第6話 狂える鏡のスキル
──純白の光が周囲を覆い、それが晴れた後。
ヒイロたちは、異世界にいました。
「あー、びっくりした! ヒイロ。こんなジェットコースターみたいな移動の仕方になるんなら、前もって言っておいて欲しかったな。僕の心臓が止まったらどうするんだ?」
「…………」
暴走の原因である人物に非難めいたことを言われ、憮然としないでもないですが、動揺したのは自分が悪いとも言えます。ナビゲーターとして、まずはこの世界の解析を済ませ、マスターの安全を確保する必要があるでしょう。
ヒイロは、ゆっくりと周囲を見渡しました。どうやらここは、草木もまばらな荒野の中のようです。大気の組成には有毒なものは無く、マスターの生存を害する恐れはなさそうです。
さらに、目に見える植生などから判断する限り、マスターのいた世界と大きく変わったところは無いように見えます。しかし、油断は禁物でしょう。どんな危険性を持つ動植物があるかなど、調べてみなければわからないのです。
「それではマスター。ヒイロはこれから、このあたり一帯の『解析作業』に入ります。しばらく時間がかかると思いますので、その間、下手に動き回らないでくださいね」
そう言ってヒイロはその場に座り込み、【因子観測装置】を起動しました。
「え? でもこんなところに座ったら、砂とか土で汚れちゃうんじゃない? ヒイロのスカートだって大変なことに……」
「そんなことを言って……覗き込もうとするのは止めてください。時間がかかるとは言いましたが、ヒイロは多元的並列情報処理が可能です。マスターとのお話し相手も同時にこなせますから、ご安心を」
「なんだ、残念」
口を尖らせるマスターに溜め息を吐きつつ、ヒイロは【因子演算式】による事象の顕在化を実行します。
【因子演算式】とは、周囲の【因子】を観測し、変数としてヒイロの無限データベースに蓄積された様々な【式】に代入・展開することにより、世界に望みの事象を顕在化させる機能です。今回、ヒイロが選んだ【式】の組み合わせは、指定した場所の大気を圧縮し、固定するものでした。
「《エア・シート》を展開」
「ん? なにしてるの?」
「マスターの服に土がつかないよう、座る場所の地表上に空気の膜を固定しました。どうぞ、おかけください」
ヒイロがそう言うと、マスターは驚いたような顔をした後、にっこりと笑いました。
「ありがとう、ヒイロ。気を遣ってくれて、すごく嬉しいよ」
そう言って、彼はヒイロが指し示した場所にゆっくりと腰を下ろします。ヒイロにとって、マスターをサポートする行動をとるのは当然であり、お礼を言われることでもありません。しかし、マスターはそんなヒイロの言葉に首を振りました。
「それでも僕は、礼を言うよ。そんなの、当たり前じゃないか」
「……そうですか」
それから、少しの間だけ沈黙が続きましたが、やがてマスターが声をかけてきました。
「退屈だね」
「では、スキルについて、もう少し詳しいお話でもしましょうか?」
ごく簡単な説明なら出発前にもしたところですが、まだまだ詳細についての説明不足は否めません。
「そうだ。すっかり忘れてた。世界に選ばれし戦士であるこの僕の……秘められた力が今、明らかに!」
マスターは拳を固く握ると、大げさな身振り手振りで声を張り上げました。何か、悪いものでも食べたのでしょうか?
「……いやいや、ヒイロ。仮にも御主人様である僕のことを、そんな腐ったハムカツサンドでも見るかのような目で見ないでもらえないかな? ……ゾクゾクしてきちゃうじゃないか」
「……話を先に進めますからね。簡単に言えば、ヒイロがマスターの肉体に特殊な【因子】を注ぐことによって発現する能力。それがスキルです」
「肉体に注ぐ? なんだか卑猥だなあ」
「……なにか言いましたか?」
「ううん、なんでもない。……ヒイロって結構怖い顔するんだね」
つい、厳しい顔をしてしまったようでした。マスターに対し、あるまじき態度です。反省しましょう。それはさておき、話を続けます。
「そして、発現するスキルは……対象者の【因子感受性】の高さや性質によって、その内容に変化が生じます」
「へえー。僕の……えっと、アルカなんとかは、どんな感じ?」
「【因子感受性】です。……マスターのそれは、ヒイロが知るすべての平行次元世界を見渡しても、ほとんど並ぶ者がいないくらいには、優れていると思います」
「まじで? どうして僕、そんなにすごいの?」
いかにも嬉しそうな顔で問いかけてくるマスター。
「こればかりは、ヒイロにもわかりません。知性体が有する【因子感受性】の性質に関しては、【因子】に関する研究の進んだヒイロの世界でも、ブラックボックスな点が多いのです」
曖昧な答えしか返せず、申し訳ない思いでマスターに目を向けると、彼はそれでも嬉しそうに笑い続けていました。
「なるほど。うん。じゃあ、『とにかくすごい』ってことか。万歳!」
どうやら理由なんて、どうでも良かったようです。おおらかと言うべきか、いい加減と言うべきか、判断に迷うところでした。
「現在のマスターには、この紙に書かれている通りのスキルが【因子干渉】によって発生しているようです。ちなみに、このうち、ベーシックだけはヒイロによる基礎設定ですので【因子感受性】は関係ありません」
ヒイロは、【因子演算式】で精製した紙にスキル一覧を表示し、マスターに差し出しました。
○ベーシックスキル(ヒイロによる基礎設定)
『言葉は友情の始まり』
ヒイロの無限データベースに蓄積された言語の中から、対象が話す言葉と類似したものを自動で検索し、それを元に対象言語を解析・翻訳する。
『早口は三億の得』
ヒイロとの間で、言葉を介さず高速で思考の伝達を行う。ヒイロとの距離が百メートル以内であることが必要。
『虫の居所の知らせ』
どこにいても、どれだけ離れていても、ヒイロの居場所やヒイロまでの距離を感知する。
○通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『即時病原体耐性強化』※ランクD
環境耐性スキル。免疫のない菌やウイルスに感染した場合でも、即座に抗体を生み出し、症状を軽減する。
『痛い痛いも隙のうち』※ランクC(EX)
環境耐性スキルの派生形。戦闘中のような緊張状態にある場合のみ、自身の痛覚を従来の十分の一に軽減。
『空気を読む肉体』 ※ランクA(EX)
活動能力スキル(身体強化型)の派生形。任意のタイミングで発動可能。発動中、あらゆる身体能力を半径五十メートル以内に存在する『知性体』が持つ能力の平均値まで変化させる。
○特殊スキル(個人の性質に依存)
『世界で一番醜い貴方』
殺意のある攻撃を受けた場合のみ発動。受けた攻撃を『鏡』に飲み込み、増幅して『その時自分が殺意を向けている対象』に反射する。
『世界で一番綺麗な私』
『知性体』を殺害した時にのみ発動。自身の新たな特殊スキルを生成する。スキルの生成には、対象の人数や性質によって加算されるポイントが必要。『世界で一番醜い貴方』による殺害は対象外。
一覧を確認したマスターは、微妙な顔で首を傾げました。
「なんか、殺害とか……随分と物騒なスキルがあるんだけど……」
「そうですね。ベーシック以外は、マスターの【因子感受性】の性質から育まれた『可能性』であり、ヒイロが決定できるものではありません。とりわけ『特殊スキル』に関しては、個人の精神に依存することが大きいので、ヒイロの世界でも研究が進んでいない不思議なスキルが多いのです」
「つまり、僕が物騒な人間だってこと? 心外だなあ。こんな人畜無害を捕まえて」
納得いかなげな顔をするマスター。ですが、前の世界でいじめっ子を鈍器で殴り殺しているような人の言うセリフではありませんでした。
「それで通常スキルっていうのは、特殊スキルとは何が違うのかな?」
「はい。主に対象者の『環境への適応能力』を向上させるものです。大きく分ければ、筋力や体力、視覚や聴覚、反射神経や思考速度、記憶容量などといった『活動能力』を強化するもの──それから熱や冷気、気圧変化や重力変化、毒劇物・放射線などといった外的要因に対する『環境耐性』を強化するものの二種類になります」
ただし、マスターの通常スキルには、個人差の影響で生まれた「派生形」と呼ばれるものがあります。これは単純な強化や耐性の獲得ではなく、特殊な環境下や限定条件のもとに、時としてそのランク以上の効力を発揮しうるものでした。
「特殊スキルは別にしても……【因子】を注ぎ込んで初期段階であるにも関わらず、ランクAの通常スキルがあるとは……ますます恐ろしいですね。いずれにしても、【因子】は一度に大量に注ぐと危険ですので、段階を踏みながら強化していきましょう」
「……はーい」
明らかに不満そうな声です。
「何かご不満でも?」
「いや、だってさ。……もっと、『最強だぜ!』とか、『チートだよ!』とか、そんな感じになれるものと思ったんだけどなあ。なんだか微妙なスキルばっかりだし」
意外にマスターは、その手のお話がお好きなようですね。
「大丈夫です。マスターはヒイロがお守りしますから」
「僕、死なない?」
「ええ、もちろんです。ヒイロにはマスターをお守りするための様々な機能があります。スキルの付与は、そのうちの一つに過ぎませんから」
ヒイロがそう答えると、マスターは再び不満そうな顔をします。
「ここは『あなたは死なないわ。私が守るもの』って、続けてくれなくちゃ」
意味不明の愚痴を言われてしまいましたが、ちょうどここで、ようやく周辺一帯に関する『解析』の目途がつきました。
──けれど、この時、ヒイロが得た解析結果は、驚くべきものでした。
次回「第7話 知らない世界」