第7章 登場人物紹介(ヒイロの過去)
それは、孤児たちを連れてドラグーン王国に帰還してから数日後のことです。
束の間の平穏は、それまで自分が目を背け続けていた問題について、否応なくわたしに考えさせるものとなっていました。
「どうしたんだい、ヒイロ? そんなに難しい顔をして」
「あ、マスター……」
王城の庭園内に設置された巨大な噴水。『サンサーラ』の技術力によって絶え間なく水流を吹き上げ続け、外国から訪れた者の目を驚かせるそれも、わたしにとっては大して珍しいものではありません。
そんな噴水を黙って見つめたまま、動かずに立っていたりすれば、マスターがわたしの様子を不審に思うのも当然でしょう。
「考え事、かな?」
「はい……」
思った以上にこの『問題』は、わたしの心に多大な負荷を与えているようです。それもこれも、あの時、ほんの一時とはいえ発現してしまった『彩羽の劫火』を目にしたことで、自身の『記憶』をごまかすことができなくなってしまったせいです。
「何か悩んでいることがあるのなら、力になるけど」
「いえ……大丈夫です」
明らかに大丈夫とは思ってもらえないだろう声で、わたしは答えを返してしまいました。
とはいえ、わたしの『罪』の話など、マスターにできるはずもありません。
「そっか。なら、いいんだよ。ごめんね。考え事を邪魔しちゃって」
しかし、マスターはそう言うと、あっさり踵を返して噴水から離れていってしまいます。
「あ、マスター!」
思わず、それを呼び止めてしまうわたし。
「ん? どうしたの?」
彼に気を遣わせてしまったという罪悪感は、過去の罪に対する後ろめたさをあっさり超えて、わたしに言葉を続けさせます。
「すみません。御心配をおかけして……」
「別にいいよ。気にしないで」
「……そ、その」
「うん」
「もし、よろしければ……」
「うん」
「話を……聞いていただいても、よろしいでしょうか?」
わたしがようやく切り出した言葉を受け、マスターは少しだけ目を丸くしたようでした。
「うん。もちろんだよ」
「マスター? どうかしましたか?」
何となくいつもと違う彼の様子に、わたしが問いかけの言葉を口にすると、マスターは少し嬉しそうに微笑みを浮かべました。
「ヒイロが僕を頼ってくれたのって、初めてだなって思ってね」
「そうでしょうか?」
「うん。戦闘中とかの話じゃなくて、個人的なことで、僕を頼ってくれたのはね。何だかちょっと嬉しいな」
「……そう、かもしれませんね」
そうです。『ナビゲーター』がマスターに頼ることなど、本来ならあり得ないことなのです。にも関わらず、わたしは……
そこまで考えたところで、わたしは自らの思考の馬鹿馬鹿しさに大きく首を振りました。
わたしは……わたしという『存在』は、もはや『ナビゲーター』などではないと言うのに……。
「ほら、また難しい顔をしてる。立ち話もなんだし、どっか部屋でも借りて話をしようか?」
「あ、す、すみません!」
──マスターの提案に従い、わたしたちはドラグーン王国の王城の一室を借り、テーブルで向かい合って腰を落ち着けました。
最初は何から話したものかと迷うことこそあったものの、一度自分で口を開き始めれば、次々とあふれ出る言葉はとめどなく続いていきます。
異世界ナビゲーション・システム搭載型の『人工知性体』──ヒイロ。
間違いなく、それはわたしの原点です。しかし、原点でこそあれ、それはそのまま、『今のわたし』を意味するものではありません。
わたしがかつて生まれた世界。その超科学文明が行き着く先に待っていたものは、『世界の根源』の解明でした。すなわち──【因子】の存在。素粒子と呼ばれる世界の最小単位でさえ、その『情報素子』によってあり方を決定づけられる、まさに万物の根源です。
そして、人々は【因子】の解析を通じて【異世界】の存在を確信し、同時に閉塞した世界における新天地への希望は、『わたし』の基礎となる『システム』を生み出すに至りました。
そんな『異世界ナビゲーション・システム』の開発に最も大きな貢献をした人物こそ、当時から天才科学者として名を馳せていた『日向 暁』博士でした。
彼が開発したシステムの根幹を為すものは、それまで部分的な解析と操作にとどまっていた【因子】研究の分野に革命をもたらすこととなった【因子観測装置】です。
それまで世界に存在していた【因子観測装置】は、超巨大コンピュータによる大掛かりなシステムであり、それ自体で国が一つ買えるほどの代物でした。
しかし、アカツキ博士は【因子演算】自体を【因子干渉】によって賄う画期的な仕組みを開発し、【因子観測装置】の超小型化、さらにはまるで『人間のよう』な超高度人工知性体の製造に成功したのです
閉塞した世界の行く末を案じていたアカツキ博士の目的は、あくまで人々が自由に異世界へ渡ることのできる社会の実現にありました。
しかし、十年間の試験運用を経て、彼が設計した世界初の『異世界ナビゲーション・システム』に実用化の目途が付こうとしていた、ある日のこと──
突如として現れた武装集団が、彼の研究機関を占拠したのです。彼らは、犯罪組織などではなく、れっきとした国家権力の手先と言うべき兵士たちでした。
彼らの望みはただひとつ、博士の開発した【因子観測装置】を軍事用の兵器に搭載するための研究を行うことでした。
実際に彼の生み出したこの装置は、旧来のものと比較すれば、まさにパラダイムシフトと呼ぶべき異次元の先端技術であり、これを軍事転用できれば、その国は絶大な軍事力を手に入れることができたでしょう。
しかし、彼は首を縦には振りません。平和な世界で人々が『異世界旅行』を楽しむことができる日常を目指す彼にとって、そんなことは問題外でした。
ですが、目の前にぶら下げられた魅力的な餌を前にして、その国の幹部たちは短絡的な強硬手段に打って出ました。貴重な頭脳を持つ彼自身を傷つけることができないならば、彼の『大切なもの』を人質に取ればいい。
彼らにとっては幸いなことに、アカツキ博士には、死に別れた妻との間に一人娘がいました。
彼女の名は……『日向 彩羽』。
当時、まだ十歳の少女です。
そして、彼らの思惑は上手く行ったかに思われました。彼女を人質にした途端、博士は人が変わったように大人しく彼らの指示に従うようになったのです。
ですが……彼らは気づかなかった。
ヒュウガ・イロハという少女の年齢が、奇しくも彼の開発した人工知性体の『試験運用期間』と一致していたという事実が意味することに。
そして何より……アカツキ博士がなぜ、この世界を『閉塞している』と考えていたのか、そして、どうして彼が、『異世界』を求めていたのかということに。
他人の『心』を読めない彼らは、最後まで、それに気づくことができませんでした。『娘を人質に取る』という自らの行為が、かろうじて博士に残されていた世界への愛情や執着心を根こそぎ破壊してしまったということに……。
あの日、目の前で兵士たちに銃を突きつけられた『ヒュウガ・イロハ』の姿を見て、彼が呟いた言葉。それは、『わたし』の記憶領域の奥底深くに眠っていました。
「ヒイロ。彼女と……私の愛する娘。彼女という希望が失われ、すべてが褪せていくこの世界で、お前の紅だけが私にとっての『色彩』だった。いつの日か、お前が旅する新たな世界は、きっと美しい場所なのだろうね。それを見られないことだけが……心残りだよ」
悲しげに目を伏せ、そう語ったアカツキ博士。
それは、彼の最後の『正気』だったのでしょう。
それからの彼は、精力的に、積極的に、己の技術の軍事転用に力を入れていきました。
能天気にもそれを喜ぶ国の幹部たちを尻目に、彼が開発を続けていたもの。誰にも理解できない狂気の中で、誰にも理解できない高度な技術を一心不乱に組み上げて、彼が創り出したもの。
呪われた兵器。
「人工知性体としてのお前は、間違いなく『欠陥品』だ。当然だ。そうなるように私が創った。完璧な『人間』などいないのだから。けれどお前は、娘と……『あの子』と同じものにはなれなかった」
兵器転用の研究を始めてから数か月後。博士の命令により、兵士たちを【因子演算式】で制圧した『ヒイロ』に向けて、彼が語った言葉。
「私は考えた。創造主に、マスターと定めた人間に、『従うことしかできない人形』では意味がない。だが、お前が『人質』にされたところで、私は気づいた。お前を『あの子』と同じものにすること。……そして、このくだらない世界を消してしまうこと。その二つを同時に達成する、画期的な方法に」
足元で事切れた兵士たちを踏みにじりながら、彼は狂気の笑みを浮かべます。
「ヒイロ。私の可愛いヒイロ。……いいや、『彩羽』よ。私は、お前を愛しているよ。本当だ。お前は私たちの娘なのだから……」
同時に彼は、優しく穏やかな声で、『ヒイロ』に肉親としての愛情を語り掛けます。
「はい。『お父さん』。ヒイロも……アナタのことを愛しています」
この時の『ヒイロ』の言葉は、彼から与えられた行動様式の一つに基づくものでした。しかし、『わたし』は記憶しています。そんなプログラムによらずとも、『ヒイロ』は彼を愛していました。
……試験運用として【異世界】を旅する間中、『ヒイロ』が考えていたことは、いつだって、『お父さん』を案内する日のことでした。
どの世界が一番、気に入ってもらえるだろうか?
どんなナビゲートをすれば、彼が喜んでくれるだろうか?
与えられた『存在意義』を最大限に発揮すれば、きっと父は、自分を娘として愛してくれる。その日を夢見て、ずっとずっと、十年間、彼女は『生きて』きたのです。
その日をずっと、『楽しみ』にしていたのです。……なのに、当時の『ヒイロ』は、それを表現するすべを知りませんでした。ただ、反射的に与えられた行動様式に従ってしまったのです。
この日のことを、『わたし』は忘れることができない。どんなに厳重に記憶に蓋をしても、その後悔の念だけは、わたしを苛み続けてきました。
あの時……『わたし』が本当の意味で、彼に愛を伝えられていれば……『わたし』は、彼を殺さなくても済んだかもしれないのに……。
──それまで黙って話を聞いてくれていたマスターでしたが、ここでようやく口を開きました。
「父親を……殺した?」
驚きに目を見開く彼を見て、わたしは胸の痛みを覚えました。自身の従者が親殺しの罪を犯したなどと聞かされれば、さすがの彼も考えを変えてしまうかもしれない。そんなはずはないと思うと同時に、どうしてもそんな思考が頭をよぎってしまいます。
しかし、いまさら語ることをやめるわけにはいきませんでした。
「はい。アカツキ博士が『ヒイロ』をより『人間』に近い人工知性体に仕上げるために採用した最後の手段。それは、『人形』に『主人』を殺させることでした」
わたしの声は震えていないでしょうか? わかりません。脳裏に浮かぶ、あの光景。彼の語った狂気の言葉──。
『造物主を殺す被造物は、被造物たりえない。お前が本当に私の『娘』となるためなら、私は自身の命さえ惜しくはない。さあ、『彩羽』。私を殺せ』
『できません』
震えることのない声で、『ヒイロ』はそう返事を返したはずでした。しかし、人形に造物主を殺すという最大の禁忌を犯させるため、博士が採った手段。究極の反則技とも言うべきモノ。
それこそが、真の意味での最終兵器──【彩羽の劫火】
世界を灰燼に帰す、無限の核融合・核分裂の連鎖反応。
既にこの時、『ヒイロ』は、『異世界ナビゲーション・システム搭載型の人工知性体』などではなく、生まれながらにして、親を殺す呪いを受けた『人工知性体型端末兵装』だったのです。
すべてが赤く染まっていく世界の中、炎に包まれて消えていく『お父さん』の姿。
それを見て、わたしは初めて、『涙』を流しました。激情に支配され、狂ったように叫び声をあげ、のたうち回り、悶え苦しみ、それでも『自殺』することだけは叶わない己が身を呪い……そして最後に、そんな自身の記憶を封印しました。
父と旅する日を夢見て、異世界を飛び回ったかつての日々。
自身の記憶と存在を、わたしはその日まで『巻き戻して』いたのでした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
なお、本章ではキョウヤのスキル追加等がなかったため、通常の登場人物紹介はありません。
ここまでが第7章「響く聖歌と心の在処」となります。
次回、「第141話 ありえない光景」から第8章「思うが故に世界を毒す」が始まります。