第49話 王魔の街
ドラグーン王国の首都ドラッケン。
そこには、これまでヒイロたちが見てきた街とは一線を画する光景が広がっていました。その違いを一言で言い表すなら、ずばり『技術力』の違いでしょう。
碁盤目状に整理された街並みには、水色のタイルによって舗装された街路が縦横に走っていて、居並ぶ建物に備え付けられた雨樋や庇などを見ても、居住性を計算しつくした造りになっていることがわかります。中央通りの広場には噴水があり、その周囲にはベンチが置かれ、大人も子供も各々の平和な時間をゆったりと過ごしているようでした。
「……す、すごいです。うわさには聞いていましたが、まさかここまでとは」
リズさんはそんな街の光景を、驚きに目を丸くして見つめています。
「まあ、この街並みの大半は、技術者として働いている『サンサーラ』の者たちによるものだがな」
中央通りを真っ直ぐに進みながら、アンジェリカは自慢げにそんな言葉を口にします。一方、マスターはと言えば……
「へえ、すごいね。なんというか……ニルヴァーナには美人さんが多いんだね」
などと、皆の関心事とはかけ離れた感想を言いながら、きょろきょろと街を見渡していました。
すると、そんな彼の前に身体を割り込ませるように移動した人物が一人。彼女──エレンシア嬢は、マスターの顔を鋭い目つきで見上げています。
「キョウヤ様? 通りがかりの女性のことばかり気にするだなんて……そういうのって嫌らしいですわ。紳士たるもの、まずは身近な場所にいる女性のことを、しっかりとエスコートするものではありませんかしら?」
「え? そうかな? いや、気にしてるってほどでもないんだけど……」
戸惑い気味に返事するマスター。ですが確かに、彼女の言い分はどちらかと言えば、言いがかりにも近い気がします。とはいえ、なぜかヒイロもまた、それを指摘する気にはなれませんでした。
「……本当ですの?」
エメラルドの輝きを宿す瞳に疑いの念を込めて、マスターに詰め寄るエレンシア嬢。しかし、マスターはそれを受けて、感心したようなため息をつきました。
「……っていうか、エレンにそんなに顔を近づけられちゃうと、それこそ見惚れちゃって仕方がないんだけどなあ」
「んな!? あ、え……えっと、これは……」
エレンシア嬢は、言われてようやく気づいたとでもいうように、マスターから距離を置いて首を振ります。
「まずいですね。人が集まってきたようです」
周囲に視線を向ければ、そんなエレンシア嬢の姿にこそ、皆が見惚れているようです。どうやら、それまで王女であるアンジェリカの突然の帰還ということで、遠巻きに見つめていた人々が、我慢しきれずに集まってきてしまったようでした。
「む……面倒だな。とりあえずは城まで急ぐか」
アンジェリカはそう言うと、次の瞬間、大きく息を吸い込みました。
「皆のもの! 無礼であるぞ! 国王ジークフリードが長女、アンジェリカ・フレア・ドラグニールの行く手を阻むというのであれば、それ相応の覚悟はできておろうな!」
気品と威厳に満ちた、少女の一喝。その声に、まるで海が割れるように目の前の人垣が分かれていきます。さすがは王女様と言ったところでしょうか。
──と思っていたら
「おおー! 久しぶりだぜ! お転婆王女様の啖呵! 相変わらずいいねえ!」
「あははは! やっぱりうちの王女様はこうでなくちゃなあ!」
「アンジェリカ様! お帰りなさい!」
道を譲りこそしたものの、人々から上がった声は、畏敬の念より親愛の情を強く感じさせるものばかりです。それに対し、当のアンジェリカはと言えば、
「う、うるさい、うるさい、うるさーい! あんたたち! ちょっとは王女様を敬う気持ちってものを持ちなさいよねー!」
顔を真っ赤にして地団太を踏みながら、きゃんきゃんとわめきたてています。しかし、やっぱりそれも逆効果でした。人々からは更なる爆笑がわき起こっています。
「ううー!」
ぶるぶると体を震わせて唸るアンジェリカ。
「まあまあ、どうやら街の人たちも、みんなアンジェリカちゃんのことが大好きみたいじゃないか。変に敬遠されるより、よっぽど人徳があるってものだと思うよ」
マスターはそんな彼女をなだめるように、背中をさすってあげています。
すると、周囲に劇的な変化が起こりました。ざあっと波が引くように、人々が大きく後ずさりしたのです。
「うわ! あいつ、男のくせにアンジェリカ様を触ったぞ?」
「なんて命知らずな……。それとも、それだけの自信があるのか?」
「しかも『ちゃん付け』で名前を呼んでるし……」
引きつった顔でそう言うのは、いずれも男性のニルヴァーナたちのようでした。と言っても、昼間のこの時間、彼らは普通の人間とほとんど区別がつきません。中には、『別の姿』をした者たちもいるようですが、彼らはニルヴァーナではないのでしょうか。
「えっと、これ、どういうことかな?」
「……う、うん。まあ、詳しい話は城に行ってからだな」
急に大人しくなったアンジェリカは、そう言って一同を城へと案内してくれたのでした。
城へと向かう道すがら、ヒイロはさきほどの街で気になったことをアンジェリカに尋ねてみることにしました。
「アンジェリカさん。先ほど街中で、随分とその……奇抜な姿をした方々がいたように思うのですが……」
「奇抜な姿? よくわからんな」
「いえ、その……詳しく分析している暇もありませんでしたが、身体のところどころに鱗のような金属片が付いていたかと……」
そこまで言ったところで、アンジェリカは何かに気づいたように手を打ちました。
「ああ、そうか。すまんすまん。わたしにとって、彼らの姿は見慣れたものだったからな。ヒイロの言う『金属片』だが、あれは彼らの皮膚だよ」
「え? 皮膚、ですか? 生体とは考えにくいほど無機質なようでしたが」
驚いて聞き返すヒイロに、アンジェリカはにやりと笑って言いました。
「彼らこそ、わたしたちニルヴァーナの盟友『サンサーラ』なのさ。『円環の大蛇』を源流に持つ『蛇種』にして、世界の造り手とも呼ばれる種族だ」
「なるほど、つまり、別種の『王魔』なわけですね。それであんな姿をしているのですか」
「ああ。わたしが知る限り、『王魔』の中で人間と同じ外見をしているのは、『昼間のニルヴァーナ』だけだ。むろん、『ユグドラシル』の例もあるが、それはエレンシアを見てわかるとおり、元の人間の姿を残すものだからな」
それからアンジェリカが話してくれたところによれば、『サンサーラ』は個々人が独自の魔法によって生み出した『鉱物』で体の表面を構成しており、その『鉱物』の優劣が彼らの身分的な階位につながっているのだそうです。
そのため、彼らは常に新しい鉱物を求め、加工し、錬成して、自身の『鍛錬』に余念がないということでした。
「彼らが魔法の道具を創ったり、街を造ったりしてくれるのは、その副産物みたいなところがあるな。現にこの街に使われている水色の鉱石はな、彼らがその過程で生み出した金属『ベルガモンブルー』を含むものなのだ」
一部とはいえ、肉体を鉱物で構成する生命。そんなものの存在自体、信じがたいところです。
「まあ、城に着いたら要職についている『サンサーラ』にでも会わせてやろう。わたしも久しぶりに、メンフィスには会って話がしたいしな」
──首都の中心にあるドラッケン城は、要所要所に深みのある青い鉱石が使われた、絢爛豪華な造りの城でした。高さこそ三階建て程度のものでしたが、広大な敷地面積を有しているらしく、サンサーラの建築技術の高さが窺い知れようというものです。
巨大な正門の前に立つ兵士たちは、すでに先触れを受けていたのか、特に驚きもせずアンジェリカを丁重に迎えると、早速王の間へと案内すると言い出しました。
しかし、アンジェリカはその言葉に首を振ります。
「そうしたいのはやまやまだが、わたしたちは長旅で疲れている。わたしはともかく、連れの者たちが国王陛下に粗相がないようにするためにも、一度小休止の時間をもらいたい。どのみち、陛下には公務の間にでも面会させてもらえればよい」
「で、ですが……陛下はすぐにでもとの仰せでして……」
「ならば、今の事情を陛下にお前が伝えて来い」
「そ、そんな……」
アンジェリカの言葉を受け、兵士たちは困り顔となって項垂れてしまいました。しかし、アンジェリカには容赦がありません。
「わたしの言うことが聞けないのか?」
「うう……」
王族二人に板挟みとなった兵士たちは、互いに顔を見合わせています。するとそこに、新たな人物が姿を現しました。
「ああ、アンジェリカ姫。お帰りなさい。貴女が家出をしたと聞いた時は心配で心配で、いてもたってもいられませんでしたよ!」
それは、装飾過多とも言える軽鎧を身につけた一人の男性でした。その美しい顔立ちは気品にあふれ、柔らかそうな金髪は綺麗に整えられています。武装こそしてはいますが、どちらかといえば戦士というより、貴族の御曹司といった印象の青年です。
しかし、当のアンジェリカは彼を見て、嫌そうに顔をしかめました。
「……レニードか。気安く話しかけるなと言っているだろう?」
吐き捨てるように彼女がそう言うと、レニードと呼ばれたその青年貴族は、一瞬だけ表情を歪め、しかし、すぐに気を取り直したように笑いました。
「あはは。相変わらず王女殿下は手厳しくていらっしゃる。俺が貴女のことをどれだけ愛しているか、知らない貴女ではないでしょうに」
王女に対する態度としては、少々行き過ぎた感がありますが、周囲の兵士たちがそれを咎めないところを見ると、彼はそれだけの身分を持った貴族なのかもしれません。
レニードは続けて、アンジェリカと共にいるその他の面々に、胡散臭いものを見るような不躾な視線を向けてきました。そして、その視線は、最後にマスターの顔に固定されます。
「お前が身の程知らずの人間か。高貴なる竜の血を引くニルヴァーナの姫君をたぶらかすとは、命が惜しくないようだな? ええ?」
青い瞳に憎々しげな光をたたえ、マスターを睨みつけるレニード。しかし、マスターはと言えば、そんな無礼な彼の振る舞いにも、まったく動じた様子はありませんでした。
「やあ、はじめまして。レニードさんだったっけ? 僕は来栖鏡也。よろしくね」
にっこりと笑い返すマスター。彼の黒々とした瞳を向けられて、レニードは少したじろいだように顔を歪めています。
「無礼者が……! 薄気味悪い目をしやがって。だが、俺は貴様を認めんぞ。どんな手を使ってでも、その化けの皮をはがしてやる。そうすれば、アンジェリカ姫も目が覚めるだろうからな」
「言ってる意味が全然わからないんだけど……」
首をかしげるマスターですが、そんな彼の前に、アンジェリカが慌てたように割って入りました。
「ああ! もう、いい加減にしろ! レニード! 貴様も用がないなら、さっさとあっちに行け!」
「……わかりましたよ。でも、王女殿下。ドラグーン王国の今後の繁栄を考えるなら、俺のような力も家柄も兼ね備えた男こそ、あなたに相応しいと思いますがね」
アンジェリカの言葉に肩をすくめると、レニードは捨て台詞を残して去っていきました。
「……なんとなく、先ほどの彼の発言は気になりますね」
どうにも話の雲行きが怪しいです。ヒイロはアンジェリカに問いただすような視線を向けますが、彼女はこちらを見ないように明後日の方向に顔をそむけていました。
そして、そのまま、何かに気付いたように声を上げるアンジェリカ。
「あ! メンフィス!」
「おやおや、相変わらずだね。アンジェリカは」
彼女の視線の先にいたのは、光の加減で虹色にも見える光沢を放つ金属質の肌を持つ、一人のサンサーラでした。街で見た者たちと違い、顔の一部を除くほぼ全身の皮膚が金属の鱗に覆われているような外見となっています。
青く長い髪のせいで性別が判別しにくく、肌の鱗もあって年齢がわかりにくい姿ですが、優しげな笑みを浮かべるその顔立ちは、かなり整っているといってよいでしょう。
「メンフィス! 久しぶりー!」
アンジェリカは新たに登場した人物の姿を見て、ひときわ目を輝かせると、その胸元に勢いよく飛びついていきました。
「おっと、こらこら、危ないぞ? まったく、君はいつまでたってもお転婆だねえ。そんなことじゃ、お嫁の貰い手もなくなるよ?」
金属質の身体から発せられているとは思えないような、柔らかな声。男性と女性の中間のような声音ではありますが、聞く者の気持ちを自然と落ち着かせるような響きがありました。
「ふーんだ! メンフィスまでお父様みたいなことを言うの?」
「ははは。そんなにジークを責めないでやっておくれよ。何と言っても君は彼にとって、一粒種ともいうべき大事な娘なんだ。多少過保護になっても無理はないだろう?」
そう言いながら、メンフィスと呼ばれたその人物は、ヒイロたち……いえ、マスターの方にその金色の瞳を向けてきました。
「ふむ。アンジェリカの連れの皆さんだね? 彼女が世話になったようで、ありがとう。僕からも礼を言わせてほしい」
そう言って、優雅に一礼して見せるメンフィス。
「まあ、世話ってほどのことはしてないですけどね。それより、自己紹介でもしましょうか? 僕って、名前のわからない人と話すの、好きじゃないんです。……ちなみに、僕の名前は来栖鏡也です。キョウヤと呼んでいただいて結構ですよ」
マスターは、意外にも丁寧な物腰で返事をしました。とはいえ、高貴な人物に対するには、少し砕けた物言いかもしれません。
「なるほどね。では君が、さきほど街中で騒ぎを起こした『命知らずな勇者さん』ってわけか。では、敬意を表して僕も名乗ろう──メンフィス・ヴァリアント・ウロボロス。国王ジークフリードの古くからの盟友にして、この国の宰相をやらせてもらっている者だ」
対するメンフィスは、マスターの態度に不快げな顔一つせず、面白そうな笑みをたたえ、握手を求めてきたのでした。
次回「第50話 雷帝ジークフリード」