第26話 果実の価値は
どうやらデリアと呼ばれた女性は、自分が持つスキルを駆使し、その有用性をもって、この集団内でも高い地位を得ているようです。
○デリアの通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『生存競争力強化』※ランクD
活動能力スキル(感覚強化型)。常に発動。自己に迫る危険を察知したり、他人の弱みを嗅ぎつけたりする感覚を強化する。
ランクD……ヒイロによる【因子】の注入がないことを考慮すれば、それなりに優れた能力です。だというのに、こんな場面であっさりとそんなスキルに出会ってしまうとは、やはりこの世界は他とは異なるのかもしれません。
「……へえ、そんなスキルもあるんだ?」
ヒイロが伝えた情報を聞いて、マスターは面白そうに笑いました。
「《エレクトリカル・バリア》を展開。《アンチショック・フィールド》を展開」
ヒイロはリズさんを護るため、生体用電磁バリアと衝撃吸収・侵入妨害の力場を彼女の周囲に発生させます。
「姐さん! せっかく三人もいるんだ。奴隷商人に売り払っちまう前に、一人や二人、『味見』してもいいだろ?」
「あはは! 好きにしな! ……いや、その紅い髪の子は手を付けちゃだめだ。どうも、金儲けの匂いはその子からするからね!」
「了解!」
周囲に集まった男たちは、全部で二十人ほど。ただ、これだけの騒ぎが起きれば、いくら人気のない道とは言え、誰かが気付きそうなものなのですが……。
「言っとくけど、助けを求めても無駄だぜ。俺たちは姐さんの『嗅覚』のおかげで、未だにこの街の官憲に目を付けられてないんだ」
げらげらと笑う盗賊たち。『綱のない犬』などと名乗っていましたが、恐らくそれが盗賊団の名前なのでしょう。
「あたしたちは、この『嗅覚』を使って、脛に傷持つ連中を中心に狙うことにしててね。おかげで自分から官憲に通報した奴も皆無ってわけさ」
誇らしげに胸を張るデリア。実際、彼女の豊かな胸は、動きに合わせてゆさゆさと揺れ動いていました。
「……つまらん。このチンピラどもからは、まったく『熱』を感じない。まだ、前の野盗どもの方がましだったぞ。……キョウヤ。何ならこいつら、全員お前がやったらどうだ? 人数が多い方が、前に言っていた『例のスキル』にも役に立つんだろう?」
アンジェリカは盗賊たちを軽く見渡しただけで、彼らに対する興味を失ったようです。
一方、それまで黙って事の成り行きを見守っていたマスターは、アンジェリカの言葉を受けて、ゆっくりと脇の鞘から『マルチレンジ・ナイフ』を引き抜きました。
「え? うーん、仕方ないか。あんまり気乗りしないんだけどなあ……」
無感情な声で言うマスター。しかし、盗賊たちは気付かないのでしょうか? たった今、目の前にいる存在が、どれだけ危険で異常なモノなのかということに。
「おやおや、お兄さん。女の子たちを守るため、単身あたしたちとやろうってのかい? やめておきなよ。奴隷商人に売るなんてのは冗談さ。そこまでやったら、足がつくからね。せいぜい、部下たちの『お相手』をしてもらうくらいさ。……こいつらの下半身は、たまに発散させてやらないと、あたしにも害が及びかねないからねえ」
デリアは笑いながら油断なく後方に下がり、武装した他の男たちの間に隠れました。
「ははは! そりゃ、ひでえ。俺たちゃ、姐さんにだけは、同意なしに手出ししねえって決めてんですぜ? こうやって、たまにご褒美がもらえりゃ十分でさあ!」
「そうだ、そうだ! 俺たちゃ紳士で名を売ってんだ。街泥棒ってのは、野盗みたいに野蛮な連中とは違うんだからな」
これで紳士とは馬鹿馬鹿しい限りですが、どうやら彼らは街中での強盗を行うのに、相手を選び、手段を選び、程度を制限することで、官憲の目を逃れているようでした。
……ですが、今回ばかりはデリアの『嗅覚』とやらも鈍っているようです。
いえ、『狂わされている』というべきでしょうか?
下品な言葉を吐き続ける男たちに、アンジェリカはおろかヒイロやリズさんも不快感を隠せない中、ちらりとマスターの様子を窺えば、彼はいたって普通の顔で笑っています。
「ああ、そうだ。考えてみれば、ちょうど良かったかもしれないな。まさにこれこそ、『渡りに船』だよ」
何かを思い出したように、脈絡もない言葉をつぶやくマスター。
「前から疑問に思ってたんだけど……『死んだ方がまし』って言葉があるじゃん? 僕にしてみれば、死んだこともない奴がよく言うよって感じの台詞なんだけど……本当に『死んだことがある奴』が言うのなら、説得力も違うのかな?」
「な、なに言ってんだ、こいつ?」
マスターの不穏当な発言に、不思議そうに顔を見合わせる盗賊たち。
しかし、当のマスターは彼らの反応など気に掛ける風もなく、手にしたナイフを長剣サイズの武器へと変化させました。
「形が変わった? な、なんだ? 『法術器』の武具か? くそ! 油断するな!」
「ちっ! 正気かコイツ? この人数差で戦おうなんざ……イカれてやがる」
マスターが武器を手にした時点で、すでに状況は開始しています。だというのに、彼らの態度はあまりにも悠長でした。自分たちが負けるはずがない。この人数差で攻撃してくるはずがない。そうした勝手な思い込みをすること自体、彼らがこれまでどっぷりと浸かってきた『ぬるま湯』を象徴しているようでした。
「この疑問の答え……君たちが身をもって教えてくれないかい?……《レーザー》」
マスターは言いながら、手にした『長剣』から不可視の光線を放ちました。するとレーザーは一人の盗賊の身体を焼き貫き、同時に着弾箇所に生じた高熱によって衣服が発火。見る間にその盗賊を黒焦げにしてしまいます。
「うわあ! 何だ?」
たちまち混乱する盗賊たち。マスターは彼らの中に飛び込むように駆け出しました。
「というわけだから、きりきり死んでね。……《ヒート》」
「く、くそ!」
現在のマスターの身体能力は、『空気を読む肉体』の効果により、盗賊たちよりは十分高くなっています。
しかし、次に生じた現象は、それだけでは説明のできないものでした。マスターの剣を自分の剣で防ごうとした盗賊が、手にした剣ごと一刀両断にされてしまったのです。
彼が落とした剣を見れば、切断面が溶解したように歪んでいます。
《ヒート》──『マルチレンジ・ナイフ』を《ソード》形態にした場合に使用可能な『攻性モード』の1つであり、刀身に高熱を帯びることで対象を焼き切るものです。当然、盗賊たちにそれが理解できるはずもありません。
「嘘だろ! 剣ごと斬りやがった!」
「ば、ばけもの!」
我先に逃走を始める盗賊たちでしたが、マスターは容赦しません。
「逃げてどうするの? 君らにとっても、貴重な体験ができるチャンスなんだぜ?……《スタン》」
「ぐぎゃああ!」
盗賊たちめがけて、マスターの剣先から対人制圧用の電撃がほとばしり、彼らを一斉に無力化させていきます。
「ちくしょう! こうなったら!」
逃げられないと悟った数人の盗賊たちは、アンジェリカとヒイロたちを人質に取ろうとしました。
「汚い手で触るな」
アンジェリカは肩を掴んできた男の手を握り潰し、そのまま恐ろしい勢いで近くの壁に叩きつけてしまいました。
「む? ああ、力加減を間違えた。うっかり殺してしまったな」
キョウヤにやらせるはずだったのに、と別の意味で殺人を悔やむアンジェリカ。
「ぎああああ!」
一方、こちらに迫った盗賊はもちろん、ヒイロの設定した電磁バリアにぶつかって、感電しながら倒れていきます。致死性のものではないはずですが、心臓の弱い者なら死ぬこともあり得なくはありません。とはいえ、仮にそうなったとしても、マスターのスキルの糧にできなくなるのが少し残念な程度です。
「あ、あ……」
一方的な蹂躙劇を前に、ヒイロの隣に立つリズさんの身体は、少しだけ震えています。しかし、それでもマスターたちを信頼してくれているのか──以前ほど怖がっている様子はありませんでした。
「な、ななな! なんなのよ、アンタ! 化け物! 魔法使いだったなんて……うそ! あたしの『嗅覚』は、危険な相手だって嗅ぎ分けられるはずなのに……」
目の前の光景を信じられず、支離滅裂に叫ぶデリア。既に彼女はマスターが放った制圧用の《スタン》の余波を浴び、腰を抜かして動けなくなっています。
さらに数人の盗賊たちが破れかぶれにマスターへと斬りかかりましたが、『世界で一番醜い貴方』によって背後から自分の斬撃を受け、絶命しました。
「まったく、せっかく僕が『ウィン・ウィンの関係』を提示してあげてるのに、手間を掛けさせてくれちゃってさ。……でもまあ、残るは気絶してる連中だけかな?」
マスターは軽い足取りで、倒れたままの盗賊たちに近づいていきます。
「ま、まさか……みんな殺す気? ……ね、ねえ! ちょっと嘘でしょう!? あたしたちの負けよ! こ、降参するわ! な、何もそこまでしなくても!」
唯一、意識のあるデリアがそんな声を上げていますが、マスターはまったく意にも介さず、痙攣したまま目覚めない盗賊の一人を見下ろし、剣を逆さまに持ち替えます。
「……ヒ、ヒイロさん」
「リズさん。怖ければ、見ない方がいいです。戦いの決着なんて、こんなものですからね」
こんなものでフォローになるかはわかりませんが、一応の言葉をリズさんに伝えたヒイロは、同時にマスターのスキルを確認していました。
『世界で一番綺麗な私』による新しい特殊スキル習得までのポイント数は、前回の習得直後からだと150ポイントあったはずですが、マスターが十四人ほどを殺害した時点で、残り14ポイントとなりました。
やはり、野盗たちの時と同じく、1人平均10ポイント前後なのかもしれません。
「うん。まあ、こんなものかな。……《ナイフ》」
マスターは気絶した盗賊全員にとどめを刺した後、『マルチレンジ・ナイフ』を短剣サイズに戻すと、動けないデリアへとゆっくりと近づいていきます。
「ちょ、待って! まさか……あ、あたしは女よ! お、女を殺す気なの! ほら! あんたの女だって護れたんだし、もう十分でしょう!」
痺れたままの身体を必死に動かし、マスターから距離を取ろうとするデリア。
「じゃあ、覚悟はいいかい?」
「ひ、ひいっ! そ、そうだ! ほら、あたしを助けてくれたら、何でもするわよ? こ、こう見えても、男を悦ばせるのは自信があるの!」
言いながらデリアは、自分の胸を大きくはだけて、誘うように身をくねらせます。色目を使ってマスターを見上げ、甘い吐息を吐くような仕草を見せました。
「……同性から見れば気持ち悪い限りだが、キョウヤの奴、骨抜きにされなければいいがな」
不愉快げに言葉を吐き捨てるアンジェリカ。こればかりは、ヒイロも同意見でした。これまでもリズさんの大きな胸に、随分と興味津々だったマスターです。
実際のところ、デリアという女性は胸も大きく、褐色の肌も性的な魅力という意味では十分な色艶があり、全体的に見ても美女の分類には入るでしょう。
が、しかし──
「僕って実は『無抵抗な女性を殺す』とか、すごく抵抗を感じる方なんだよね。そういう場面が出てくる小説とか読んでても、その時点で読むのをやめて破り捨てちゃうくらいだし」
「う、うあ……ひ、ひい!」
言葉とすれば安心できるはずのものなのに、彼女は酷く怯えた声を上げています。ここからでは見えませんが、マスターは恐らく、あの黒々とした鏡のような瞳を彼女に向けているのでしょう。
「……でもさ。それって実感の湧かない創作物だから、殺される人を可哀想だと想像しちゃうだけで……現実に目の前にしてみると、結局は『相手』によるのかもしれないね」
「え? な、何を言って? ちょ、ちょっと、お願い! ほんとに待って! 何でもするから! ほらほら! あたしの胸は柔らかいわよ?」
しきりに胸を強調するあたり、彼女は普段から胸を『女の武器』として使っているのかもしれません。しかし、意外なことにその武器は、今回に関して言えば全くの無意味でした。
「駄目だね。リズさんの『それ』がたわわに実ったメロンだとすれば、君のそれは、腐ったドリアンほどの価値もない」
マスターはナイフを振り上げ、そして……
「安心しなよ。痛くなんてしないから。……どころか、『君が君でなくなる』くらいには、気持ちいいかもしれないぜ?」
何のためらいもなく、振り下ろしたのでした。
次回「第27話 人生の間違い探し」