第24話 四番目の魔法使い
愚者。
それは『王魔』『女神』『法学』に次ぐ、この世界における四番目の『魔法使い』
この世界には、先ほどの『禍ツ鳥』に限らず、様々な姿をした『愚者』が存在しているそうです。しかし、それらすべてに共通して言えるのは、身体のどこかに真紅の瞳──通称『愚かなる隻眼』を持っているということでした。
「あれが結構厄介でな。発動した魔法を減衰する光を放つ力がある。……一体一体は大したこともないが、数が集まると今回のように『王魔』の魔法でさえ阻害することがあるようだ」
「なるほど……それも興味深い話ですね」
未だ原理の解明できない魔法ですが、阻害する方法があるというのなら、観測し、解析してみる価値はあるかもしれません。
「やめておけ。奴らに近づくことは、百害あって一利なしだ。基本的に、奴らには言葉も通じないし、その目的もよくわからん。大人しい時もあるが、先ほどのように問答無用で襲いかかってくることもある。相手が『王魔』だろうとお構いなしにな」
吐き捨てるように言うアンジェリカ。あの禍々しい外見を想えば無理はありませんが、『愚者』は、この世界では相当忌み嫌われている存在のようです。
「で? 世界の敵って結局、どういう意味なんだい?」
マスターがナイフを鞘に収めつつ、アンジェリカに尋ねます。
「ん? いや、その言い方は人間たちの間のものだからな。わたしにもよくわからん」
相変わらず彼女は、『王魔』以外のことにはあまり詳しくないようです。すると、そこでリズさんが口を挟んできました。
「そうですね。……以前、屋敷に来た『女神の教会』の神官の説法で聞いたことがあるんです。『愚者』とは、『女神』に逆らい、秩序ある世界に仇をなす者なのだそうです。彼らが強い魔法の力を持っている人間を狙う傾向が強いのも、『女神』に選ばれた魔法使いである『アカシャの使徒』を狙ってのことだという話ですが……」
リズさんも伝聞程度にしか知らないらしく、『愚者』の正体についての詳細となると少し不安があるようでした。
「うーん。確かに言われてみれば、リズさんやヒイロの方には、あいつらもほとんど行かなかったみたいだね」
しかし、裏を返せば、彼らはリズさんやヒイロには目もくれず、アンジェリカとマスターの『二人』に襲いかかっていたということになります。果たして『愚者』は本当に、単に『強い魔力を持つ者』だけを狙っているのでしょうか?
「……わ、わたしは、エレンお嬢様の『呪い』だって、『愚者』の仕業じゃないかって思っているんです」
胸元の衣服をギュッと押さえ、小さく身体を震わせてうめくリズさん。今頃になって『禍ツ鳥』の恐怖がよみがえってきたのか、鳥の死骸が散乱する方向から目を逸らしているようです。
「…………」
そんな彼女の姿に、マスターは静かに視線を向けていました。何か言いたいことがありそうな様子でしたが、結局は黙ったまま、意味深な笑みを浮かべるばかりです。
代わりに口を開いたのは、アンジェリカでした。
「そうだ。わたしとしては、その点を確認しておきたいな。『呪い』とは言うが、そのお嬢様とやらは、実際にはどんな状態なんだ?」
その問いに、リズさんは表情を暗くしたまま頷きを返します。
「はい。……最初のうちはただ、お嬢様がお身体の具合を悪くされることが多くなっていただけでした。でも、そのうちにおかしなことが起こったんです」
「おかしなこと?」
「いつの間にか、お嬢様の周囲に異常な植物が目立つようになってきて……」
「異常な植物? それが呪いだと?」
「ただの植物じゃありません。今ではお嬢様が御籠りになっている部屋全体に、自力で動く茨のようなものが生えていて……近づこうとする者を攻撃してくるんです」
「……ちなみに、その植物とやらには『愚かな隻眼』は付いていないのか?」
「確認はできません。植物の『愚者』なんて聞いたこともありませんし……」
「植物……まさかとは思うが……しかし、話を聞いただけでは、断定はできないか……」
考えを整理するように首を振るアンジェリカ。するとここで、マスターが代わりに口を開きました。
「でも、誰も近づけないんじゃ、お嬢様の世話は誰がしてるんですか?」
「誰も近づけないわけじゃないんです。わたしと、あと何人かの使用人は近づけるのですが……」
「親しい人しか近づけないってこと?」
「そ、それは……。い、いえ、よくわからないんです……」
マスターの質問に対し、リズさんはためらうように何かを言いかけたものの、結局は小さく首を振ってうつむいてしまいます。
「でも、たかが植物なら、斬っちゃえばいいんじゃないですか?」
「それも駄目でした。いくら切ってもすぐに再生するんです。それに、生半可に攻撃を仕掛けると凄い反撃を受けてしまって……騎士たちが何人か重傷を負わされてしまいました」
『呪い』と言うにしても、不可解な話です。この世界の文明レベルを考えれば、不可解な現象を指して『呪い』という言い方をするのはわかりますが、あのハイラム老に解決できる類の問題とも思えません。
「それじゃ、お嬢様本人はどうしてるんです?」
「……閉じこもってしまっていて、よくわからないんです。わたしが食事を持って行った時も、天蓋とカーテンに覆われたベッドから出てこようとはしませんでしたし……『呪い』に侵された自分の姿を他人に見せたくないのかもしれません。うう……お嬢様の身体に、どんな恐ろしいことが起きているのでしょう? ……ああ、お嬢様!」
栗色の髪を激しく振り乱し、ついには泣き崩れてしまうリズさん。マスターが慰めるように彼女の背中をさすってあげています。
今の話を整理すると、『呪われた状態』になって以降、彼女の姿を見たものはおらず、ベッドのカーテン越しに会話をしているだけということになりそうです。植物の異常行動については良く分かりませんが、ヒイロが廻った異世界では、自分から動きまわって獲物を捕食するタイプの植物も少なからず目撃したことがあります。
そもそも、それを『植物』と呼ぶべきなのかという問題はありますが、植物が何らかの意思を持っているかのような今の話を聞く限り、どうもそれとも違うようです。
それはさておき──
「マスター。できればリズさんが落ち着き次第、すぐに出発しましょう。ここにいては、いつまた『愚者』たちが襲いかかってこないとも限りません」
「うん。そうだね。……リズさん。大丈夫ですか?」
「は、はい。取り乱してしまって申し訳ありませんでした」
涙をハンカチで拭きながら、リズさんは呼吸を整えて謝罪の言葉を口にします。
「いえいえ、無理はしなくていいですから、少し休んでから出発しますか?」
「いえ、大丈夫です。……あの、キョウヤさん?」
「はい、なんでしょう?」
さわやかに、そしてぬけぬけと、笑顔を浮かべて問い返すマスター。
「も、もう大丈夫ですから……」
肩に回された手を気にするように、もじもじと身体を動かすリズさん。若干頬を赤くしながら、戸惑い気味の目をマスターに向けています。
「え? ああ、そうですね。よかったよかった」
マスターは今気付いたと言いたげな態度で、リズさんの身体から手を離しました。
「……ヒイロ。あの男、女と見れば見境なしなのか?」
乾いた声音でつぶやいたアンジェリカが、マスターを白い目で見ています。
「否定できないのが、残念なところです」
慣れるしかないのかもしれませんが、女性と見れば誰に対してもセクハラ行為に走るような人がマスターだと思うと、少し悲しくなってきてしまいます。
……などと考えていたヒイロでしたが、この翌日、『誰に対しても』の部分については、それがまったくの思い違いであることを思い知らされるのでした。
──上空を飛ぶことで、通常なら馬などを使っても五日はかかる道のりをわずか半日程度で踏破したヒイロたちは、夕焼けに染まる街並みを眺めながら通りを歩いていました。
「スロウズって言ったっけ? この町の名前。前にいた町は随分とレンガ造りの建物が多かったけど、こっちはどっちかと言えば木造建築と土壁塗装って感じだね。あんまり離れていない割には、なんでこんなに違うんだろう?」
マスターは、歩きながら思いついたように疑問を口にしました。すると、ここまで逆の行程で《転移の扉》経由の旅を続けてきたリズさんが、その疑問に答えてくれました。
「この国では本来、こういう木造の建物の方が一般的だと思います。あの町は、この国では珍しく武器工房などが多いところでしたから……炉や窯などがあることも考えると、燃えにくいレンガを多く使っていたのかもしれませんね」
「なるほど……。教えてくれて、ありがとう。リズさん」
「いえ、そんなお礼を言われるほどのことでは……」
丁寧に礼の言葉を口にするマスターに、リズさんは恐縮するように首を振りました。しかし、その後、彼女は少しためらいがちに言葉を続けます。
「その、実は路銀のことなのですが……今晩の宿を確保する分はともかく、その先の分が心許なくなってきてしまっていて……」
「そうですか。どうにかして金銭を獲得できればいいのですが、この街の様子から察するに、労働者として我々を雇ってくれるような場所は、なかなか無いかもしれません」
それほど発展しているようにも見えない街並みを見て、ヒイロはそう結論付けました。このスロウズの町は、余所者がふらりと流れてきて職にありつくには、少し活気が足りないように思えます。
「すみません。何かツテでもあればいいのですが、このあたりの街は、ほとんど素通りしてしまっていて……」
申し訳なさそうに言うリズさん。するとここでマスターが、
「あれ? こういう時は『冒険者ギルド』に登録して、依頼を受注して報酬をもらうのがセオリーじゃないの?」
などと口を挟んできました。
「ぼ、冒険者ギルドですか? なんでしょう、それは?」
首を傾げるリズさん。
「え? ……ないの? 冒険者ギルド……」
愕然とした目でリズさんを見つめるマスター。
「はい。たぶん……」
「そ、そんな……まさか……僕、Sランク冒険者になるのが夢だったのに!」
マスターは意味の分からないことを言って、リズさんとアンジェリカを困惑させていました。ヒイロには『元ネタ』が元の世界の小説や漫画だと理解できますが、それにしても、何もここまでがっかりしなくても良さそうなものでしょう。
「……そうですね。実のところ、ヒイロの【因子演算式】を使えば、野宿に必要な道具は用意できます。外で寝ることの不安に関しても、『愚者』に対する見張りなら、睡眠が必要ないヒイロができますし、宿代を浮かせる手はありますよ」
「まあ、そういう手もあるか。夜ならわたしも睡眠は必要ないし、いっそのこと、そうするか?」
この先は《転移の扉》を使っての移動となるため、宿泊の必要性も少なくなりそうですが、元々リズさんの路銀です。使わないに越したことは無いでしょう。
しかし、ここでマスターが不思議そうな顔でヒイロを見ました。
「どうしましたか? マスター」
「いや、よく考えたらさ。ヒイロって、【因子演算式】でなんでも創れるんでしょ? だったら、金銀宝石でもなんでも創って、売り払っちゃえばお金なんていくらでも手に入るんじゃないの?」
「………………」
街の真ん中で立ち止まり、沈黙する一行。
リズさんを除くその場の二人、ヒイロとアンジェリカは、彼の言葉に何とも言えない顔になりました。
「おい、ヒイロ。ここに極悪人がいるぞ。いったいどうやったら、そんな狡い手段が思いつくんだろうな?」
「いいえ。せめて、『発想の仕方が常人離れ』していると語ってあげてください。まっとうに汗水垂らして働いている人たちの苦労を尻目に、楽して『錬金術』でお金を儲けようだなんて、常人には到底思いつかない発想でしょう」
互いに顔を見合わせ、いわゆる『負け惜しみ』の言葉を口にするヒイロたちでした。
次回「第25話 錬金術」