第134話 見えない心のカタチ
「あー! 疲れた!」
突然、何もない空間から大声を上げて姿を現したのは、ツーサイドアップの金髪を乱れに乱れさせたアンジェリカです。いつもの黒いドレスこそ修復機能により目立った損傷はありませんが、どことなくその全身はボロボロになっているように見えました。
「あー! 楽しかった!」
立て続けに姿を現したのは、メルティです。彼女の方は衣服のあちこちに焼け焦げを作ってはいるものの、身体自体にはほとんど目立った外傷はなさそうです。
ああ、せっかく先ほど直した服が………。
……いえ、それはさておき、彼女もエレンシア嬢ほどではありませんが、多少の傷であれば短時間で回復してしまうだけの回復力を有しているため、一見した限りではむしろ、その肌は艶々としています。
アンジェリカは最初こそ、最後の『ヨミ枢機卿』を自らの『遊び』に付き合わせ、対王魔用に彼が考えた戦術の数々を練習台に使っていたのですが、途中からメルティが「自分も参加したい」と言い出してからが大変でした。
『ヨミ枢機卿』は『禁じられた魔の遊戯』の特殊空間の中で繰り返し二人に殺され、復活してはまた殺されるという地獄を味わう羽目になったのです。
さすがに見ていられなくなったわたしたちは、『観客』になることも放棄してアンジェリカとメルティが戻ってくるのを待っていたところでした。
疲れた顔で歩いてくるアンジェリカに、マスターが真っ先にねぎらいの言葉を掛けます。
「アンジェリカちゃん。お疲れ様」
「まったく……世話の焼ける『お姉ちゃん』よね」
どうやらさらに途中からは、アンジェリカとメルティの二人の『遊び』になっていたらしく、彼女の姿がボロボロなのは、メルティと戦った結果のようでした。
彼女は呆れたように首を振りながらマスターの傍まで近づくと、その金の瞳で上目遣いに彼のことを見上げます。
「それより、メルティばっかり抱きしめたりしてずるいでしょ? わたしのことも、もっと労わりなさいよ。ほんとに頑張ったんだから!」
「うんうん。ありがとう、アンジェリカちゃん。やっぱり君は頼りになる女の子だね。よし、お礼に頭を撫でてあげよう」
「……うん、ありがと。 って、そうじゃないわよ! もー! 子ども扱いして!」
「あはは。でもほら、御褒美のキスとかなら、人がいない場所での方がいいでしょ? その方がじっくりできるし」
にやりと笑ったマスターの言葉に、アンジェリカの白い頬が急速に真っ赤に染まっていきます。
「な、ななな! 何を言ってるのよ! ばかー!」
頭から湯気を上げて怒り出したアンジェリカですが、マスターはここで何かに気付いたように彼女の手を取りました。
「うわ。随分と怪我をしてるね。血も出てるし……大丈夫?」
「え? あ、うん。まあ、怪我はなるべくしないようにルール設定したつもりだけど……こればっかりはね」
「ん? じゃあ、なんでこんなに怪我をしてるんだい?」
「魔法なしでメルティとまともに渡り合うつもりなら、『身体の隅まで女王様』で特殊効果付の鞭でも創らないと厳しかったから」
『身体の隅まで女王様』は、自分の肉体の一部から鞭を生み出すスキルです。彼女の傷はどうやら、自分で自分に付けたものが大半のようでした。
「なるほど。メルティの服の焼け焦げは、魔法のせいではなく、アンジェリカさんが血液から生み出した『炎の鞭』によるものでしたか」
「……ヒイロ」
思わず漏らしたわたしの問いかけに、なぜか白い目を向けてくるアンジェリカ。
「どうして怪我をしているわたしの治療より先に、メルティの衣服の修繕をしているんだ?」
「……え?」
「わたしの存在は、メルティの服以下なのか? ん?」
「いえ、もちろん、そんなことはありませんよ。ただ、マスターとの『微笑ましいやり取り』を邪魔するような無粋な真似は控えていただけですから」
「んな! くうううう! ヒイロまでそんなことを!」
再び真っ赤になって喚き散らすアンジェリカに、わたしは早速回復用の【因子演算式】を展開してあげました。
どうにか冷やかしの言葉で誤魔化しはしましたが、実のところ、メルティの服は彼女が気に入るよう、自分が腕によりをかけて作ったものだったため、つい、そちらの修繕に気が向いてしまったというのが本当の理由でした。
「……前々から思っておったが、ヒイロは結構、腹黒い女の子なんじゃな」
「聖女様ほどではありませんよ」
そのことを見抜いたらしき聖女様に軽口を返しつつ、わたしはマスターに今後の方針を問いかけます。するとマスターは、既に事切れた『ヨミ枢機卿団』の面々を見渡し、思案するように首を傾げました。
「うーん。どうしようかな? 正直、さっさと大聖堂とやらに乗り込んでやろうかと思っていたんだけど……あまり早くに行っても、彼に打った『仕掛け』が無駄になっちゃうしね。千日間とは言わないまでも、しばらくは『彼』がどうなるのか、その結果を待ちたいところだね」
「ですが、マスター。噂が広まる展開になるとは限らないのではないですか? マスターのおっしゃるとおり、集団自殺の道もあるわけですし」
「まあ、広まらなくてもいいんだけど……でも、自殺ってことに関して言えば、大丈夫だよ。『彼』は、死ぬことを誰よりも恐れてる。集団自殺はあり得ない。まあ、死ななくても、全員が世捨て人になって、『教会』関係者に接触しない生活を送るって可能性もあるにはあるだろうけど……」
「実際には、それもないと?」
「そりゃあ、そうさ。これまで自分の命を懸けることなく、安全な場所から他人に『捨て身の信仰』を強いてきたような奴だよ? そんな奴に『信仰のために信仰を捨てる』なんて真似ができるわけがない」
あっさりと、吐き捨てるように言うマスター。するとエレンシア嬢が不思議そうに問いかけの言葉を口にしました。
「でも、キョウヤ様? 先ほどは彼のことを強い信念を持った人だから評価する、というようなことをおっしゃっていませんでしたかしら?」
「うん。でも、さっきのやりとりで彼の『底』が見えちゃったからね。どうなるにせよ、期待薄なんだよ。……残念だったなあ。肉体というイレモノをはっきりと持たない彼のような人なら、僕にちゃんとした『人の心のカタチ』を見せてくれるんじゃないかと思ってたのに……」
酷く寂しそうにつぶやくマスターは、まるでぽっかりと空いた自らの心の穴を押さえるように、胸に手を当ててうつむいています。
「キョウヤ。大丈夫?」
しんみりとした空気の中、メルティの心配そうな声だけがあたりに響きました。
「え? ああ、大丈夫。心配させてごめんね。それじゃあ、屋敷に戻ろうか? これからのことはまず、ドラグーン王国にここの皆を保護してもらう手筈を整えてからにしようか」
──屋敷に戻ったわたしたちはまず、孤児の少女たちの無事を確認しました。リズさんとシスターたちは突然暴れ出したり、その光景にショックを受けたりした少女たちを上手く落ち着かせることができていたようです。
部屋に入るなり不安そうな顔をしていた子供たちも、わたしたちが敵を追い払ったことを伝えると、お互いに抱きしめ合って喜びの声を上げました。
子供たちの間から、メイド服を着たリズさんがゆっくりと進み出てきます。
「キョウヤ様、みなさん。よく御無事で……」
「うん。リズさんもご苦労様。子供たちを上手く落ち着かせてくれたんだってね? さすがはリズさんだよ」
「いえ、わたしにできるのはこれくらいですから」
謙遜の言葉を口にしつつも、マスターに褒められたリズさんは嬉しそうな微笑みを浮かべています。
「おねーさま! キョウヤお兄ちゃん! 怖かったよ!」
次に駆け寄ってきたのは、マスターお気に入りの女の子、クレハちゃんでした。
「心配かけてごめんね、クレハちゃん。大丈夫? 怪我はなかったかい?」
「うん! シスターの先生たちとおねーさまが守ってくれたから平気!」
「そっか。よかった。無事で何よりだよ」
安心したように息を吐きつつ、クレハちゃんの頭を撫でてあげるマスター。彼女も嬉しそうにされるがままで笑っています。微笑ましい光景ではありますが、油断してはいけません。注意して見ればわかりますが、マスターは他の少女たちなどまるで眼中にないとばかりに、クレハちゃんのことだけを気にかけているのです。
などと益体もないことを考えていると、わたしの制服の袖を引っ張る気配がありました。さては他の子がわたしに玩具でもせがんでいるのかと思い目を向けると、そこには少し不安そうな顔をしたアンジェリカの金色の瞳がありました。
「ヒイロ。キョウヤって本当は、ああいう小さい子が好みなのかな?」
「……え?」
思わず、耳を疑うわたし。彼女は何を言い出しているのでしょうか?
「い、いや、だから……ほら、最近、キョウヤは、あの女の子のことばかり気にかけてるだろう? 世の中にはああいう未成熟な子が好きだと言う男もいるらしいし……」
なおも心配そうな顔で言い募るアンジェリカですが、わたしの袖を掴み、上目づかいでこちらを見上げる彼女の姿こそ、『その道の人たち』の好みのどストライクなのではないかと思ってしまいます。
気を抜けば笑い出してしまいそうな場面ではありますが、そうなればアンジェリカの怒りを買うことは明らかでしょう。どうにか笑いをこらえつつ、わたしは彼女に返事を返します。
「心配いりませんよ。マスターがあの子をお気に入りなのは、彼女が真っ先に彼に『懐いてくれた』からです。わたしが知る限り、マスターは少年時代の『ある時』を境に、子供や動物から酷く怖がられるようになっていたようですからね。子供に懐かれたのが、とにかくうれしくて仕方がないのでしょう」
「そ、そっか。そうよね。うん。ごめん。変なこと聞いて」
ほっとしたように胸を撫で下ろすアンジェリカ。ですが、そんな彼女の背後から、さらに別の女性が声をかけてきました。
「いいえ。油断はできませんわよ。アンジェリカさん。貴族ならあの程度の歳の差はあってなきがごとしです。ああまでキョウヤ様が心を開いている少女ですもの。あと何年かすれば、強力なライバルになるかもしれませんわ!」
「ラ、ライバルって……わ、わたしは別に……!」
振り返れば、翡翠の瞳を楽しそうに輝かせ、満面の笑みを浮かべる絶世の美女が一人。
彼女、エレンシア嬢は何故か胸の前で握り拳を作り、アンジェリカに向かって力説を始めています。
「うふふ。隠そうとしても無駄ですわよ? 今、あなたがヒイロに問いかけた質問。それはすなわち、キョウヤ様を取られてしまうのではないかという不安な気持ちから来るものでしょう?」
「ち、ちが……!」
「うふふふ! リズが相手では、いつもからかわれてばかりでしたから、この手の話題をアンジェリカさんとできるとなると、嬉しいですわ!」
「へ? い、いや、ちょっと待って? いったい何を言って……」
「いいから、こっちに来て語り合いましょう?」
抵抗するアンジェリカを有無を言わさず引きずっていくエレンシア嬢。
意外と言うべきか、貴族の娘としてはあれが当然なのだと考えるべきか、いずれにしても彼女はあの手の『ガールズトーク』が大好物のようでした。
「うん。それじゃあ、クレハちゃんの無事も確認できたことだし、そろそろ本題に入ろうか? エレンの『世界に一つだけの花』と僕の《訪問の笛》があれば、ここにいる皆をドラグーン王国に送り届けるのは簡単だからね」
マスターはにぎやかな部屋の様子を見渡した後、ようやく子供たちから解放されたベアトリーチェに向かって切り出しました。
「……ああ。そうじゃな。しかし、キョウヤよ。あの時、お前が言った話じゃが……」
「うん。わかってる。この屋敷を放棄するなら、『その問題』を片付けないわけにはいかない」
「……本当か? 本当に、どうにかできるのか?」
マスターにすがりつくような目を向けるベアトリーチェ。突然あげられた大きな声と、普段とはあまりにかけ離れた彼女の姿に、その場の全員が驚いて彼女を見ました。
「ベアトリーチェさん? いったい、どうされたのです?」
「よくわからないが……ただごとではないみたいだな」
「まあまあ、百聞は一見に如かずだよ。とにかく、この屋敷の『地下』に向かおうか?」
顔を見合わせるエレンシア嬢とアンジェリカの問いかけを遮るようにそう言うと、マスターは部屋の入口へと歩を進めます。
「え? 地下と言えば……」
そうです。わたしはベアトリーチェに聞かされていました。この屋敷の地下には、かつての彼女の『義父』がおり、彼女はその『義父』に今もなお、凄惨な拷問を行い続けているのだという話を。
そんな場所に皆で向かう?
いったい、何をするつもりなのでしょうか。
わたしたちはわけもわからず、子供たちとシスターをその場に残し、彼の後に続いていきます。
その先で、わたしたちが見たものは……
次回「第135話 地下室の闇」