第15話 歪んだ鏡を覗くモノ
「ふむ。まあ、こんなものかな」
アンジェリカは手にした短剣を宝石に戻すと、得意げな笑顔を浮かべてこちらを振り返りました。
「すごいね。これがアンジェリカちゃんの魔法か。やっぱ、さっきの『遊び』も魔法禁止にして正解だったかな」
感心したように言いながら、《ステルス・チャフ》の効果範囲内から外に出て、アンジェリカに近づいていくマスター。
「ふふん! そうだろう、そうだろう。もっと褒めていいぞ?」
嬉しそうに腰に両手を当て、胸を張る姿こそ可愛らしくはありますが、背後に広がる光景が焼け焦げた死体や火傷の苦しみにうめく男たちの姿とあっては、台無しもいいところです。
「可愛くて力持ちで、挙句にこんなにすごい魔法まで使える女の子なんて、きっとこの世界にもそうはいないだろうね」
「あははは! うんうん! よくわかってるじゃない!」
マスターの歯の浮くような賛辞の数々を受け、アンジェリカは子供のように無邪気な顔で笑っています。『力持ち』というのが女性の褒め言葉として相応しいかどうかはともかく、彼女の上機嫌につけ込む形で、ヒイロはさりげなく問いかけてみることにしました。
「そう言えば、先ほどの赤い剣はなんだったのでしょう? 『法学』の魔法でいう『法術器』のようなものですか?」
「ん? いや、あれはわたしの所有する『魔剣イグニスブレード』だ。わたしの場合、昼間にここまで強力な魔法を使うには、永遠に熱を生み出し続けるこの『魔剣』を利用するのが一番だからな」
「魔剣……ですか?」
「魔法の道具だと思ってくれればいい。古来より『ニルヴァーナ』とは親しい関係にある『王魔』──『サンサーラ』が創ったものだ」
「サンサーラ……。なるほど、『王魔』にもさまざまな種類があるのですね」
「そうだな。まあ、親しいとはいえ、彼らの性質は快楽主義者の『ニルヴァーナ』とはまるで真逆だ。禁欲、忍耐、節制……そうしたものを美徳にしている分、こういう細かいものを作るのも得意なのだろう」
アンジェリカはドレスのスカートを両手で軽くつまむと、さながら貴族の令嬢のように膝を軽く曲げてみせました。
「なるほど。その服もそうでしたか。それで服の形が変わったりしていたのですね」
「ああ。これも普段着から夜着まで形状は自由自在だし、汚れもつかず、多少の破損なら自動で修復してくれる優れものだよ」
彼女はヒイロの問いに、迷うことなく即答で言葉を返してきます。情報を隠そうとする意図が無いのか、そもそも嘘をつかれているのか、『心』を解析できないヒイロには、わかりかねるところでした。
すると、その時、『早口は三億の得』により、マスターの思念が伝わってきました。
〈心配ないよ。少なくとも、彼女は僕らに嘘はついていない。まあ、ヒイロは僕の代わりに頑張ってくれているんだし、警戒するなとは言わないけれど、必要以上に疑っていると身動きが取れなくなるんじゃないかな?〉
〈マスター……〉
どうやら、マスターにはヒイロの考えなどお見通しのようです。『心』を解析する術があるわけではないのでしょうが、それでもヒイロよりは、マスターの方がそうした能力に秀でているのかもしれません。
「それより、まだ生き残りがいるみたいだね?」
「ん? ああ、さすがに人数が多かったからな。ろくに戦闘能力は無さそうだが、生かしておいても後々面倒だし、殺しておくか?」
アンジェリカは特に表情を変えることもなく、残酷な言葉をさらりと口にします。
「うーん。とりあえず、僕に決めさせてもらってもいい?」
「ああ、構わない」
ヒイロが生体センサーで確認する限り、生き残っている中で致命傷にいたっていない野盗たちは、全部で五人程度でした。残りの数人は火傷が酷く、通常の治療では助からないでしょう。
ヒイロがそう伝えると、マスターは軽く首を傾げました。
「じゃあ、悪いけど致命傷のある人たちは、なるべく苦しまないようにしてあげてくれる?」
「それは、『治療する』ということで良いでしょうか?」
もちろんヒイロなら、その程度のことはできなくはありません。
「ん? ああ、治療もできちゃうのか。とはいえ、そういうわけにもいかないな。わかった。考えてみれば、女の子にやらせるようなことじゃないもんね。僕がやろう」
そう言って、マスターは落ちていた野盗の武器の中から比較的焼けていないものを見つけだし、それを掴んでヒイロが伝えた『助からない』野盗たちへと近づいていきます。
全身火傷の苦痛に呻く野盗たちを見下ろし、マスターはゆっくりと剣を振り上げました。
「今、楽にしてあげるよ」
無表情のまま、何のためらいもなく野盗たちの命を絶っていくマスター。やはり、彼には殺人に関する禁忌など存在しないのかもしれません。とはいえ、ヒイロにとっては、そのことが彼の日常生活に支障をきたさない限り、問題視するほどのことではありませんでした。
「……わたしも人のことは言えないが、やっぱりお前たちは本当に変わっているよ」
アンジェリカもまた、眉一つ動かさずにその光景を見つめていましたが、やがて呆れたように首を振りました。
「さて、それじゃあ生き残りの五人はそこかな?」
マスターの指示を受け、彼らを一か所に集めたのはヒイロです。
「う、うああ……いてえ、いてえよお」
「こ、殺さないでくれ……」
ヒイロが生成した縄に縛られ、五人の男たちは、呻きながらもすがるような目でマスターを見上げていました。先ほど、マスターが瀕死の仲間を無慈悲に殺していく姿を目撃していたのでしょう。
「ふふ。さて、キョウヤはいったい、どうする気かな?」
高みの見物を決め込むように腕を組んだアンジェリカは、どこか楽しそうな顔をしています。
「じゃあ、順番に。まず、君からだ。……生きたい?」
「え?」
「生きたいかって聞いてるんだけど?」
「あ、ああ! 生きたいです! 死にたくありません!」
問いかけられた男は、必死の声で叫びました。
「ふーん。どうして?」
「え?」
思いもしない質問に、目を丸くする野盗の男。
「どうして生きたいの? 生きて何をするの?」
「え? そ、それは……」
「答えられないのなら、そんなに生きたくもないってことかな?」
血濡れた刃を持ち上げてみせるマスター。
「い、いえ! もう、盗賊なんてやめます! 心を入れ替えて、世のため人のため、生きていきます! だから、どうか!」
「…………」
黙ったまま、にっこりと笑うマスター。
「へ、へへ……」
許されたと思い、こびへつらうような笑みを浮かべる男。
「……君のその言葉には、『まるで心が無いかのよう』だぜ?」
「へ?」
スキル『空気を読む肉体』によって、アンジェリカと男たちの平均値の身体能力を得たマスターは、素早く剣を一振りし、その男を絶命させました。
「う、うあああ!」
「ひ、ひい!」
噴き上がる血飛沫に、たちまち恐怖の悲鳴を上げる男たち。マスターはそんな彼らを冷たく見下ろし、次の男に声を掛けます。
「君は? 生きたくないかい?」
「う、うあ……」
どう答えればいいのかわからない。混乱の極みに達した男は、ぱくぱくと虚しく口を開閉させるばかりです。マスターは何度か同じ問いを繰り返し、そして、最後には諦めたようにその男を絶命させました。
「次」
流れ作業のように、次々と男たちに尋問を続けるマスター。
「あれはどういう意味があるんだ? わたしには適当に質問した挙句、期待を持たせてから殺して遊んでいるようにしか見えないんだが」
少しだけ顔を歪めて、ヒイロに問いかけてくるアンジェリカ。戦う時は非情な彼女も、苦痛から解放するための慈悲でもなく、後のことを考えての打算でもなく、ただいたずらに無抵抗な相手を殺していくマスターの姿には、違和感を覚えているようでした。
「ヒイロは、マスターに従うまでです」
どんなに非常識に見えても、マスターにはマスターなりの行動原理がある。ヒイロには、未だそれがどんなものであるかは理解できていませんが、それでも彼が単なる狂人ではないことだけは信じています。
「ねえ、君は?」
すでに四人の男が同様の尋問を経て死に、最後の一人となっていました。
「ま、待ってくれ! し、死にたくねえ! 死にたくねえよお!」
「だから、何で?」
首を傾げるマスター。するとその野盗は、破れかぶれに叫びました。
「死、死ぬのは怖い! 酒も女も博打も! 生きて、やりてえことがたくさんあるんだ! ダチもいる! だから、殺さないでくれえ!」
涙混じりに叫ぶ男。
「……ふん。醜いものだな。今まで自分も散々殺したい放題やってきただろうに。まあ、あれも殺されて終わりだろう」
アンジェリカが吐き捨てるように言いましたが、ここでマスターは意外な行動に出たのです。
「うん。そうだね。死ぬのは怖いよね。……でも、君だって、命乞いする人間も含めて、これまでたくさんの人を殺してきたんだろう?」
男の目を覗き込むようにして言うマスター。するとその男は、彼の瞳に何を見たのか、さらに震え上がって首を振ります。
「う、うあああ! そ、そんな目で見ないでくれ! わ、悪かったよ! 俺が悪かった! こ、殺しなんて! うう……駄目だ! 俺は! 俺はなんで……」
涙と鼻水で顔を濡らし、大声で泣き叫ぶ男。するとマスターは、彼の肩に優しく手を置きました。
「じゃあ、わかる? 君がするべきことが」
「あ、ああ! もう、盗賊なんてやめます! 心を入れ替えて、世のため人のため、生きていきます!」
先ほど殺された男と、まったく同じ言葉。しかし、今度は……
「うん。偉い偉い。君に殺された人は生き返らないけど、その分、君は今この世界に生きている人のために尽くしてほしいな」
特に表情を変えないままマスターが口にしたのは、善意に満ち、心遣いに溢れた言葉です。しかし、彼の瞳を正面から見据えた男は、それまで以上に恐怖に顔を歪め、そのままぐったりと気絶してしまったのでした。
次回「第16話 飽きさせない男」




