第18話 鏡の中の間違い探し
街の大通りでこんな刃傷沙汰が起きてしまえば、さすがに騒ぎは避けられません。それも領主の息子が刺されて死んだとあっては、それまで遠巻きにしていた人々も無関心ではいられないのでしょう。周囲には再び人垣ができていました。
胸を四本の槍で刺し貫かれ、完全に絶命したピエール。マスターに槍で刺されて絶命した一人の兵士。路面を血で濡らす凄惨な光景に、マスターにかばわれていたはずのメイドの女性までもが、顔を青褪めさせて震えています。
そんな中、マスターはゆっくりとピエールの死体に歩み寄っていきます。その周囲には兵士たちがいるのですが、恐怖のあまり、彼に道を開けて後ずさっていました。
「じゃあ、早速試してみようかな?」
そう言ってマスターは、ヒイロに軽く目を向けてきました。
「えっと、名前を口にした方がいいんだっけ?」
「はい。確認した限り、発動に際してそうした条件があるわけではないようですが、慣れるまではその方がイメージしやすいかもしれません」
つい先程、ヒイロが高速思考伝達でマスターに告げた情報。それについての確認を口頭で交わした後、マスターは小さくつぶやきました。
「うん……スキル『鏡の中の間違い探し』」
その直後のことです。おびただしい血を流して死んでいたはずのピエールの身体が、ぴくりと動きました。胸の傷がみるみる塞がり、流れていた血の跡までもが消えていきます。
それこそ、彼が死んだこと自体が『何かの間違い』だったかのように……
「う、うう……。い、いったい何が……?」
頭を振って目を覚ますピエール。
「な、なんだ? 回復魔法か? いや、だが……あそこまで完全な致命傷を負った人間を復活させるとは、噂に聞く『女神の奇跡』にも匹敵しかねないな」
アンジェリカは感心したように言いますが、ヒイロにとっては驚くに値しません。肉体さえ残っていてくれれば、死亡直後の蘇生程度のことはヒイロでも十分可能なのです。
それはともかく、周囲の兵士たちが安堵の息を吐く中、ピエールはゆっくりと立ち上がります。
「うーん、どうかな?」
マスターは首をかしげつつ、ピエールを見つめています。
「そ、そうだ! 俺は確か、背中からいきなり刺されて……」
何かに気付いたように胸を押さえるピエールですが、そこに既に傷は無く、服に開いた穴だけが彼の身に何が起きたかを示していました。
「気が付いたかい? いきなり倒れたから、びっくりしたよ。じゃあ、僕らは行くね」
「あ、ああ……そうか」
呆然と言葉を返すピエールに背を向け、マスターはメイド服の女性に自分と一緒に歩くよう促しました。
「え? だ、大丈夫なのですか? その……」
戸惑ったように言う彼女が目を向けた先には、未だ死んだままの兵士の姿があります。
「多分だけど、心配ありませんよ。ほら、こんなところに長居は無用です」
マスターは何事もなかったかのように歩き出そうとします。一方、ピエールの周囲の兵士たちは、恐る恐る主君へと問いかけていました。
「よ、よろしいので? あの男はリブルム家を侮辱する発言を……」
兵士たちの中でもリーダー格らしい男が進言しているようですが、ここでピエールは大きく首を振りました。
「いいのだ。悪いのはリブルム家の品位を貶めるような真似をした俺なのだから。……お前たちにも本当にすまないことをした。死亡した兵士は丁重に弔い、家族にも十分な補償をしてやろう」
「え?」
周囲の兵士たちが互いに顔を見合わせています。先ほどまでの尊大な態度が嘘のようなピエールの姿に、驚きが隠せないのでしょう。もっとも、マスターが使ったスキルの効果を知るヒイロでさえ、この現象には驚愕……いえ、恐怖を禁じ得ないのですから無理はありません。
「……おい、ヒイロ。何が起きたのかわかるなら、お前が説明しろ」
ヒイロの袖を引っ張りながら、アンジェリカが尋ねてきます。
「いいですけど、まずはマスターの後について、この場を離れましょう」
「ああ、わかった」
いまだざわめき続ける人ごみをかき分け、ヒイロたちはその場を後にしたのでした。
──兵士を一人殺害したことで、『世界で一番綺麗な私』が発動し、マスターは新たな特殊スキルを入手しました。
そして、その特殊スキルの内容は、次のようなものです。
○特殊スキル(個人の性質に依存)
『鏡の中の間違い探し』
自分が殺害した『知性体』に対し、任意で発動可能。致命傷を含むすべての傷を治癒し、蘇生する。ただし、蘇生された対象は、それ以前と比べて『何か』が間違っている。
「『何か』が間違っている? 意味が分からんな」
とある宿屋の一室で、寝台に腰を下ろしたアンジェリカが鼻を鳴らします。あの後、ヒイロたちはメイド服の女性の案内で、彼女が宿泊している宿の一室にかくまっていただけることになりました。
「あのピエールとかいう貴族の変わりようを見る限り、隠れる心配もあまりなさそうだが……あれが『何か』が間違った結果というわけか?」
「まあ、そうなるのかな?」
一方のマスターは、部屋の窓枠に腰かけるようにしたまま、首を傾げました。
「歯切れが悪いな?」
「はっきりと狙ってやったわけじゃないしね。法則はあるのかもしれないけど……まあ、今のところは何が起こるかわからない不思議呪文って感じかな? そういえば、昔やったテレビゲームにも、そんなのがあったような気がするね」
マスターの新たなスキル『鏡の中の間違い探し』の真骨頂は、死者の蘇生にはありません。それなら、ヒイロにもできるからです。むしろ副次的な効果こそ、このスキルの恐るべきところでしょう。
『知性体』の精神や肉体に関する根本的な何かを、殺害からの蘇生と引き換えに捻じ曲げてしまう力。今回はそれがたまたま、あの貴族の性根を直す方向に作用したのかもしれませんが、あのような歪んだ形の更生が長続きするはずもありません。今後、より酷い方向に捻じ曲がる恐れもあるでしょう。
──生きとし生けるものの『在り方』を捻じ曲げる。
なんとおぞましくも、恐ろしいスキルなのでしょうか。
「何事も結果オーライって奴だよ。おかげで宿無し金なしの僕らが、こうして温かい部屋で眠れることになったんだしね」
マスターが窓際から見渡す室内は、この宿では比較的広い角部屋となっていて、ベッドも四つほど置かれていました。
「だが、あの女も怪しいと言えば怪しいぞ? 明らかに貴族の使用人に見える女性が、一人で旅をするなど普通では考えられないことだ」
「駄目だよ。メイドさん……じゃなかった、リズさんは僕らに宿を提供してくれたんだ。悪く言うもんじゃない」
「……ああ、わかっている。だが、お前はお前で少し人を信用し過ぎだと思うがな」
呆れたように息を吐くアンジェリカ。
「で? そのリズはまだ戻ってこないのか? わたしはいい加減、腹が減ったぞ」
などとアンジェリカが寝台の上に寝転び、わがまま全開の発言をした、その時でした。部屋の扉が控えめにノックされます。
「どうぞ」
マスターが声をかけると、ゆっくりと扉が開かれていきます。
「お待たせしました。宿にお願いして皆さんの食事をお持ちしましたよ」
メイド服を着た栗色の髪の女性──リズさんは、慣れた様子で料理の盛られた皿を乗せたカートを押して入ってきます。『リズ』というのは愛称のようで、フルネームは『リザベル・エルセリア』というのだそうです。背が高く、胸の大きさも相まって大人っぽい印象の彼女ですが、それでもまだ二十歳にはなっていないということでした。
「お! 待ってたぞ!」
寝台に寝転がった状態から一転して跳び起きると、アンジェリカは我先にと食事用テーブルに腰を落ち着けました。そのまま彼女は、リズさんが運ぶ料理を舌なめずりせんばかりに見つめています。
「まったく、欠食児童もかくやという勢いですね」
ヒイロはそんな皮肉を言いながらも、彼女の無邪気な姿には微笑ましさを覚えていました。ちなみに、ヒイロは最初から食卓に着いていますので、後は窓際からゆっくりと歩いてくるマスターを残すのみです。
「食事の用意までしてもらっちゃって、すみませんね」
席に着きながら、神妙に頭を下げるマスター。しかし、ヒイロは彼の視線が給仕を始めるために前屈みとなったリズさんの、いかにも重たそうに揺れる胸元に向けられているのを見逃しませんでした。……いえ、だからどうだということもないのですが。
「何をおっしゃるんですか。こちらの方こそ、キョウヤさんのおかげで本当に助かりました」
席に着く皆さんに給仕を初めるリズさんを横目に、ヒイロは彼女が用意した食物に有毒なものがないか解析を開始します。意図的な毒物の混入もそうですが、異世界人であるマスターの体質に合わない食品がある可能性も否定できないのです。
「……マスター。そちらの緑色の葉は、あまり大量に摂取しない方がいいと思います。マスターの体質的に胃腸を壊す恐れがありますので」
「え? ああ、うん。ありがとう」
一心不乱に食事を口に運ぶアンジェリカを楽しそうに見つめていたマスターは、ヒイロに言われて一つ頷きを返してくれました。そしてそのまま、自分の食事に手を付け始めます。ヒイロも出された料理の『味』を確かめるべく、スプーンを手に取り食べ始めることにします。
「うん! なんだ。この宿の食事も結構いけるじゃないか。うまいうまい!」
「ああ、アンジェリカさん。熱いですから気を付けて……」
おろおろと心配そうに、アンジェリカの世話を焼くリズさん。もっとも、アンジェリカは熱耐性スキルのせいもあり、火傷するほどの熱を感じること自体ができないはずです。
「ああ、零れていますよ。これを使ってください」
ナプキンを手に取り、素早くアンジェリカに差し出すリズさんを見て、マスターが首を傾げて言いました。
「もしかして、リズさんって、アンジェリカちゃんみたいな『お姫様』の世話を焼いていたことがあった?」
「ぶは!? ぶほほ!」
「ああ! だ、大丈夫ですか。アンジェリカさん!」
マスターの言葉に、何故か動揺して咳込むアンジェリカをリズさんが優しく介抱しています。
「……ど、どうしてそうお考えに?」
「だって、メイドさんだし……随分と手慣れた感じで世話しているから……」
マスターがそう言うと、リズさんはその茶色の瞳を悲しそうにうつむかせてしまいました。
「えっと……どうしたんですか?」
心配そうに問いかけるマスターに対し、リズさんは沈んだ声で答えを返します。
「実は、わたしが一人で旅をしているのは……お仕えするお嬢様のためなのです」
「お嬢様?」
「はい。わたしのお仕えするエレンお嬢様は……半年前から病に……いえ、『呪い』にかかっているのです。領内で一番優れた『法術士』でもその『呪い』を解くことは難しくて……ついには、お館様も奥方様も、エレンお嬢様を別荘の屋敷に閉じ込め、見て見ぬふりをするようになってしまいました」
悔しげに自分のスカートの裾を掴むリズさん。
「でも! そんな時、わたしは噂に聞いたんです! 『呪い』を専門に研究しているすごい術者の方がいるという話を! だからわたし……その御方──大法術士ハイラム様を探してここまで来たんです!」
「……なるほど」
「そ、そうなんですか……」
あまりの展開にマスターもヒイロも、乾いた声で相槌を打つことしかできませんでした。
「げほ、げほ……まったく、驚かせてくれてからに……。ん? どうした?」
微妙な空気漂う室内に、ようやく呼吸を落ち着けたアンジェリカの場違いな声が響いたのでした。
次回「第19話 メイドの事情」