第52話 修行編?:ヒイロの場合
一週間後に行われる試合は、『模擬戦』です。つまり、ジークフリード王は殺意を持たずにマスターを攻撃してくる可能性が非常に高く、彼のスキル『世界で一番醜い貴方』はあてにできない状況でした。
それでなくとも、アンジェリカの父親であるジークフリード王に対し、マスターが殺意を抱くというわけにもいかないでしょう。
一方、模擬戦会場は他の邪魔が入らないように広い空間で行うため、身体能力だけで張り合うのならば、ジークフリード王とは互角の戦いが期待できるはずです。
問題となるのは、王が使う『雷撃の魔法』でした。
「わたしが炎を操るように、お父様は雷を自在に操る。幸いにも試合の時間を昼に設定してもらっている分、危険度は下がるけれど……それでも人の身体ぐらい簡単に消し炭にできてしまうだけの雷撃の使い手であることに変わりはない」
アンジェリカの言葉は、状況の厳しさを端的に表しています。『殺意のない魔法』を防ぐすべだけは、今のマスターには全く存在していないのです。
「大丈夫だよ。僕に必勝の戦略がある」
マスターは自信満々に胸を張って言いました。しかし、こういう時のマスターには、油断をしてはいけません。
「一応お聞きしますが……どのような戦略ですか?」
「うん。試合開始と同時に僕が自分の胸をナイフで刺して、『規則違反の女王入城』を使う。これで一発じゃないかな? 王様とは謁見の間で随分と会話もしてるしね」
「…………」
やっぱりでした。ヒイロは軽く目を細めてマスターを見つめた後、やれやれと大きく息を吐いてしまいます。周囲を見渡せば、やはりリズさんやエレンシア嬢も同じようにため息をついているようです。彼のあまりの発想の酷さに呆れているのでしょう。
「む。その反応、心外だなあ」
少しだけむくれたような顔になるマスター。男性のはずなのですが、少し可愛らしいとさえ思ってしまう顔でした。
とはいえ、ヒイロが指摘したいのは、それとはまた、別の点です。
「い、いえ……申し訳ありません。ですが、マスター。仮にそれをしたとして、王や他の人々が、それを『マスターの攻撃』だと信じてくれるでしょうか? 仮に信じてくれたとしても、それで彼がマスターを認めてくれるとは思えないのですが……」
「あ、そうだった。勝てばいいってもんじゃなかったんだっけ?」
そうです。目的を忘れてはいけません。今回の試合は、マスターがアンジェリカを預けるに足る人物であることを王に認めさせることにあるのですから。
とはいえ、ヒイロにはすでに、そのために採るべき方策はわかっています。あまり気乗りはしないのですが、他に手はありません。
「ヒイロが考えるに、魔法には魔法で対抗するのが一番でしょう」
「それができれば苦労は……って、あ!」
マスターもヒイロの言わんとするところに気づいたようです。彼は勢いよくアンジェリカの方へと向き直り、目を輝かせて言います。
「アンジェリカちゃん。ここはもう、キスするしかないんじゃないかな?」
「う……」
アンジェリカはその言葉を予想していたのか、顔を赤くしてうつむいてしまいました。
そう、マスターの特殊スキル『白馬の王子の口映し』です。キスをした相手の魔法が使えるようになるこのスキルさえ発動すれば、マスターがアンジェリカの魔法を使うことだって可能になるかもしれないのです。
「わ、わかってる。わかってるけど……でも、そんなの……」
アンジェリカは、前に『眠っている自分に何をしても構わない』などと言っていた時とは別人のように、マスターとキスをすることにためらいを見せています。とはいえ、今回に関して言えば、マスターの命がかかっているのです。協力してもらわないわけにはいきません。
ところがマスターは、そんな彼女の姿を見て、考えを変えたようです。
「まあ、無理強いはよくないね。まだ一週間もあるんだし、ゆっくり考えようか?」
「ご、ごめんなさい……キョウヤ」
しょんぼりと下を向くアンジェリカでした。
──それからヒイロたちは、宮殿内の客室をいくつか借りて宿泊させてもらうことになりました。王女であるアンジェリカは一人、客室ではなく当人の自室で寝ることになります。
「しかし、マスター。どうするのですか? アンジェリカさんの魔法なしでは、さすがにこの状況は厳しいと思いますが……」
当然のようにマスターと同室になることを主張し、その権利を獲得したヒイロは、寝支度を始めたマスターにそう問いかけました。
「うん。でも、考えてみたらあのスキル……僕に好意を持つ女の子が相手じゃないと使えないんだろ? だったらまずは、彼女に好意を持ってもらうことから始めないとね」
「……マスターも意外と鈍かったのですね」
「ん? 何か言った?」
「いえ、何でも……」
マスターもアンジェリカの『好意』自体には気づいているのでしょうが、それが恋愛感情に基づくものだとまでは思っていないようでした。
「あとは【因子干渉】ぐらいしかないかな?」
マスターは隣のベッドに腰掛けるヒイロを見て、にやにやとした笑みを浮かべて言いました。その言葉の意味するところは、明白です。あの時、【因子干渉】には抱きしめてもらうことが必要だと言ってしまった手前、次の時も同様にせざるを得ないでしょう。
とはいえ……
「いえ、残念ですが……さすがに少し時期尚早かと思います。これほど短期間に二回も【因子干渉】をして何の問題もないマスターはすごいと思いますが、これ以上はさすがに……あと半月は待った方がよろしいかと」
【因子干渉】は非常にデリケートな行為です。万が一にも失敗すれば、対象の中の【因子】が暴走して取り返しのつかないことになってしまう恐れさえありました。
そのため、ヒイロが提案したのは別のことです。
「しかし、マスターの装備の強化なら可能です。正直、ここまでの危険な道中になるとは想定もしていませんでしたので、『マルチレンジ・ナイフ』も『リアクティブ・クロス』も、汎用性や機動性ばかり重視している面は否めませんでしたから」
「そっか。まあ、【因子干渉】ができないのは残念だけど、ヒイロがまた、僕のために何かを作ってくれるのだと思うと楽しみだね」
マスターはそう言って、嬉しそうに笑います。それを聞いたヒイロも嬉しくなってしまい、矢継ぎ早に言葉を続けました。
「今度は、マスターの希望も踏まえたものにしたいと思います。ただ、あまり火力の大きすぎる武器などは作れませんが……」
「そうなの? どうして?」
「……強すぎる火力は、マスター自身を巻き込んでしまう恐れがあるからです。ヒイロは『ナビゲーター』として、自身の作ったものでマスターが傷つく事態など、絶対に避けなければなりませんから、そうした部分にはリミッターがあるんです」
……そうです。ヒイロには、強い火力を持った兵器は作れないのです。強い火力を持った【式】は使用できないのです。強い火力で人を殺すことなんて、できないのです。強い火力で『何か』を破壊をすることなんて……ヒイロには『できない』のです。
「ヒイロ? 大丈夫? なんだか、顔色が悪いけど……」
「え? い、いえ……なんでもありません」
ヒイロは……何か大事なことを忘れているような気がします。けれど、それは『決して思い出してはいけないこと』なのかもしれません。
「……十分なお力になれず、申し訳ありません」
「いや、いいよ。まあ、僕もミサイルとかバズーカとか爆弾とか作ってもらっても、うまく使いこなす自信はないかな?」
「そうですね。今回に関してはまず、マスターの身の安全を確保するために防具を作成するべきだと思うのですが……」
しかし、ヒイロのこの提案には、マスターが首を振りました。
「駄目だよ。防具はメンフィスさんが作ってくれるだろう?」
「ですが、マスター。それがどんなものになるかもわかりませんのに……」
「だからこそ、だよ。鎧を作ったのに、鎧をもらったりしたら、目も当てられないだろ? 僕はメンフィスさんを信じることにしたんだ。だから、防具以外のものにしよう」
「……はい」
ヒイロには、どうしても会ったばかりのメンフィス宰相のことを、そこまで信じる気にはなれませんでした。とはいえ、マスターの意向には極力従うしかありません。
「では、武器にしますか?」
「ううん。武器は一応、今のナイフがあるし……できれば武器でも防具でもないものがいいな」
「武器でも防具でもないもの……ですか?」
「うん。例えばなんだけど……」
マスターの言う、武器でも防具でもない『装備』。その概要を聞かされて、ヒイロはあらためてマスターの顔をまじまじと見つめてしまいました。
「ん? どうしたの。ヒイロ? やっぱり、こんなの無理かな?」
少し不安げな顔で尋ねてくるマスター。
「……いえ、驚いていただけです。そうですね。確かに、それは思いついてしかるべきでした。さすがは、マスターです」
言いながらもヒイロは、赤面したい思いでした。マスターのための装備品を作ると言いながら、どうして『これ』を思いつかなかったのか。自らの無能さが悔やまれるばかりです。
「……ヒイロ? そんな顔をするのはよくないよ。言っておくけれど、僕はこのナイフにも服にも、すごく満足しているんだ。そもそも、ヒイロが僕だけのために作ってくれたものなんだぜ? それだけで僕にとっては、マニア垂涎のプレミアものだよ」
「マスター……」
「だからさ、そんな顔しないでほしいな。そんな風に落ち込まれちゃったら、こうして僕が喜んでいるのが馬鹿みたいじゃないか」
大げさな身振り手振りを交えて笑うマスターに、ヒイロはあらためて頭を下げました。彼の気遣いがヒイロの『心』に沁みて、思わず涙が出そうになってしまいます。
「申し訳ありません。いつもいつも、ヒイロは『ナビゲーター』なのに……」
そう言って下を向くヒイロ。すると、隣のベッドに座っていたマスターが、移動する気配があります。ギシリと、ヒイロが腰掛けているベッドがきしむ音がして……気づけばマスターはヒイロの隣に腰掛けていました。
「え? マ、マスター?」
「まったく、そんな顔をしたら駄目だって言ってるのに」
「……す、すみません」
すぐ近くにマスターの息遣いを感じ、なぜかヒイロは自分の体の熱さを自覚してしまいました。
「謝ってもダメ。許さない」
耳元でささやかれる声に、ヒイロの動悸はますます激しくなっていきます。おかしい。この身体は『素体』でしかなく、自分で完全に制御できるはずなのに……。
「うう……で、では、どうすれば……」
「うん。そうだなあ……【因子干渉】ができないと知って残念に思ったばっかりだしね。それじゃあヒイロにはその埋め合わせとして……」
「は、はい」
息をのんで返事をするヒイロ。
「今度はヒイロの方から、僕のことを抱きしめてもらいたいな!」
「はい?」
思わず、間の抜けた声が出てしまいました。しかし、マスターは冗談で言っているつもりはないようで、隣に座ったままこちらに身体を向け、何かを待つように手を広げています。
「う、うう……」
そんな彼の姿に、ますます恥ずかしさが高まっていったヒイロですが、逃げ場はありません。仕方なく、身体を震わせながらもマスターへと身を寄せていき……
「も、もう……マスターのせいで『わたし』は少し、おかしくなってしまったみたいです。……責任、とってくださいね?」
そう言って、思い切り彼の身体に抱きついたのでした。
次回「第53話 修行編?:リズの場合」