第169話 無罪の魔法
「マスター! ご無事ですか!」
もうもうと立ち込める土煙の中、わたしはマスターの無事を確認するべく、【因子観測装置】によるサーチを続けました。確認できた生命反応は、巨大なクレーターのほぼ中心部。センサーで検知した状態を確認する限り、どうやら大きなダメージはなさそうです。
「マスター!」
それでも彼の無事を『肉眼』で確認したいという気持ちが抑えられず、わたしは急いで彼のもとへと駆け寄っていきました。土煙が徐々に晴れていく中、わたしがたどり着いた先には、片手を前に突き出したまま、立ち尽くすマスターの姿があります。
「馬鹿な……数千の同胞たちの命の力をもってしてもなお、貴様にはその程度の傷しか負わせられないのか? この化け物め」
驚愕に震えるプロセルピナの声。彼女の言葉どおり、マスターはまったくの無傷というわけではありません。前方に突き出した掌をはじめ、体のあちこちに裂傷が走っており、見た目だけなら『血まみれ』と言っても過言ではない有様です。
しかし、逆に言えば、傷はどれも浅く、先ほどの大規模爆発によるものとは到底思えないものばかりでした。
「プロセルピナさんだっけ? うーん、この名前、言いにくいから『ぷーちゃん』って呼んでいいかな? ぷーちゃんは、『因果応報』って言葉を知ってるかい?」
「……ぷーちゃんはやめろ」
「あはは。僕がさっき使った魔法はね。それを無意味にするものなんだ。己の罪を罰せられない。しっぺ返しを絶対に食わない。簡単に言えば……天に唾を吐いても、それが自分にかからないようにする、いわば『無罪の魔法』なんだよ」
「……魔法だと? だが、ならばなぜ、我が『隻眼』の反転複写が作動しない?」
「反転複写か。君の言うそれは多分、『魔力』を【因子】に変換して、魔法を無効化することを言うんだろうけど、ある意味、僕の魔法も既に『反転済』なのさ」
「……何を言っている?」
いぶかしげに首をかしげるプロセルピナでしたが、傍で聞いていたわたしには、彼の言葉に思い当たるものがありました。
「まさか……ベアトリーチェさんの?」
「そう。だってほら、僕ってばついに、ベアトリーチェさんともキスできるようになったじゃん! さっそく使わせてもらったんだよ」
できるようになったも何も、少なくとも今回に関しては無理やり唇を奪ったはずでは……などと思いながら、わたしはふと気づきました。
彼がベアトリーチェの『魔法』の反転版を使えるということは、『白馬の王子の口映し』の効果から言って、彼女が彼に『好意』を抱いていることの証明にもなるのです。
「まったく、あなたという人は……。ですが、そんなに即席で使えるものなのですか?」
わたしは治療用【因子演算式】の《フォース・エイド》を展開し、彼の傷を治癒しながら、ため息とともに尋ねました。
「まあね。僕も大分、『魔法』の使い方に慣れてきたせいか、どんな効果があるのか理解するのも早かったよ。『大法学院』で得た知識のおかげもあるかもしれないけどね」
『愚かなる隻眼』の反転複写に関する知識もそこから得たのでしょうが、いくらなんでも順応するのが早すぎます。
「貴様らの話は理解しかねるが……どうやら無傷というわけでもない。ならば、貴様が死ぬまで繰り返すのみ!」
プロセルピナは金に輝く長槍を再び右腰に引きつけ、構えをとりました。
やはり、彼女の【スキル】『死を嘆く冥府の女王』は一度限りの攻撃能力ではなく、対象の死亡や自身の気絶といったスキルの終了条件を満たすまで、何度でも効果が持続するもののようでした。
「無駄だよ。僕がダメージを受けたのは、あくまでヒイロがこの辺一帯を焼け野原にしたときに燃えた草花の分だけだ。『僕のせい』で死んだ『愚者』の生命力の分は無効になる以上、何度やっても同じ結果にしかならないよ」
「残る『力』だけでも、貴様の心臓を貫くには十分だ!」
プロセルピナは一声叫ぶと、『金の槍』を振りかざし、こちらへと一直線に突進してきました。
「《エネルギー・シールド》を展開!」
わたしはとっさに、マスターの正面に防御用の【因子演算式】を展開しました。この《エネルギー・シールド》は、指向性のあるエネルギーに対し、展開した障壁に対する鉛直方向への流れを完全に遮断する作用のあるものです。
おそらく以前のわたしでは、これほど高度な【式】をこの一瞬で構築することは困難だったでしょう。ましてや、それを光の盾のようにかざし、敵の動きに合わせて動かすようなアレンジまで加えるとなると、高度で複雑な演算を瞬時に延々と繰り返し続けなければならないのです。
かつてのわたしは、自分で思っていた以上に、自身の『性能』に制限をかけていたのかもしれません。
しかし、どれだけ『盾』を早く動かそうとも、それだけでは光速を超えるプロセルピナの動きには対応しきれません。
「死ね!」
こちらの『盾』を避けるように左右にフェイントをかけながら突進してきていた妖精騎士は、背中の羽根を小さく振動させると、次の瞬間、目の前から消失しました。
「空間転移です!」
わたしが叫んだ次の瞬間でした。
「がはっ!?」
背後からくぐもったプロセルピナの苦痛の声が聞こえ、わたしは自身のセンサーで、彼女が胴体に強い衝撃を受け、後ろへと吹き飛ばされていくのを確認しました。
ゆっくりと振り向けば、プロセルピナに後ろ蹴りを叩き込んだマスターが足を下ろす姿と、少し離れた場所でみぞおちのあたりを抑え、苦しそうにうめく妖精騎士の姿が目に映ります。
「サンキュー。ヒイロ。あれだけ見事に正面を防がれちゃ、『転移』できる先は僕の背後くらいしかないよね」
「き、貴様ら……最初からそのつもりで……」
カウンター気味にマスターの一撃を受けたプロセルピナは、ダメージが大きいらしく、立ち上がる気配もないまま、憎々しげにこちらを睨みつけてきました。
周囲の『愚者』はほぼ全滅し、『惨禍の翼竜』もメルティに抑えられている以上、すでに形勢は決したといってよい状況です。
しかし、それでもなお、彼女の目には依然として強い闘志が宿っています。それを見たマスターは、楽しそうに目を軽く細めた後、わたしに向かって手を差し出してきました。
「ヒイロ、アレ出して」
「……はい。でも、その……ほどほどになさってくださいね?」
マスターが言う、アレとはもちろん、『アレ』のことでしょう。
「うん。善処する」
「はあ……《ワーム・ホール》を展開」
わたしが亜空間連結用の【式】を展開すると、マスターは空間にできたゆがんだ裂け目に腕を突っ込み、目当てのものを引っ張り出します。
ズルリ……という音さえ聞こえてきそうな禍々しさとともに姿を現したのは、いびつに歪んだ刀身を持つ、漆黒の剣です。
「あ……! う、あ!」
すると、それを目にした途端、プロセルピナは顔を蒼白にして後方へ飛び下がろうとした後、バランスを崩して尻餅をついてしまいました。
「あれ? 思った以上に反応が大きいね」
不完全の病をまき散らす悪夢の剣──パンデミック・ブレイド。
マスターはそれをおもちゃの様に手の中でもてあそびながら、怯えた様子のプロセルピナを見つめました。
「これを出したのは、少し試したいことがあっただけなんだけど……それは後にしようか。君には教えてもらいたいことがあるからね。少しばかり、こいつで素直になってもらおうか?」
悪役のようなセリフを言いながら、マスターは右手に構えた『パンデミック・ブレイド』をゆらゆらと揺らし、一歩、また一歩と、プロセルピナに近づいていきます。
「あ、ああ……く、来るな!」
「君の姿って、もしかすると、いや、もしかしなくても『フェアリィ』だよね?」
「い、いや! こ、来ないで! こっちに来ないで!」
「王魔であるはずの『フェアリィ』が、どうして『愚かなる隻眼』を持っているのかな? もしかして、君はメルティと同じなのかい?」
「なんで? どうして? なんで、そんなモノが……!」
「不思議なんだよねえ、この剣。『王魔』とか『法学』の魔法に関係したものなら例外なく切りつけただけで『病』に変えることができるんだけど……普通にその辺のモノを切っても何も起きないんだ」
マスターは言いながら、黒剣を一振りして手近な地面を切りつけました。
「わ、わかった! 待て! 話す! 話すから!」
「え? でも、ほら、僕、この剣で『愚者』を切ったことはないんだよ。だから、確かめてみた方がいいかなあって」
マスターは黒々とした鏡のような瞳を見開き、狂気の笑みを浮かべながら、プロセルピナの前に立ちました。
「う、あああ……」
先ほどまでの凛々しい姿から一転して、ガタガタと震える妖精騎士。マスターはそれを見て、最後の追い込みに入ったようです。
「でも、僕も鬼じゃない」
「え?」
一転して声の調子を柔らかくしたマスターに、救いを求めるかのような目を向けるプロセルピナ。わずかではありますが、彼女の眼には涙さえ浮かんでいるようです。
「君が僕らに攻撃してきたことを謝るなら、許してあげなくもないよ」
「……な!」
「どうする?」
『パンデミック・ブレイド』を肩に担いだまま、意地悪く問いかけるマスター。それに対し、プロセルピナは……
「……こ、断る! プロセルピナは、世界のために! 母様のために! 貴様を討つと決めたのだ! それだけは、断じて譲るつもりはない!」
震える声を張り上げて、尻餅をついた姿勢のまま、それでも彼女は恐怖をねじ伏せ、『黄金の槍』をマスターに向けて突きつけました。
するとマスターは、にやりと笑って漆黒の剣を足元の地面に突き刺し、小さく肩をすくめました。
「オーケー。じゃあ、それでいいよ」
「え?」
今度こそ、あっけにとられ、手にした槍を取り落としかけるプロセルピナ。
「殺されてやるわけにはいかないけれど、君の『心』はよくわかった。だから、それは譲らなくていいさ。でも、質問には答えてほしいな。そうしてくれれば、とりあえずこの『剣』は引っ込めてあげるよ」
「……駄目だ。『マザー』に危険が及ぶようなことを言うつもりはない」
「じゃあ、それ以外の質問ならいいでしょ? ダメな質問の時は『答えられない』と言ってくれればいいからさ」
食い下がるように問答を要求するマスターに、プロセルピナは戸惑い気味の表情を見せた後、渋々と頷きました。
「……いいだろう。それなら答えてやる」
後から思えば、すでにこの時点で、彼女はマスターの術中にはめられていたのでしょう。
「なら、まずはさっきの質問だ。君は『フェアリィ』なのかい?」
「……プロセルピナは、『フェアリィ』という『王魔』そのものではない。かつて『森』にいた『フェアリィ』たちを『愚者』が取り込み、同化して、新たに生み出した正しき世界の『妖精』。それがわたし……プロセルピナだ」
長槍を杖代わりにしてようやく立ち上がった彼女は、それでも凛々しく胸を張って自分自身を指差しました。
「同化して生み出す……ね。そう言えばメルティも一度は『オロチ』に飲み込まれたんだっけ?」
そう言ってマスターが見上げた先には、狂ったように火を吐いていた『惨禍の翼竜』を早くも手懐け、その背に乗って悠々と空を飛ぶ黒髪の少女の姿がありました。
「あははは! すごい、すごい! 君、飛ぶの上手だね!」
けらけらと笑うメルティを乗せたまま、『惨禍の翼竜』は嬉しそうに上空を旋回し続けていました。
「……はあ。強敵を抑えてくれたのはともかく、こっちを手伝う気はまったくないみたいですね」
あまりに呑気な彼女の様子に、わたしは思わず愚痴をこぼしてしまいました。すると、ここでプロセルピナが口をはさんできます。
「あの子を責めてやるな。今のあの子がどうやって自身の内側にある『愚者の隻眼』と『王魔の情念』を調和させているかはわからぬが……それでも『同志』たるわたしと戦うことは、身を裂かれるような苦痛となるはずなのだ」
「いえ、責めるつもりはなかったのですが……あなたと彼女が同志、ですか? それはどういう意味です?」
「……この世界の【ファージ・システム】は、本来、『異物』を取り込み、それをもとにして、わたしのような『御使い』を生み出す。だが、あの子の場合、取り込まれた『愚者の器』との相性が良すぎたのだろう。システムに取り込まれて新たに『生まれ変わる』のではなく、共存する形で『生き残って』しまったのだ」
無邪気に笑って空を飛ぶメルティ。そんな彼女を見上げるプロセルピナの赤い瞳には、深い哀れみにも似た感情が滲んでいるようでした。
「ふうん。でも、今の話が本当なら、君の『同志』って奴は、『王魔』の生まれ変わりってことになるね。ほかの『王魔』でもいるの?」
「当然だ。プロセルピナのように、ひとつの種族すべてを飲み込みつくし、その魔法特性まで引き継いだ者となれば、他には『餓狼』ぐらいのものだがな」
どことなく誇らしげに、胸を張って答えるプロセルピナ。
「餓狼? ……うーんと、それって獣種フェンリルのこと? やっぱり、そっちも滅びてたんだ?」
「もっとも、かの種族は過ぎた『食欲』がゆえに、同族同士で互いに食い合い、結果として【ファージ・システム】に取り込まれたに過ぎないがな」
「共食いで全滅ですか? ぞっとしませんね」
わたしが過去に渡り歩いた世界すべてを通しても、自分の種族が滅びに瀕するレベルで共食いを繰り返す種族など見たことがありません。
「互いを愛し、互いの同化を望むのは、究極の愛の形でもある。今の『餓狼』は、そう言っていた。プロセルピナには理解できぬが」
どうでもいいとばかりに首を振るプロセルピナ。どうやら彼女は、話に出てきた『餓狼』に対し、あまり好感情を抱いていないようです。
「……君の『同志』は『餓狼』くんのほかに、何人ぐらいいるのかな?」
「我らは『七人の御使い』だ。ゆえに、七人いる」
今のマスターの問いかけは、あからさまに相手の戦力を確認する形のもののはずですが、彼女は答えをためらう素振りすら見せません。
他の『愚者』と異なり、彼女はそれなりに『知性』を有しているはずなのですが、それでも他人との交渉事には慣れていないのでしょうか。
「七人? へえ、おかしいね。『王魔』は六種族でしょう? あと一種族は?」
「……答えられない」
それまで饒舌と言っても過言ではない答えを繰り返していたプロセルピナですが、ここでようやく、返答を拒む態度を見せました。『王魔』以外の一種族。それに言及することは、『マザー』に危険が及ぶと判断したのでしょう。
しかし、彼女が返答を拒んだこと、それ自体が重要な情報となっています。
「じゃあ、質問を変えよう。どうして……『王魔』なんだい?」
「質問の意味が分からない」
「同化する相手だよ。『女神』とか『法学』だって、この世界の異物なんだろ? でも、どうして『王魔』だけを『同化』の対象に選んでいるのかなってね」
「……答えられない」
不安げに目を瞬きを繰り返し、答えを拒否するプロセルピナ。体のダメージは大分抜けたのか、杖代わりにしていた槍を持ち上げ、胸元で抱きかかえるようにして俯いています。
マスターは、そんな彼女の顔を軽く覗き込んだ後、何かを確信したように頷きました。
「ぷーちゃん。君は嘘が苦手なんだね。それどころか、吐いたつもりの嘘で相手にヒントまで与えてしまうんだから目も当てられないよ。『七人の御使い』とか、いくら何でも大ヒント過ぎるでしょ?」
「き、貴様、プロセルピナを愚弄するか!」
「いやいや。馬鹿にしたわけじゃないよ。それって人として、とっても好ましい性質だと思うしね」
にこやかに笑うマスターを鋭く睨みつけた後、プロセルピナは、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、小さく息をつきました。
「ふん。人として、だと? くだらぬ。それで……貴様は何が分かったというのだ」
硬い表情のまま先を促す彼女に、マスターが返した言葉。
それは彼女にこれまでにない強い衝撃を与えるものでした。
「『マザー』の正体」
次回「第170話 母なる世界」