第84話 遊びの時間
それから数日間、メルティは毎日のように同じ時間に墓地に出向き、メンフィス宰相との面会を続けました。メンフィス宰相の方も彼女と会うことを楽しみにするようになったのか、最近では霊園内の四阿にお茶の用意をしてくれるようにまでなっています。
二人の話の内容は、その日にメルティが見つけた珍しい草花のことだったり、メンフィス宰相の昔話だったりと様々でしたが、共通しているのは二人が実に楽しそうに会話を続けていることです。
メルティ本人にも聞いてみたことがあるのですが、彼女いわく
「メンフィスのこと? うん、好きだよ。ちょっと怖かったけど……でも、優しいから好き!」
とのことで、一応、気に入ってはくれているようでした。
何はともあれ、素性を明らかにしない形での二人の接触は上手く行っているようです。時折、メンフィス宰相も彼女の言葉の端々にかつての自分の娘の面影を感じているような節もありますので、そろそろ彼女の正体を明かしてみるのも一つの手です。
いつもの客間に集まり、今後の相談をする中で、わたしはそんな提案をしてみました。すると、マスターは少しだけ考えるそぶりを見せた後、小さく頷きました。
「それはいいけど、でも、僕に少し考えがあるんだ」
「考え……ですか?」
「うん。もっともそれには……アンジェリカちゃんの協力が必要かな」
ソファに腰掛けたまま、アンジェリカへと目を向けるマスター。彼女はと言えば、床に敷かれたカーペットの上に座り込み、メルティとカードゲームに興じているところでした。
「ん? 何か言ったか?」
メルティも物覚えは良いらしく、カードーゲームの勝敗の行方は微妙なところです。この分だとあと何回かゲームを繰り返せば、アンジェリカよりも彼女の方が強くなりそうですらありました。もっとも、アンジェリカが戦略性のあるゲームを苦手としているせいもありますが。
それはさておき、マスターはそんな彼女を手招きして呼び寄せると、そっと耳打ちをするように『協力』の内容を口にしたのでした。
──そして、作戦の最終日。
いつもの時間、いつもの霊園に姿を現したのは、いつものメンフィス宰相……一人だけではなく、彼の妻アリアンヌも一緒でした。
「……でも、本当に良かったのかい? あれだけ『メルティの墓』を造ることを拒んできた君が……」
メンフィス宰相は、隣を歩く妻に気遣わしげな目を向けて言いました。
「いいの。……ごめんなさい、メンフィス。わたしは今までずっと、あの子の『死』を否定し続けてきた。あの子を護りきれなかったことを認められずにいた。そうやって何もかもを……あなた一人に背負わせて……」
「アリアンヌ……。僕の方こそ、ごめん。復讐なんてしたところで、何も変わるはずがないのに……僕は、君を残して自分が処刑されてしまってもいいとさえ、考えてしまっていたんだ」
霊園の入口を入り、ゆっくりと石碑のある場所へと歩み寄っていく二人。今日のこの日にアリアンヌさんがメンフィス宰相に同行しているのは、アンジェリカが彼女を説得してくれたおかげでした。
「アンジェリカにも、悪いことをしてしまったわ。……あの子の母、シルメリアにも。だからわたしはここで、しっかりとけじめをつけて……あの二人に謝りたい」
「そうだね。それは、僕も同じだ。僕たちに遠慮して、あの二人が親子らしい時間を過ごすことができなかったのだとすれば、謝ったぐらいで償いきれるものじゃないかもしれないけれど……」
「ねえ、そういえば、あなたが言っていた、あの子と同じ名前の娘さんって……」
「ああ、うん。たぶん、いつもならこのあたりで会えるはずなんだけど……もしかして知らない人を見て警戒しているのかな?」
石碑の前にたどり着いた二人は、きょろきょろとあたりを見渡しています。するとそこに、メルティがひょっこり姿を現しました。
「こんにちは! メンフィス」
「やあ、メルティ。今日も元気そうだね」
黒髪を振り乱し、元気いっぱいに駆け寄ってくる少女を見つけ、メンフィス宰相は柔らかく微笑み返しました。
「あれ? そっちの人は?」
急ブレーキをかけるように立ち止まり、目を丸くしてもう一人の金髪の女性、アリアンヌさんを見つめるメルティ。
「ああ、前に話したと思うけど、僕の妻、アリアンヌだよ」
メンフィス宰相は、隣に立つ妻を指し示しながら紹介します。しかし、アリアンヌさんは、呆けたように固まっていました。
「……あ、あなたが……メルティちゃん?」
「うん! メルティだよ。はじめまして。……えっと……アリアンヌさん?」
最低限の礼儀を守るよう言われたことを受けてか、彼女はアリアンヌさんのことは『さん付け』で呼ぶことにしたようです。
すると、同時に少女から名前で呼ばれたアリアンヌさんの方も、我に返ったように小さく首を振りました。
「はじめまして、メルティちゃん。……ふふふ。本当、あの子も生きていたらきっと、こんな感じの女の子になっていたのかしらね」
「いやいや、アリアンヌ。こういってはなんだけど、もう少し大人っぽくなってくれていると思うよ」
「まあ、それはレディーに対して失礼よ? ねえ、メルティちゃん」
冗談まで交えつつ、和やかに会話を交わす夫婦の姿に、わたしの隣でアンジェリカが安堵の息を吐く気配がしました。
「……良かった。幻覚が見えなくなったことは、やっぱりアリアンヌおばさまにとって、いいことだったんだわ。……ありがとう、キョウヤ」
「礼を言うのはまだ早いよ。荒療治の本番は、これからだ」
マスターはそういうと、早速『準備』を始めます。
「あ、ちょ、ちょっと……キョウヤ様。こ、心の準備が……ふ……うむむ、ぷは……」
マスターと口づけをかわし、蕩けるような顔で息を吐いたのは、エレンシア嬢でした。キスならもっと早く済ませてくればよいのに……と思わなくはありませんが、今さらマスターにそれを言っても無駄でしょう。
ここから先の展開はマスターに任せるとして、わたしは再び、目の前の『親子』の会話だけに注意を戻すことにしました。
「そうだよ、メンフィス。わたし、立派なレディーになるんだもん」
「ははは。ごめんごめん。さて、じゃあ、今日も僕らの娘にお参りしようか」
メンフィス宰相がそう言うと、花束を手に抱えたアリアンヌさんがゆっくりと石碑に近づき、屈みこみます。
「……わたしのメルティ。可愛い娘。守ってあげられなくて、ごめんね。不甲斐ないお母さんでごめんね。……ずっとずっと、幻に逃げて……本当のあなたのことを見てあげていなかった薄情なわたしは……母親失格だわ。……メルティ、メルティ」
墓前に花束を供えつつ、嗚咽を漏らすアリアンヌさん。メンフィス宰相も肩を震わせ、涙をこらえているようです。静寂があたりを包み込む中、メルティは黙ったまま、アリアンヌさんの小さな背中をじっと見つめています。
しかし、やがて……彼女の傍へと歩み寄り、その隣にしゃがみ込むと、彼女の肩を抱くようにして言いました。
「アリアンヌさんも……寂しいの? でも、大丈夫。メルティがぎゅって、してあげる。こうすれば、寂しさなんて、どっかいっちゃうんだよ」
「え?」
驚いたように顔を上げ、涙で泣き濡れた瞳をメルティに向けるアリアンヌさん。
「あなた……」
「誰かに教えてもらったの。……寂しい時のおまじない。寂しそうな人がいたら、優しくしてあげなさいって……」
アリアンヌさんに抱きつきながら、メルティはうわ言のようにそんな言葉をつぶやき続けています。彼女自身、『母親のぬくもり』に触れて、何かを思い出そうとしているのかもしれません。
「ま、まさか……? で、でも、そんなはずが……」
驚愕に声を震わせ、あらためて間近で少女の顔を見つめようとするアリアンヌさん。
しかし、その時でした。
「く! なんだ、貴様らは!」
メンフィス宰相が警戒の声とともに、自分の周囲に虹色の波紋を展開します。
「メンフィス? いったいどうしたの?」
慌てて立ち上がるアリアンヌさんでしたが、気づけばいつの間にか、周囲には鈍く黄色に光る金属質の身体を持った『人形』の群れが立っていました。その『人形』たちは、それぞれが圧倒的な量の筋肉に包まれた身体つきをしています。
「『アトラス』か? いや、違うな……。だが……アリアンヌ! その子を連れて逃げるんだ!」
メンフィス宰相は周囲に漂う虹色の波紋の中から、幅広の両刃の剣を引きずり出して叫びます。『オリハルコン』と同じ力を持った、ヴァリアントとしてのメンフィスの魔法の産物です。
「化け物ども! お前たちの相手は、この僕だ!」
駆け寄ってくる《アトラス人形》の一体を剣で切り捨て、余波でもう一体を弾き飛ばしつつ、勇ましい声を上げるメンフィス宰相。
しかし、それを《ステルス・チャフ》の範囲内で見つめるマスターは、小さく呟きます。
「悪いけど、メンフィスさんには観客に徹してもらわないとね。スキル『動かぬ魔王の長い腕』」
マスターは全長十メートルにも及ぶ、魔力でできた『見えない腕』を出現させ、メンフィス宰相の身体を押さえにかかります。この『腕』を使用中は、彼の本来の腕が使えなくなるのですが、腕力自体は本物と同様です。
そして、今この時に関しては、圧倒的な身体能力を有するメルティが傍にいる以上、彼の腕力はメンフィス宰相をはるかに上回っているはずでした。
「く! な、なんだこれは! 身体が……動かない!」
マスターの『長い腕』は、スキル『わがままな女神の夢』による行動予知によって、メンフィス宰相の行動を先回りするように動き回り、彼の身体をたちまちのうちに拘束してしまいます。その間にもマスターの生み出した《アトラス人形》たちは、アリアンヌさんとメルティの方へと迫っていきました。
「くそ! 二人とも! 逃げるんだ!」
しかし、メンフィス宰相がそう叫んだ、その時でした。
「あは! うんうん! いつもの遊びだね!」
メルティは嬉々として笑うと、究極の身体強化スキル『精神は肉体の奴隷』を発動させ、《アトラス人形》たちを迎え撃ちました。
ちなみに普段、アンジェリカによる特殊空間内での『遊び』は、こうした人形を使って行われることが多いそうです。
彼女の拳に触れるだけで、黄色く輝く《アトラス人形》は四肢をばらばらにして吹き飛び、逆に人形たちの攻撃は、彼女が軽く腕で払うだけで、あっさりと弾かれてしまっています。
「な、メ、メルティ……?」
身体の自由がきくはずのアリアンヌさんは、呆然と立ち尽くしているようです。
夫同様、『サンサーラ』としては有数の力を持つ彼女ですが、病み上がりではその反応も鈍くなっているのでしょうか。もっとも、あまりにすさまじいメルティの戦いぶりに、驚いているせいかもしれませんが。
実際、マスターの『冒命魔法』により生み出されたこの『人形』たちは、『ファンイエンダイト』と呼ばれる魔法金属で作られています。わたしたちが『サンサーラ』から入手したこの金属は、それなりに貴重なものであり、これを素手で打ち砕くなど、通常では考えられません。
今やメルティは『遊び』に夢中になっているのか、にこにこと笑いながらも、無言のまま大暴れを続けています。破壊された《アトラス人形》はその場で元の金属に戻ってしまうらしく、あたりには黄色い石が散乱していました。
「あれが……彼女の力? いったい、何者なんだ?」
驚きに目を丸くするメンフィス宰相。彼は自分を拘束する腕のことも忘れ、彼女の戦いぶりを見つめているようです。
「さて、お次はこれかな?」
マスターのつぶやきに合わせ、次に姿を現したのは、赤銅色の人形です。
「《スパイラル・バースト》」
《レニード人形》は、金属質の手をかざし、そこに渦を巻く光の粒子を集約していきます。かつて『生前の彼』が言っていたとおり、彼の魔法にはその気になれば岩をも穿つ威力があります。まともに叩きつけられれば、メルティでさえ全くの無傷というわけにはいかないでしょう。
「メルティ! 危ない!」
アリアンヌさんとメンフィス宰相、二人が異口同音に叫びました。
ですが……
「あは? 今度は魔法を壊す遊び?」
上半身のジャケットを脱ぎ捨て、胸の周り以外を露出したタンクトップ姿となったメルティ。彼女は、自分に螺旋の光が迫る直前、身体中の『愚かなる隻眼』から真っ赤な光を放ちました。
「メルティ!」
叫ぶ二人の『両親』の前で、彼女の『魔法』が《レニード人形》の魔法をかき消していきます。
「あはは! もうおしまい?」
そして、けらけらと笑いながら《レニード人形》を殴り飛ばした彼女の額には、縦長にギョロリと見開く、血のように紅い『隻眼』が輝いていたのでした。
次回「第85話 親子の時間」




