第44話 女神信仰の街
クレイドル王国からドラグーン王国に向けて南東へと進む途中、ヒイロたちはひとつの街に立ち寄ることとしました。もちろん、移動手段も野宿の方法も有している以上、直接目的地へたどり着くことは不可能ではありません。
しかし、ヒイロには各地の街でできるだけ多くの情報を収集することで、この世界の全体像をいち早くつかみたいという思いがありました。
「そうだね。僕としても、できればいろんなところを観光できた方が楽しいし。いいんじゃないかな?」
マスターもそう言ってヒイロの提案に賛成してくれましたし、他の皆さんも野宿ばかりでは味気ないと考えていたようで、特に反対もなかったのです。
誤算だったのは、この街が『神聖王国アカシャ』と呼ばれる女神信仰の総本山ともいうべき国にあったことと、『アカシャの使徒』が有する『能力』について、ヒイロたちがあまりにも無知であったということでした。
「街に入るなり、取り囲まれて連行されるとか……どういうことなんだろうね? 僕は観光をしに来たんであって、見世物にされに来たわけじゃないのに……」
ぶつぶつと言いながら、兵士たちの後ろを歩くマスター。大通りの左右に広がる街並みを見れば、木造、石造の区別なくすべての建物が白く塗られており、街を行く人々も派手な装いをしている者は少ないようです。
唯一例外なのは、街のあちこちに建てられた、円と十字を組み合わせて作られた黄金色のオブジェぐらいのものでしょうか。どうやらこのオブジェは、宗教上のシンボルになっているようでした。
ヒイロは街を歩きながら可能な範囲での情報収集に努めましたが、人々の会話の中身は、これまでと大きく違ったところはありません。ただ、彼らは一様に、すれ違うヒイロたち一行に好奇の視線を向けているようでした。
「なんだか、ジロジロと見られるのも落ち着かないね」
辟易したように言うマスター。するとここで、エレンシア嬢が説明するように言葉を返しました。
「この国では『アカシャの使徒』の証である『白髪』こそが理想の色とされていますけど……逆に色の濃い髪は忌避されています。アンジェリカさんの金髪はともかく、キョウヤ様の黒髪やヒイロさんの紅い髪、わたくしの緑の髪などは特に、嫌でも注目を集めてしまうのでしょう」
「連行とは言いますけれど……随分と丁重な扱いですし、どういうことなんでしょうね」
リズさんが戸惑い気味に言った言葉どおり、『連行』というより『案内』されているような感覚です。とはいえ、武装した兵士たちに街の中で取り囲まれたのです。騒ぎを大きくしないためにも、ヒイロたちはとりあえず、大人しく彼らについていくことにしたのでした。
彼らにはどうやら、アンジェリカやエレンシア嬢が『王魔』であることが分かっていたようです。最初に接触してきた当初から、こちらを客人としてもてなしたいとの申し出を口にしていました。そのため、特に武装解除もされていません。
「だが、罠かもしれないぞ? 自分たちにとって、より有利な場所まで誘導してから襲い掛かってくる可能性も十分ある」
アンジェリカはそんな懸念を口にしますが、周囲の兵士たちに丸聞こえの声の大きさです。明らかにわざとでしょう。
「繰り返しますが……我らは『女神』に誓って、そのような卑劣な真似は致しません。このリザレクの街の司教猊下が『王魔』の皆さまを是非にとお招き申し上げているのです」
先頭を歩く一人の青年が、アンジェリカの言葉に反応するように言いました。くすんだ色の金髪に、赤みを帯びた対魔法銀製の鎧で全身の要所を護る彼は、まだ二十代前半と言ったところでしょうか。顔つきのせいか、腰に下げた細身の長剣よりもなお、鋭く尖った印象を人に与えるタイプの人物でした。
とはいえ、最初にアンジェリカに声をかけてきた時の礼儀正しさと温和な物腰は、そうした棘を隠して余りあるものがあり、生まれも育ちも高貴な家柄の者なのかもしれません。
「ならば、わたしからも繰り返し言おう。わたしたちとて、暇ではない。それを半ば強引にそちらの都合に付き合わせようというのだ。司教とやらに会うのも、それ相応の意味のある話と謝礼があってのことだろうな?」
「それはもちろんです。最大限のおもてなしをさせていただき、合わせて謝礼もご用意させていただく所存です」
丁寧に言葉を紡ぐその青年は、初対面の時に自らをルヴァン・ヘンドリクス司教兵長と名乗っていました。
「……それは別として、どうして司教が『王魔』に会いたいのか、という点があいまいですね。そもそも、『アカシャの使徒』たちは『ニルヴァーナ』たちを憎んでいるのではないのですか?」
核心部分に触れるべく、ヒイロは単刀直入に言いました。すると彼、ルヴァン司教兵長は真面目そうな顔を悲しげに歪めました。
「……二十年前の戦争ですね。あれはお互いがお互いを知ろうとしなかったがゆえに起きた、悲劇です。だからこそ今、こうして街を訪れてくださった『王魔』の皆さまと語り合い、二度とあのような悲劇が起きぬようにしたい。それが司教様の願いなのです」
真剣なまなざしをこちらに向け、熱意のこもった言葉を語る彼の姿は、とても嘘をついているようには見えません。思えば、彼のこうした『真摯な態度』こそが、マスターをはじめとする皆が抵抗もせず、こうして『案内』を受けている最大の理由なのかもしれません。
と、その時──ここまで黙って話を聞いていたマスターが、急にルヴァン司教兵長に声をかけました。
「……なんか、気持ち悪いな。君みたいな人間には、初めて会ったよ」
「どういう意味ですか?」
「目は見えているのに、その実、何も見ていない人間。その信仰心は美しいけれど、その美しさには『意味』がない。いや、君の場合は……」
けれど、そこまで言ったところでマスターは言葉を止め、大きくため息をつきました。
「やれやれ……ますますもって、僕は『女神』の神官とやらが好きになれそうもないな」
小さく首を振るマスター。彼はルヴァン司教兵長に、何を感じたのでしょうか?
「それでは、あちらに見える建物が、このリザレクにある『女神の教会』本部になります」
しかし、ヒイロには『心』の解析だけはできません。そればかりはマスターの領域でしょう。であるならば、自分のできる範囲のことに集中するべきです。ヒイロは、近づいてくる建物に潜在する脅威を確認するべく、各種センサーを稼働させたのでした。
──やはり、神聖王国アカシャにおいては、女神を信仰する『教会』の勢力こそが最も大きいのでしょう。以前訪れた街とは違い、『法学』の魔法使いたちが国家の保護を受けて運営する『法学院』の建物はほとんど目立たなかった一方で、こちらの教会本部は随分と巨大な建造物でした。
円と十字を組み合わせた金属板のついた門を開くと、緑の木々が立ち並ぶ美しい庭園があります。その先を抜ければ、白く塗られた石の壁で構成された四角い建物がありました。その入り口を見れば、これまた立派な門構えの木造の扉があり、そこにも同じように円と十字を組み合わせた紋章が刻まれていました。
「それでは、こちらの応接の間でお待ちください。パウエル司教をお呼びいたします」
ルヴァン司教兵長はヒイロたちを応接の間に通した後、うやうやしく一礼してから退室していきました。誰もいなくなった応接室を見渡せば、これまた白一色の調度品で埋め尽くされています。
「へえ、さすがに宗教って儲かるんだねえ。このソファとかこのシャンデリアとか、随分と高そうじゃん」
「そうですわね。これほどのものは、かなりの高級品に分類されるはずですわ。ヴィッセンフリート家にも、ここまで上等なシャンデリアはありませんでしたし……」
辺境とはいえ、大貴族に分類される家でさえ持ちえないような品まで置かれているとは、まさにマスターのおっしゃる通り『宗教は儲かる』と言ったところなのかもしれません。
「しかし、なんとなくあのルヴァンという男の勢いに乗せられてきてしまったが、リズだけでも安全な場所に置いてくるべきだったかな?」
少しだけ後悔したように、アンジェリカがリズさんに目を向けています。
「いえ、むしろ一緒にいてもらった方が安心ですわ」
「アンジェリカさん、お嬢様……申し訳ありません。足手まといになってばかりで……」
すまなそうな顔をするリズさんですが、これにはマスターが首を振りました。
「何を言っているんだよ。家事全般を担ってくれるリズさんがいなかったら、僕らのこの世界における『文化的な生活』は誰が保障してくれるんだい? 」
ですが、この言い方は少々まずかったようです。
「キョウヤ? それはどういう意味だ?」
「キョウヤ様? わたくしたちでは文化的な生活が営めないとでも?」
二人の女性がじろりと彼を睨みます。しかし、ここでもマスターは、焦りもせずに頷きました。
「うん。だって二人とも、料理・洗濯・掃除・夜伽といった、一般家庭の良妻に求められる技能とか、苦手でしょう?」
「う……」
箱入り娘のお嬢様──エレンシア嬢は、反論の言葉を失ってうつむいてしまいます。ですが、マスターの発言の真意はこんなところにはありません。むしろ、本当の狙いは……
「む、むむむ……料理……洗濯……うう! 掃除……も厳しいか? そ、そうだ! えっと、夜伽? 夜伽だったらわたしにだって!」
負けず嫌いの少女が一人、マスターの言葉の毒牙にかかったようです。にんまりと実に嬉しげに笑うマスター。一方のアンジェリカは、自分の言葉の意味を理解していないのでしょうか。彼に笑顔を向けられて、誇らしげに胸を張っています。
「へえ、すごいね。さすがはアンジェリカちゃんだ」
「ふふん! 当然だ。わたしを誰だと思っている?」
「じゃあ、今度ぜひ、やってもらおうかな」
「む? えっと……そうだな。キョウヤがどうしてもと言うなら、考えてやらんでもないぞ?」
なおも堂々とそんな言葉を口にした彼女を見て、マスターはますます楽しそうな顔をしました。
「……ア、アンジェリカさん」
あわててリズさんが彼女に耳打ちをしたところで、アンジェリカの顔がぼふっと音を立てて真っ赤に染まってしまいました。
「いやあ、嬉しいなあ。もちろん僕は、『どうしても』と言わせてもらうよ」
「う、うああああ! ち、違うの! 今のなし! 違うったら、違うんだからー!」
わめきたてるアンジェリカですが、マスターとしては彼女が恥ずかしがる姿を見ること自体が楽しいらしく、目を細めて嬉しそうに笑っています。
「……はあ、マスターの悪ノリにも困ったものですね。それより問題は……どうしてこちらの来訪を『教会』があんなにも早く察知したかということですが……」
「ヒイロさん」
呆れるあまり、つい独り言を口走ってしまったヒイロに向けて、エレンシア嬢が唐突に呼びかけてきました。
「え? あ、なんでしょうか?」
「先ほどからわたくし、『世界に一つだけの花』で邸内の植物から情報を仕入れていたのですが、そこでわかったことがあります」
「そういえば、エレンシア嬢にはそんな力がおありでしたね」
考えてみれば、実に便利な能力です。
「ええ。聞こえてきた会話では、ここの司教は、この国でも『七大司教』に数えられるほどの力を持つ『アカシャの使徒』のようですわ。『女神の奇跡で確認したのだから、王魔に間違いない』という言葉も聞こえてきましたので、恐らくはそういうことかと……」
「なるほど。他には何か情報は?」
「はい。残念ながら植物の配置されている場所の関係で断片的な会話しか聞こえませんでしたけれど……彼らの目的は、『王魔』に直接会って『知る』ことそのものにあるようでしたわね……」
エレンシア嬢の言葉は、少々意外なものでした。それが本当なら、まさにあのルヴァンが語った言葉に嘘はなかったということになるからです。
しかし、この時のヒイロは、失念していました。
『相手を知りたい』と思う気持ちは、その相手と『親しくありたい』と願う場合以外にもあるのだということを──
次回「第45話 世界を読み解く者」