第22話 愚者との遭遇
翌日、ヒイロたちは宿で朝食を済ませた後、リズさんと一緒に石造りの建物が立ち並ぶ大通りを歩いていました。彼女のいたヴィッセンフリート領までは、《転移の扉》をいくつか経由していくのが一番なのですが、ひとつだけ問題があったのです。
「まあ、街であれだけ騒ぎを起こしたら、公用の施設は無理だろうな。また機会はあるさ。男なら、ここは潔く諦めておけ」
マスターに慰めの言葉をかけるアンジェリカの背中からは、昨日生えていた羽根が消えているようです。
「光の扉でワープするんでしょ? きっと面白そうだと思ったのになあ」
がっくりと肩を落とすマスター。彼は漫画やゲームに登場する、いわゆる『ワープ装置』を使うのを楽しみにしていたらしく、この街でそれが使えないと知るや、酷く落ち込んでしまいました。
「でも、マスターだって、【超時空転移装置】を経験しているではないですか。あれは、同じ次元世界内を結ぶものより、遥かに高度なものですよ?」
「うーん。まあ、そうなんだけど、あの時はびっくりしちゃって、それどころじゃなかったしなあ」
そう言って首をひねりながら歩くマスターの服装は、先日までの学生服とは異なるものでした。外見的には、この世界における男性の一般的な衣服の上に、身体の要所を守るプロテクターを着けている程度に見えるかもしれませんが、もちろん、これらはすべてヒイロが作った特別製の装備でした。
ヒイロが『リアクティブ・クロス』と名付けたこの服は、見た目に反して斬撃と貫通に高い耐性を備え、一定以上の速度と質量をもって近づく物体を感知した際には、反発する衝撃波を放出して激突によるダメージを緩和する機構まで備えているのです。
今朝方、武器となる『マルチレンジ・ナイフ』とセットでお渡しした際のマスターの喜びようは、今思い出してもヒイロの心を浮き立たせるものでした。
ちなみに、ヒイロも目立たない服に着替えようとしたのですが、マスターから『女子高生の制服姿が見られなくなるのは寂しい』などと意味不明の要望を受けたため、そのままです。どの道、どうやっても紅い髪の色が目立つため、着替えも諦めることにしました。
「で、でも……隣町まで行ければ、そこから《転移の扉》を使うことは可能だと思いますよ。皆さんについては、ヴィッセンフリート家が使いに出した使用人のために雇った護衛だと言うことにすれば……」
一行の先頭を歩くリズさんが、控えめな声で言いました。
「うーん。でも、僕はともかく、他の二人が可愛らしい女の子じゃあ、護衛と言うには説得力も出ないよね」
「いずれにしても、多少の不自然には目をつぶりましょう。その場をごまかし切れれば十分です。わたしも使用人が一人旅をする事情については何度か尋ねられましたが、どうにか上手くごまかせましたので……」
結局、《転移の扉》が使えない以上、ヒイロたちはこの街を出て、別の手段で隣町へと向かう他はありません。
街の門から外に出たヒイロたちは、人目のつかない場所まで移動し、早速、《レビテーション》による空中移動を開始することにしました。
「それでは皆さん、ヒイロの傍に集まってください」
「え? 何が始まるのですか?」
戸惑ったような声で尋ねてくるリズさん。しかし、説明するより実感してもらうしかありません。
「移動用の魔法です」
とりあえず、そう言って納得してもらうと、ヒイロは《レビテーション》の【式】を展開しました。
「きゃあ!」
足元の高さが急に変わったことで、驚いたリズさんは近くに立つマスターの肩にしがみつきます。
「大丈夫ですか? リズさん」
マスターは彼女の背中に手を添えて、身体を支えてあげていました。彼女の重そうに揺れ動く胸が、横側からしっかりとマスターの身体に押し付けられた形となっています。……今のはきっと、不可抗力でしょう。マスターが酷く嬉しそうなのも、身体の位置のずらし方に違和感があったのも、きっと気のせいに違いありません
「……ヒイロ。どうした? そんなに怖い顔をして」
「え? な、なんでもありません」
いきなりアンジェリカに顔を覗きこまれ、ヒイロは慌てて首を振りました。
「でも……驚きました。ヒイロさんは学者様だと聞いていましたが……こんなにすごい魔法が使えるんですね」
一方、リズさんは感嘆の声を漏らしています。彼女自身はあまり魔法に詳しくないらしく、ヒイロの【因子演算式】にも特に疑問は抱かなかったようです。
ちなみに出発に先立ち、リズさんは布製の手甲や脚絆を装着するなどして活動的な旅装に着替えたのですが、それを見たマスターは、何故か『メイド服じゃないメイドさんなんて……』と残念そうに肩を落としていました。
それはさておき、リズさんは意外にも、こうした服装を着なれているように見えます。ヒイロがリズさんにそのことを指摘すると、彼女は軽く頷きを返しました。
「はい。元々エレンお嬢様は庭いじりがお好きな方でしたから。小さい頃からよく二人で、お屋敷を抜け出しては近くの野山に出かけては野草の類を持ち帰って……庭園に植えたりしていたんです」
昔を懐かしむように、遠い目をしてつぶやくリズさん。
「へえ。お嬢様っていうから、もっと箱入り娘みたいな人をイメージしてたんだけどな」
「とんでもありません! わたしもお転婆だったとは思いますが、エレンお嬢様にいたっては、悪戯好きで、茶目っ気が多くて……なんというか、もう、本当に元気いっぱいな御方だったんです」
リズさんは、よほどにエレンシア嬢のことを敬愛しているのでしょう。嬉しそうに目を輝かせています。
「なんだか、お嬢様に会うのが楽しみになって来たなあ」
「はい……そうですね。エレンお嬢様が元気になってくだされば……」
「え? あ、あれ……」
マスターの何気ない言葉に何を思い出したのか、リズさんは表情を暗くしてうつむいてしまいました。
「リズさん、大丈夫ですよ。きっと元気になりますから」
悲しげな顔をするリズさんを前に戸惑うマスターに代わり、ヒイロが慰めの言葉をかけてあげたのでした。
ちなみに現在、ヒイロたちがいる国は、『クレイドル王国』と呼ばれている場所なのだそうです。リズさんが仕えるヴィッセンフリート家は、王国内でも有数の力を持つ領主貴族らしく、発行されている《転移の扉》の通行許可証は、無料通行可能な最高ランクのものだったとのことでした。
「……とはいえ、路銀も心許なくなってきてしまいましたね」
リズさんにしてみれば、宿代と食事代が急に四倍になったのです。無理もないでしょう。場合によっては次の街で、お金を稼ぐ方法を考えなければならないかもしれません。
しかし、この後、《レビテーション》で空を行くヒイロたちの前に、それとはまったく別の関門が姿を現しました。『それ』に最初に気付いたのは、もちろんヒイロのセンサーです。
「熱源センサーに反応あり。どうやら鳥の群れのようです。問題はないと思いますが、念のため《ステルス・チャフ》で気配を隠しましょう」
言いながら、ヒイロは予想される鳥の群れの進路から《レビテーション》の重力場を移動させ、気配隠蔽用の【式】を展開します。
やがて、肉眼でも見えるほどに近づいてきた鳥の群れは、けたたましい鳴き声と羽音を立てながら、徐々にその姿を露わにしていきました。
「……うわ、何あれ? 鳥は鳥でも、随分と気持ち悪いな」
マスターの言うとおり、その外見は不気味の一言に尽きます。大きさで言えば、鷹ほどはあるでしょうか。頭部には紅い一つ目を備えており、長いくちばしには牙のようなものが見え隠れしています。歪んだ形の四枚の翼には、巨大な鉤爪が付いていました。
「……あれは、この世界の【異常種】でしょうか?」
ヒイロは無数の異世界を巡ってきましたが、一部の例外を除き、『生物の在り方』というものは、一定の枠内に収まっているのが常でした。ヒイロは、その一部の例外を指して【異常種】と呼んでいます。
「異常種? いや、あれは『愚者』だぞ。確か……『禍ツ鳥』と呼ばれている種ではなかったかな」
「え? 愚者……ですか?」
その言葉は確か、アンジェリカが以前、魔法に関する説明をしてくれたときにも出てきたものです。あの時は詳しい話を聞けずじまいでしたが……。
「ちっ! 《ステルス・チャフ》でも、奴らの魔力探知能力まではごまかし切れないのか? 発見されたぞ!」
「そんな馬鹿な……!」
アンジェリカの警告の声に、ヒイロは慌てて【因子演算式】《タービュランス・エフェクト》を展開し、防御壁代わりの乱気流を力場の外に発生させます。
その直後、隻眼にして赤眼の鳥たちは、一斉にそのくちばしを大きく開き、この世のものとは思えない奇怪な雄叫びを上げ始めました。
〈クルアアアアア!〉
「きゃああ!」
あたりに響く禍々しい声を聞いて、リズさんが顔を青くしてマスターにしがみついています。一方、『禍ツ鳥』は四枚羽根のうち、二枚を飛行のために使いつつ、残る二枚を角度を変えて羽ばたかせると、鋭くとがった棘付の羽根を一斉に射出してきました。
間一髪、展開が間に合ったヒイロの《タービュランス・エフェクト》が飛来する羽根の群れを吹き散らしましたが、『禍ツ鳥』たちは構わず間合いを詰めてきます。
「これだけ味方と密集していては、熱量は絞るしかないか……踊り狂え、《フレイム・ダンス》」
アンジェリカは掌をかざして炎の渦を出現させると、それを『禍ツ鳥』の群れの中へと解き放ちました。
〈ククルクルルアアア!〉
炎に巻かれ、もがき苦しむように飛び回る『禍ツ鳥』。しかし、それも束の間のこと。彼らの赤い瞳が輝きを増した途端、群れの中で踊り狂っていた炎の渦はその勢いを弱めてしまいます。
「わたしの魔法を減衰しただと? 『愚かなる隻眼』も数が集まれば厄介なものだな」
悔しそうに言いながら、立て続けに炎を放つアンジェリカでしたが、気付けば『禍ツ鳥』たちの一部が後方に回り込みつつありました。
ヒイロが操る乱気流が彼らの攻撃を防いではいますが、空中で狭い足場しか創れないこの状況では、どうにも不利は否めません。敵の能力が未知数である以上、このまま防ぎ切れる保証もありませんでした。
恐らくアンジェリカも、ヒイロたちが近くにいすぎるせいで炎の魔法を全力で使えないのでしょう。
「……このまま高度を下げます。足元に注意してください!」
ヒイロは牽制用の《エア・グレネイド》で数体の『禍ツ鳥』を弾き飛ばしながら、徐々に足場の高度を落としていきます。重力制御は他の【式】に比べて繊細さが要求されるため、多元的並列情報処理が可能なヒイロでも、戦闘中の使用は避けたいところでした。
「大丈夫ですか? リズさん」
「は、はい……。あ、あれが……世界の敵──『愚者』なのですね。……なんて禍々しい」
足場が降下していく中、マスターに支えられたリズさんは、顔色を青くして『禍ツ鳥』の群れを見上げています。
「……大丈夫。リズさんは僕たちが護りますから」
マスターは脇の下に吊り下げた鞘から、大振りの戦闘用ナイフを引き抜きました。
「マスター。使用方法は大丈夫ですか?」
「うん。問題ない。あいつらの相手は僕とアンジェリカちゃんがするから、ヒイロはできる限り、リズさんの守りを頼むよ」
「はい。気を付けてくださいね」
既に足場は地面に着いています。ヒイロは《レビテーション》を解除すると、リズさんの周囲に数種類のバリアを展開しました。さらには戦況全体を観測し、必要に応じて援護射撃を行うことにします。
「じゃあ、行ってくる」
マスターはヒイロが差し上げた『マルチレンジ・ナイフ』を構え、アンジェリカと共に空から飛来する『禍ツ鳥』の群れへと向かっていきました。
次回「第23話 万能兵装」