第167話 進化の証
「うう、ああ、あああああああ……」
どこからか、うめき声のようなものが聞こえてきます。ありえない失敗をしでかしてしまい、恥ずかしさのあまり頭を抱え、身体を震わせ、あたりの地面を転げまわりたい──そんな思いを抑えているかのような、苦しそうな声です。
「ヒイロ。済んだことはもう気にしちゃダメだよ」
なぜかマスターの気遣わしげな声まで聞こえてきました。
「どうしよう、ヒイロが壊れちゃった」
と、これはメルティの声です。
「あうあうあ……、ああうう、いあいあいあ……あえあえ、えああええあえ……」
失礼な、わたしは壊れてなどいません。ただちょっと、ちょっとだけ、へこんでいるだけなのです。
「へこんでるってレベルじゃないよね? なんていうか、これこそまさに『生きた屍』って言葉がぴったりな顔をしてるし……目のよどみが半端じゃないよ?」
「ううえ、うううえん、あああああ、えええいいい、えええいいえ……」
いいえ、心配には及びません。マスター。ヒイロは貴方のためならいつだって、コンディションオールグリーンなのです。
「……この世のものとは思えない『うめき声』で会話をしてくれてる時点で、オールブラックって感じだけどね」
とうとう諦めたように首を振るマスター。ここでようやく、わたしは頭を抱えていた手を広げ、顔を上げてマスターに目を向けました。
「だ、だって! 仕方がないじゃないですか! 大火力の【式】を使うのは、ほとんど初めてだったんです……。リミッターが外れた直後に、それまで抑えていた力が過剰に放出されるのはやむを得ないことでもあるはずです!」
【ナビゲーター】としてはあるまじきことですが、気づけばわたしはマスターに対し、子供じみた言い訳を一方的にまくしたてていました。
「あはは、もちろん、そうだよね」
「うう……! た、確かに! 調子に乗ってしまったことは認めますとも! で、でも、最も効率的にこの広大な草原に仕掛けられたトラップを排除するとなれば、ひとつひとつを解析するより、こうした方が早かったんです!」
「なるほど、そうだねー」
いかにも納得したように頷いてみせるマスター。しかし、彼は時折、見渡す限りの焼け野原に視線を向けると、そのたびにわずかに頬を引きつらせているようでした。
「あう……そ、その……範囲を限定して、通り道だけを確保すればよかったという見方もありますけれど……、で、でも、わたしだってそこまで考えが至らない時もあるんです!」
「うんうん」
なおも言い訳を繰り返すわたしに、マスターは嬉しそうに笑いながら頷きを返し続けてくれています。
「そ、その、ですから……す、すみませんでした」
ひととおりの言い訳が出尽くした時点で、わたしはしりすぼみに謝罪の言葉を口にします。
「あはは。謝る必要なんてないよ。だってヒイロは、完璧に僕の期待に応えてくれたわけだしね」
「いえ、そんなことはありません。マスターが先ほどおっしゃっていた通り、最初から『愚者の聖地』の主たちに敵対するような行為は慎むべきだったはずですのに……」
それをわたしの軽はずみな行動で台無しにしてしまったのです。穴があったら入りたいとはこのことですが、目の前の大地は、ほぼすべてが冷えて固まったマグマによって覆いつくされているのでした。
「確かにそんなことも言ったけど……考えてみれば気にすることじゃなかったんだよ」
「え?」
「だって、試すつもりだか何だか知らないけど……普通に踏んだら爆発して死んじゃうようなトラップを仕掛けてくるような相手だぜ? そんなのもう、十分すぎるほど喧嘩を売ってきてるようなものじゃないか。だったら、こっちだって遠慮なんかしてやる必要はない。そう考えれば、ヒイロがしてくれたことは最高の仕事だよ」
「……マスターは、優しすぎです」
とはいえ、ここまで言葉を尽くして慰めてくださる彼を前にして、これ以上落ち込んでいてはいけません。わたしは気を取り直すべく、メルティに声をかけました。
「実際のところ、どうなのでしょう? 『愚者』たちの反応は……」
「変わらないよ。確かにさっきのはすごい力だったけど……『みんな』が求めているのは、世界を救う力なの。だから、『それ』を確かめるまでは、このまま続けるみたい」
「このまま続ける? どういう意味ですか?」
そう問いかけたわたしに対し、メルティは答えを返すことなく、焼け野原と化した平原の奥を指さしました。
「な……」
彼女のしなやかな指先の示す方角には、おびただしい数の『赤い輝き』が溢れています。
「こりゃまた大したお出迎えだね。あれだけの大火力を見せつけられた後だっていうのに、彼らにはまるで恐れってものがないのかな」
感心したように言うマスターの声を聞きながら、わたしは信じられない思いで新たに出現した『愚者』の大群を見つめました。
「どういうことです? わたしの【因子観測装置】で感知できなかったなんて……これではまるで、一斉に空間転移してきたとしか……」
溶岩で固められた地平線を埋め尽くす、異形の怪物たち。わたしが確認した限り、その数は千体を超えています。その姿は、巨大な四足歩行の猛獣であったり、かつてメルティを飲み込んだオロチであったり、両手に棍棒を持った巨人であったりと様々です。
しかし、姿こそ違え、彼らは紛れもなく『同族』であるということができるでしょう。なぜなら、彼らの顔に当たる位置には、真紅に輝く『二つの隻眼』が存在しているからです。
「惨禍級の『愚者』が約1,000体ですか。試すどころか本気で殺しにきているようにも見えますね」
どうやってあれだけの大群が一度に出現したのかは謎ですが、今はそんなことを気にしている場合ではありません。敵の大群は、今にもこちらに迫ろうとしているのです。
「……とはいえ、攻めてくるなら改めて殲滅すればいいだけのことです」
わたしは、再び超攻撃型の【因子演算式】を展開しようと試みました。
しかし、その時でした。
「いいや、ヒイロ。今度は僕の番だよ。彼らが僕らを試そうとしているのなら、さっきと同じことをしても繰り返しになるだけだ。きっと彼らは、『僕のこと』も知りたいだろうしね」
マスターはそう言うと、わたしの動きを手で制しながら、前へと歩き出したのです。
「し、しかし、マスター。あれだけの数が相手では危険です。繰り返しになるといっても敵の数も無限ではないでしょうし……」
「無限じゃないとしても、すべてを殺しつくすとなれば、あの程度じゃ済まないだろうね。僕としては、相手が『愚者』だろうと無駄な殺生は避けたいのさ」
「無駄な殺生……?」
それは、マスターらしからぬ言葉でした。いえ、彼はこれまでも命を軽んじてきたわけではありませんが、重く見ていたわけでもないことは事実です。ましてや敵対する相手に対してという意味では、異例のことではないでしょうか。
「ヒイロ。悪いけど、メルティを連れてここから離れてもらえるかな。あの大群じゃ空に逃げるしかなさそうだしね」
「は、はい。わかりました」
わたしは戸惑いながらもメルティを重力場に乗せ、空へと浮かび上がりました。
「キョウヤ! 無理しないでね? 危なくなったら助けにいくから!」
「ありがとう、メルティ。いい子にして、待っててね」
心配そうに声をかけるメルティに、マスターは笑顔で手を振って答えました。しかし、敵はもう目の前です。
「マスター!」
わたしが警告の声を発するも時すでに遅く、彼は四足獣型の『愚者』の突進に正面から激突してしまいました。彼はメルティに振っていたのとは逆の手を前に突き出し、狂ったように雄たけびを上げる巨大な虎の姿をした『愚者』の身体を受け止めましたが、当然のことながら体重が違います。
こればかりはいかにマスターが【スキル】によって身体能力を強化しようと覆せない差であり、案の定、彼の身体はゴムまりのように大きく後方へと跳ね飛ばされてしまいました。
「うわっと、危ない」
ところが、大型トラックに子供が跳ね飛ばされるような光景とは裏腹に、彼は慌てた様子もなく、くるりと宙返りを決めてしまいます。
「いたた……やっぱり『愚者』の攻撃は『反射』できないみたいだね」
どうやらマスターは先ほどの突進を『世界の平和は君次第』による反射で防ごうと試みたようですが、敵が『知性体』でない以上、有効とはならなかったようです。
骨折した腕を押さえ、痛みに顔をしかめるマスター。
「キョウヤ、痛そう……」
わたしの隣で、心配そうに唇をかむメルティ。
彼がスキルの特殊融合によって得た新たな強化系スキルは、『自分の敵は自分と敵』。自身の痛覚を強化すれば強化するほど、劇的に身体能力が上昇するというものです。
すなわち、メルティの『精神は肉体の奴隷』に匹敵するレベルで強化を施したであろうマスターの身体には、現在、強い痛覚が備わっているはずなのです。
「戦闘能力という面で見れば……むしろ弱体化につながりかねないスキルの変化。でも、きっとあれは……」
独り言のようにつぶやくわたし。
「彼の『心』の進化の証」
痛みを軽減する力。痛みを自在に操る力。それらは確かに強力です。痛みを感じることなく強い力を振えるならば、戦闘においてこれほど有利に立てる条件もないでしょう。
しかし、そこには『心』がない。だからきっと、強い力の代償に、強い痛みをもたらすこのスキルは、決して弱体化の結果などではないはずなのです。
「うーん、やっぱりこうやってみんなに囲まれてると、安心するなあ」
骨折した左腕をぶら下げたまま、周囲を見渡して嬉しそうに笑うマスター。跳ね飛ばされてから着地を決めるまでの短い時間に、彼は別の【スキル】も発動していたのでした。
マスターが飛ばされた先は、当然のことながら突進してきた『愚者』たちの進行方向であり、本来ならば、そのまま追撃があってしかるべきです。しかし、マスターの発動したその【スキル】は、彼らにそれ以上の接近を許さないものでした。
「《クイーン・インフェルノ》 焦熱壁生成」
「《ライフ・クリエイト》 吸血樹生成」
「《女神の拷問具》 重鉄球生成」
とはいえ正確には、『愚者』たちの突進を食い止めていたのは、彼の【スキル】そのものではなく、その【スキル】によって生み出された鏡像が使用する『魔法』だと言うべきでしょう。
〇特殊融合スキル
『鏡の中の憧れの君』
『白馬の王子の口映し』発動時のみ使用可。対象と互いの肉体感覚を自由に共有するとともに、自身の隣に対象と同じ姿、『魔法』をもった鏡像を出現させる。鏡像は自身の意思で操作でき、離れた場所でも存在できるが実体はなく、『魔法』以外の能力は使用できない。
「なにあれ、すごい! アンジェリカとエレンとベアトリーチェお姉ちゃんがいる!」
わたしの隣で驚きの声を上げるメルティ。つい先ほど別れたばかりの3人の姿は、マスターの正面と左右を護るように立っています。鏡像であるため、その顔には特に感情らしいものは確認できませんが、本物と寸分たがわぬ美しい少女たちの姿です。
おそらくは身体感覚の共有まではしていないのでしょうが、それでも鏡写しのように出現した彼女たちは、本物とまるで同じ『魔法』を使用しています。
正面に熱の壁、左に巨大鉄球の壁、右に樹木の壁……三者三様の魔法。マスターに飛びかかろうとした『愚者』たちは、高熱の壁に焼き尽くされ、鉄球に押しつぶされ、地面を突き破って生えてきた枝に刺し貫かれ、その動きを止めていました。
「《治癒の包帯》」
ふと気づけば、マスターの後ろにはリズさんの姿が現れており、彼女はどうやら治療用の『法術器』を彼の腕に巻き付けているようでした。
「ありがとう、リズさん」
表情ひとつ変えないメイドの鏡像にお礼を言うマスター。しかし、本来であれば彼の身体強化スキルには、『痛覚』を弱めることによって回復力を飛躍的に高める作用もあるはずです。にもかかわらず、彼はその能力を使うことなく、腕の怪我を治療したのでした。
「……痛みを軽減するスキルは、あえて使わない。それが貴方の選択なのですね」
その行動からは、確かにマスターの『心』に起きた変化が感じられます。それが何を意味するのかはまだわかりませんが、きっとそれは彼の望んだものなのです。
一方、『彼女たち』三人が展開する『魔法』の向こう側では、依然として無数の『愚者』がひしめいています。とはいえ、それぞれの身体が巨大であることもあり、一度にすべてがマスターに攻撃できるわけではないようです。
しかし、異物を排除せんと押し寄せる無数の『愚かなる隻眼』たちは、単に身動きが取れなくなったから立ち止まったというわけではありません。目の前で展開された『魔法』を封じるべく、各自の『隻眼』を大きく開かせるためにこそ、その動きを止めたのです。
一斉に輝きを強める『愚かなる隻眼』。そこから放たれる光は、夕焼けよりもなお赤く、この世界を一色に染め上げていきました。まさに『魔法使い』にとっての悪夢の光。すべての『魔法』を無効化する『愚者』の力です。
しかし、一見して『彼女たち』の魔法であるように見える熱の壁も鉄球の壁も樹木の壁も、すべては『愚かなる隻眼』の影響を受けにくいマスターの『魔力』によって生み出されたものなのです。そう簡単に無効化されるものではありません。
「とはいえ、このままじゃジリ貧かな。こっちからも動かなくっちゃね」
マスターはそう言うと、腰のポーチから細かい粒のような鉱石を一掴みすると、周囲にまき散らしました。
「『パペット・マイスター》」
マスターの声と同時、彼の周囲には、無数の人形たちが出現しています。
真紅色の鉱石『対魔法銀』でできた《パウエル人形》。
赤銅色の鉱石『ミュールズダイン』でできた《レニード人形》。
黄土色の鉱石『ファンイエンダイト』でできた《アトラス人形》たち。
群青色の鉱石『ベルガモンブルー』でできた《ニルヴァーナ人形》たち。
マスターの『冒命魔法』で生み出されたそれらの人形たちは、周囲を護る障壁を軽々と飛び越え、『愚者』たちの群れの中へと飛び込んでいきます。
《パウエル人形》が生み出す《女神の鉄槌》が巨大なトカゲ型の『愚者』の頭を打ち砕き、《レニード人形》やその他の《ニルヴァーナ人形》たちの繰り出す『魔法』が四足獣たちの身体に炸裂します。巨人型の『愚者』たちには《アトラス人形》たちが組み打ちするように襲い掛かっていきます。
しかし、『二つの隻眼』を有する惨禍級の『愚者』は、やはり手ごわい相手でした。人形たちが他の個体を攻撃している隙を突く形で、大蛇の姿をした『惨禍のオロチ』たちが地面を這い、一斉に人形たちへと噛みついたのです。
次の瞬間、何かが砕け散るような甲高い音があたりに響き渡りました。凶悪な力と鋭い牙を持つオロチの咬撃により、ひとたまりもなく砕け散る人形たち……かと思えば、そうではありません。
「ついでに《ブルー・マリオネット》もね」
砕け散ったのは人形ではなく、凍りついたオロチの頭です。
マスターの『冷却魔法』のうち、自身が触れた物体にほかの物体を絶対零度まで冷却する作用を与える《物体冷却》。マスターは人形のもととなる鉱石を周囲にまき散らす際、同時にこの『魔法』を発動していたのでした。
『動く冷却装置』と化したこれらの人形を止めるためには、直接触れることなく破壊するしか方法がありません。そういう意味では、肉弾攻撃が主体の『愚者』たちを相手にするには、もっとも適した兵士たちと言えるでしょう。
マスターの持つ、戦闘時における優れた判断力や集中力。これらは確かにエレンシア嬢の支援スキルやリズさんの『法術器』《メイドさんのご奉仕》による底上げがなされている部分もあるのでしょうが、それでもやはり、さすがといわざるを得ないものがありました。
しかし、ここでさらに戦況に大きな変化が訪れました。
上空から彼の戦いぶりを見下ろしていたわたしとメルティは、ふと彼が何かに気付いたように空を見上げたため、同じく視線をそちらに向けたのですが……
「え? あれはいったい……」
「やっぱりね。この程度で終わるほど甘くはないってわけだ」
下から聞こえてくるマスターの声を耳にしながら、わたしたちが目にしたもの。それは、こちらとほぼ同じ高さで飛翔する巨大な竜のような生き物と、その背に乗った『三つの隻眼』を持つ人影らしきモノでした。
次回「第168話 絶禍愚人」