ルシアは片手で額を押さえて深いため息をつく。
頭痛でもするかのように半眼でルシアがイリスを見て、 その黒衣をスッと指差した。
「それは君が話しも聞かずに暴れて逃げ出したからでしょう。 シェナッドに何で教会の人間とわかったのか尋ねたと聞きましたが、 むしろわからない方がわかりません」
その言葉にイリスとワースの視線がイリスの黒衣へと向けられる。 同時にワースは「ああ」と納得して頷き。
「ワースさんは仕事に必要ですから良いのですが、 君の役割にその格好は目立つので、 普通の服に着替えたほうが良いと思ったのですよ。 少なくともそのケープくらいは外そうと思っただけです」
聖職者見習いの黒衣。 黒というのははっきりしているので目立つ色。
おまけにその服の形を見れば職業丸わかりである。
「紛らわしい言い方するからでしょ!」
「その前にちゃんと“服を見に行きましょう”って言いましたよ。 私は」
「っ!」
「……まぁ、 良いですけれどね。 では理解できた所で明日からはこれを」
ポンと言葉に詰まっていたイリスにルシアが渡したのは白い布で包まれたもの。 話しの流れから、 洋服だと思われるのだが。
「って、 今これどっから出したの?」
「どこって……このポーチですが」
腰のシザーポーチを軽く叩いたルシアに、 ワースもツッコミを入れた。
「いや、 それおかしいだろ。 どう見てもこれが入る容量じゃ……」
「いっぱい入るんですよ。 物限定で」
流石に人間は入りませんけどねー。 なんて笑いながら、 ルシアがシザーポーチからさらに今度は帽子の箱を取り出す。 明らかにそれもシザーポーチに入るわけのないものなのだが。
帽子の箱を包みの上に乗せ、 片手を胸元に当て一礼しルシアは言う。
「それでは、 今日のところは失礼いたします。 また明日」
「んじゃオレも行くか」
シェナがルシアの様子に軽く伸びをした後、 共にそこから去ろうとして。 その二人の背に、 イリスが声を上げる。
「シェナ兄様、 またね。 ……それと、 ルシア、 変態が嫌だったら変なこと言わないでよね! 僕も悪かったけど! じゃあね!」
思わずといったように振り返ったルシアが見たときにはもう、 イリスの姿は宿の中へと消えていた。 ワースが苦笑しながら手を振り宿へと消え、 ルシアの横でシェナは笑みを浮かべる。
ルシアの口許には、 ただ仄かな笑みが浮かんでいた。




