第60話 他人の努力は蜜の味
水が激しく蒸発するような独特の音があたりに響き、もうもうと立ち込める水煙が視界を覆った直後のことです。
金属と金属がぶつかり合う、甲高い音があたりに木霊しました。
「……な!」
余力を残さぬほどに全力で槍を投擲したジークフリード王。崩していた体勢を元に戻そうとした彼は、信じられないものを目の当たりにしていました。
「はい。これで僕の勝ちだよね」
全身からブスブスと煙を上げ、あちこちに火傷を負った顔のまま、マスターは雷帝の喉元に『マルチレンジ・ナイフ』を突きつけています。
「ば、馬鹿な……。今の一撃を避けただと?」
唖然としたまま目の前に立つマスターを見上げ、その場に膝をつくジークフリード王。
「避けた? いやいや、言ったじゃん。避けたりなんかしないってさ。だから、『盾』を使ったんだよ」
「でたらめを言うな! ……今の一撃は『ミュールズダイン』程度の盾で防げるようなものではなかったはずだ」
「ミュールズダイン? 何を意味の分かんないこと言ってるの?」
マスターは審判役の兵士による決着の宣言さえ聞かないままに、あっさりとナイフをしまうと、自らの左手を掲げて見せました。
そこには、試合開始時に着けていた『赤銅色に輝く盾』の姿はありません。形こそ同じですが、その盾の色は光の加減で『虹色』にも輝くものでした。
「な! そんな馬鹿な! 『オリハルコン』だと!? そんなことがあるはずが……!?」
恥も外聞も忘れて取り乱し、メンフィス宰相へと目を向ける雷帝。しかし、そんな彼に対し、メンフィス宰相はまたしても疲れたような顔で首を振りました。
「……僕が作ったのは、間違いなく『ミュールズダイン』の盾だったんだけどね」
呆れたように言いながら、彼はマスターの手首で虹色に輝く金属に視線を向けています。
「『オリハルコン』は、僕の身体を構成する金属だ。これよりさらに優れた金属が僕の身体で錬成できるようにならない限り、これが僕の身体を離れて存在する可能性はない。でも、『オリハルコン』は、現在のこの世界で唯一、『女神』の魔法が生み出す対魔法銀を超える魔法耐性を有するほどの金属だ。だから、それもあり得ない話……のはずなんだけどね」
「で、では、なぜだ!」
「そっちの……赤い髪の女の子にね。参考までに見せてほしいと言われて……軽く僕の皮膚に触らせてあげただけなんだ。たぶん、それが理由じゃないかと思うんだけど……」
それ以上は自分の理解を超えていると言わんばかりに首を振り、黙り込むメンフィス宰相。すると今度は、ジークフリード王がヒイロの方に視線を向けてきたのです。
「お前か? いったい……何をした?」
その問いを受け、ヒイロは確認を求めるようにマスターに目を向けます。すると彼は、構わないとばかりに頷きを返してくれました。秘密にしておいた方がいいようにも思いますが、そこがマスターの度量の広さとでもいうべきなのでしょう。
ヒイロはひとつ頷くと、説明を始めました。
「これまで魔法と言うものを知らなかったヒイロにとって、『魔法的な金属』の組成を解析することは困難でした。しかし、ヒイロは『進化する知性体』なのです。この城の図書館には『サンサーラ』による大量の研究書籍があり、目の前には触れることのできる実物があり、さらには比較検証可能なその他の魔法金属まであったのです。ならば『それ』を再現できない道理など、ヒイロにあろうはずはありません」
ヒイロの語る言葉に、問いかけたジークフリード王はおろか、メンフィス宰相やその場に居合わせた『サンサーラ』たちから、一斉にため息のような声が漏れました。
「これは僕が二十年近い歳月をかけて錬成したものだ。そんなに簡単に真似できるものではないはずなんだけどね……」
がっくりと肩を落とし、首を振るメンフィス宰相です。しかし、ここでヒイロは、これが自分だけの功績ではないことも明らかにする必要がありました。
「ただし、『ミュールズダイン』を一時的にとはいえ、『オリハルコン』に変性するための手段としては、『魔法的なきっかけ』の存在が不可欠でした。知識はあってもヒイロには魔法は使えませんので、『優秀な助手』にも協力はしてもらっています」
言いながら、隣に座るリズさんを指し示すヒイロ。彼女は急に自分を引き合いに出され、驚いたような顔でこちらを見つめ返してきました。
「え? な、何を言っているんですか? わたしは別に……」
「覚えていますか? リズさんが作った『法術器』の効能を」
「え? は、はい。《血の護符》ですよね? わたしの《知識枠》を割り当てた護符をキョウヤさんの身体に着けることで、体内の血液の循環を効率化して疲労を抑えることのできるものだったと思いますが……」
さすがはリズさん。優秀です。よどみなく自分の作った『法術器』の効能を説明してくれました。
「いえ、もうひとつ、ヒイロからお願いしたものがあったはずです」
「え? あ、ああ……でもあれは、《血の護符》を少しアレンジしただけですよ? そもそもわたし、あれには『知識枠』を割り当てていませんし……」
「ええ、でも、そのアレンジが重要なのです。生物の《血》ではなく、鉱物の《値》を整えるもの。ですので、『法術器』の名称としては、《値の護符》とするべきでしょうね」
メンフィス宰相がくれた『ミュールズダインの小盾』に変性のための【因子演算式】を仕込んだのはヒイロですが、実際に変性を促すものとしては、どうしても『魔法的なきっかけ』に頼らざるを得ませんでした。
そこで目を付けたのが、リズさんの『法術器』だったのです。
「で、でも……キョウヤさんはどうやって『法術器』を? あれは自分が修得した知識に基づく『知識枠』を割り当てないと何の効力も発揮しないはずです」
不思議そうに首をかしげるリズさんは、どうやらマスターのスキルのことを忘れてしまっているのでしょう。
「……『他人の努力は蜜の味』。リズさんがこの一週間、僕のために培ってくれた知識は、僕の中にも確かにある。それなら、僕にこの《値の護符》が使えない道理もないでしょう?」
マスターは、自分の頭を指でつついて言いました。
「だから、この勝利は僕だけじゃなく、ヒイロやアンジェリカちゃん、リズさんやエレンといった皆で手に入れた勝利でもあるってことだね」
本人としては恰好よくまとめたつもりらしく、いわゆるドヤ顔をしながら笑うマスター。
「お義父さん。僕だけじゃ心配だって言うのなら、僕の仲間も見てほしいね。アンジェリカちゃんには、こんなにも頼もしい友達がたくさんいるんだ。これを見てもなお、彼女を自分の庇護下に置かないと心配かい?」
マスターは同じ顔のまま、ジークフリード王に問いかけの言葉を投げかけます。
すると彼は……
「……くくく。ふはははは。ははははは! まったく、貴様と言う男は……。いや、キョウヤと言ったかな? お前は本当に面白い! こんなに楽しい気分にさせられたのは、アンジェリカの母、シルメリアとやりあって以来だ!」
腹の底からこみあげる感情に身を任せ、大声で笑い始めていました。
「で? まだ返事を聞かせてもらっていないんだけどな」
「くはははは! ああ、そうだな。もちろん、答えは応だ。お前を正式に、アンジェリカの婿に認めてやる。あいつが旅に出たいというのなら、止めはしない。心配だなどと、とんでもない。お前ほどの男が共にあるなら、俺も安心できるというものだ。……もっとも、できる限りここに滞在してくれた方がありがたくはある。俺も娘との接し方を改めたいと思うからな」
「そっか。それは良かった。まあ、僕らも別に目的があって旅してるわけじゃない。アンジェリカちゃんにとっても、君の接し方が変わるなら、無理にここを出ていく必要はないんだろうしね」
と、マスターが言った、次の瞬間でした。
「わああああああ!」
「うおおお! ついに! ついに! あのお転婆姫に婿君が!」
「いやあ、こんなことって現実にあるものなんだなあ!」
一斉に会場中から歓声が沸き起こりました。広大な謁見の間に詰めかけた貴族階級や使用人たちは、口々に喜びの声を上げています。自国の王の敗北を嘆くより、王女様の恋の成就を喜ぶ彼らは、どこまでも『ニルヴァーナ』なのでしょう。
そんな中、アンジェリカはと言えば……
「ちょ、ちょっと、あんたたち! さっきからなんなのよ、その言いぐさ! わたしにいい人ができないのは当然だったみたいな言い方、やめてよね!」
そう言ってキーキーとわめき散らしていましたが、これもまた、観客席の人々の爆笑を誘ってしまったようです。
「だって、暴走姫だぜ!?」
「うんうん! キョウヤさんだっけ? すごいよね! まさに勇者だ!」
「いいや、英雄だ! 模擬試合とはいえ、まさか常勝不敗の陛下に挑むだなんて、それだけでもただ者じゃないぞ!」
なおも騒ぎ続ける観客たち。そんな彼らにマスターは、面白そうな目を向けており、膝をついたままのジークフリード王にいたっては、呆れた顔で首を振っているのでした。
「ううー! みんなしてわたしを馬鹿にして!」
「ほら、アンジェリカ。君のために頑張ってくれた婿殿のところに行っておあげなさい」
なおもぷりぷり怒り続けるアンジェリカに、メンフィス宰相は慰めるような声をかけています。
「う、うん! ……キョウヤ!」
アンジェリカは貴賓席の階段を回り込んで降りるのももどかしいとばかりに、柵を乗り越えて一気に飛び降り、そのまま一目散にマスターの元へと駆け寄っていきます。
「キョウヤ!」
再び彼の名前を呼び、その胸に飛び込むアンジェリカ。
「おっとっと……危ないなあ。でも、良かったよ。君が元気になってくれて」
そのことが何よりも嬉しいのだと言って、マスターは彼女と抱擁を交わしています。
「……良かったですわね。アンジェリカさん」
観客席からそれを見つめるエレンシア嬢は、言葉とは裏腹に、少し複雑そうな顔をしています。
一方、リズさんはと言えば……と気になって彼女の顔をヒイロが窺おうとした、その時でした。
「ヒイロさん。なんだかちょっと、あの二人、妬けちゃいますよね?」
「ふえ!?」
不意打ちのような言葉に、『わたし』は思わず、裏返った声を上げてしまいました。
「うふふ。そんなに驚かなくってもいいじゃないですか」
すべてお見通しとばかりに、わたしの顔を覗き込んでくるリズさん。
「べ、別に『わたし』はそんなこと……」
わたしはしどろもどろに返事にならない言葉を返します。するとリズさんは。何かに気づいたように笑いました。
「あ、今、ヒイロさん、自分のことを『わたし』って呼びませんでした?」
「え?」
思わず、自分の口元を抑えるヒイロ。
「そ、そうでしたか? ヒイロには、そんな自覚はありませんでしたが……」
「うーん。そうですか。でも、そっちの方が『女の子』らしくていいと思いますけど」
「わ、わた……いえ、ヒイロは別に、そういうのは……」
狼狽えるヒイロを見て、リズさんはくすくすと含み笑いを漏らします。
「あらあら……。ヒイロさんが自分に素直になるのには、もう少し時間がかかりそうですね?」
「もう、許してください……」
なおも見透かした笑みを向けてくるリズさんに、ヒイロは音を上げて白旗を上げたのでした。
第3章最終話です。
次回「第3章登場人物紹介(エレンシアとの対話)」の後、第4章になります。