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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第2章 世話焼きメイドと箱入り娘
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第37話 届かぬ愛

「で? この後はどうするつもりなんだ、キョウヤ?」


 アンジェリカが苛立たしげな声で問いかけた相手は、先ほどからしきりにエレンシア嬢の美しさを褒め称え、彼女が狼狽えるさまを楽しんでいるマスターでした。彼女ばかり褒められているのが気に食わないのか、頬を膨らませて拗ねているようです。


「え? ああ、どうするって言うと?」


「決まっているだろう。いつまでもこの屋敷でこうしていても仕方があるまい。『愚者』どもが消えた以上、いつ他の人間たちがやってくるかわからないぞ。朝になればわたしも眠るしかなくなるのだし、夜が明ける前には動くべきだ」


「ああ、そういえばそうだったね」


 呑気な調子で返事をするマスター。そんな彼に、アンジェリカはあきれたような顔で言葉を続けます。


「だが、その二人はどうする? そもそもリズは屋敷の財産を無断借用しているのだろう? それは罰せられる危険のあることのはずだが……」


 おそらく、アンジェリカはリズさんと別れたくないのでしょう。だから、一緒に連れていくべきだと、言外にそう言っているようです。


「……いえ、わたくしの屋敷のものです。わたくしが許可したなら、問題はありませんわ」


 アンジェリカの問いに答えたのは、エレンシア嬢です。


「そっか。じゃあ、よかったね。今までどおり、二人仲良く暮らしていけるなら、言うことはないよ」


 マスターは、まるで我がことのように嬉しそうに笑います。あれほど『メイドさん』に執着し、そうでなくともリズさんのことをいたく気に入っていたはずなのに、アンジェリカと違って別れを惜しんでさえいないように見えます。


〈いいのですか? マスター〉


 ヒイロが『早口は三億の得スピード・コミュニケーション』でそう聞くと、マスターはさも当然のように返事をしてきました。


〈そりゃ、リズさんもエレンシアさんも魅力的な女の子だし、別れるのはもったいないけどね。でも、ここで暮らすことが彼女たちの幸せなら、ここは涙を呑んで我慢しないとだろ?〉


 そう言われてしまっては返す言葉もありませんが、それでもなお、なぜかヒイロにはマスターの言い分が納得できない気がしてしまうのです。


〈……ひょっとしてヒイロも、リズさんと別れたくないのかな?〉


〈え?〉


 マスターからの、何気ない問いかけ。それは、思いもしない発想でした。ヒイロにとって、この世界において大事なものは、マスターただお一人です。もちろん、マスターにとって有益なものはヒイロにとっても大事なものになりますが、それはあくまでマスターありきのものでした。

 つまり、マスターが望んでいないものをヒイロが望むことなど、あり得るはずがないのです。そんな存在に『ナビゲーター』が務まるはずがないのですから。


〈もし、そうならそうと言ってほしいな。『ヒイロが望む』のなら、無理やりにでも同行してもらうようにするからさ。それこそ、助けてあげた恩返しだとか何とか言ってね〉


 『恩に感じる必要などない』と彼女たちに言ったばかりでありながら、マスターはそんなことを言いだしました。


〈わ、『わたし』は……〉


 この時のヒイロには、自分が『一人称』を口にしているという自覚はありませんでした。そのことは、だいぶ後になってからマスターに教えられたのです。


 それはともかく……ヒイロが返答に窮していると、エレンシア嬢が小さくつぶやくように口にした言葉が聞こえてきました。


「今までどおりの生活……? でも、お父様とお母様は……」


「エレンお嬢様。大丈夫です。旦那様と奥方様なら、わたしがきっと、説得して見せますから。血のつながったご両親ですもの、きっとわかってくださいますわ」


 悲しげな顔でうつむくエレンシア嬢に、リズさんが優しく慰めの言葉をかけてあげています。初めて会った時からそうですが、彼女はどこまでも他人の世話を焼くのが好きなようです。思い返せば、彼女は手のかかるアンジェリカはもちろんのこと、マスターはおろか、ヒイロにまでいろいろと気を回して、面倒を見てくれようとしていました。


 そんな彼女と別れることに、ヒイロは抵抗を感じてしまっているのでしょうか?


 そんな中、リズさんの言葉を聞いたマスターは、小さく息を吐いています。


「血のつながった両親……か。僕もそうなるといいと思うけど……でも、血のつながりなんて、大してあてにならないんだよね……」


 その声には、マスターには珍しく、苦々しげな響きがあるように感じられました。


 それはさておき、アンジェリカの言うとおり、長居をしていては様子を見に来た屋敷の人間に見とがめられる恐れがあります。早く去るに越したことはないでしょう。


 しかし、ヒイロが確認のために生体センサーの探査範囲を広げてみた、その時でした。センサーに生体反応を感知したのです。しかし、その『感触』の不自然さが気になったヒイロは、さらに探知を続け……そして一つの結論に達しました。


〈マスター。残念ながら、マスターのおっしゃる言葉の方が、正解だったのかもしれません〉


 いち早く状況をマスターに伝えるべく、ヒイロは高速思考伝達を行ないました。


〈どういう意味だい?〉


〈……まだ数キロ程度の距離はありますが、武装した集団がこちらに接近してきています〉


〈また、野盗?〉


〈いえ。その可能性も考慮し、ヒイロは探査用の【因子演算式アルカマギカ】、《スパイ・モスキート》をその集団に飛ばして状況を確認したのですが……〉


〈歯切れが悪いね。ヒイロらしくないよ?〉


〈すみません。武装集団の総数は三千人を超えています。いずれも鎧兜に身を包んでいるようですが……一方で具足の音が鳴らないよう、鎧の隙間に布を詰めるなどして夜陰に紛れた進軍を続けています。さらに言えば、彼らの装備品の一部には、この屋敷にあるものと同じ『家紋』が刻まれているようです〉


 ヒイロがそこまで伝えると、マスターは納得したように頷きました。


〈なるほどね。ヴィッセンフリート家の軍隊か。屋敷が『愚者』の群れに襲われた話を受けて、ようやく救助に動いたのかな?〉


〈いいえ。それなら隠密行動の必要はありません。それに、漏れ聞こえた彼らの会話からすれば、攻撃目標は『愚者』ではなく、この屋敷そのものです。……というより、『彼らのお嬢様を殺し、その皮を被って成りすましている化け物』を退治するのだそうです〉


 ヒイロがその情報を伝えた、その瞬間のことでした。……何が、とは言えないのですが、マスターの雰囲気が、がらりと変わったのです。顔からは一切の表情が消え、幽鬼のようにふらふらとした動きで、屋敷の外に向かって歩き出していくマスター。


「な、なんだ? どうした、キョウヤ?」


 マスターの様子がおかしいことに気づいたアンジェリカが声をかけますが、彼は聞く耳を持ちません。やむなくヒイロが、残された彼女たちに事情を説明します。特にエレンシア嬢には残酷な話になってしまいますが、事実である以上、伝えないわけにはいかないでしょう。


「そ、そんな……! 嘘よ! うそ……。どうして? どうしてそこまで……」


「だ、旦那様が? そんなまさか!」


 やはり、主従の少女たちの方はこの事実を受け入れがたいようでした。驚愕に身を震わせて叫んでいます。一方、アンジェリカはと言えば、逆に腑に落ちたような顔で頷きました。


「まあ、そうだろうな。変貌を遂げた娘を屋敷に閉じ込め、隔離したところで人の口には戸が立てられない。ましてや、その屋敷に『愚者』の集団が押し寄せたとあっては、世間的にも隠し通すことは絶望的だろう。ならば、残る手段は一つしかないというわけだ」


 吐き捨てるように言うアンジェリカ。

 娘が化け物になったのではなく、娘は化け物に殺されたのだということにしてしまえば、大貴族としての面目を保つことができるということなのでしょう。血のつながった娘に対する仕打ちとは到底思えません。


 彼女はこんな目にあってもなお両親を愛しているというのに、どうしてその愛は、彼らに届かないのでしょうか?


〈マスター? いったい、どうするおつもりですか?〉


 ふらふらと外に向かって歩き続けるマスターを追いかけながら、ヒイロは問いかけを続けます。すると、しばらくは無言のままだったマスターですが、やがてぼそりと小さく言葉を返してきました。


「×××」


 ただ一言。有無を言わさぬ彼の言葉に、ヒイロは何も言い返せませんでした。

 敵は三千を超える兵力を有しているだとか、敵の中には『法術士』も多数混じっている可能性があるだとか、言うべきことはいくらでもあるはずなのに、それでもヒイロは黙ったまま、彼の背中を見つめ続けるしかありません。


「ヒイロさん! キョウヤさんはどちらに?」


 リズさんがエレンシア嬢を伴って、やってきました。屋敷の扉から外に出ると、あたりには依然として無数の『愚者』たちの死骸が転がっており、『アスタルテ』によって大きく削られた大地もそのままの姿をさらしています。


 マスターはそんな平原を真っ直ぐに進み、そして、適当な場所で立ち止まりました。どうやらその場所で、敵の進軍を待ち受けるつもりのようです。


「ふむ。人間の軍隊と戦うのか。それも面白そうだな」


 アンジェリカは背中の羽根を楽しそうに羽ばたかせ、マスターに声をかけようとしましたが、ヒイロがそれを後ろから引き止めました。


「駄目です。アンジェリカさん」


「なに? どうしてだ?」


「マスターは、一人で戦うつもりのようです」


 ヒイロの言葉に、アンジェリカが目を丸くし、リズさんとエレンシア嬢が息をのむ気配がありました。


「なんだと? 馬鹿なことを言うな。いくらキョウヤでも三千人もの軍隊を相手に、一人で戦えるわけがない。いや、あいつならできてしまう気もするが……だからと言って一人で戦う必要などないだろう」


「そ、そうですよ。ヴィッセンフリート家には、お抱えの『法術士』も多いんです」


「ええ、そうね。……化け物を殺すつもりなら、彼らは絶対に出陣させているはずよ」


 口々に異論を唱える彼女たちは、そう簡単には納得しそうもありません。しかし、ヒイロは、マスターが口にした『決定的な一言』を彼女たちに伝えることで、その反論を完全に封じることになるのでした。


 いわく────『皆殺し』

次回「第38話 惨劇の開幕」

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