第17話 メイドさんは正義
「おい、貴様! そこをどけ!」
ヒイロが駆け寄った先では、派手な装いをした肥満体の男が声を荒げています。既にその周囲では、彼の取り巻きと思われる兵士たちが槍を構え、マスターに突きつけていました。
「どけと言われて退くぐらいなら、最初からここにいないよ」
兵士たちから鋭い切っ先を突きつけられたマスターは、それでも平然と言い放ちます。
「なんだと? 貴様……その奇妙な風体からして、余所者のようだな。ならば教えてやる。この御方はな、このあたり一帯を治めるリブルム家の御子息、ピエール・テムズ・リブルム様なるぞ!」
剣を手にした男の一人が、マスターを睨みつけて大声を張り上げました。どうやら、周囲に集まりだした野次馬たちを牽制しているつもりのようです。実際、その言葉を聞いた野次馬たちの多くは、貴族の悶着に巻き込まれまいとして、そそくさとその場を離れていきました。
ここまで走って来る間に、ヒイロはマスターと『早口は三億の得』を行い、概ねの情報を確認しました。
それによれば、どうやらメイドの女性が、大通りの真ん中を歩く彼らの集団を避けきれずにぶつかって転んだのがきっかけのようです。しかし、そもそもの話として、ピエールとやらが道を歩いていた彼女を気に入り、手籠めにするべくわざと難癖をつけていると言った方が正しいのでしょう。
よく見れば、マスターの背後にいるメイドの女性は、童顔で可愛らしい顔立ちに反し、服の上からでもわかるぐらいに大きな胸をしているようです。
「早速、楽しそうなことを始めているな。言っておくが、今後も人間の街を利用したいなら、貴族階級との揉め事は極力避けるべきだぞ」
ようやく追いついて来たアンジェリカが、ヒイロに向かってそんな言葉をかけてきました。
「関係ありません。ヒイロは、マスターに従うだけです」
「やれやれ……適当な誘い文句であの貴族に『遊び』を承諾させてやるのは簡単そうだが……わたしとしてもあんな豚に色目を使ってみせるなど、まっぴらごめんだからな」
呆れたように言いながらも、アンジェリカは黙って事の成り行きを静観するつもりのようです。
「あ、あの……わたしのことはもういいですから……」
遠慮がちな声で言うメイドの女性は、豊かな栗色の髪を後頭部で綺麗に結っていて、童顔ながらも『美人』と呼んで違和感のない大人びた魅力を備えています。そのせいなのかはわかりませんが、マスターは満面の笑みを浮かべ、励ますように言葉を返しました。
「大丈夫。メイドさんは、必ず僕が護りますから」
「で、でも……わたしの落ち度で何の関係もない方にご迷惑をおかけするわけには……」
「メイドさんの落ち度じゃありませんよ。っていうか、メイドさんに落ち度なんてあるわけがないじゃないですか。だって、メイドさんなんですよ?」
「え? そ、その……それはどういう意味なのでしょう?」
メイド服の女性は、マスターの意味不明な決めつけの言葉に困惑するように瞬きを繰り返しています。
「どういう意味も何も、知らないんですか?」
「え?」
「メイドさんは、正義なんです」
この世の真理を語るがごとく、胸を張って断言するマスターですが……正直、ヒイロには意味が分かりません。
「……せ、正義?」
「あと、それに比べれば本当にどうでもいいことですけど、ついでに言うならこの連中、明らかにわざとぶつかってきてましたし。そんなことを負い目に感じてノコノコついて行ったりしたら、口では言えないような卑猥な目に遭わされちゃいますよ?」
マスターは背後の女性と会話をしながらも、油断なく自分を囲む兵士たちに目を向けています。
「マスター。御命令さえいただければ、武装した兵士たちはヒイロが相手をしますが」
ヒイロは敵の注意をこちらに向けさせるべく、あえて声に出して言いました。
「いや、僕が勝手に首を突っ込んだ話だしね。ヒイロは下がってて……いや、そうじゃなくて……危なくなったら助けてくれるだけでいいよ」
「はい!」
マスターの言葉に、ヒイロは嬉しさと共に頷きを返します。彼に必要とされていると実感するたびに、ヒイロの『存在意義』は満たされるのです。
そんなやりとりを続けていれば案の定、兵士たちがこちらを見て声を上げました。
「な、なんだ、その赤い髪は?」
これで何度目になるかわかりませんが、またしても髪の色について言われてしまいました。この世界では珍しい色なのでしょうか。目立たないように色を変えることも考えられますが、今のヒイロには、その気はありません。
なぜなら、この世界に来た当初、マスターが『綺麗な髪だ』と褒めてくださったのですから。
「おお! へえ……髪の色はともかく、滅多にお目にかかれないような美人じゃないか。へへへ……なんだ? マスターってことは、その女、お前の奴隷なのか? だったら、俺に働いた無礼についても、対応次第で不問にしてやらないでもないぜ?」
身に着けた装飾品をじゃらじゃらと鳴らしながら、ピエールは太った身体を興奮気味に揺すっています。これに対し、マスターはと言えば……
「ヒイロが僕の奴隷? いやいや、そんなわけないじゃん。僕のゲットした美少女奴隷は、そっちの金髪碧眼の女の子だよ」
と、爆弾発言をしてくださいました。
一瞬で膨れ上がった怒気を察知したヒイロが目を向けた先には、行き過ぎた怒りのあまり、声も出せずに口をぱくぱくと開閉させているアンジェリカの姿があります。顔を真っ赤に染め、身体を震わす彼女の様子は、男たちから見れば非常に色っぽかったようで、彼らは目の色を変えて彼女のことを凝視しています。
「むきー! 誰が奴隷なのよ! せっかく……危なくなったら助けてあげようとか思ってたのにー!……もう知らない! キョウヤなんか、さっさと串刺しにされちゃえばいいのよー!」
怒り狂って叫び声を上げる彼女でしたが、マスターはなおも笑顔を崩しません。
「大丈夫。僕にしてみれば、アンジェリカちゃんが『そこに居る』だけで随分な助けになっているんだから」
「う……。よくも、ぬけぬけと……」
言葉を失うアンジェリカを横目に、マスターは『空気を読む肉体』を発動させました。本来なら、周囲の野次馬や背後の女性、見るからに体力の無さそうな貴族の息子などのメンバーの平均値ともなれば、マスター自身の体力を下回る恐れもあります。しかし、それもアンジェリカ一人がいるだけで十分元が取れそうです。
「……うん。まあ、半径五十メートルってのも広いからね。さすがに大したパワーアップとはいかなかったか」
自分の身体の感触を確かめつつ、つぶやくマスター。
「俺を無視するな! その女奴隷二人を俺に差し出せば、お前の命だけは助けてやると言ってるんだ。わかったら早く寄越せ」
ピエールは、痺れを切らしたように声を荒げています。
すると次の瞬間、マスターが顔を押さえて笑い出しました。
「あはははは! 脂ぎった欲望まみれの正直な発言。恐れ入ったよ。貴族の癖に、どうやったらそんな下衆に育つんだろうね? 親の顔が見てみたいなあ」
笑い涙を交えつつ、ピエールを指差しながら言い放つマスター。それを見たアンジェリカは、小さく息をついていました。どうやら、さきほどのマスターの発言で多少は機嫌が直ったらしく、落ち着きを取り戻しているようです。
「貴族に向かって、お家批判はまずいだろうに……相変わらずキョウヤは、天然なんだか意図的なんだかわからないな」
するとその直後──そんな彼女の言葉を証明するかのように、それまで嫌らしい笑みを浮かべていたピエールが、顔を真っ赤に染めて叫び出しました。
「き、貴様ああああ! わがリブルム家を愚弄するか!」
「え? あ、いや、間違えました」
「ま、間違えただと……?」
思いもかけないマスターの言葉に、振り上げた拳を止め、呆気にとられた顔になるピエール。しかし、続くマスターの言葉は、火に油を注ぐものでした。
「考えてみれば、豚が貴族とかありえないし、『貴族の癖に』って言葉は取り消すよ」
「……こ、殺せ!」
ピエールの声は、怒りのあまり裏返ったものになっていました。すると、周囲の兵士たちは、その言葉に忠実に従い、マスターめがけて手にした槍を突き出しました。身動き一つしないマスターへと殺到した鋭い切っ先は、そのままズブリと『肉』に突き刺さり……直後、真っ赤な鮮血が噴き出します。
「……おいおい君たち、主君殺しは大罪だぜ?」
ゆらりと立ち尽くしたまま、感情の起伏を感じさせない声でつぶやくマスター。彼の周囲には、槍の穂先より一回り大きい程度の『鏡』が四枚浮かんでおり、五人の兵士たちの突き出した槍のうち、四本を飲み込んでいました。
そして、その穂先が貫いたものは……
「あ、あが……」
背後に出現した鏡の中から、突き出される四本の槍。背中から胸部を刺し貫かれて、呻き声を漏らすピエール。その口元からは血が溢れ、そのまま彼は、激しく咳込みながら倒れ込みます。
「な、なんだよ、これ!」
「ど、どうしてピエール様が!」
深々と主君の身体を刺し貫いていた四本の槍の穂先には、真っ赤な鮮血が付着していました。兵士たちは手にした槍を見て驚愕し、狼狽えつつも倒れたピエールに駆け寄ります。
「……いてて。さすがに全部は防げなかったか」
五本の槍のうち、最後の一本はマスターのスキル『世界で一番醜い貴方』の発動条件を満たさず、彼の脇腹に突き当たっていました。……ただし、刺さってはいません。マスターはそれを見下ろし、その槍を掴みます。
「……ふむ。やっぱりキョウヤは頑丈だな。槍の穂先さえ通さないとはな」
ヒイロの隣で、アンジェリカが感心したように言いました。彼女は『禁じられた魔の遊戯』の時のマスターを思い出しているのでしょうが、今回は違います。
「いいえ。あれはヒイロの【因子演算式】《アイアン・スキン》です。マスターの皮膚を金属に変換する【式】なのですが、皮膚が固まれば身動きは制限されますし、それ以前に生物学的な問題もありますので、攻撃が当たる瞬間だけ発動させる必要があるのが難点ですね」
「皮膚を金属に? ……何と言うか、お前も大概、非常識だな」
呆れたように天を仰ぐアンジェリカ。
一方、マスターはスキルの力で多少なりとも底上げされた筋力を使い、兵士から槍を奪い取っていました。
「……僕のスキルが発動しなかったってことは、君には僕を殺す気が無かったってことだ。でも、それって、なんで?」
「う、うう……」
その兵士は、思わぬ力で手にした槍をもぎ取られ、自らの主君が不思議な力で倒されたことに恐怖しているらしく、マスターの問いかけにも呻くばかりです。
「答えてくれなきゃ……今すぐ殺す」
追い打ちをかけるように言うマスターの声音は、恐ろしく冷たいモノでした。
「うああ! そ、その、こ、殺す気なんかなかったんだよ!」
「ふうん。じゃあ、なんで、僕の脇腹を突いたの? そんなことをすれば、下手すれば死ぬでしょ?」
「ご、五人もいれば、誰かが殺すだろうし……命令に従っただけなんだ!」
どうやら彼は、マスターが死のうが死ぬまいが関係ないという程度の考えで、自分の槍を突き出したようです。……ですが、それはマスターを相手にする場合、最も『間違った』選択肢でした。
「なるほどね。でも、君のその行為には……『まるで心が無いかのよう』だぜ?」
「え?」
ヒイロの予想通り、マスターは手にした槍を鋭く突き出し、その兵士の胸元を刺し貫いていました。
次回「第18話 鏡の中の間違い探し」