第159話 聖女の瞳と委員長の眼鏡
マスターによる『新型委員長鑑賞会(?)』をどうにか終了させたわたしたちは、そのまま他の皆と合流すると、今後の方針を話し合うことにしました。
現在、アルカディア大法学院の都市は大混乱に陥っています。侵入者との戦闘で最強戦力であった霊光船団が大破し、4人の元老が全員死亡したうえ、億を超える擬似生物兵器や『暗黒の海』の出現、その後の復元などといった大事件が連続している以上、当然と言えば当然でしょう。
混乱に紛れて行動する分には好都合ですが、少なくとも正規のルートでこの都市から脱出することは難しそうです。
だからこそ、今後の方針を話し合う必要があるはず……なのですが
「ほうほう! 眼鏡か! うむうむ! 良いではないか! ヒイロよ。もともと知的な印象があったおぬしじゃが、ますます磨きがかかったようで新鮮じゃぞ!」
「ベアトリーチェさん。落ち着いてください。今はこの場をどう脱出するかを……」
マスターのほかにもう一人、この人の存在を忘れていました。先ほどのマスターとほぼ同じ動きで銀髪を揺らしながらくるくるとわたしの周りをまわる彼女は、まさにマスターの『同志』なのかもしれません。
などと思っていると……
「あら、でも本当に素敵ですわよ? 眼鏡なんて目の悪い人のための道具でしかないと思っていましたけど、こうしてみるとアクセサリとしての価値もあるのかもしれないわね」
「エレン。貴女まで何を言っているんですか」
なぜかエレンシア嬢まで感心したように言ってくるではありませんか。ただ、眼鏡をかけただけだと言うのに、一体何が起きているのか、わたしには見当もつきません。
「いいなあ……。それ、キョウヤにもらったんでしょ? わたしも欲しい」
「アンジェリカには似合わないよう。だって頭が良さそうに見えないもん」
「ああ! 言ったわね! メルティ! あんただって、わたしと似たりよったりでしょうが!」
「あはは! 最近はわたしの方が頭がいいもんね!」
「ぬ、ぐぐぐぐ!」
「ほらほら、二人とも喧嘩はやめてください。あとでおいしいクッキーでも焼いてあげますから」
「本当?」「リズ! 約束だからね!」
アンジェリカ、メルティ、リズさんの三人に至っては、この緊迫した状況がまるで存在しないかのようです。わたしはホームドラマでも見せられているのでしょうか?
「まあまあ、落ち着きなよヒイロ。いくら混乱していると言っても、今さらこの都市に僕らをどうこうできる相手なんかいないさ。どうやらこの都市の外に向かっての《訪問の笛》の転移は阻害されているみたいだけど、《ゲート》以外に外に出る手段がないってこともないだろうしね」
「そうだぞ、ヒイロ。単純に言って、この浮遊都市から『落ちる』だけでも脱出はできるじゃないか」
マスターの言葉に同調したのは、先ほどまでの子供っぽいやり取りが嘘のように口調を変えたアンジェリカです
「でも、肝心のこの都市の座標が掴めませんし、堕ちた先にどんな危険があるか、わからないのですよ?」
わたしはあらゆる座標を認識できる【因子観測装置】を有していますが、この世界に関しては、なぜかその機能が有効にならないのです。
最悪、火山の火口があったりすれば、究極の熱耐性スキル『傲慢なる高嶺の花』を持つアンジェリカならともかく、他の皆は大変なことになるでしょう。
「そうそう、それなんだけど……ヒイロ。さっそく、眼鏡を使ってみたらどうかな?」
「え? 眼鏡を……ですか? すでにかけてはいますが……どう使うのでしょう?」
「簡単だよ。その眼鏡越しに見える景色に意識を集中して、『知りたい』と願えばいいのさ」
「願う?」
「そう。そいつは、『知識』の力を振りかざし、他人に知識を与えることで支配する『知識の欠片』──『法王』の代償複製品だ。だから僕は、それを『知識以外の物』を増やすための眼鏡として作ったんだ」
「……よくわかりませんが、物は試しということですね。わかりました。やってみます」
わたしはそう言うと、周囲の景色を改めて眼鏡越しに見渡し、現在の座標を知りたいと願いました。本来なら『素体』の肉眼など頼らず、【因子観測装置】を使った各種センサーによる観測が主であるわたしにとって、ここまで自身の『眼』に頼ったのは、『女神の亡霊』や『可能性の泡』を見た時を除けば滅多にないことです。
「……こ、これは」
「何か分かったかい?」
マスターの問いかけには、即座に答えるのが『異世界案内人』たるわたしの役割のはずですが、このときばかりはそうもいきませんでした。
なぜなら、わたし自身にとっても、この『感覚』はまったく理解しがたいものだったからです。
「……真下にあるのは、どうやら森のようですね。ドラグーン王国から北に約100km。確か、あのあたりは『フェアリィの森』と呼ばれている領域ではなかったでしょうか?」
わたしは、自分の感じているものが信じられず、つい疑問形で話してしまいました。
「おお、さすがヒイロだね。まさかそんなに早く、『それ』を扱うことができるなんてびっくりだよ」
「そんなに早く? し、しかし、何なんです、この眼鏡? これまでわたしが【因子観測装置】で収集してきたあらゆる情報とは異質の『感覚』がするのですが……」
マスターと感覚を共有するために、わたしの『素体』には人間と同じ感覚を感じられる機能があります。しかし、今わたしが得ている『感覚』は、それがまやかしだったのではないかと思えるほど、『リアル』なものでした。
「そりゃあ、そうだよ。『委員長の眼鏡』の名前は伊達じゃない。すごい力があるんだよ」
……ああ、本当にその名前にしてしまったんですね。
「すごい力……ですか?」
「うん。代償元の存在が大きければ、その分だけ『代償複製品』の力も大きなものになるのが、僕の新しいスキルの特徴みたいでね。元が『法王』なんだから、それはもうすごい力だよ。その『眼鏡』は『知識』ではなく、『感覚』を強化するんだ。肉体の感覚強化もあるけど、どちらかと言えば無意識下まで含めた精神性の感覚強化の方が強いだろうけどね」
本来、生命体ですらないはずのわたしの『素体』に、『機能』を超えたレベルで肉体と精神の感覚を付与するというのです。確かにそれは『すごい力』でしょう。
ですが、それがどうして、わたしの座標認識の強化につながるのでしょうか。
わたしがそう尋ねると、マスターは胸を張って言いました。
「そりゃあ、ヒイロがこの世界の『魔力』を即席の【魔力感知センサー】を使うことなく、『心で感じる』ことができるようになったからだよ。この世界を構成する二つの根源的情報素子、その両方をそれぞれの形ではっきり認識できるようになれば、ヒイロだって本来の力を発揮できるようになるはずじゃないか」
「……キョウヤ様は、随分と博識になられたんですね? 先ほどから随分と難しい言葉を使われていますし……」
ここでもっともな疑問を投げかけてくれたのは、リズさんでした。
得意げに語るマスターにはわたしも同じことを感じていましたが、おそらくは彼のスキル『他人の努力は蜜の味』で得た知識がベースとなっているのでしょう。
「うん。ヒイロの言うとおりだよ。特に《法王の筆》の知識がすごかったんだけど、ただ、僕にとって問題なのはさ……」
「ふむ……あまりにも知識が膨大過ぎて『扱いきれない』ということじゃな?」
「うん。よくわかったね。ベアトリーチェさん」
「まあ、わらわも『世界を観測する者』に頼って世界を観測していた手前、そういう感覚はよく理解できる」
「そうなんだよねえ。いくら情報がいっぱい入ってきたって、普通は処理しきれないんだよ。その点、ヒイロならその心配もないから、その眼鏡はちょうどいいと思ってね」
なるほど、確かにそうかもしれません。通常の人間なら、いきなり感覚を強化され、それまでの倍以上の情報に接するとなれば、記憶能力や処理能力が追いつくはずもないのですから。
そう考えれば、この『委員長の眼鏡』の機能は、情報の蓄積能力に限界を持たない【無限データベース】と究極の演算能力を持つ【因子観測装置】を備えたわたしにとって、まさにうってつけでした。
それに『精神性の感覚強化』は、わたしが当面の課題としている『人の心』の理解に向けて、大きく前進できる要素のひとつになるはずです。
「そのせいかはわかりませんが……先ほどから違和感を覚えていることがあります。ひとつお聞きしてもいいですか? ……ベアトリーチェさん」
「『教えて? お姉さま』と、情感込めて言ってくれたらよいぞ」
唐突な問いかけだったにもかかわらず、間髪入れず、極めて自然にこちらの『おねだり』を求めてくるベアトリーチェ。そんな彼女に、わたしは小さくため息を吐きながら応じます。
「……はあ。なら許可は求めません。勝手に聞きます。もしかして貴女、目が見えるようになっていませんか?」
「む? おお、よくわかったな。さすがはヒイロじゃ。敬愛する『お姉さま』の観察を怠ることはないということか」
「いえ、断じて違います。さきほど『世界を観測する者』に頼って世界を『観測していた』と過去形でおっしゃっていたことも理由のひとつですが……何より周囲の状況に対する貴女の反応が、これまでと変わっていることに気付きましたので」
わたしは彼女の減らず口に、きっぱりと首を振って答えました。
「……いや、それこそ観察でもしてないと気づかないでしょ、そんなの。……というか、ベアトリーチェって目が見えてなかったんだったっけ?」
アンジェリカが驚いて目を丸くしていますが、彼女がそんな言葉を口にするのも無理もありません。
実際、ベアトリーチェのスキル『世界を観測する者』は、彼女の視覚と聴覚の欠損を完璧に補っていたらしく、事実を知らないものが見れば、彼女が盲目であるだなどとは、夢にも思わなかったことでしょう。
「ちなみに耳も聞こえるようになっておるぞ。どうやら、先ほどの『女神の亡霊』との接触が原因のようじゃな。最初はこれまでとの『見え方』の違いに戸惑いこそしたが、なるほど、やはり『生の世界』は良いモノじゃ。姿かたちは同じでも、実に生き生きとして見える」
世間では気高く清廉であると評判の聖女様は、だらしなく目を細め、嬉しそうにメルティやアンジェリカを見つめています。
「こら、その目をやめろ! 思わず焼き尽くしたくなってくる」
アンジェリカは強気な言葉を口にしながらも、彼女の視線から逃れようと、近くにいたリズさんの背後へと隠れてしまいました。
「むむ、これは少しばかり不便じゃなあ。以前ならスキルの力で視線を向けずとも、それこそ遠慮なくじっくり『見る』ことができていたのじゃが……」
「なにそれ、うらやましい!」
「キョウヤ様は黙っていてくださいな!」
聖女様の発言に光の速度で反応したマスターでしたが、即座にエレンシア嬢にたしなめられ、しゅんと肩を落としてしまいます。
しかし、そこはさすがにマスターです。すぐに気を取り直すと、今度はベアトリーチェに向き直りました。
「でも、良かったねえ。目が見えるようになって。これで君も……『みんなと同じ世界を感じる』ことができるんだ。こんなに素晴らしいことはないよ」
先ほどまでのふざけた調子が嘘のように、ベアトリーチェへと優しく笑いかけるマスター。そんな彼に微笑を向けられた聖女様はと言えば……
「……あ、ああ。うん。その、あ、あり……」
なぜか見る間に顔を赤く染め、しどろもどろに言葉を詰まらせていました。
「あり? ああ、そっか。蟻みたいな小さいものまで見えるようになったって? うんうん。ほんと、良かったねえ!」
マスターは、まるで自分のことのように彼女の回復を喜んでいます。
するとここで、意外な人物が声をあげました。
「ふふふ! 違うよ、キョウヤ。ベアトリーチェお姉ちゃんはねえ……『ありがとう』って言いたかったんだよ!」
「え?」
メルティからの思わぬ指摘に、わずかに目を丸くするマスター。
「うわああ! こ、こら、メルティちゃん! 何を勝手にそのようなことを!」
「ええ? でも、ほんとでしょ? それぐらい、メルティにだってわかるもん」
「ぬぐぐ……」
例のごとく、現在のメルティは意識的に幼い言葉遣いをしているようなのですが、ベアトリーチェにとっては、反則ともいうべき威力を発揮していたようで、それ以上反論の言葉も口にできないようでした。
「……えーっと、よくわからないんだけど、ベアトリーチェにさんの目が見えるようになったのは、僕のおかげじゃないわけだし、お礼を言われるようなことじゃないと思うんだけどなあ」
マスターはしきりに首を傾げ、ベアトリーチェに視線を向けています。すると今度は、彼女がその視線から逃げるようにリズさんの背後へとそそくさと移動してしまいました。
「うう……こっちを見るな!」
リズさんのメイド服の脇から見える聖女様の顔は、誰が見てもわかるほど真っ赤に染まっているようです。傍から見れば、人見知りの少女のようにも見えてしまいます。
「え? あの、ベアトリーチェさん?」
なおも状況が理解できないマスターは、戸惑い気味に彼女へ近づこうと足を踏み出します。すると、その直後、
「う、うああ! く、来るなと言っておろうに!」
ベアトリーチェの叫び声に合わせ、彼女とリズさんの周囲を囲むように、鉄の乙女やノコギリ、巨大な鉄ばさみなどといった禍々しい《拷問具》の数々が出現したのです。
「え? なんで? いくらなんでも僕、そこまで嫌われるようなことしたかな?」
どこまでも鈍いマスターは、それを嫌悪の表れだと受け取ったらしく、酷く傷ついた顔をしていました。
「あ、い、いや! べ、別に嫌っているわけでは……」
それを見たベアトリーチェの方は、失敗を悔やむような顔になり、否定の言葉を口にしますが、いかんせん声量が足りません。傷心のマスターの耳には届かず、彼はますます肩を落としてしまいます。
「あははは……ベアトリーチェ様は照れてらっしゃるだけですよ。キョウヤ様、少し心が落ち着くまで、待ってあげてくれませんか?」
そう言って、どうにかこの場を収めたのは、先ほどからアンジェリカやベアトリーチェの『避難場所』にされたせいか、少しばかり引きつった笑いを浮かべたリズさんでした。
次回「第160話 紳士の墜落」




