第128話 悪魔アスタルテ
「言葉を話す『愚者』……だと? そんなものが……」
メルティの額に輝く第三の瞳の赤い光に照らされながら、数百人を超える銀仮面の集団は、一斉に驚愕の声をあげています。ただの『黙示録の聖歌隊』の者たちとは異なり、彼らはそれぞれがヨミ枢機卿と同じ精神を持つというだけあって、比較的豊かな感受性を備えているのかもしれません。
しかし、それでもさすがに『枢機卿』の名は、伊達ではないのでしょう。すぐに落ち着きを取り戻すと、掌を前にかざし、金糸と黙示録を障壁のように組み合わせた魔法を構築していきます。
「忌まわしき世界の守護者め。我らの研究さえ完成すれば、貴様らなど『聖地』ごと滅殺してくれるものを……」
よく見れば、糸によって縛られた黙示録は各々がページを開いた状態で宙に固定され、そのすべてがメルティへと向けられていました。
「だが、貴様はここで死ね! 《女神の聖典暗唱》」
音波──というより『衝撃波』としか呼びようのない力が、けらけらと笑い続けるメルティに迫ります。
「あはは! 魔法、まほう、マホウ!」
彼女の艶やかな黒髪は、衝撃波の起こす風にあおられ、ふわりと舞い上がりました。その拍子に、はっきりと露わになった彼女の額には、ギョロリと動く『愚者の隻眼』。
血の色を思わせる光を放つその瞳は、ヨミ枢機卿が絶対の自信をもって放ったであろう攻撃魔法を、単なるそよ風に変えてしまいました。
「ば、馬鹿な! 我が『枢機卿団』の相互干渉増幅魔法を『反転複写』しただと? 一体、どんな精度の『隻眼』があればそんなことが……」
隻眼の反転複写。その言葉が彼の口から出たのは、アンジェリカが『聖歌隊』を『生きている魔法』で薙ぎ払った時に続いて、これで二度目です。さすがに『教会』の人間たちは、隻眼を利用した対魔法銀を作っているだけあってか、『隻眼』の仕組みにも詳しいのかもしれません。
「『彼』らには、色々と聞くことがありそうだし……全滅させられちゃ困るかな」
マスターも同じことを考えたのか、そんな言葉をつぶやきました。
「コワレチャエ!」
一方、獣のように低い姿勢で構えていたメルティは、自らの声をその場に置き去りにするような凄まじい速度で『枢機卿団』の先頭にいた数人の銀仮面に襲い掛かります。
「がっ!」
「ごあ……!」
広げた両手で二人の銀仮面をそれぞれ鷲掴みにしたかと思うと、金属の破砕音と人体の破壊音を同時に響かせ、あっという間にそれを握りつぶすメルティ。彼女が腕や足を振り回すたび、衝撃波が巻き起こり、近くに立つ枢機卿の身体がバラバラに吹き飛んでいきます。
とはいえ、マスターの話が本当ならば、『ヨミ枢機卿団』は『聖歌隊』と同様、スキル『彷徨える狂信の言霊』によって強化された肉体を維持しているはずなのです。
もちろん、まともにメルティと激突すればひとたまりもないでしょうが、数百人からなる彼らがまともに反応さえできずに蹂躙されるというのは、あまりにも異常でした。
そして、その『異常』の理由は言えば……
「……あれだけ血生臭い戦い方してるのに、メルティって本当にきれいだよね」
惚れ惚れとしたように言ったマスターの言葉どおり、血煙の中で踊るメルティの姿は、悪魔のように恐ろしくありながらも、天使のように美しくもありました。
そして、その感想は、何もわたしたち二人だけに限ったものではありません。
「うう……」
「な、なんという……」
恐怖に震え、反撃さえままならずに蹂躙されていく『ヨミ枢機卿団』。そんな彼らですが、一方では自らに迫る死の危険などないかのように、メルティの美しさに魅了され、恍惚の声を上げてさえいるのです。
「……なるほど。彼女の『砂漠に咲く一輪の花』は、こんな場面でも有効なんですね」
戦闘中、『美しさ』で魅了した相手の身体能力を奪うスキル。それはまさに、彼女のためにある能力でした。
彼女はなおも、両手を鮮血に濡らしながら、身体に絡みつく《女神の琴線》を引きちぎり、手近にいた『ヨミ枢機卿』の腕を掴みとりました。
「ほら! ほらほらほらほら! あはははは!」
そのままメルティは、その身体をまるで棒切れのように振り回すと、周囲の『ヨミ枢機卿』たちに次々と叩きつけていきます。
「うあああ!」
「ば、化け物め!」
人体と人体が激突し、肉が裂け、骨が砕け、鮮血が飛び散るその場所は、既に『戦場』ではなく『屠殺場』と呼ぶべき様相を呈していました。
「……うわあ。メルティ、随分生き生きとしてる。さすがの僕もドン引きだよ」
呆気にとられたようにそんな言葉を口にするマスターですが、彼自身、あんなものでは済まないくらいの恐ろしいことを平然とやってのけるのです。どこまで本気かはわかりかねるところでした。
とはいえ、彼女が振り回していた『枢機卿』の身体が原形をとどめなくなり、握っていた腕を握り潰して千切れてしまった場面などを見せられては、彼がそう言いたくなる気持ちもよくわかります。
「う、嘘だ! 嘘だ! 我が『枢機卿団』が! やめろ! 離れろ!」
喚き散らすヨミ枢機卿。
すると、その時でした。まるで彼の懇願を聞き入れたかのように、メルティの動きが止まったのです。
〈ん? なんだろう? 様子がおかしいね〉
〈暴走しすぎて、力を使い切ってしまったのかもしれませんが……〉
〈いや……なんていうか、むしろ……〉
〈え? あ、『魔力』の反応が……いえ、これは……無属性の『因子』? し、しかし、【因子観測装置】にもよらずに、どうしてそんなものが……〉
高速思考伝達を使用して会話を続けるわたしたちでしたが、立て続けに起きたメルティの『異変』を前にしては、言葉を失わざるを得ませんでした。
「……イシ。ココロハドコニ? ツミブカキ『メガミ』。ワレハナンジヲユルサナイ」
まるで別人のような無機質な声が、メルティから発せられています。しかし、わたしたちが驚いたのは、別のことでした。
〈僕の見間違いでなければ、あれって角だよね?〉
〈はい。コウモリのような翼と先のとがった尻尾とくればまさに……〉
まさに、その姿から連想されるイメージは……
「……ひ、ひっ! あ、悪魔! 悪魔め! な、なぜ……どうしてだ! ここは『聖地』ではない! なぜ、『女神の願い』に満ちたこの世界で、貴様のようなモノが!」
残された数十人の『ヨミ枢機卿団』は、狂ったように叫び声を上げ、再び金の糸を絡めた魔法を生み出しています。
暴走するように広がる糸の海は、マスターの足元にも迫ってきましたが、彼はそれを一瞥すると、拍子抜けしたように肩をすくめるだけでした。
「ほっといても、害はなさそうだね」
その言葉どおり、糸はマスターの身体に触れるや否や、波が引くように距離を取って離れていきます。まるで、意思のある何かが、彼を恐れてでもいるかのように……。
一方、メルティに対しては、『金の糸』も勢いを減じることなく、まるで彼女が『親の仇』でもあるかのように、すさまじい勢いで殺到していきます。
わずかに身を屈め、自らの身体に起きた変化に身じろぎしていたメルティは、呆けたようにソレを見上げ……、そしてそのまま『金糸の海』に呑み込まれてしまいました。
「うはははは! やったぞ! 馬鹿め! 『愚者』の分際で! 我は『アカシャの使徒』にして、選ばれし『天使』の一人なのだ! いかに貴様が強力な『愚者の隻眼』を有していようと、我が『女神の愚盲』には及ぶべくもないわ!」
いまや『金の糸球体』に覆い尽くされたメルティを見て、『ヨミ枢機卿団』は勝ち誇ったような笑い声を上げています。しかし、見る者が見れば気付くでしょう。どう見てもそれは、心のうちの不安を押し殺し、見たくないモノから目を逸らしているだけなのだということに。
「ひ、ひひひ!」
「あはは! コワレロ! コワレロ!」
ガラスが砕け散るような音と共に、爆裂四散する『金の糸球体』。中から飛び出す黒い影は、ねじれた角と黒い翼、先のとがった黒い尾を生やす──少女の姿をした悪魔。
「うああああ! 化け物め!」
狂ったように叫び散らす枢機卿団。彼らは既にほぼ大半をメルティ一人によって倒されており、再び吹き荒れる破壊の嵐は、このまま続けば間違いなく、彼らを全滅させてしまうでしょう。
とはいえ、彼ら『ヨミ枢機卿団』は、ここにいるだけですべてではないはずです。だというのに、彼らは目前に迫る死の恐怖におびえているかのように逃げ惑い始めました。
「無数の自分を生み出して、絶対に死なない状態を作り上げて……それでもなお、怖いものは怖い。人は死ぬことだけに『恐怖』を感じる生き物じゃないしね」
マスターは皮肉気にそんな言葉を口にしています。
しかし、ここでようやく、彼は動くことにしたようでした。
「やばいね。そろそろ全滅が近い。正直、あんまり近づきたい感じはしないけど……僕が止めてあげなきゃかな?」
言うや否や、彼は逃げ惑う『枢機卿団』へ襲いかかっていくメルティを止めるべく、走り出します。
「あははは! もうおしまい? もっとアソボウよ!」
「彼との遊びはここまでだよ」
獣じみた動きで最後の『枢機卿』にトドメを刺そうとするメルティの眼前に、するりと滑り込むマスター。しかし、勢いのついたメルティの拳は止まらず、マスターはそれを左腕に付けた『オリハルコンの盾』で受け止めました。
「うあああ!」
しかし、その激突は凄まじい余波を周囲にまき散らし、マスターに護られた形となったヨミ枢機卿ですら、大きく吹き飛ぶほどでした。
「あれ? キョウヤ?」
「あはは。少しは正気に戻ったかな? メルティはちょっとばかりお転婆だね」
そう言って笑うマスターの左腕は、力無くぶら下げられています。どうやら盾を通じて腕に伝わった衝撃が、骨を損傷させてしまったようです。
「うふふ! 今度はキョウヤがアソんでくれるの?」
「ちょっとだけね」
「うれしい! じゃあ、アソぼう?」
血濡れた身体を嬉しそうに震わせ、再び獣のように身を低くするメルティ。対するマスターは、そんな彼女の姿を油断なく見据えています。さすがのマスターでも、この状況で彼女を相手に気を抜くことは危険だと判断したのでしょう。
次回「第129話 真理を語る愚神礼賛」