第25話 錬金術
ヒイロたちがまず取り掛かったのは、この世界で高値で取引されている鉱物を調べることでした。リズさんには宿の手配をしていただき、部屋で待っていてもらう手はずを整えると、早速マスターとヒイロ、そしてアンジェリカの三人は街中へと足を延ばしました。
「やっぱり、二人が可愛いからかな。街の人たちがものすごく注目してくるよ」
上機嫌に通りを歩きながら、マスターが不意打ち気味にそんなことを言い出しました。
「ふ、ふふん! まあ、本来なら不躾な視線など鬱陶しい限りだが、わたしの美貌に見惚れるなと言う方が無理があるか」
そんな賛辞は当然だとばかりに胸を張るアンジェリカでしたが、照れたような頬の赤みが隠せていません。確かに、銀の刺繍が散りばめられた黒のドレスを身に纏い、絹糸のような黄金の髪を後頭部から左右に垂らした彼女の美しさには、誰もが目を奪われて当然かもしれません。
「あ、ヒイロ。あそこがどうも宝石店みたいだよ」
マスターにグイッと腕を掴まれたヒイロは、彼の指差す方に目を向けました。
「ああ、本当ですね。それでは、行ってみましょうか?」
「うん。錬金術、楽しみだなあ」
言いながら、掴んだその手を離すことなく歩き出すマスター。
すると、周囲から街の人々の話し声が聞こえてきました。
「くっそう……なんだよ、あの男。あんなに可愛い女の子を二人も侍らせやがって……挙句、宝石店で買い物かよ」
「くう……あの紅い髪の子。めちゃくちゃ可愛い。異国の衣装なのか? 脚も綺麗だし、胸の形まで……羨ましすぎる。どうせ夜もお楽しみなんだろうなあ……」
「……はう」
……ヒイロは思わず、集音センサーの感度を下げてしまいました。
「どうしたの、ヒイロ?」
「いえ……何でもありません」
マスターは男性で、ヒイロは女性の姿をしている以上、周囲からそういう目で見られることは当然なのかもしれません。しかし、そのことに、なぜかヒイロは恥ずかしさを覚えてしまっていたのでした。
──それから、ヒイロは様々な宝石を解析するとともに、それぞれの値段を確認しました。実際、ヒイロから見て、売られていた宝石は珍しいものではありません。アメジストやオパール、エメラルドに加え、金や銀など、どこの世界でもありふれた鉱物が大半を占めています。加工技術が未発達なこともあり、見栄えが良いものもあまり多くはありません。
ただ、この世界で特に価値が高いのは、ルビーやサファイアのように鮮やかな色が付いたコランダム系の鉱物のようでした。店の主人に理由を聞いた限りでは、これらの鉱石のうち、特にルビーに関しては、対魔法銀と呼ばれる魔法に強い耐性をもった特殊な金属を造るのに欠かせない材料でもあるのだそうです。
「本当なら対魔法銀自体を精製できれば良いのでしょうが、聞いた話では『女神』の魔法による《祝福》が必要らしいので、今は無理ですね」
宿に戻ったヒイロたちは、テーブルの上に転がる無数のルビーやサファイアを見つめながら、今後の方針を語りあっていました。
「……でも、すごいです! 本当に何もないところから紅玉を生み出してしまうなんて……」
宿に入ってから着替えを済ませたリズさんは、メイド服のスカートを強くつかむようにして声を震わせていました。
「はっはっは。さすがはヒイロ。これで僕らは億万長者、間違いなしだ」
マスターは満足げに笑いながら、右手に持った『見えない札束』で自分を扇ぐ仕草をしています。
「しかし、あまり大量に売り払ったりしては、不審に思われてしまうかもしれませんよ」
「うん。まあ、欲の皮を張るのは良くないだろうね。当面の路銀を確保すればいいんだから、今ここにある分をいくつか売ってみて、後は足りなくなったらその都度、新しい街で売るようにしようか」
ヒイロの忠告に素直に頷き、マスターは至極合理的な結論を出してくれました。ですが、一方、アンジェリカは不満げな顔をしています。
「でも、一気に売れば、その分たくさんお金も手に入るのだろう? わたしとしては、もう少し上等な食事の食べられる宿が嬉しいのだが……」
などと言いながらも、彼女はリズさんの給仕を受けて、早速宿の食事に口をつけています。パンとチーズを交互に掴み、時折スプーンで大豆の煮物に手を付けていく彼女は、時折リズさんに口を拭いてもらったり、飲み物を差し出してもらったりと、まさに『お嬢様の食事』を続けていました。
「……リズさんってほんとに、世話焼き上手だよね」
マスターは、楽しげな顔でアンジェリカとリズさんの姿を見つめています。
「むがむが。うん。おいしい! ん? なんだ、キョウヤ。これはわたしの肉だ。絶対にやらんぞ?」
「……あはは。大丈夫。アンジェリカちゃんは育ち盛りなんだから、しっかり食べてよ」
「そうか? では、遠慮なく」
ひょいと伸ばされる少女の手には、一切れの肉。
「あ! それ、僕の肉!」
慌ててマスターが手を伸ばすも、時すでに遅し。アンジェリカは自分の口においしそうにその肉を放り込みました。
「ふふん。お前が言ったのだろう? しっかり食べろと」
勝ち誇ったような顔で笑うアンジェリカ。
しかし、次の瞬間──
「こら! 駄目じゃないですか!」
「ひゃん! ごめんなさい!」
突然響いた鋭い叱責の声に、アンジェリカが怯えたように首をすくめました。
「人のお皿に手を伸ばして食べてしまうだなんて、はしたない真似はおやめください! あんまりお行儀が悪いと、お嫁の貰い手だって、なくなっちゃうんですからね!」
一方、声の主──リズさんは自分の腰に両手を当てたまま、アンジェリカのことをしっかりと睨みつけていて……。
「……え? あ、あ……す、すみません! 申し訳ございません!」
途中で我に返り、大慌てで謝罪の言葉を繰り返しました。
「つ、つい、お嬢様と一緒のときのように……。と、とんだご無礼を!」
驚いて固まるマスターとヒイロの目の前で、リズさんは必死にアンジェリカに頭を下げ続けています。しかし、当のアンジェリカはと言えば、呆然とリズさんを見つめていました。
そして、躊躇いがちに口を開くアンジェリカ。
彼女の頬は、わずかに赤くなっているようでした。
「……リ、リズ」
「は、はい! 申し訳ありません。わたしはどんな処罰でも受けますので、どうか、どうか、お嬢様のことは!」
「お、落ち着いてくれ、リズ」
「は、はい! 落ち着いています! 何と申し開きをすればいいか……」
まったく落ち着いていないリズさんでした。アンジェリカはそれを見て、大きくため息をつくと、ゆっくりと立ち上がります。そして、そのまま頭を下げ続ける彼女の肩を両手でつかみました。
「え?」
「ほら、顔を上げろ。確かに『ニルヴァーナ』は、傲慢な種族だよ。でも、自分を大切にしてくれる相手のことは、同じように大切にする。ましてや、自分のためを思って相手がしてくれたことに対し、身勝手な怒りを覚えるほど恥知らずな一族ではない」
「……アンジェリカさん」
「この二日間、お前が色々と世話を焼いてくれていたことに、わたしが何も感じていないとでも思っているのか? そんなわけがないだろう。感謝してるし、嬉しく思っていたさ。その……お礼とか言うのって……わたしは慣れてないから、中々言い出せなかったけど……」
頬を赤くしたまま、アンジェリカは恥ずかしそうに言い淀んでいます。一方、そんな彼女を正面から見つめるリズさんは、驚きに目を丸くしていました。
「そ、その……あ、ありがと……」
「い、いえ……どういたしまして」
お互いに照れながら、言葉を交わし合う二人。ふと気づくと、マスターがヒイロの制服の袖をぐいぐいと引っ張ってきました。
「マスター?」
「どうしよう、ヒイロ。あの光景、写真とかに撮れないかな? 永久保存版で取っておきたいくらい可愛いんだけど……」
……感動のシーンも台無しです。
「盗撮は犯罪ですよ」
にべもなく言葉を返すヒイロ。
「そんな……く! こんなところにまで、表現の自由を侵害する悪法の魔手が迫っていようとは……」
何が表現の自由なのか意味不明ですが、マスターは両手で四角を作っては、二人の姿を『構図』に収めて満足することにしたようでした。
──そして、翌日。
生成したルビーやサファイアなどの宝石類を売るため、先日出向いたのとは別の店へと向かったヒイロたちでしたが、事件はその店からの帰り道で起こりました。
そもそも前回、目立つ姿で道を歩いていたのが不味かったのでしょう。そのお店には、ヒイロたちが先日、宝石店の商品を眺めるだけで帰ったことを知る人物がいたのです。
「盗品を売っただと? ふざけたことを抜かすな!」
思いもよらない言いがかりを受けて、アンジェリカが声を荒げます。
「ほら、大声を出すと官憲が来るわよ?」
店の中からヒイロたちの尾行を続け、宿の近くの人気のない道に入ってから声をかけてきたのは、三人組の男女です。現在話しかけてきているのは、その中でも唯一の女性であり、豊かな胸元を大きく覗かせる服を着た美女でした。
「ぬぐ……」
「アンジェリカさん。ここは抑えましょう」
リズさんになだめられ、アンジェリカは悔しげに口をつぐみます。実際、宝石の入手方法を問い詰められれば、答えを返せないのです。騒ぎを起こされるのは、こちらとしても問題でした。
「やっぱりね。公にできない事情があるわけだ。いくらなんでも行動が不自然だって思ったのよねえ」
獲物を前にして舌なめずりするかのように、妖艶な笑みを浮かべる女性。彼女が軽く合図をした次の瞬間、周囲の建物の影から次々に武装した男たちが姿を現したのです。
「やっぱりビンゴってか? さすがは、デリアの姐さんの『嗅覚』だぜ」
「金もいいけど、女も大した上玉ばかりじゃないか。こりゃあ、楽しめそうだ!」
「けけけ! 俺たち『綱のない犬』も、姐さんの能力あってのもんだよなあ」
「世辞はいらないよ! それより、絶対に逃がすんじゃないよ。あたしの『嗅覚』は、こいつらから漂う『金儲け』のにおいをビンビンに感じてるんだからね」
亜麻色の髪を腰まで伸ばした彼女──デリアは何かの香りを嗅ぐような仕草をしながら、周囲の男たちに指示を出しています。
〈マスター、どうやらごまかしは通じないようです。戦闘の準備を。ヒイロはリズさんを護りますから〉
ヒイロは『早口は三億の得』で、マスターに注意を促します。
〈でも、なんでここまで怪しまれたんだろ?〉
〈はい……どうやら、彼女のスキルのせいですね〉
この世界には、こうした一般人の中にも、【因子干渉】なしでスキルを発現させている者が多いのでしょうか?
次回「第26話 果実の価値は」