第157話 狂える鏡と法王の人形
ミズキ女史が使おうとしている『滅びの力』。
その正体は、『絶対高温による重力破局』でした。すなわち、アンジェリカが『霊光船団』を破壊した時と同じ力です。
「……アンジェリカちゃんの二番煎じとか、恥ずかしくないのかい?」
わたしからそのことを聞かされたマスターは、ミズキ女史が持つ《法王の筆》の先端に集束する熱と光に目を細めつつ、そんな言葉を口にしました。
彼女自身は熱を遮断する方法を有しているのかもしれませんが、既に常人が近づける熱量を超えているようです。
「合理的選択というものだよ。さすがにあの竜の王女ほどお手軽にとはいかないが……これならば『暗黒の海』を不用意にまき散らす恐れもない。先ほどからわたしの攻撃を相殺するヒイロ君と言えど、この状況で擬似ブラックホールの瞬間生成に伴う環境パラメータの変動までは演算しきれまい」
「……」
わたしの【因子観測装置】の性能を舐めないでほしい──そう言いたいところですが、わたしは口をつぐみました。気流の制御によって空中に足場を確保することは、ある意味では重力制御よりも繊細な作業です。
加えてミズキ女史の生み出した『可能性の泡』内にいる現状では、彼女の言う『演算』は困難を極めるでしょう。
「……さて、それでは終わりにしよう。この世界のため、世界に生きるすべての存在のため、君という『反存在』にはこの『泡』もろとも消滅してもらう」
振るわれる《法王の筆》。放たれる絶対高温の微粒子。ぎりぎりで重力崩壊を免れているその粒子は、こちらを焼き尽くさんばかりの熱を伴い、マスターめがけて突き進んできました。
「……」
逃げる必要も、防いでもらう必要もない。マスターがそう言った以上、わたしはそれを黙って見ているほかはありません。
迫りくる光。そして……続いてくるはずの衝撃。
しかし、気づけば、わたしのセンサーが感じ取っていた極大の熱量は、あっさりと消え失せていました。そして代わりに、ここから遠く離れた場所に発生した擬似ブラックホールは、その周囲にいた数百数千の『擬似生物兵器』の群れを飲み込んでいきます。
「な、何が起きた!? い、今のは一体、何だ!」
当然、驚いたのはわたしだけではなく、ミズキ女史も同じようでした。
「知ってのとおり、君の『殺意』ある攻撃を『反射』しただけだよ。僕の【スキル】でね」
「馬鹿な!? 殺意の反射だと? それはわたしが完全に封じている力のはずだ!」
「つまり、完全には封じていないはずの力もあるってわけだね?」
揚げ足を取るように笑うマスター。当然ながらわたしには、彼が使った【スキル】の発動が感知できていました。
ひとつはもちろん、『世界で一番醜い貴方』。
そして、もうひとつは……
「『いびつに歪む線条痕』というわけですか……」
「なんだと?」
わたしのつぶやきに、弾かれたような反応を見せるミズキ女史。
「反存在? 世界を映し、知性を映し、すべてを逆さまに反射するモノ? 残念ながらミズキ女史。それは全く正しい解釈ではありません」
「……」
「あらゆる善意を過剰に反射し、あらゆる悪意を歪めて飲み込む。そこに映し出されるのは鏡像ではなく、狂像なのです。世界に対する反作用を演算し、さらなる作用で相殺しようという貴女の試みは……貴女の奥の手とも言うべきこの『泡』は、彼にとっては何の意味も持たないものです」
「うるさい。でたらめを言うな!」
そう叫ぶと、彼女は立て続けに、光線や雷撃などの様々な攻撃をしかけてきます。
しかし、そのことごとくがマスターの目の前に出現した『歪んだ鏡』に呑み込まれ、メルティたちと交戦中の『擬似生物兵器』たちを打ち倒していきます。
「無駄だよ。君があれだけの数の『殺意の対象』を用意してくれている以上、どんな攻撃も僕には届かない」
マスターは静かな口調で断言します。
しかし、彼のこの言葉は、彼の【スキル】に、『反射対象』という餌を自ら与えてしまった彼女の失策を皮肉っているように見えて、その実、意味していることは全く異なっていました。
「くそ! なぜだ! なぜだ! 最初からそんなことができていたなら、なぜ使わなかった!」
「そりゃあ、向こうの戦況がある程度落ち着くのを待った方が安全だったしね」
「そんなことを言っているのではない!」
黒髪を振り乱し、目を血走らせてこちらを睨みつける彼女の形相は、まさに鬼気迫るものがあります。
「なぜ、わたしに反射しないのだ! この期に及んで、情けでもかけているつもりか!」
屈辱に身を震わせる彼女は、すでに無意味を悟ったのか、攻撃を手を止めていました。
「まさか、そんなわけないじゃないか。どうしてこの僕が、眼鏡っ娘でもない君になんか情けをかけてやる必要があるんだい?」
おどけた調子で語るマスターですが、さすがにこれではミズキ女史が気の毒というものです。
「……マスター。冗談は、時と場所を考えてご発言ください」
「うん? 冗談? 何がだい?」
「……い、いえ、何でもありません」
掛け値なしに本音でした……。
「ちなみに君がメイドさんだったら僕の敗北は必至だったけど……、まあ、それはさておき。君にはまだ、聞かなきゃならないことがあるからね」
「……今さら何を聞く必要がある? 君にはすでにこの世界の秘密を話した。それに……どんな方法によるものかは知らないが、わたしが『見た』限り、君はこの都市に眠る知識の大半を手中に収めているようではないか」
「そうだね。でも、僕は『知識』なんてものに興味はないのさ」
「……法王を否定する言葉を吐くか。不敬だな」
「何とでも言ってよ。僕の興味の対象は、いつだって、ただひとつだ」
「知識よりも、重要なことがあるとでも?」
「……人の『心』だよ」
「心だと? くだらない。そんな不確かなものに何の意味がある」
ミズキ女史は吐き捨てるように言いながら、再び《法王の筆》で宙に何かを描き始めました。
明らかな攻撃準備態勢というべきですが、マスターは意にも介さず言葉を続けます。
「君の言葉には、まるで『心が無いかのよう』だ。世界を護ると言いながら、そのために僕を殺すと言いながら……君にはその実、護りたいと思う大切なモノがないんだ。だからこそ……僕らを殺すために、僕らよりはるかに身近な存在だったはずのこの空中都市の住人を、犠牲にしようだなんてことが考えられるんだろう?」
「ふん。貴様が仲間のために島を一つ落としたように、『アルカディア』のために世界そのものを犠牲にしろとでも?」
時間稼ぎの意図でもあるのか、彼女は《筆》のみを動かしつつ、マスターとの問答に応じるつもりのようです。
「違うよ。全然違う。僕が言いたいのは、この世界に大切なモノがない君は、本当は世界を護りたいなんて思ってないんじゃないかってことさ」
「馬鹿馬鹿しい。わたしは『法王』の力を得たものとして、この世界の守護者たるべき己の立場を理解している。ただそれだけのことだ」
「……ふうん。そうかい」
暗く、冷たく、静かな声。言葉自体はただの相槌でありながら、何よりも『人の心』に足元が定まらないような強烈な不安感を呼び起こす声。しかし、その声もミズキ女史には、何の影響も及ぼしていないようです。
彼自身が語っていたように、彼女はマスターのことを全く恐れていませんでした。
しかし、それは彼女が超越した存在であったからではありません。
ここまでの話で、わたしはようやく、それを理解しました。
「くくく! ふふふ! ははははは!」
するとここで、ミズキ女史が突然、声高く笑い声を上げ始めました。見れば、彼女が宙に描いていた紋様が完成し、その頭上へと浮かび上がっています。
「確かに貴様は『反存在』とのみ定義するには随分とイレギュラーな存在のようだが、それがどうした? その程度のブレなど、有無を言わさず呑み込んでしまうだけの『世界の作用』を与えれば済むだけのことだ」
「攻撃の規模など無意味ですよ。貴女にマスターを滅ぼそうとする意志がある限り……」
「それがブレだと言うのだ。わたしが使う『最後の魔法』は、『泡』に囲まれた世界そのものを『法術器』と見なして発動する。殺意も滅意も意味を為さない。座標自体が標的である以上、反射も転移も不可能だ!」
わたしの言葉を遮り、声高く叫ぶ彼女の頭上で、複雑に描かれた紋様がその輝きを増していきます。
「それでは、貴女も滅びてしまうでしょう」
「世界を護る代償としては、安いものだ! わたしがここで滅びても、知識の塊である『法王』の概念は消滅しない。いつかわたしに代わる者がその後を継ぐだろう!」
『自己犠牲の精神』と言えば聞こえは良いのでしょうが、彼女のそれは少し違います。彼女は既に、この『自爆行為』を自身の犠牲とすら考えていないようなのですから。
わたしは苦々しい思いとともに、さらに言葉を続けようとして……、全身にとてつもない悪寒を覚え、そのまま全身を凍りつかせてしまいます。
「悲しいね」
呟くような小さな音量にもかかわらず、わたしの耳を占領し、わたしの身体の支配を奪ったその声は、マスターのものでした。
「僕は悲しい」
「マ、マスター?」
「──どうしてかな? どうして君は、そんなことができるのかな?」
次の瞬間──ガラスが砕けたかのような、あるいは空気の詰まった袋が弾けるような、あるいは金属が擦れあって悲鳴を上げるかのような……不思議な音が響き渡りました。
「な! 『可能性の泡』が『内側』から砕けたというのか!? まさか、そんな、そんなことが!?」
『泡』が消滅したためか、たちまち輝きを失っていく紋様を見上げた後、ミズキ女史は狂ったようにあたりを見回しました。
「『反存在』を封じ込めうる『あらゆる可能性』を……ひとつ残らず吹き飛ばしたというのか? あり得ない! こんなことがありえてたまるか!」
弾けた『泡』の包んでいた空間は、いまや別のモノで満たされています。
闇よりも暗く、あらゆる光を拒絶する漆黒の蛇の群れ。実体を持たないそれらのイメージが無数に空間の中をうねり、蠢いているのです。
「こ、これは、あの時と同じ……」
エレンシア嬢を抱いたまま、マスターが放った憎悪の波動。あの時、彼は『何もしていない』と語っていましたが、やはりコレは、『彼の憎悪』だったということでしょうか?
「く、来るな! 近づくな! 化け物め!」
「……貴女は、僕が生まれてからずっと、喉から手が出るほど欲しかったものを踏みにじっている」
マスターはゆっくりと、ミズキ女史へと歩み寄っていきます。わたしの気流制御による足場の有無など関係なく、彼の足は一歩、また一歩と彼女に近づいていました。よく見れば、彼の足元には黒い蛇の群れが気流の塊に代わって足場を形成しているようです。
「人として生まれて、心ある生き物として在りながら、貴女はそれを自分の意思で捨てている。知識の奴隷に成り下がり、自らを世界の守護者とうそぶいて……僕から見れば輝くように美しいモノへと、汚い唾を吐きかけている」
「……くそ! なぜだ? なぜ、解析できない! 何なのだ、この憎悪は! 何なのだ貴様は!」
「わからないのは、貴女に『心』がないからだよ。僕自身でさえ理解できない『心のカタチ』を『君みたいな心無い人形』に、理解できるわけがないだろう?」
「死ね! 死ね! 滅びろ! 世界の敵め! 害悪め!」
破れかぶれに放つミズキ女史のレーザーも、マスターは反射すらしません。ただ空間を満たす黒い蛇の群れ──その漆黒の身体があらゆる攻撃を飲み込んでしまいます。
「く! わ、わたしは『法王』だ! こ、こんなところで! 世界も守れず……世界の敵に滅ぼされるなど……」
『黒蛇の道』を歩き続けていたマスターは、とうとうミズキ女史の目の前にたどり着きました。
「さて、覚悟はいいかな?」
「か、覚悟だと? ククク! わたしには自身の滅びを恐れる理由などない。わたしが恐れるのはただ、我が『後継』が現れるより早く、貴様が世界を滅ぼさないかという一点だけだ!」
「なあんだ。そんなことか。その心配なら要らないよ」
マスターは右手をゆっくりと顔の前に掲げると、軽く小首を傾げました。
よく見れば、彼の右手は黒い《闇》のようなもので覆われています。
「この世界には、もう二度と『法王』なんて生まれない。僕はもう、貴女みたいな人形は見たくないんだ。だからソレは、徹底的に、粉々になるまで破壊しつくすことにした」
「破壊する? 馬鹿め! 今や『法王』は、『究極の叡智』という概念そのものなのだ! そんなことができるものか!」
ニタリと笑みを浮かべた彼は、《闇》に染まったその腕を、狂ったように叫び続ける彼女の頭へゆっくりと伸ばしたのでした。
次回「第158話 ハッピーバースデー」




