第1章 登場人物紹介(アンジェリカとの対話)
その日の深夜。寝静まった室内から抜け出したヒイロは、宿の二階の一部に設けられたバルコニーにいました。もともとヒイロには、睡眠は必要ありません。マスターと感覚を共有するため、擬似的な睡眠を行う機能こそあれ、不可欠なものではないのです。
随分と様々な出来事があったせいで実感がわきにくいところですが、今夜はヒイロがマスターと出会い、異世界にわたって最初に迎える夜でした。
ヒイロの知らない世界──そんな場所でマスターのナビゲートをしなければならないことは不安ではありますが、今さら嘆いても仕方がありません。皆が寝静まったこの時間を使い、ヒイロはこれまでに得られた情報を整理することにしました。
睡眠を必要としないヒイロにとって、誰にも邪魔されない落ち着いた時間をつくるには、こうした夜の時間を利用するのがベストでした。幸いにも寝静まった宿の中には、わざわざ冷たい夜風の吹くバルコニーを訪れようとする人間もいません。
一部の変わり者を除いては……ですが。
「こんなところで何をしているんだ?」
バルコニーに並べられた椅子に腰かけ、手元に生成したディスプレイを見続けていたヒイロに声をかけてきたのは、『変わり者』ならぬ『変身する魔法少女』のアンジェリカでした。
「……アンジェリカさん。眠らなくていいのですか?」
「言っただろう? 夜こそがわたしの世界だ。実際、『ニルヴァーナ』は三日に一度ほど、昼寝をすれば十分なのさ。もっとも、その時は少しばかり眠りが深くなる分、無防備にもなりやすいのだが……」
ハイラム老に掴まった時のことを思い出したのか、アンジェリカは苦々しげに言いました。
「それで? ヒイロは眠らなくていいのか?」
「はい。先に説明した通り、ヒイロは『人工知性体』ですから、睡眠は必要ありません」
「ふうん。で、もう一度聞くが、何をしているんだ?」
「はい。情報の整理です」
と、ここまで言ったところで、ヒイロはアンジェリカに視線を向けました。今後、彼女を仲間として同行を続けるのであれば、その『個体情報』も登録させていただけた方が便利かもしれません。
「個体情報の登録? よくわからんが、わたしのことを調べたいということか?」
「はい。遺伝子情報から【因子】レベルの情報まで含めての登録ですので、ご本人の同意を必要とします。ですが、これが叶えば戦闘その他におけるアンジェリカさんとの連携にも生かせると思いまして……」
駄目元でそう聞いてみたところ、アンジェリカはニヤリと笑ってこう言いました。
「構わないが……一方的にというわけにはいかないな。代わりにヒイロがキョウヤについて知っていることを、いろいろと教えてもらおう。それが交換条件だ」
「……わかりました。では、その条件で」
彼女の言い分はもっともです。しかし、識別情報そのものを走査するヒイロと違い、彼女にはこちらが嘘をついても見破るすべはないはずです。その点は、どう考えているのでしょうか?
ですが、ヒイロがそう聞くと、アンジェリカは目を丸くして言いました。
「お前はあれだな。頭が良すぎてかえって馬鹿だな」
「む……どういう意味ですか?」
「そんなに怖い顔をするな。そもそもの話、わたしは単に興味本位で聞いているだけだ。お前に嘘を吐かれたところで、別に困らないぞ。だいたい、キョウヤの奴に話を聞くことだってできるのだ。嘘など意味があるまい」
……そうでした。マスターのあの性格で、彼女に嘘を吐くとは考えられません。
「失礼しました。それでは、このディスプレイをご覧ください。お詫びとして……いえ、ヒイロからの『信頼の証』として、先に情報を提示させていただきます」
○来栖 鏡也 (クルス・キョウヤ) 年齢:16歳
ヒイロのマスター。狂える鏡。目鼻立ちこそ人形のように整っているが、どことなく陰鬱な印象の否めない少年。現在はまだ、ブレザータイプの学生服を着用している。
□所有スキル等
・ベーシックスキル(ヒイロによる基礎設定)
『言葉は友情の始まり』
ヒイロの無限データベースに蓄積された言語の中から、対象が話す言葉と類似したものを自動で検索し、それを元に対象言語を解析・翻訳する。
『早口は三億の得』
ヒイロとの間で、言葉を介さず高速で思考の伝達を行う。ヒイロとの距離が百メートル以内であることが必要。
『虫の居所の知らせ』
どこにいても、どれだけ離れていても、ヒイロの居場所やヒイロまでの距離を感知する。
・通常スキル(個人の適性の高さに依存)・
『即時病原体耐性強化』※ランクD
環境耐性スキル。免疫のない菌やウイルスに感染した場合でも、即座に抗体を生み出し、症状を軽減する。
『痛い痛いも隙のうち』※ランクC(EX)
環境耐性スキルの派生形。戦闘中のような緊張状態にある場合のみ、自身の痛覚を従来の十分の一に軽減。
『空気を読む肉体』 ※ランクA(EX)
活動能力スキル(身体強化型)の派生形。任意のタイミングで発動可能。発動中、あらゆる身体能力を半径五十メートル以内に存在する『知性体』が持つ能力の平均値まで変化させる。
・特殊スキル(個人の性質に依存)
『世界で一番醜い貴方』
殺意のある攻撃を受けた場合のみ発動。受けた攻撃を『鏡』に飲み込み、増幅して『その時自分が殺意を向けている対象』に反射する。
『世界で一番綺麗な私』
『知性体』を殺害した時にのみ発動。自身の新たな特殊スキルを生成する。スキルの生成には、対象の人数や性質によって加算されるポイントが必要。『世界で一番醜い貴方』による殺害は対象外。
『鏡の中の間違い探し』
自分が殺害した『知性体』に対し、任意で発動可能。致命傷を含むすべての傷を治癒し、蘇生する。ただし、蘇生された対象は、それ以前と比べて『何か』が間違っている。
「と、ここまでがマスターの情報です。感想はいかがでしょうか」
ヒイロはここでディスプレイの操作を止め、アンジェリカの様子をうかがうべく、彼女の顔に目を向けました。
「キョウヤらしいと言えばらしいが……はっきり言って、ドン引きだ」
彼女は顔を引きつらせて、つぶやいています。
「そうですか? どれも素晴らしいスキルだと思いますが」
ヒイロは彼女の反応を心外に思い、つい反論の言葉を口にしてしまいました。
しかし、彼女は、
「素晴らしい……と来たか。くくく! ヒイロ。わたしはどうやら、お前のことも好きになれそうな気がしてきたぞ?」
そう言って、何故か嬉しそうに笑ったのでした。
「それは光栄です。それでは次ですが……」
○ヒイロ 試験運用期間:10年(その後、7年間は自主的な放浪)
異世界ナビゲーション・システム搭載型の人工知性体。流れるような緋色の髪と同色の瞳をした少女。その素体は常に女性としての理想的な体型や髪・肌の色艶を維持している。マスターの通っていた学園の制服を身に着けている。
□所有スキル等
・【因子観測装置】
世界の根源的情報素子【因子】を観測し、操作することにより、あらゆる情報を解析し、様々な事象を引き起こすことを可能とする超科学文明の産物。
・【因子演算式】
周囲の【因子】を観測し、変数としてヒイロの無限データベースに蓄積された様々な【式】に代入・展開することにより、世界に望みの事象を顕在化させる機能。
・【因子干渉】
対象者に特殊な【因子】を注ぎ込むことで、活動能力や環境耐性を強化するためのスキルを発現させることが可能。発現するスキルは、対象者の性質や【因子感受性】に依存する。
「これがヒイロの情報です」
「ふむ。よくわからない言葉が多いな」
「その点は、今後の旅の中ででも解説いたしましょう。……ちなみに、現時点でヒイロが把握しているアンジェリカさんの情報は、こちらです」
○アンジェリカ・フレア・ドラグニール 年齢:11歳~14歳(?)
世界における最強の魔法使いである『王魔』の一種、ニルヴァーナの少女。長めの金髪をツーサイドアップにまとめ、銀の刺繍や赤い飾り布が散りばめられた黒のドレスを身に着けている。変身すると、瞳は青から金に変わり、背中にはコウモリ……もといドラゴンの羽根が生える。
□所有スキル等 ※個体登録がまだのため、判明しているもののみ。
・通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『傲慢なる高嶺の花』 ※ランクS(EX)
環境耐性スキルの派生形。究極の熱耐性スキル。炎や雷撃といった一定以上の『熱』を伴う事象が接触した場合に発動。その事象が有するエネルギーを無効化し、その分を自身の『養分』に変換して吸収する。
・特殊スキル(個人の性質に依存)
『禁じられた魔の遊戯』
対象者に『遊び』を提案し、承諾があった場合に発動。特殊空間に自分と相手を閉じ込める。この空間には、以下の性質がある。
1)空間内には、死は存在せず、致命傷を受けても死なない。
2)解除条件は、『遊び』の決着。
3)『遊び』の決着方法は、相手に『致命傷』を与えるか、降参させること。
4)参加者は各人一つずつ、戦闘に『禁止事項』を設定できる。
5)『禁止事項』は絶対。相反するものがある場合は、当事者の調整で合意が必要。
6)敗者は勝者の要求を一つだけ、絶対に受け入れなければならない。ただし、死を求めることは不可。永続する要求もできず、その場合は最大で一年間のみとなる。
・その他、装備品
『魔剣イグニスブレード』
炎をかたどった真紅の短剣。永遠に熱を生み出す魔剣であり、普段は赤い宝石の形をしている。『王魔』の一種、『サンサーラ』が生み出した魔法の道具。
「……問題点が二つある」
アンジェリカは静かな声で言いました。
「なんでしょう?」
「ひとつ、わたしの歳は15歳だ。よりにもよって、11歳とかあり得ないだろうが」
「そ、それは失礼しました」
仁王立ちのまま指摘してくるアンジェリカに、頭を下げるヒイロ。
「さらにだ……。『コウモリの羽根』のくだりは、明らかに余計だぞ」
「あ、それもすみません。……マスターの言葉に引きずられてしまったようです」
ヒイロは素直に謝罪した後、ついでにリズさんについても情報を表示します。
○リザベル・エルセリア(通称リズ) 年齢:19歳
最初に訪れた街で出会ったメイド。栗色の髪を後頭部で綺麗に結っており、大人の魅力を感じさせる女性。童顔で可愛らしい顔立ちに反し、その胸の大きさはメロンかスイカを思わせるほどのものがある。自身の仕えるお嬢様の『呪い』を解くべく、大法術士のハイラム老を探していたらしい。
「……わたしの情報欄に比べて、胸の大きさだの大人の魅力だのといった記載が多いな?これはわたしへのあてつけか? ええ? どうなんだ?」
こめかみをぴくぴくさせながら、半眼でにらみつけてくるアンジェリカ。いったい何が、彼女をここまで怒らせてしまったのでしょうか?
「い、いえ……ヒイロはマスターのための情報収集をしている関係上……表記にもその影響が……」
彼の関心がある事項については、無意識のうちに情報の記載も詳細になってしまうようでした。
「……まあ、いい。色々とキョウヤのことを知ることができて良かったからな。じゃあ、約束どおり、個体情報の登録でも何でもするがいいさ」
必死の言い訳が功を奏したのか、アンジェリカもどうにか気を落ち着けてくれたようでした。
……それにしても、わずか一日目にして同行者が二人も増えたのは、マスターの人徳のなせる業なのかもしれませんが、『ナビゲーター』の立場としてみれば、不確定要素という面において不安の残るところでした。
「……やはり、早急にマスターの装備の充実を図るべきですね」
軍事用兵器として製造されたわけではないヒイロには、殺傷用の【因子演算式】は備わっていませんが、マスターのための武具を作成することには何の制限もありません。
ヒイロはアンジェリカの個体情報の登録を済ませると、早速、この夜の時間を使ってマスターの身を守るための装備の作成に取り掛かったのでした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ここまでが「第1章 緋色の少女と悪魔の少女」になります。
次話「第21話 ガールズトーク」から「第2章 世話焼きメイドと箱入り娘」が始まります。