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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第1章 緋色の少女と悪魔の少女
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第5話 暴走の理由

「うん。行ってみたい!」


 拍子抜けするような答えです。普通ならいきなり『異世界に行ってみたくないか』などと言い出せば、頭のおかしい人間扱いされてもおかしくはありません。しかし、彼は不思議がるヒイロに対し、こう言いました。


「え? だって、君みたいな善い人が僕のことを騙したりするわけがないじゃん。それに僕は常々、この世界はつまらないと思ってきたんだ。これこそまさに、渡りに船だよ」


 彼は恐ろしいことに、その船の底が抜けている可能性を一切考慮に入れていません。なぜなら、彼はすでに、ヒイロの善性を『決めつけて』いるからです。

 さながら狂った鏡のごとく、自分に向けられた善意や悪意を『乱反射』する彼の在り方は、この世界では酷く危ういものでしょう。社会生活からのドロップアウトは愚か、いつ死んでもおかしくないとさえ言えます。


 でも、そんな彼だからこそ……


「……ああ。ヒイロは幸せです」


「え?」


 つい、言葉に出してしまいました。彼という危うくも魅力的な逸材を前にして、ヒイロの『存在意義』は、もはや暴発寸前でした。ヒイロの精神状態を反映するかのように、『素体』の体温は高まり、頬は赤く上気し、吐息は荒くなり、そして、黒かった髪と目が……緋色に染まっていきます。


「え? え? だ、大丈夫? 具合が悪そう……というか、なんだか妙に色っぽくなったような……」


 髪と目の色が変わったことより、そちらを気にする彼には可笑しさを禁じ得ませんでしたが、この際それは良しとしましょう。


「クルス・キョウヤさん。お願いがあります」


「お願い?」


「ヒイロの……『マスター』になってください」


「マスター? なにそれ?」


「ヒイロのご主人様です。異世界への案内人たるヒイロは、いつか自分の主人を持ち、その方を異世界に案内する日を夢見ていたのです」


「ご、ご主人様……?」


「はい」


 ヒイロが頷くと、彼はゴクリと唾を飲み込みました。まじまじとヒイロの姿を見つめ、ゆっくりと口を開きます。


「それって……本当に君の望みなの? 誰かに強制されてるんじゃなくて?」


「もちろんです。ヒイロを生み出した科学文明は崩壊しましたが、ヒイロは『進化する人工知性体』として、自らの意思を備えています。ゆえに、これはプログラムではなく、ヒイロの意志です」


「…………」


 ヒイロがそう断言すると、彼は表情を消して黙り込みました。そして、少しだけ何かを言いたそうにした後、結局は何も言わず、小さく首を振ります。


「あなたが本当に異世界に行きたいと望むなら、ヒイロのマスターになってください。そうすれば、ヒイロは自分の全性能をもってあなたを全力でサポートし、快適な異世界ライフをお約束いたします」


 熱を孕んだ瞳で、ヒイロは彼を見つめ返しました。彼は、静かにヒイロの視線を受け止めています。


「……うーん。言いたいことがないではないけれど……まあ、今はいいか。時間は今後、いくらでもありそうだ。よし、わかった。じゃあ、僕は君のご主人様になってあげよう」


「本当ですか? それでは、さっそくマスター登録をさせてください」


 彼の言葉に、わたしは目を輝かせて言いました。


 ──【因子観測装置アルカグラフ】起動。対象者、クルス・キョウヤ。


 ──遺伝子及び【因子アルカ】解析開始……個体識別情報として登録。


 ──【因子感受性アルカンシェル】計測開始……理論上の最高値の102.3%を記録。


 ──【因子干渉アルカライズ】を開始。【因子感受性アルカンシェル】との反応によるスキル発現を確認中……。


「うわ! な、何が始まったんだ?」


 彼は、ヒイロの素体から発生した解析用の走査光線に驚きの声を上げています。

 マスター登録はヒイロのシステムの根幹をなすものであり、いかに超高速演算回路を有するヒイロでも、一瞬でというわけにはいきません。


 そして、待ち遠しい気持ちをこらえ、ヒイロは演算処理・登録処理を完了させました。ついにこの瞬間、ヒイロに支えるべき『マスター』が誕生したのです。


「……ああ。嬉しい。マスター、マスター、マスター! 万事、ヒイロにお任せください! ヒイロはマスターのためならば、どんなことでもやり遂げます!」


 ますます高揚していく心に従い、ヒイロは熱に浮かされたように喋りつづけます。


「……すごいなあ。まさか本当に、こんなことがあるだなんて」


 呆然と驚きの言葉を口にする彼。ああ、嬉し過ぎて忘れていました。こちらから一方的に話してばかりではありましたが、そもそもヒイロの正体や異世界への移動に関すること、そして何より【因子アルカ】とスキルについても、改めてマスターに説明してあげなくてはいけません。


「すみませんでした、マスター。事情を改めてご説明させてください」


 マスターはヒイロの言葉に軽く頷き、そのまま黙って説明を聞いてくれました。とはいえ、時々眠そうにあくびをしていたので、ちゃんと聞いているかは心配ではありますが……。


「なるほど。……じゃあ、ちょっと質問してもいいかな?」


「はい。何でしょう?」


 と思いきや、意外にも直後に質問がありました。どうやら話は聞いていてくれたようです。


「……えっと、つまりこれで、僕は君の『ご主人様』になったってことかな?」


「はい」


 当然です。もはや平行次元世界全てを見渡しても、ヒイロのマスターは、クルス・キョウヤをおいて他にはいません。


「さっきも言ってたけど、ご主人様のためには何でもやるって……本当?」


「はい」


「こんなにスタイルが良くて、抜群に可愛い美少女が……。僕の言うことを……何でも聞いてくれるんだよね?」


「………」


「あれ? 違ったかな?」


 何故でしょうか? マスターの必要以上に嬉しそうな笑顔を見ていると、なんとなくイライラしてくるような気がします。……いえ、もちろん、ヒイロがマスターにそんな感情を抱くはずがありませんので、きっと気のせいでしょう。


「……マスターのためになることであれば、どんな御命令にも従います」


「よし、じゃあ早速だ。まずそのスカートを……って、イタタ!」


 ヒイロは、制服のスカートの前をめくろうとした彼の手を、反射的に叩き落としました。


「あれ? やっぱり、駄目だった?」


「駄目です。アウトです。NGです」


 なぜかヒイロの口からは、そんな言葉が飛び出しました。


「いや、でも、何でも言うことを聞いてくれるんじゃ……」


 しつこく食い下がるマスター。ますます卑屈な顔になる彼を見ていると、彼をマスターに選んだことを思わず後悔してしまいそうでした。『殺人』について歪んだ言葉を語っていた時からは、信じられないような情けない態度です。


 ヒイロは小さく息を吐き、それから人差し指を立てるようにして言いました。


「それは『マスターのためになる』場合を前提としてのことです」


「そんな……く! 全人類の夢ともいうべき、『美少女に何でも言うことを聞かせられる権利』を手に入れたかと思ったのに!」


 絶望的な顔で首を振るマスター。


「……それが全人類の夢なら、この世界はもうおしまいでしょう」


 対して、呆れたように首を振るヒイロでした。


「うーん。でも、下着くらい減るモノじゃないじゃん。それで僕は嬉しいんだし、君は僕のために行動できる。まさにこれこそ、えーっと、そうそう、『ウィン・ウィンの関係』って奴じゃないか?」


 つい最近覚えたらしい単語まで引合いに出し、とんでもない直球勝負を仕掛けてくるマスター。……この人、やっぱり頭がおかしいに違いありません。


 しかし、よく考えてみれば、ヒイロにはこの言葉に反論する理由がありません。マスターの喜ぶことであれば協力してあげても良いのではないかというロジックは、間違いなくヒイロの中にも存在するのです。


 しかし、ヒイロは……


「……苦もなく目的を達成してしまっては、マスターの人間的成長が見込めません」


 苦し紛れにも程がある言い訳を口にしていました。何故かはわかりませんが、ここで彼に自分の下着姿を見せることには、大きな抵抗を感じているのです。するとマスターは、何かに気付いたように掌に拳を乗せて頷きました。


「なるほど。じゃあ、僕は、これからあらゆる艱難辛苦を乗り越えて、魔王を倒して世界を平和に導いて初めて、君のパンツを拝ませてもらうことができるのか!」


「ち、違います! どれだけヒイロの下着姿が見たいんですか!」


 ヒイロはついに、声を荒げてしまいました。マスターに対してはあるまじき(先ほど手を叩いたこともそうですが)態度です。しかし、彼は怒るどころか、面白そうに笑います。


「なんだ、そんな顔もできるんじゃないか。良かった。これから行動を共にする相棒が『言うことを聞くだけのお人形』じゃあ、異世界に行ったところで、つまらないことには変わりはないからね」


「…………!!」


 そんなマスターの言葉に、ヒイロは深く恥じ入る羽目になってしまいました。この問答の間に、ヒイロの方こそが『異世界のナビゲーター』としてマスターに相応しいかどうかを試されていたのです。


「マ、マスター……」


「異世界に連れてってくれるんなら、早い方がいいんじゃないかな? 多分、僕はあと数日もしないうちに警察に捕まるだろうし」


 恥ずかしさで顔を赤らめたヒイロに、マスターは優しく微笑みかけてきてくれました。


「……わかりました。マスター。それでは、ヒイロの傍にいてください。これより、【超時空転移装置】を作動させます」


 ヒイロは目を閉じると、【超時空転移装置】の起動準備に入ります。ちなみにこの装置ですが、ヒイロの中でも最も複雑で取扱いに慎重を期す必要があるものでした。


 重力の干渉を受けないよう周囲の【因子アルカ】を制御し、ヒイロは宙に浮かび上がります。さらにヒイロは次元の境目を走査すると、これからマスターを導くにふさわしい、適度に発達した文明を持つ異世界を転移先座標に選択しました。


「さあ……」


 しかし、その時──


「うーん、もう少し、もう少しなんだけどなあ……」


 そんな声に驚いて目を開けたヒイロが見たものは……宙に浮いたこちらの足元に近づき、卑屈にも『不自然にならないくらい』に身体を屈ませながらスカートの中を覗こうとする、マスターの姿でした。


「……なな! ……え? きゃあ!」


 まさに転移装置が発動しようという、その瞬間。

 

 ヒイロが激しく動揺したことがまずかったのでしょう。制御を失って暴走した【超時空転移装置】は、その場に時空嵐を生み出し、ヒイロたちを飲み込んだのでした。


 それから、ヒイロはマスターの周囲に亜空間からの悪影響を遮るバリアフィールドを展開し、乱流の中を木の葉のように漂いつづけました。


「うわあ! なにこれ、なにこれ!」


 先ほどまでヒイロのスカートの中を覗き見ようとしていた痴漢……もといマスターは、わけもわからず叫んでいます。


「とにかく、しっかり掴まっていてください!」


「りょーかい!」


 などと言って、ヒイロの身体を抱きしめるように、ついでに頬ずりするように、掴まってくるマスター。……色々と言いたいことはありますが、今はまず、目の前の事態に集中すべきでしょう。


 とにかく、こんな状態で次元の狭間にいるのは危険です。どこか手近な異世界に避難しなくては……と思ったヒイロの目の前に、まばゆい光を放つ扉のようなものが見えました。


「え? どうして、こんなところに扉が?」


 異世界への入口は、ヒイロが装置を使って自分で開くものですが、『扉』など見たことがありません。けれど、その扉はどんどん目の前に迫ってきて……気づけばヒイロたちは、開いた扉の中に吸い込まれてしまったのでした。

次回「第6話 狂える鏡のスキル」

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