第43話 魔法使いになりたい
《レビテーション》での移動を続けながら、ヒイロはマスターに新たなスキルの内容について、一通りのレクチャーを行いました。あまりにも急激かつ多量のスキル習得は、彼に混乱をもたらす恐れもありましたが、やはりと言うべきか、マスターの反応はこちらの想像の斜め上を行くものでした。
「うそ! まじで? 僕、魔法が使えるかもしれないの?」
他のスキルの説明には目もくれず、勢いよく食いついてきたのは、その部分です。今回は先日説明を聞いているリズさんも含め、全員が重力場の中央に作ったテーブル席について話をしているのですが、全員が彼のあまりの勢いに目を丸くしていました。
「あ、あの、マスター? 落ち着いてください」
隣の席に腰掛けたマスターに手を掴まれ、黒々と輝く瞳で見つめられたヒイロは、なぜかどぎまぎしながら言葉を返しました。しかし、マスターは聞く耳を持ってくれないようです。
「これが落ち着いていられるかい? 魔法のある世界に来て魔法が使えないなんて、少し寂しいなあと思ってたところに、こんなスキルができるんだ。やっぱり神様って、本当にいるのかもしれないよね?」
神も仏も絶対に信じていなさそうなマスターですが、この時ばかりは信心深くなってみたのか、見えもしない神様に向けて感謝の言葉をつぶやいています。……かと思えば、今度はヒイロに満面の笑みを向けてくるのです。
「いやあ、ほんと最高だよ。さすがはヒイロ! こんなに素敵なスキルをプレゼントしてくれるなんて、まさに君こそ天使だ!」
「え、えっと……その……光栄です」
まくしたてるように褒め言葉を連発するマスターに、ヒイロは圧倒されてしまいます。嬉しいことは嬉しいのですが、こういう時のマスターには、油断は禁物なのです。
「むー! 何よ。キョウヤ! 天使って言ったら、わたしでしょう?! わたしの夜の姿、わすれたの?」
案の定、不満げに声を荒げるアンジェリカですが……いくらなんでも、チョロすぎませんか? 明らかに彼がここで、『天使』という言葉を使ったのは、彼女に対する作戦でした。そして、その『作戦』の概要も、ヒイロにはおぼろげながらに見えてきてしまっています。
「ああ、ごめんごめん。もちろん、アンジェリカちゃんも天使だよ。……だって、魔法が使いたくて仕方がない僕のために、魔法を使えるようにしてくれるんだもんね?」
「そうよ! 天使はわたしよ! ……って、え? 魔法を使えるようにする?」
勢い良く叫んでから、マスターの言葉に不自然な点を感じたアンジェリカは、我に返ったように首をかしげました。しかし、手遅れというものでしょう。
「うん。ほら、アンジェリカちゃんは、エレンにも魔法を教えてあげるんでしょ?」
「え? あ、ああ……まあ、そうだが……」
若干の落ち着きを取り戻し、普段の口調で返事するアンジェリカ。
「だったら、僕にもそうしてくれなくちゃ、不公平ってものじゃないかい?」
きらきらと目を輝かせ、アンジェリカを見つめるマスター。こんなにも期待に満ちた目で彼に見つめられて、どうしてそれを裏切ることができるでしょうか? いえ、ヒイロには絶対にできません。……とはいえ、それは彼の『狙い』が読めない場合のことです。
アンジェリカには、その『狙い』がいまだに読めていないようでした。それを見てとったマスターは、自分の椅子をヒイロとは逆隣りに座るアンジェリカの元へ引きずるように体を寄せると、一気に勝負に出たのです。
「……アンジェリカちゃん。僕と、キスしてくれないかい?」
「え? ええええ!?」
ヒイロを除く全員から、悲鳴が上がりました。もちろん、一番驚きに声を大きくし、顔を真っ赤に染めているのはアンジェリカです。自分の両手をマスターに包み込むように握られ、紅潮した頬のまま固まっています。
「き、きききき! きす? で、でも! そんな、いきなりそんなこと言われたって……」
彼女は、先ほどのマスターのスキルの説明をよく見ていなかったのでしょうか? いえ、動揺して頭から抜け落ちているという方が正確かもしれません。
いずれにしても、マスターがアンジェリカにキスを迫る理由。それはこのスキルにありました。
『白馬の王子の口映し』
自分に好意を抱く異性の『知性体』とのキスにより発動。相手の魔法が使用可能となる。ただし、その魔法効果は『反転』する。効果時間は24時間。この効果は複数同時に重複する。
スキルの生成はあくまで、本人の性質に基づくものであって、意思や願望に基づくものではありません。だというのに、マスターときたら、どこまで運命に愛されているのでしょう? そう考えずにはいられないヒイロでした。
「アンジェリカちゃん。僕とキスするの……嫌かい?」
「べ、別にそういうわけじゃ……。うう、その、気持ちは嬉しいけど……こういうことは順番が……せめて国についてからでも……」
少しずつ顔を寄せてくるマスターに、アンジェリカは顔を赤くしたまま、もじもじと体をよじっています。
「ちょ、ちょっと、待ってください。キョウヤさん。そんな風に無理強いしては……」
リズさんが制止の声をかけますが、マスターはちらりと彼女を見て言います。
「これが無理強いしているように見える?」
「う……」
アンジェリカの様子を見れば、本気で嫌がっていないことは明らかです。リズさんは反論の言葉を失ってしまいました。
「で、でも、駄目ですわ!」
今度はエレンシア嬢が、立ち上がって叫びました。彼女の新緑の髪の先が、茨に変化してゆらゆらと揺れています。
「え? 駄目って、何がだい?」
「こ、こんな、皆が見ているところで……そんな破廉恥な……」
正面から問い返され、しどろもどろとなるエレンシア嬢。そんな彼女に、マスターはたたみかけるように言いました。
「勘違いしているかもしれないけど、僕はこのメンバーの戦力アップのためにも、魔法を使えるようになりたいだけなんだ。やましい気持ちなんて全然ないし、むしろ、エレン……君や他の皆を守る力を手に入れたい。そう思ってのことなんだよ」
「あ、う……」
今度はたちまち、エレンシア嬢の顔が赤く染まっていきます。何かを言いかけたまま、口をぱくぱくと開閉させ、それから黙って座り込んでしまいました。
「どうやら、わかってくれたようだね」
巧みな戦術で難関を突破し続けたマスターは、ついにその本懐を遂げるべく、あらためてアンジェリカへと視線を戻しました。
「さて、じゃあいいかな? アンジェリカちゃん」
「う、うう……ちょ、ちょっと待って……」
言いながらも、マスターに見つめられたアンジェリカの瞳は、とろんと潤んできているようです。
……仕方がありませんね。マスターには気の毒ですが、その場のノリと勢いでキスをするのは好ましいことではありません。ヒイロ自身には他意はありませんが……ええ、それはもう、まったくと言っていいほどありませんが、この場の健全な人間関係の構築を妨げないためにも、ここはひとつ、ヒイロが止めに入るとしましょう。
「マスター」
「なんだい、ヒイロ?」
途中で呼び止められたにもかかわらず、不機嫌な顔一つせずに振り向くマスター。しかし、その顔には「何を言われても言い返せるぞ」と言わんばかりの自信が満ちていました。
残念ながらマスター。その理論には大きな穴があるのです。
「今のエレンシア嬢に対するお言葉を聞いていると……つまり、マスターは『アンジェリカさんとキスするのは、彼女と男女の関係にあるからではない。皆を守るためにしかたなくするのだ』という風にも聞こえますね」
「え?」
「あ」
エレンシア嬢とアンジェリカ、二人が同時に我に返ったような顔になりました。皆を守るためなどと言えば聞こえがいいでしょうが、だからといって『女性とのキス』という行為を情愛の気持ちなしに行おうという考えが好ましいかどうかなど、本来なら考えるまでもないのです。
ですが彼女たちは、最初にマスターがアンジェリカへと迫った時の情感あふれる振る舞いを見て、そうは思わなくなってしまいました。そしてその後、エレンシア嬢からの指摘である『破廉恥』という言葉に対し、『やましい気持ちはない』などと巧みな言葉で誤魔化しをかけ、この論理矛盾にさえ気づかせないように仕向けたのでしょう。
スキルの説明を受けてからわずかな時間で、ここまで綿密な作戦を立ててしまうマスターの頭の回転の速さは褒めるべきなのかもしれませんが、こうした問題にばかりその才能を発揮してどうするというのでしょうか。
「キョウヤ……? そうなのか?」
疑いのこもった目で、マスターを見つめるアンジェリカ。するとマスターは、さすがに観念したらしく、大きく息を吐くと頭を下げて謝罪しました。
「ごめん。ちょっと調子に乗っちゃった。魔法が使えるかもしれないと思ったら、つい嬉しくなってはしゃいじゃって……。君の気持ちも考えずに……」
「……ま、まあ、そんなに気にするな。わたしも少し、驚いただけだ。わたしのように魔法が使えるようになりたいと思う気持ちは、わからなくもないしな」
しょんぼりと項垂れるマスターに、それまで厳しい視線を向けていたアンジェリカも仕方がないとばかりに首を振って笑いました。
「……それに、やっぱり接吻するなら祖国に戻ってきちんと『話をつけて』からの方がいいだろう」
意味深な言葉をつぶやき、含み笑いを漏らすアンジェリカでした。
次回「第44話 女神信仰の街」




