第21話 ガールズトーク
「ヒイロ。今度は何を始めたんだ?」
興味津々といった様子で尋ねてくるアンジェリカ。
「はい。マスターの装備品を作成しているんです」
ヒイロは、足元の床に集まりつつある光を指差しました。
「装備品? なんだか、まだ形になっていないみたいだが……昼間と違ってずいぶん時間がかかっているんだな」
「それはそうです。あの時は単純な道具でしたが、今度のこれは、マスターの命を守るためのモノですからね。様々な機能を付加するつもりです。複雑で高度な道具を生成するには、さすがに時間がかかります」
今回の品には、一部にヒイロが使用する【因子演算式】の作用を組み込むつもりです。こうすることによって、マスターの世界における科学技術では到底再現不可能な機能を実現することもできるのです。
「なるほどね。じゃあ、これ以上は邪魔しちゃ悪いかな?」
「いえ。ヒイロは多元的並列情報処理能力がありますので、同時にアンジェリカさんと会話するくらい、問題はありません」
「そうかい。じゃあ、遠慮なく」
そう言ってアンジェリカは、ヒイロの座るベンチに改めて腰を下ろしました。
「で? 具体的には、どんなものを造る予定なんだ?」
「はい。ひとつは防具ですね。マスターのスキルは強力ですが、使いどころによっては無防備になることも多いものです。ヒイロが毎回のように《アイアン・スキン》を使うわけにもいきませんから、対斬撃、対貫通、耐熱、耐寒性能を有する特殊な繊維を基礎として、対衝撃・対エネルギー防御の遮蔽膜などを自動展開できる機能を付加したいと考えています」
「……ヒイロの言う事は難しくて、よくわからん」
「すみません。さすがにアンジェリカさんの攻撃を防ぐのは不可能でしょうが、並の人間が相手なら十分余裕で対処できるようにはするつもりですから」
「そうか。それなら、あの危なっかしい男も少しは安心だな。まったく、キョウヤの奴もこんなにも主人想いの従者に恵まれるとは、本当に幸せものだよ」
アンジェリカは背中の羽根でパタパタと音を立てつつ、金の瞳をヒイロに向けて、にっこりと笑いかけてきます。
「いえ、当然のことです。そ、それで、こっちのナイフですが……」
なぜか動揺してしまったヒイロは、話題を装備の話に戻そうと試みました。しかし、アンジェリカはそれを許してくれません。
「実のところ、ヒイロはキョウヤのことをどう思っている?」
「え?」
「もちろん、主人としてではなく、一人の男として……だぞ?」
「な、何を言い出すかと思えば……。ヒイロにとって、マスターはマスターです。己の全性能を挙げてサポートすべき、御主人様です。お、男とか女とか……そんなことは別に……」
ヒイロの『存在意義』には、そんなものは含まれていません。ヒイロが『少女』であることもまた、マスターを案内するのに都合がいいからと言うだけなのです。……と、思おうとしたヒイロでしたが、何故か急に、自分がそんな存在であることが悲しくなってしまいました。
「……ふふ。そういえば、キョウヤが言っていたな。『素直になれないお年頃』か?」
「ち、違います!」
「ははは! そうムキになるな。からかって悪かった」
朗らかに笑うアンジェリカですが、どうにも違和感を覚えて仕方がありません。最初に会った時に比べ、彼女の態度がかなり軟化しているような気がするのです
「アンジェリカさん。ヒイロからも聞いていいですか?」
「ん? 何かな?」
「……変身直後のことです。ハイラム老や野盗たちに対する態度を見る限り、貴女は自分を侮辱した相手をそう簡単には許さない性格なのだと思います。なのに、どうしてあの時は、マスターに対してあんなにも我慢されていたのでしょう?」
ヒイロがそう訊くと、アンジェリカはこともなげに肩をすくめて言いました。
「今のわたしは、昼間とは桁違いに強い。仮に一発殴ってやるだけにしても、加減を間違えれば殺してしまいかねないだろう?」
「なるほど」
しかし、その直後。彼女は少しだけ、はにかんだような笑みを浮かべました。
「それにだ。……わたしだって、自分の好いた男を殴って喜ぶような趣味はない」
「……え?」
ヒイロは驚きのあまり、思わず目を見開き、彼女の顔を穴が開くほど凝視してしまいました。
「何もそんなに驚くことはないだろう。まあ、好いたと言っても、今すぐ恋仲になりたいと思うようなものでもないさ。けれど、キョウヤがこのままわたしの期待を裏切らないでいてくれるなら……遠からずそうなるかもな」
「……で、でも、まだ出会ったばかりではないですか。どうしてそこまでマスターのことを?」
「キョウヤは面白い。……何より、わたしに勝った男だしな」
「いえ、それは違います。あの時、アンジェリカさんがスキルを使っていれば……」
ヒイロはそう言いかけましたが、アンジェリカは大きく首を振ります。
「……それこそ違うさ。断言するが、特殊能力や魔法を使ったところで、わたしがキョウヤに勝てたとは思わない。スキルなど、あいつにとっては便利なだけの小道具に過ぎない。あいつはそんなものとは関係なく、相対する者の存在を歪め、狂わせ、そして蹂躙する。……忘れたのか? そもそもキョウヤは、『鏡の中の間違い探し』を習得する前に、他人の『在り方』を捻じ曲げて見せたんだぞ? わたしは『遊び』ではなく本当の敵として、キョウヤの前に立つことだけは死んでもごめんだ」
アンジェリカの魔法によって壊滅した野盗たちの生き残り。捕虜となった彼らに対し、マスターがやって見せたこと。それはまさしく、あのスキルと同等か、それ以上のことでした。
「……そ、それは」
「ふふふ。ヒイロ、さっきから随分と必死だな?」
「べ、別にそんなことは……」
アンジェリカに問いかけられ、ヒイロはなぜか動揺して言葉を失ってしまいました。すると彼女は、さらに可笑しそうに笑います。
「御主人様をわたしにとられるのは嫌か?」
意味ありげにわたしを見つめる彼女ですが、おかしなことを言うものです。
「取られる? 言っておきますが、ヒイロはたとえマスターが誰とどんな関係になろうとも、お傍を離れるつもりはありません」
それだけは、迷いなく断言できました。するとアンジェリカは、満足げな顔で笑います。
「あはは! うん。それでいい。己の思うこと為せ。快楽こそが生きる力だ。それはわたしたち、『ニルヴァーナ』に限ったことではないはずだぞ」
「……まったく、どこまでもあなたとマスターは、似た者同士ですね」
呆れたようにつぶやくヒイロ。するとその時、このバルコニーに続く廊下を歩く人物の気配がしました。というより、マスターの居場所なら、ヒイロには即座に分かるので間違いありません。
「ああ、ヒイロ。やっぱり、ここか。目が覚めたらいなくなってるから、心配したよ」
「そんな……お気になさらず寝ていてくだされば……」
ヒイロはそう言ったものの、マスターは激しく首を振りました。
「いやいや、考えてみてくれよ。二人がいないもんだから、僕、リズさんと二人っきりで同じ寝室なんだぜ? あの人、やたらと色っぽい寝言とか言ってるし……寝相が悪いから目の毒だし……あんなメイドさんと夜の寝室で二人きりとか、どんな拷問だよ……」
かなり情けないことを言うマスターに、ヒイロの隣でアンジェリカがやれやれと首を振っています。
「まったく、そんな状況なら精々チャンスと思って、目の保養にでもしておけばいいだろうに。欲情して襲い掛かるのは論外だが、その程度の欲望に忠実になることは、別に悪いことではないぞ?」
「その論外なのが問題なんだけどな……。まあ、それはさておき、確か『ニルヴァーナ』は『欲望の強さがそのまま力の強さに繋がる』とか言ってたと思うけど、それって実際、どういう意味なの?」
「ん? ああ、そのままの意味だ。『ニルヴァーナ』は基本的に欲深いのさ。個人ごとに『欲望』の内容は食欲や金銭欲、支配欲や性欲など様々だが、それらが強い個体ほど魔法の力も特殊な能力も強くなっている。まあ、理由はわからんがな」
「それは何と言うか……まさに身も蓋もないって感じだね」
マスターのこの言葉こそ、まさに身も蓋もない気がしますが、アンジェリカは特に気分を害した様子もなさそうでした。
「まあな。支配欲の強い奴なんかは、それこそ一国の王になっていることもある。結局、己の欲望のままに強い力で他者を蹂躙するのだ。……『ニルヴァーナ』を『悪魔』と呼びたくなる他の種族の気持ちもわからないではないな」
自分たちは、そういう生き物なのだから仕方がない。そんな自嘲にも似た想いを声に滲ませてつぶやくアンジェリカ。しかし、マスターはそんなことなど気にした様子もなく、問いかけを続けます。
「じゃあ、アンジェリカちゃんはどんな『欲望』が強いの? も、もしかして……せいよ……ってあれ? 何? ヒイロ……今、何で背中を触ったの?」
「申し訳ありません。マスターの背中に虫が止まっていましたので」
「そ、そう? ありがと、ヒイロ」
「いいえ。どういたしまして」
「ぷ、く、あははは!」
アンジェリカの笑い声。彼女はひとしきり笑った後、ヒイロたちに呆れたような視線を向けてきます。
「……まあ、主従の関係と言うのも、様々な形があるのだろうな。それはともかく、わたしの『欲望』が何かという問いについてだが……一言で言えば、『全部』だよ」
「え? 全部?」
「だから、強いて言うなら『貪欲』ということになるかな? わたしは、あらゆることに興味がある。楽しければ何でもするぞ」
だからこそ、わたしは強い。そう言いたげに胸を張るアンジェリカ。
「……とはいえ、わたしがまだ若く、身体が成熟していないからかな? 『性欲』についてはよくわからん」
「なるほどね。……まあ、その辺の話をこれ以上突っ込むと、僕の背中にまた虫が止まりそうだからやめておくよ」
「はう……」
どうやら、ばれていたようです。ヒイロは恥ずかしさのあまり、『素体』の頬が熱くなっているのを自覚します。
「あははは! いやいや、本当にお前たちは面白いな」
楽しげに笑うアンジェリカ。彼女もこうして無邪気に笑っている姿は、どこにでもいそうな年相応の可愛らしい少女にしか見えませんでした。
「とにかく、二人のどっちかが戻ってきてくれない限り、僕もあの部屋には戻りづらいんだってば」
マスターがそう言うと、アンジェリカは仕方がないとばかりに立ちあがりました。
「ヒイロはやることがあるようだからな。寝室へのお誘いは、わたしが受けるとするか。さあ、行くぞ」
「え? い、いや、寝室へのお誘いって……」
一人でずんずん歩き出す彼女の背中を見つめ、戸惑ったように言うマスター。
「えっと、ヒイロ? 彼女の様子がいつもと違う気がするんだけど……ここで何を話してたんだい?」
不思議そうな顔で問いかけてくるマスターに、ヒイロは悪戯っぽく笑いかけながら答えてあげました。
「いえ。取るに足らない『ガールズトーク』ですよ」
次回「第22話 愚者との遭遇」