第145話 本物の竜神
排気音ひとつ出すことなく、宙に浮かぶ三隻の巨大戦艦。
周りを埋め尽くす白い人形とは対照的に、鈍く黒光りするその巨体は、一見すると船というより芋虫を連想させる形をしていました。
しかし、その船体の周りを囲み、障壁の役割を果たしているだろうと思われる菱形の光の群れは、すさまじいまでに濃密な『魔力』の存在を感じさせます。
「アンジェリカが、本物のドラゴンになろうとしている……ですか?」
わたしはマスターの発言の真意が理解できず、そう問いかけました。
「うん。この世界の伝承にある『竜神』の大元が『ニルヴァーナ』なら、彼女はまさにそのものでしょ?」
「それはそうですけど……でも、それでは『なろうとしている』という言葉の意味がわかりません」
そもそも伝承の『竜神』はベアトリーチェの魔法同様、イメージの産物であり、現実のそれとは存在を異にするものでしょう。
「うーん。そう言われると説明が難しいんだけど……」
どうやら、先ほどの言葉はマスター自身の漠然とした感覚に基づくものだったようで、彼は困ったように首を傾げています。
一方、アンジェリカは最初のうちこそ《クイーン・インフェルノ》の熱操作で周囲の人形を攻撃し続けていましたが、あまりの敵の多さにしびれを切らしたらしく、ここで信じられない行動を取りました。
「邪魔だ、人形ども! 魂も持たぬ木偶が、竜種の王女たるわたしの行く手を遮ろうとは身の程知らずが! 塵となって消えるがいい!」
彼女は鋭くそう叫ぶと、右手で自らの左手を掴み、そのまま『右手に持った左腕』を真横に大きく一閃させたのです。
「ぬお! な、なんじゃ今のは?」
「きゃあ!」
ベアトリーチェが驚いたためか、幻想の『竜神』の身体がぐらりと揺れ、メルティと一緒に『遊覧船』内部に戻っていたリズさんが小さな悲鳴を上げました。
正面に目を向ければ、アンジェリカの行く手を塞いでいた人形たちは、半円状の軌道に沿う形で消し炭となり、ボロボロと崩れ落ちていました。
アンジェリカが放ったのは、音を発さず、色さえも伴わない熱エネルギーの奔流です。彼女の振るう『見えない鞭』。崩れ落ちた人形たちは、すべてがその軌道周辺に存在していたのでした。
「わらわの『竜神』のブレスを受けてなお、元の形を残していた人形どもを、ああも跡形もなく焼き尽くすとは……」
「……い、今、アンジェリカさんが自分の腕を引きちぎったように見えたのですけど……、目の錯覚でしょうか?」
「いや、僕にもそう見えたよ。腕はすぐに再生したみたいだけど……その分、身体は元の大きさ近くまで縮んでいるかな?」
エレンシア嬢の問いかけに、よどみのない口調で答えるマスター。
「自身の体の一部を『鞭』に変えるスキル『身体の隅まで女王様』ですね。使う部位が大きければその分、強力な鞭になるようですが……どうやらアレには《クイーン・インフェルノ》の力も加算されているようです」
わたしはそんな風に解説の言葉を口にしながらも、突然アンジェリカがここまでの力を使いこなしたことについては、まるで理解が及んでいませんでした。
「うっとおしい! そんなくだらない攻撃がわたしに効くものか!」
なおも群がってくる人形の弓や槍を自身の周りに展開した『熱の膜』で防ぎながら、彼女は二度三度と『極熱の鞭』を振るいます。
「すさまじいですね。マスターのおっしゃるとおり、彼女には何らかの変化が起きているようです」
「うん。もしかすると、『竜神』の姿を目にしたことが関係しているのかもしれないね」
マスターがそんな推測を口にすると、わたしたちの後ろからくすくすと笑う声が聞こえてきました。
「関係しているに決まっているだろうさ。『王魔』とは、イメージで魔法を使う存在だ。この世界の集合的無意識に潜む『竜神』の具象化を直接映像として目にしたのなら、それこそ『彼女にとってのドラゴン』は、より明確になったと言ってよい。竜種たる『ニルヴァーナ』が、それで強くならないはずはないだろう?」
「……ミズキ女史。随分とお詳しいんですね」
この期に及んで冷静過ぎる口調で詳し過ぎる分析を口にする彼女に、わたしは不信感を持って尋ねました。すると彼女は、肩をすくめてこちらに笑いかけてきます。
「そんなに怖い顔をしないでほしいな。これでもわたしは『大法術士』の端くれだぜ? ましてや『ニルヴァーナ』の国家にある支部にいたんだ。彼らのことくらい、研究しているさ」
「まあ、それはそうかもしれませんね」
理路整然と筋の通る説明をされれば、ロジックを重視する『人工知性体』たるわたしに反論の言葉などあろうはずはありません。
「……まあ、それでもあそこまでの異常な強度は、『反存在』の影響もあるのかな?」
直後に小さく呟かれた彼女の言葉は、意味の分からないものでしたが、わたしがそれを尋ねるより早く、彼女は話題を転じてしまいます。
「それはともかく、呑気に会話をしている暇はないぞ。彼女がいかに強かろうと、『極光霊砲』が充填されるまでに、アレの『障壁』を突破できる可能性は限りなくゼロに近い。防御するなんてもっての外の威力だし、避ける準備はした方がいい。アレには『叡智』があるとはいえ、初撃だけなら回避も可能だろう」
しかし、マスターは特に気にした様子もなく、笑って言葉を返します。
「大丈夫だよ。あの船には、あっちの空飛ぶ『人形』と違って『殺意』ある人間が乗ってるからね」
「ほほう? 確かにわらわでも、あの船の中からこちらを観測する者がいるのは『見えて』おるが、キョウヤには連中の『殺意』の有無までわかるのか?」
ベアトリーチェは前を向いたまま、意外そうに首を傾げて言いました。
「見えはしないけど、『わがままな女神の夢』をファージ・モードで使ってるからね。僕の場合、自分に向けられた『意識』を感じ取ってるって感じかな?」
『わがままな女神の夢』の本質は、『集合的無意識』と呼ばれるものの把握です。わたしが知る限り、この言葉は本来、似通った精神構造を持つ『知性体』に共通する精神の深層領域を指すもののはずですが、特殊スキル『真理を語る愚神礼賛』は、そこから他人の『殺意』を選別し、感知することを可能としているようでした。
しかし、当然、この言葉に首を傾げたのはミズキ女史です。
「そりゃあまあ……あの規模の『法術器』を遠隔で動かすのは不可能だし、乗組員ぐらいはいると思うが……『殺意』を感じる? それが何だと言うのかな?」
「論より証拠、かな?」
マスターが指差す先では、『霊光船団』がこちらに突き出していた『極光霊砲』の砲口に爆発的なエネルギーが収束していました。
「お、おい、回避しないと……」
ミズキ女史がその言葉を最後まで言い終えるより早く、膨大な光の奔流がこちらへと殺到し、わたしたちの視界は純白の光で覆い尽くされていきます。
しかし、次の瞬間
「『世界で一番醜い貴方』」
マスターの言葉と共に出現した巨大な『鏡』は、あっさりと極太の光線を飲み込むと、対になる形で『霊光船団』の傍に現れたもう一枚の『鏡』から、さらに巨大な光線が放たれました。
それは狙い違わず三隻の船を飲み込み、そして、大爆発を引き起こします。
「え? ちょ、ちょっと? きゃあああ!」
「あ、やば……」
船の近くで『人形兵団』を相手に奮戦を続けていたアンジェリカが爆風に巻き込まれていく姿に、「ついうっかり」といった様子で口元を押さえるマスター。
「ちょっとおおお! 何すんのよー!」
空中で体勢を立て直し、非難の声を上げるアンジェリカ。
「あはは! ごめんごめん。まさかあんなに爆発するなんて思わなくてさ。まあ、周りの人形も吹き飛んだみたいだし、一石二鳥みたいな?」
「それに、厄介な船が片付いたようで良かったですわね」
けらけらと笑うマスターの隣で、エレンシア嬢が安堵の息を吐きましたが、彼女の言葉に対しては、ミズキ女史が小さく頭を振りました。
「いいや、まだだ。どうやって今の攻撃を跳ね返したかは知らないけれど、その程度で『霊光船団』を沈めるのは不可能だよ」
「そんなまさか……」
しかし、彼女の言葉どおり、爆発が止んで煙が晴れたその向こう側には、まったくの無傷でたたずむ三隻の戦艦がありました。
「今の僕のスキルって、ただ跳ね返すんじゃなくて、相手の攻撃を増幅して跳ね返しているはずなんだけどな。あの船の場合、『矛』より『盾』が強いってこと?」
「いいや、強いのは『盾』じゃなく、『叡智』だよ。船の一隻に搭載された『究極の叡智』の欠片は、『盾』に加えられる力を解析し、最適な障壁の性質を演算し、目まぐるしく変異させながら『盾』となる障壁を発生させている。あれを突破するには、少なくともその『演算速度』を上回るだけの変化を持った攻撃か……でなくば、障壁の『存在』そのものを無意味化する力が必要だろう」
「……」
その言葉に、わたしはマスターの横顔に目を向けました。恐らく、マスターなら障壁の『無意味化』は不可能ではありません。一方、アンジェリカの振るう見えない高熱の鞭は何度か『霊光船団』に届いてはいるはずなのに、これを破壊することができていないのです。
しかし、マスターはそれでもなお、動こうとはしませんでした。
「ああ、そんな話をしている暇はなさそうだよ。いずれ二撃目が来る。君のスキルが連続使用できるものかは知らないが、こちらの動きは既に『叡智』が解析しただろうし、次は『竜神』様がどんなに早く動いても、回避は困難だろうな」
面白がるような口調で空を舞うアンジェリカの背中を見つめるミズキ女史の顔には、切迫感はまるでありません。むしろ、興味津々に目を輝かせているようでした。
「そもそも、君にこれほどの力があるなら、それこそ君ならば『霊光船団』なんか、どうとでもなるんじゃないのか?」
「さあ……どうかな? どっちみち、あの船はアンジェリカちゃんの獲物だからね。あんな無機物、壊したところで大して楽しくもないってのもあるけど……」
「楽しくない? 君が? ふうん。そうかい……そんなものかな」
ミズキ女史は少し意外そうな顔をした後、何かに納得したように頷きを繰り返しました。
「ああ、こうしている間にも王女様が何か始めるみたいだよ? ……ん? おやおや、これはこれは……」
マイペース気味の声で言いながら、ミズキ女史が指を差した先では、アンジェリカが『霊光船団』の前に陣取り、両手を真上に掲げています。
「ふふふ。どうやら彼女は、『無意味化』ではなく、まさに『ニルヴァーナ』らしい方法であの壁を破壊するつもりらしい。確かに『あの方法』なら障壁の演算を超えることができても不思議はないが……相当の無茶だな」
「あの方法?」
わたしはアンジェリカの掲げた手の先に凄まじい熱量が集中していくのを感じながらも、ミズキ女史の言葉に、今度こそ拭い去れない違和感を覚えていました。
そしてそれは、彼女の次の言葉で確固たるものとなります。
「絶対高温による重力破局」
「え? そ、それは……」
「君なら、『それ』を知っていても、おかしくはないだろう? ヒイロ君」
くすくすと笑うミズキ女史。
今やアンジェリカの掲げた手には、丸くまとめられた『極熱の鞭』が握られており、彼女の頭上に輝く《クイーン・インフェルノ》の熱のすべてが、その一点に注がれ続けていました。わずかに一点とはいえ、その場で加速度的に上昇していく熱量は、周囲の空気を大きく歪ませ、その先の景色が蜃気楼のように揺らめいています。
滞留する空気の流れは、彼女の金髪や黒のドレスをはためかせ、大きく広がった竜の翼は、彼女がまさに『竜の女王』であることを示すかのように力強い羽ばたきを見せていました。
「《クイーン・インフェルノ》。わたしはわたしの『想い』とわたしの『熱』を……暴走させる!」
アンジェリカは全身を赤熱させて、まばゆい閃光を翼の先からまき散らしつつ、掌に集束した『その力』を戦艦の『障壁』に叩きつけました。するとその直後、『霊光船団』を形成する三隻の戦艦は、何かに引きずり込まれるように寄り集まり、互いに激突して轟音と共に爆発し、粉々に砕け散ったのでした。
次回「第146話 バベル」