第77話 運命の搾取
「……始まってしまいましたね」
わたしはマスターの『世界で一番綺麗な私』がすさまじい勢いでポイントを加算していき、新たなスキルが次々と生成されていくのを他人事のように見つめていました。
わたしも最初は勘違いをしていましたが、どうやらこのスキル、『殺害』という言葉を若干広く定義しているらしく、『目に見えない万華鏡』による『存在意義の消滅』は死と同義であるようでした。
【因子観測装置】で観測した限り、砦内で彼のスキルの影響を受けた数は、五百人を超えています。つまり、二百人強はどうにか難を逃れたのでしょう。さすがに全員がマスターを見ていたわけではなく、また、マスターについての話を聞かされていない者もいるようでした。
「とはいえ、互いに影響を与えられなくなった者たちが大半です。残りの二百人も戦うどころではないでしょうね」
「うん。混乱に乗じて残りの連中を皆殺しにするのはいつでもできそうだし、先に族長さんに会って『黒騎士』の情報を聞き出そうか」
「はい。そうですね」
わたしたちは《レビテーション》の力場に乗って、砦の中に向けて宙を移動しました。三階建ての建物の最上階部分にはバルコニーがあり、族長が中庭に集めた部下に指示を出すにも具合が良さそうな場所に見えます。
「ええ、恐らくその奥で間違いありませんわ」
エレンシア嬢の言葉に頷き、わたしはゆっくりと重力場をバルコニーに降ろしていきます。
「よし。一応、無事な奴がいないかどうか、警戒しながら行こう。僕の後ろに隠れていてくれるかい?」
「はい!」
エレンシア嬢とリズさんは、マスターの言葉に素直にうなずき、その後ろを慎重についていくつもりのようです。
わたしは、大混乱に陥っている砦の中庭をバルコニーから見下ろしてみました。
「お、おい! 誰か! 誰か! 返事をしろよ!」
自分に起きた異常事態に狼狽え、ひたすら周囲に叫び続ける蛮族がいます。しかし、彼の言葉に応える者はありません。同じ境遇で叫び続ける仲間すら、彼に気付く素振りさえないのです。
「誰か! 誰かいねえのかよ! 火が消えねえだろうが! 早く手伝え!」
「なんだよ、これ! 水をかけてもかけても火が消えねえ!」
「嘘だろ? 何だよ、この桶の水! 何回かけても元に戻ってやがる……」
特に深刻なのは、宿舎の消火を続けている者たちでした。彼らはこの世界に一切の影響を与えることができない存在なのです。火を消すことなどできるはずもなく、くみ上げてきた水でさえ、気づいたときには元の木阿弥に戻ってしまいます。
絶望と恐怖に満ちた阿鼻叫喚の地獄絵図。
しかし、そんなものを目にしてなお、わたしの心は動きませんでした。彼らは既に、他者から『気の毒に』と思ってもらうことすらできない存在なのです。
「……この世の終わりみたいな景色だな」
いつの間にか隣で中庭を見下ろしていたアンジェリカは、そんな言葉を口にしましたが、それでもその金の瞳には、彼らに対する特別な思いは感じられません。わたしたちはお互いの顔を見合わせ、力無く頷きます。
蛮族たちの末路には心動かされなくとも、この光景を事もなげに生み出したマスターの異常性には、呆れるばかりです。やはり彼のような人と付き合っていくには、それ相応の精神力が要求されるのかもしれません。
「おーい! 二人とも、置いてっちゃうぞー!」
などと考えていたところで、呑気な彼の声が聞こえてきたため、わたしたちは揃ってため息を吐いたのでした。
──それからわたしたちは、最上階の広い会議室のような部屋で族長らしき人物を発見することができました。
族長という言葉のイメージに反し、彼はまだ年若く、他のものと同じかそれ以上に筋骨隆々の巨大な体躯を誇っています。しかし、例によってわたしたちは、彼のその姿にはもはや何の感想も抱けません。
『他の連中より上等そうな衣服なのに、どうして布地の面積が少ないのは同じなのか』といった疑問でさえ、マスターが忌々しげに口にしなければ、思いつきもしないものでした。
「やあ、君が族長さんかい?」
マスターは、にこやかに笑いかけます。まるで悪魔のように楽しげに、すでに『終わって』しまった人物相手に語り掛けるマスター。どうやら彼だけは、この問答無用の凶悪なスキルそのものにほとんど影響を受けないようです。
「お、お前は……俺が見えるのか? 俺の声が聞こえるのか?」
族長らしきその男は、すがるべき藁が見つかったとでもいうように、目を輝かせてマスターを見ました。彼の周囲には数人の蛮族たちがいるのですが、どうやら彼らは互いに互いを認識できないらしく、同じくマスターに目を向けてきています。
しかし、マスターは他の蛮族には目もくれず、族長に話しかけ続けます。
「うん。まあね。それで物は相談なんだけど、助けてほしかったら僕に情報をくれないかな?」
「な、なに?」
「ほら、ギブアンドテイクだよ。まあ、ウイン・ウインの関係って言ってもいいけどさ」
「な、何を言っている?」
「ああ、蛮族さんには難しすぎたかな? でも、最近の君たちは『人間』相手に取引しているんでしょ?」
マスターがそう言うと、族長は明らかに驚いた顔になりました。
「……や、やはり貴様が、ギアガの言っていた男なのか?」
「うん。あ、そういえば、彼は元気? 問答無用で処刑されたらどうしようって心配してたんだけど、そうでもなかったみたいだしね」
「……そ、そんなことはどうでもいい! 貴様、いったい何をした!」
「えー? また説明するの? 面倒くさいなあ」
そう言って不満をあらわにするマスターですが、前に説明した相手はパウエル司教です。またかといわれても、族長も困るところでしょう。
しかし、マスターの話を聞くうちに顔を青くして許しを請い始めたあたりからは、この族長もかつての司教と全く同じ反応でした。マスターの質問にも、次々と答えを返してくれています。
「……とはいえ、『黒騎士』については、そこまで詳しいことは知らないみたいだね」
しばらく時間をかけて問答を続けた結果、人間との取引やその他の事柄については、いくつかの興味深い事実を確認できはしたものの、肝心の『黒騎士アスタロト』のこととなると、ギアガの語った内容と大差はありませんでした。
「さて、それじゃあ族長さん。約束通り、君をその境遇から解放してあげよう」
「ほ、本当か!?」
すがりつくような声を上げる族長。しかし、マスターの言葉が何を意味しているのか、この時の彼には理解できていません。なぜなら、『このスキルは彼自身にも絶対に解除できない』という肝心な部分についてだけは、説明を受けていないからです。
「うん。僕に名案があるんだ。実はさ、アンジェリカちゃんの魔法のせいで、自力での回復ができないくらいに重傷な奴らがいるんだけど……痛そうだし、ちょっと可哀想じゃん? だから、族長として責任をもって、彼らの苦しみを引き受けてあげなよ」
「え?」
族長が間の抜けた声を上げた、その直後でした。
「『規則違反の女王入城』。……ただし、特殊スキル『いびつに歪んだ線条痕』で、交換対象を肉体の傷に限定」
今回習得した新しいスキルと組み合わせた、『傷を交換するスキル』の発動。
それにより一瞬だけ、マスターの全身に目を覆わんばかりのすさまじい火傷が生じ、さらにその一瞬後には、族長の全身にそれが転移していました。
「ぎゃあああああああああああああ!」
「素晴らしいね。さすがは部下思いの族長さんだ。今ので五人か六人は痛みから解放されたはずだぜ? まあ、だからといって、彼らが『世界』とお別れしていることに変わりはないけどね」
マスターの非情な言葉を最後に、わたしたちは絶叫と共に絶命していく族長を残して、その部屋を後にしようとしました。
するとそこに……外から大きな爆音が聞こえてきたのです。
「うわあああ! 悪魔だ! 悪魔が出たぞ!」
「ちくしょう! ついに『黒騎士』がここまで来やがったか!」
一部の声は会話が成立しているようなので、マスターのスキルの影響を受けていない者たちなのでしょう。
しかし、これもまた、恐ろしい偶然でした。まさかこのタイミングで、『黒騎士』が現れるなど……とそこまで考えたところで、わたしには思い当たったことがあります。
そう言えば、マスターはギアガ率いる部隊を全滅させた時点でも、ひとつだけ新たなスキルを身に着けていたのです。
おそらく、この『偶然』は、そのスキルによるものに違いありません。
○特殊スキル(個人の性質に依存)
『貧者と富豪の運命論』
常に発動。『知性体』を何らかの不幸に陥れた時、その不幸の十分の一に相当する幸運(都合のよい確率の積み重ね)を手に入れる。この効果は重複する。
富める者は富めるまま、貧しき者は貧しきまま、されど搾取は常に起こり、十の貧者を虐げて、一の富豪が肥え太る。これもまた、なんとも名状しがたいスキルです。
とはいえ、マスターが彼ら『アトラス』にこの上ない不幸を与えた結果、マスターが求める相手がこの場に襲来したというのなら、これはまさに、マスターによる『運命の搾取』と言うべきなのかもしれません。
「うーん、どうせなら『オロチ』が来てくれた方が手間が省けたんだけどね」
多数の犠牲の上に成り立つ幸運を獲得しておきながら、マスターは不満げにそう漏らしたのでした。
──助けを求めてすがってくる他の蛮族たちを無視し、バルコニーに飛び出したわたしたちが見たもの。それは、禍々しい形の大剣を持って飛び込んできた『黒騎士アスタロト』と、その後ろに続く大量の『愚者』たちの姿でした。
「愚者の参集だと? まさか……こんなタイミングで?」
アンジェリカが言うように、これが『愚者の参集』だとするならば、この砦内に新たな『アトラス』が発生しつつあるのかもしれません。それとも、『愚者の参集』は必ずしも『王魔』が生まれるときに限定するものではないということなのでしょうか。
「うわ……なにあれ。『アトラス』の連中がまるで相手になってないじゃん」
それはさておき、マスターが呆れたようにつぶやくとおり、戦況はほぼ一方的でした。
未だに正気を保っている二百人強の『アトラス』たちは、他の『愚者』たちこそ何とか蹴散らしてはいるようです。しかし、一方で『黒騎士アスタロト』に対しては、それこそ『ちぎっては投げ、ちぎっては投げ』という表現がぴったり当てはまるほどに一方的な蹂躙を受けていました。
暴風のように振り回される『黒騎士』の大剣は、強化されているはずの『アトラス』の四肢さえ何の抵抗もなくバラバラに引き裂いています。あそこまで一方的に倒されているのは、もちろんエレンシア嬢のスキルによる麻痺の後遺症のせいもあるのでしょうが、やはり『アスタロト』の強さが規格外だという他はありません。
「どうする、キョウヤ?」
アンジェリカに聞かれ、マスターは大きく首をすくめました。
「どうするも何も、さすがにあんな所には飛び込めないでしょ。勝手に戦わせておけばいいんじゃない? どうせ『黒騎士』さんの方が勝つだろうし」
などと、マスターが言ったその時でした。
「あれ? ……キョウヤだ!」
迂闊にもバルコニーから観戦を続けてしまったわたしたちの姿は、『黒騎士』からも丸見えだったようです。
「い、今のうちだ! ぶっ殺せ! 《ドリル・フィンガー》!」
「死ね! 悪魔アスタロト! 《メガトン・フット》!」
手にした大剣を振り回すのをやめ、こちらを見上げた『黒騎士』の隙だらけな姿を好機と見た蛮族たちは、魔法によって腕や足を変形させ、一気に攻撃へと打って出ました。
「『アトラス』も面白いけど、やっぱりキョウヤがいい!」
『黒騎士』は迫る『肉体の凶器』を大剣の一薙ぎで打ち払い、返す刀で『アトラス』たちを粉砕しました。そして、がしゃがしゃと音を立てながら身をかがめたかと思うと、その直後──
「えい!」
恐ろしい勢いで跳躍し、バルコニーにいるわたしたちの元に飛んできたのです。
しかし、マスターが反応するより早く、動いた少女が一人。
「やらせるか! 《クイーン・インフェルノ》!」
アンジェリカの声と共に、マスターの前面に展開された『熱の膜』。
展開されたタイミングから言っても、真っ直ぐ跳躍してきた『黒騎士』には回避することなどできないはずでした。しかし、信じられないことに『黒騎士』は、手にした大剣を大きく振るい、その反動で宙を飛ぶ自分の身体の軌道を変化させることで、これを回避してしまったのです。
一瞬のことですが、どうやら『黒騎士』の大剣は、風を捕まえやすいように扇の形に広がったようにも見えました。マスターの《レーザー》や《ヒート》が効かなかったことといい、あの禍々しい形の大剣には、何か不思議な力があるのかもしれません。
とはいえ、無理な動きで着地まで決めることはできなかったのでしょう。わたしたちの横を素通りした黒騎士は、盛大な破壊音をまき散らしながら砦の壁に激突していました。
「良かった。また会えた。キョウヤ。遊ぼう!」
しかし、全くダメージを受けた様子もなく、ガラガラと瓦礫の崩れる音と共に黒騎士が立ち上がります。
「ヒイロ。リズさんとエレンを安全な場所に」
「はい」
言われるまでもなく、わたしは黒騎士が起き上がるまでの間に二人を《レビテーション》に乗せて宙に浮かんでいました。
「やあ、アスタルテちゃん。久しぶり」
マスターがそう声をかけると、彼女……アスタルテは黒い兜をかぶった顔を不思議そうに傾げました。
「……アスタルテ?」
どうやら、前に彼からそう呼ばれていたことを忘れているようです。
「ははは。まあ、いいや。それより、君に聞きたいことがあるんだ。『惨禍のオロチ』っていう大蛇の『愚者』のこと、知らないかい?」
「オロチ? ……そんなことより、遊ぼう! 壊れないキョウヤ、好き!」
マスターの質問にも、『黒騎士』はまったく応じる気配がありません。やはり、いくら言葉が話せると言っても、『愚者』は『愚者』でしかないということなのでしょうか。このままでは、『オロチ』の情報を得ることなど難しそうでした。
「うーん。じゃあ、遊んであげたら、教えてくれるかい?」
「うん! 遊ぼう!」
わかっているのかいないのか、『黒騎士』はそう言って頷きます。マスターはそんな『黒騎士』の姿に諦めたように息を吐きました。
「仕方がないな。じゃあ、とりあえず大人しくなってもらうしかないね」
マスターは軽く肩をすくめると、ゆっくりと『マルチレンジ・ナイフ』を引き抜き、構えをとりました。
『黒騎士』は化け物ですが、マスターには『空気を読む肉体+』があるのです。ここは彼に任せるしかないでしょう。わたしはそう判断し、そのまま様子を見守ることに決めました。もちろん、いざとなれば助けに入るつもりです。
しかし、わたしとは違い、そうは考えない者もいたようです。
「おい、貴様。忘れたのか? 次はわたしと遊ぶ約束だっただろう?」
彼女、アンジェリカは不敵に笑ってマスターの前に進み出たのでした。
次回「第78話 悪魔と遊ぶ黒の騎士」