第31話 狂える鏡と愚かな黒騎士
マスターの身体の傷は軽いものではありましたが、出血を放置すれば体力の消耗につながる恐れもあります。
「……《フォース・エイド》を展開」
そこでヒイロは、対象の治癒力を高める【因子演算式】を展開しました。照射された光は傷口を素早く癒着し、跡形もなく消していきます。
「サンキュー、ヒイロ。助かったよ。……って、少しぐらい休ませてくれないものかなあ」
マスターは迫りくる黒騎士を牽制するべく、長剣から《レーザー》を連続で放っています。しかし、黒騎士はマスターの手の動きから軌道を読んでいるらしく、本来なら回避不可能な光の速さで迫る攻撃をことごとく防いでしまいました。
「キョウヤ! やはり、手を貸そうか?」
上空から焦ったようにアンジェリカが叫ぶ声がしましたが、マスターは手を振ってそれを断ってしまいます。
「だいじょーぶ! 今のはちょっと、油断しただけだから」
マスターはそう言いますが、特殊スキルが発動しなかったというのは、異常な事態です。同じことが起きないとは限らない以上、原因を突き止める必要があるはずでした。
しかし、ヒイロが『早口は三億の得』でそのことをマスターに伝えると、彼はこともなげに首を振ります。
〈心配ないよ。原因ならわかってる〉
〈え?〉
〈簡単だよ。あいつの攻撃には、殺意が無いんだ〉
〈で、でも、現にマスターは死にかけましたし、あんな攻撃……〉
〈うん。確実に致死攻撃だね。でも、今のあいつは多分、『戦いに没頭』しすぎて、僕を殺すことなんて考えていないんじゃないかな。『殺意』ではなく『戦意』をもって向かってくる相手に対してこのスキルが無効なことは、アンジェリカちゃんの『禁じられた魔の遊戯』の時のことを思い出せばわかるだろう?〉
淀みなくそんな分析を口にしながら、マスターはどこか楽しそうでした。いえ、嬉しくて嬉しくて仕方がない。そんな印象さえあります。そのまま、マスターと黒騎士は互いに凄まじい身体能力を駆使して激しい攻防を続け、焼け野原となった平原を地響きで揺るがすように駆けていきます。
「……まったく、冷や冷やさせてくれるな」
いつの間にか、アンジェリカがヒイロのすぐ隣まで近づいてきていました。
「アンジェリカさん……」
「やっぱり……我慢の限界だ。このまま、こんな戦いが続くようなら……キョウヤが何と言おうが、わたしも戦わせてもらう」
決意に満ちた声で言うアンジェリカ。マスターが傷を負わされた時、ヒイロの集音センサーには、小さく悲鳴を上げたアンジェリカの声も聞こえていました。マスターの意を汲んで手出しを控えているとは言っても、彼のことは心配なのでしょう。
しかし、そんなアンジェリカの堪忍袋の緒が切れるより早く、狂える鏡と愚かなる黒騎士の戦いには、大きな変化が現れていました。
「《ヒート》も《レーザー》も効かないとはね。とんでもなく頑丈な剣だよ。でも、僕の装備だって負けてはいないぜ? なにせ、ヒイロが僕のために作ってくれたものなんだから……《ランス》」
言いながら、マスターは手にした『マルチレンジ・ナイフ』を長槍形態に変化させます。突如として長くなった間合いに、一瞬だけ戸惑いを見せた黒騎士。マスターは、その瞬間を見逃しませんでした。
「《ノイズ》!」
叫んだ言葉は、対象に生理的な不快感を与える『音波』を放つ『攻性モード』を起動させるためのキーワードです。
たった今、この瞬間まで一度も使わずにいた奥の手でした。……いえ、奥の手と言うには単なる制圧用の攻性モードなのですが、ここではそれが劇的な効果を発揮しました。
放たれた音波は、大剣で防ごうと鎧で体を覆おうと、敵の肉体にまで浸透するものです。そのせいか、これまでどんな攻撃でもびくともしなかった黒騎士が、ここで大きく体勢を崩しました。聴覚なども含めて強化された身体機能が仇となり、身体が音波に対して過敏に反応してしまったのかもしれません。
しかし、それでも黒騎士はただでは倒れません。体勢を崩しながらも、間合いが長くなった分だけ手が届きやすくなっていた長槍を掴み、力いっぱい引き寄せたのです。
「その行動も、狙い通りだよ。《ナイフ》」
マスターは慌てず騒がず、長槍を短剣形態に戻します。手にした槍の柄が消失し、勢い余って体勢をさらに崩す黒騎士。マスターはそのまま一気に間合いを詰めていきます。
そして……なぜかナイフを手にした方とは逆側の手で、黒騎士の胸元に全力の掌底を叩き込んだのでした。
「がはっ!」
鎧の胸元をわずかにへこませ、苦痛の声を上げて後方に吹き飛ぶ黒騎士。鎧のせいでくぐもった声ではありましたが、ヒイロはその声に、わずかな違和感を覚えてしまいました。
「秘技『鎧通し』って名前はどうかな? かっこよくない?」
マスターはおどけた口調で言いながら、倒れた黒騎士を見つめています。先ほどの攻防、あの状況であれば《ナイフ》を鎧の隙間に突き入れることもできたはずです。にもかかわらず、あえて素手による攻撃をしかけたのは、どんな意図があってのことなのでしょうか?
──などと疑問を感じた、その時でした。さらなる驚きがヒイロを襲います。
ゆっくりと立ち上がった黒騎士が、手にした大剣を構えつつ、首をかしげるようにしながら言葉を発したのです。
「……あれ? お前、まだ、壊れてない?」
どうやら本当に、この黒騎士には言葉を話すだけの『知性』があったようです。ヒイロが拡声の【式】を通じてアンジェリカにそのこと伝えると、彼女は意外そうにつぶやきます。
「しゃべる『愚者』とはな」
「初めてですか?」
「ああ。だが、どんな個体がいても不思議ではないだろうな。実際、奴らは『愚かな隻眼』こそ共通してはいるが、『禍ツ餓鬼』と『災禍ノ獣』を比べるまでもなく、個体差が激し過ぎるようだ。先ほどの戦いでも、別の種族同士では仲間意識などなさそうだった」
アンジェリカの言葉を聞いて、ヒイロは気付きました。『禍ツ餓鬼』たちが屋敷を攻撃している間、『災禍ノ獣』が動かなかった理由。それは単に、『先を越された』結果、順番待ちをしていたということなのかもしれません。
「お前、頑丈。お前、ニンゲン? お前、不思議。面白い。楽しい!」
「うん。僕も楽しかったかな? まあ、死ぬかと思ったけどね」
「死ぬってなに? 壊れること? 壊れるは、だめ。壊れないおもちゃが好き! ニンゲンは、すぐ壊れる。オウマは、魔法ばかりで退屈。でも、お前……ちゃんと遊べる」
黒騎士は、それまでの沈黙が嘘のように話し続けています。
「あはは。随分とおしゃべりになったものだね。できれば、自己紹介でもしてくれないかい? 僕、名前のわからない相手と話すのって結構ストレスなんだよね。ちなみに、僕の名前は来栖鏡也。キョウヤって呼んでほしいな。……君の名前は?」
「名前? ……えっと、ア……アスタロト?」
「アスタロト? うーん、ちょっと違和感がある気もするけど、異世界の名前は響きだけじゃ判断できないからなあ。なんとなく、君には『アスタルテ』とかって名前の方が似合いそうだけど」
マスターは不思議そうに首をかしげています。
「似合う? なら、そっちでもいい。アスタロト……人が勝手につけた名前。興味ない。名前とか、誰も呼ばないから……必要ないし」
鎧から響く、くぐもった声に感じる違和感。その正体に、ヒイロはようやく気付きます。とはいえ、今はそれどころではありません。言葉どおり、黒騎士アスタロトにはマスターへの殺意はないようですが、だからこそ、こんな『遊び』を続けていてはマスターの身が持ちません。
しかし、そんなヒイロの思いとは裏腹に、マスターはこともなげに笑います。
「僕としては、いくらでも付き合ってあげたいところなんだけどね」
「本当? うれしい!」
マスターの言葉に、黒騎士は嬉しそうに声を弾ませています。
すると、その時でした。それまで何かをこらえるように黙っていたアンジェリカが、唐突に声を張り上げたのです。
「遊びなら、わたしが付き合ってやるぞ!」
「え?」
マスターが驚いて振り返れば、彼のすぐ後ろにアンジェリカが立っています。彼女は、マスターのことを金に輝く瞳で睨みつけました。……って、どうしてマスターを睨むのでしょう。ここはマスターを傷つけた『アスタロト』を睨むべき場面ではないでしょうか。
「え? じゃなーい! ……いい加減、わたしだって我慢の限界なんだから!」
「ちょ、ちょっと、アンジェリカちゃん?」
アンジェリカのあまりの剣幕に、目を丸くするマスター。
「さっきから、何なのよー! キョウヤばっかり、楽しそうに暴れちゃってさ! わたしは雑魚の相手で、自分は一番強い奴といつまでも遊んでるだなんて、ずるいじゃない!」
「……えっと、その、別にそういうわけじゃ……」
背中の羽根を激しくパタパタと動かし、子供のように叫び続けるアンジェリカ。さすがのマスターもあっけにとられてしまったようです。
「そういうわけじゃない? 何言ってるの? すっごく楽しそうだったじゃない! もー! つまんないつまんないつまんないー!」
そうしてひとしきり叫んだ後、アンジェリカはゆっくりと『アスタロト』の方に向き直りました。まだ日は沈みきらないというのに、彼女の頭上に輝く《クイーン・インフェルノ》の真紅の球体は、狂おしいほどの熱をため込んでいるようです。
「……というわけで、わたしとも『遊んで』くれるよね?」
どうやら彼女、ここで特殊スキル『禁じられた魔の遊戯』を使うつもりのようです。
ところが、『アスタロト』の反応はと言えば……
「……駄目。つまらない」
手にした大剣を肩に担ぎ、小さく首を振ります。
「なんでよ! いいじゃない!」
「魔法は駄目。つまらない」
そう言ってアスタロトが指差した先には、アンジェリカの頭上に浮かぶ真紅の光球がありました。
「え? もしかして、これが怖いの? でも、大丈夫! わたしの『遊び』は死なないで済むようにできてるもん!」
「魔法を壊すには、鎧が邪魔」
「鎧? いいでしょ、そんなもの脱げばいいじゃない!」
「でも、鎧がないと……キョウヤも、『壊れやすく』なるかもしれない。この鎧見つけて、着てから、遊び、楽しくなった。少しだけ、みんな、壊れにくくなった」
意味の分からないことを言う黒騎士。鎧自体は取り立てて何の特徴もない金属でできたもののようですが、いったい何が問題なのでしょうか。
「だったら、後から鎧を着直せばいいでしょ! ね? いいから、遊びましょ?」
「駄目。……それに、もう夕方。アスタルテは帰る」
どうやらこの黒騎士、自分の呼び名をマスターに言われた『アスタルテ』にしてしまっているようです。
「そ、そんなこと言わないでさー! 遊ぼうよー!」
「夜更かしは、だめ。だから、帰る」
「いじわる! キョウヤとは遊べて、わたしとは遊べないって言うの?」
「アスタルテと遊ぶと、みんな、すぐ壊れる。お前は、アスタルテがさわっても壊れない? だったら……またあとで遊ぼう」
「あとでじゃなくて、今にしようよー!」
……なんでしょう、これは? 先ほどまで緊迫した命のやり取りが行われていたはずなのに、気付けば遊びをねだる子供とそれを断る子供の微笑ましい(?)やり取りが始まってしまいました。
「………………」
そんな二人のやりとりを見つめていたマスターは、やがて小さくヒイロに声をかけてきてくれました。
「なんかあの二人、友達同士みたいで可愛いよね」
「この期に及んで、それが感想ですか?」
アンジェリカはともかく、つい先ほど自分と死闘を演じたばかりの黒騎士のことを『可愛い』と言い切ってしまうマスターには、ほかに返す言葉もないヒイロです。
やがて、アンジェリカとの問答にしびれを切らした『アスタルテ』は、その爆発的な身体能力を駆使して、猛烈な勢いでその場を離脱していったのでした。
第32話 お嬢様の真実