第88話 いびつに歪む線条痕
会議の場では、確証がなかったために話さなかった事実があります。
それは、わたしたちが尋問した『アトラス』の族長が正気を失っていたことです。
とはいえ、もちろんマスターのスキル『目に見えない万華鏡』を受けて錯乱していたという意味ではありません。
その前から彼は既に、正気ではなかったのだと考えるべきなのです。それというのも、彼らの部族が関わっていた『取引』は、彼らにとっては極めて非効率的であり、愚行と呼んでも差し支えない内容のものだからです。
いかに強力な装備が支給されるとはいえ、アジトを複数潰される危険を冒してまで『愚者狩り』を行い、強力な種族である『ニルヴァーナ』の国家を敵に回す危険を冒してまで『王魔の子供狩り』をする。
そこまでして得られる見返りは、本来、彼らにとっては価値の低いはずの『金銭』なのです。確かにギアガが言っていたとおり、金銭で買える快楽はリスクも少なく、安定した物にはなるでしょう。しかし、『原始的・肉体的快楽』を至上とする彼らにとっては、本来、リスクを超えた先にある『快楽』もまた、価値の高いものであるはずでした。
例えば、弱いものを力づくで屈服させ、従属させて支配したいという欲求です。これなどは金銭だけでは得られにくい種類のものでしょう。
「ふーん。つまり、ヒイロは『アトラス』の族長たちは『女神』の魔法使いに洗脳されていたって言いたいわけだ?」
わたしの考察を先読みし、そんな言葉でまとめてみせたマスターは、メルティとアンジェリカが『遊び』を続けているのをぼんやりと眺めています。
「はい。かつてのルヴァン司教兵長も似たような状態だったと推測します」
ルヴァン司教兵長は、女神信仰の街で会ったパウエル司教の部下だったわけですが、ほとんど盲目的なまでの忠誠心を彼に捧げていたように思います。
「そう考えれば、聖女様……確か『ベアトリーチェ』だったっけ? 彼女に対するパウエル司教も同じような状態だったんだろうね」
「そうかもしれません。一度発動すると相手にかけた効果が持続するタイプのスキルなのか……あるいは『女神』の魔法によるものなのか……そのいずれかでしょう」
手近な岩に腰を下ろしたわたしたちの目の前では、今もアンジェリカが赤い炎を蛇のように操っており、対するメルティは身の丈ほどもある真紅の刀でそれを斬り裂いていました。
「『アトラス』だって一応は『王魔』だ。ましてや同じ『アカシャの使徒』の中でも司教って言ったら上級幹部だろう? そんな人間まで意のままに従える能力だなんて、おっかないね」
マスターは自身が口にした言葉とは裏腹に、どことなく楽しそうな顔をしています。
「何をお考えなんですか?」
わたしがそう尋ねると、マスターはおどけたように首を傾げ、その笑みを深くしました。
「鬼が出るか蛇が出るか……そう思うと少し楽しみなんだよ」
「楽しみ……ですか」
「実は僕……決まりきった台本どおりに進む展開って奴が大嫌いでね。『アカシャの使徒』でも何でもいいけど、僕にとって『楽しい展開』を演出してくれるなら嬉しいんだけどなあ……」
「…………」
決まりきった台本どおりに幼少期の十年を生きてきた彼の言葉に、わたしは返す言葉がありません。するとマスターは、とってつけたように言葉を続けました。
「とは言ってもさ……彼らの狙いが『ニルヴァーナ』の子供を確保することにあるのなら、次の行動の予測ぐらいはできると思わないかい?」
「はい。国境の警備が強化され、子飼いにしていた『アトラス』の大きな部族が一つ、完膚なきまでに潰された以上、今度は危険を冒してでも、この国の内部に手を伸ばしてくるでしょうね」
貴重な対魔法銀性の武具を蛮族に与えてまで達成しようとした目的を、彼らがこのまま諦めるとは考えにくい話です。
「狙ってくるのは、どの辺だと思う?」
二人の『遊び』を見つめていた視線をこちらに向け、問いかけてくるマスター。
「そうですね。この国で人知れず、それなりの数の『王魔』の子を誘拐し続けようとするなら、ある程度の権力か財力のある者を狙う必要があるでしょう」
「なら、財力のある商人あたりだろうね」
「はい。この国には実際、人間たちも多く出入りしています。その多くは珍しい魔法の物品を手に入れるための商人たちですから、接触するにはそれらの中に混ざるのが一番でしょう」
こんな言い方は失礼かもしれませんが、マスターは実に優秀な人です。頭の回転が速い、というのもありますが、何より人の言葉からその考えを読み取るのに長けています。
そのため、わたしとしては、こうして彼と会話をしているだけで、互いの心が通じ合えているような、何とも言えない心地よさを覚えてしまうのでした。
ここでマスターは、再び『遊び』の方へ視線を戻しました。
「あ、これはどうも今回は、アンジェリカちゃんの負けっぽいね」
「そうなのですか? ……そもそも、今回はどんな『勝利条件』に設定したのでしょう?」
「うん。後ろを取られてクリーンヒットを浴びたらってところかな? 相手の後ろに回り込まなくちゃいけないあたりが『遊び』っぽくて飽きないだろうし、相手の動きを先読みする練習には、ちょうどいいんじゃないかと思って」
わたしたちの目の前では、空を飛んでメルティの斬撃を回避したはずのアンジェリカが突然バランスを崩し、そのまま地面に墜落してしまっていました。
「いったた! うー! 武器を針金の形にして罠を張るとか……このひきょうものー!」
「へへーん! この前のお返しだよ!」
メルティがその尋常ではない膂力で針金を引っ張ると、さすがのアンジェリカも抗しきれず、一気に身体を引き寄せられていきます。
「この! こんな針金なんか! 《クイーン・インフェル……」
「おっしまい!」
しかし、生半可な熱ではびくともしないメルティの『武器』に対し、アンジェリカが熱線を集中して注ぎ込もうとしたところで、今回の『遊び』は決着となったようです。
「ふえっ!? ちょ、ちょっと離してってば!」
「捕まえた!」
引きずりよせたアンジェリカの小柄な体を、背後からしっかりと抱きしめるメルティ。
「……マスター。あれは『クリーンヒット』のうちに入るのですか?」
「どうかな? まあ、背後を取られたことは間違いないわけだし、決着は決着だろうね。ほら、空間も解除されていきそうだよ」
マスターの言葉どおり、人工物のない野原のような風景の中に、徐々に城内の一室の景色が戻ってきました。
「マスターのスキルによる『スキルの変質』は、随分とアバウトなんですね」
「あはは。いろいろ試してみたところだと、それなりに制限もあるみたいだけどね」
実を言えば、先ほどアンジェリカが発動していたスキル『禁じられた魔の遊戯』は、マスターの以下のスキルにより、その効果を変質させられていたのです。
『いびつに歪む線条痕』
自分及び自分と接触している『知性体』がスキルを発動する際に発動可。そのスキルが世界に影響を及ぼす際に、その効果の一部を歪ませる。ただし、そのスキルの根本を変えることはできない。
「どうやら、アンジェリカちゃんの『禁じられた魔の遊戯』は、『遊び』という部分がスキルの根本に当たるみたいでね。空間内での『死の有効化』とか、勝利者の権利に『永遠の束縛』を加えるとか、そういったことはできないみたいだ。そうなると変更できる箇所は、勝利条件の変化と禁止事項の増減、それに勝利者の権利を『遊び』の範囲で調整するぐらいなんだよね」
「つまり、スキル全体の性能の底上げもできないわけですか?」
「うん。あくまで『歪める』ってことなんだろう。何かの効果を極端に高めたければ、他の効果を犠牲にしないと駄目らしい。それに、『発動条件』の変更もできない。あくまでスキル発動後の変化しか起こせないってわけだ」
発射された弾丸の軌道を歪ませるライフリング。しかし、銃身の中が覗けない以上、実際には弾丸が発射され、そこに刻まれた痕を見て、初めてその『歪み』のほどが理解できるものです。
そしてそれは、マスター本人にも当てはまることなのかもしれません。彼の言動によっては、彼の本質を理解することは叶わない。けれどその結果、この世界には、まざまざと『彼の痕』を見ることができる……。
「なるほど……さすがに一気にスキルが増えてしまっただけあって、その効能を確認するのも一苦労ですね」
「まあね。どうしたって日常的には使えない類のものもあるみたいだし、その辺はぶっつけ本番かな。……それより、本格的に空間が解除されたみたいだよ」
今や周囲の空間は、すっかり元の客室に戻っていました。マスターが目を向けた先では、メルティが嬉しそうに笑いながらベッドに腰掛け、悔しそうな顔でふてくされるアンジェリカを後ろから抱きしめています。
「ちなみに、勝利者の権利はどうされたんですか?」
「え? ああ、今日一日、遊びの範囲内で相手の言うことを何でも聞く……だったかな?」
「それはまた……」
どうやらあの少女二人は、場合によっては一年限りとは言え、敗者を奴隷にできてしまうこのスキルを、随分と可愛い形で使用したようです。
「ううー! 負けた負けた! 悔しい!」
メルティに抱きかかえられたまま、アンジェリカは悔しげに手足をばたつかせています。
「ああ、ほらほら、そんなにベッドの上で暴れてはいけませんよ」
そこにちょうど、アンジェリカのスキルの『観客』となることなく待機していたリズさんが、たしなめるような声を掛けました。彼女は、わたしたちが『戻ってきた』ことに気付くや否や、テキパキと紅茶の準備を始めています。
「ほら、リズのお姉ちゃんに怒られた。大人しく、じっとしてなさい」
リズさんの言葉を受けて、それ見たことかと年上ぶってアンジェリカに注意するメルティ。彼女は、先ほどから一向にアンジェリカの身体を離そうとしません。
「あらあら、仲がよろしいんですね。でも、そのままだと紅茶が飲めませんよ? お茶請けのお菓子もありますし」
「あ! お菓子! 食べる!」
リズさんが微笑みながら言うと、ようやくメルティは彼女を解放し、二人そろって紅茶とお茶請けの置かれたテーブルへと駆け寄っていきました。
一方、その同じテーブルでは、既にエレンシア嬢がお茶請けに手を伸ばしつつ、ぼんやりと息を吐いています。
「エレン、どうしたの?」
「え? ああ、キョウヤ様。お帰りなさいませ。少しスキルを使った情報収集をしていただけですわ。世界の植物を目や耳の代わりに使うやり方も、だいぶ慣れてきましたので……」
どうやら、ぼんやりした顔に見えたのは、意識を別の場所に集中していただけのようです。
「へえ、そうかい。つくづく羨ましい能力だね、それで、何か掴めたの?」
「神聖王国アカシャの国内を色々と『見聞して回り』ましたけど……、やはり最近では『聖女ベアトリーチェ』の評判が高まっているようですわね」
「評判……ね。どんな話が多いのかな?」
「そうですわね……清らかで美しい聖女様だという話が大半でしたわ。手をかざしただけで死に至る病を治したとか、神の声を聞いて天災を予知して人々を救ったとか、そんな話ばかりです」
「まさに聖女ってわけだ。でもそんな彼女がパウエル司教みたいな奴を使って、君やアンジェリカちゃんを確保しようとしてたんだし……そう考えるとむしろ、そんな評判しかないこと自体が油断ならない相手だという証拠にはなりそうだね」
魔法やスキルによって人を洗脳するだけでなく、民衆の心理さえ掌握し、自在に操っているとなれば、マスターの言うとおり油断は禁物と言ったところでしょう。
「まあ、とりあえず聖女さんは放っておいて、僕らはこの国の商人たちに注意を向けることにしようか」
「商人……ですの?」
不思議そうな顔をするエレンシア嬢でしたが、わたしが先ほど空間内でマスターと交わした会話の内容を伝えると、納得したように頷いてくれました。
「わかりましたわ。では、そのあたりの情報収集もお任せください」
エレンシア嬢は、実に頼りになる諜報係となってくれそうでした。
次回「第89話 ありふれた硝子の靴」




