第127話 人の個性を奪うモノ
『聖歌隊』による歌声は、依然としてあたりに響きわたっています。マスターの《グラウンド・ゼロ》がヨミの『黙示を告げる御使い』の効果を打ち消しているせいか、真っ先に影響を受けたアンジェリカは辛そうな顔こそしていますが、どうにか正気を保ってはいるようでした。
一方、同じ『王魔』でも東側のエレンシア嬢には、特に問題は生じていないようです。恐らく彼女には、『身体の芯までお嬢様』という最強の精神耐性スキルがあるからなのでしょうが、それは裏を返せば、この『聖歌』に込められた力が『王魔』の精神を蝕むものであるということを意味します。
しかし、わたしが屋敷の中に残しておいた《スパイ・モスキート》から送られてくる情報は、事態がそれだけにとどまらないことを示していました。
〈マスター。大変です! 屋敷の中の子供たちが!〉
わたしは慌ててマスターに高速思考伝達を行います。
〈うわっと! 急にどうしたんだい?〉
〈彼女たちの生命反応が……異常なんです。狂ったように暴れ出していて……シスターたちの魔法でも鎮圧しきれていないようです! このままでは犠牲者が!〉
わたしが見たもの。それは、遊戯室に避難しているはずの孤児たちの姿です。彼女たちのうち、数人の少女たちが突然別人のように目を血走らせ、獣のような唸り声さえ上げながら、周囲の人間に襲い掛かっていました。
シスターたちも孤児の少女たちを傷つけるわけにもいかず、精神干渉系の魔法で鎮圧を試みているようですが、上手く行っていないのが現状でした。
〈了解。……音を消すスキルは無効化しても、まだ十分じゃないってわけか。でも、リズさんにも作用していない『対王魔用』の精神攻撃がどうして子供たちに作用しているのかはわからないけど……〉
危機的状況であるはずなのに、マスターの声に焦りの色は見えません。ただ、玄関脇に立つリズさんの方を振り返り、彼女に何事かを呼びかけているようですが、わたしの方はそれどころではありませんでした。
〈マスター! そんなことを言っている場合では……!〉
〈心配いらないよ。たった今、子供たちならベアトリーチェさんが助けに向かった。彼女の魔法なら、流石に『聖歌』の効力を解除できるんじゃないかな。その後の子供たちのフォローもリズさんにお願いしたから、問題はない。だから、僕らが何かをするまでもないさ〉
〈え?〉
言われてみて、はじめて気づきました。いつの間にか、ベアトリーチェの姿が正面玄関から消えています。どうやら先ほどのリズさんへの呼びかけも、その指示だったらしく、彼女の姿も玄関の中に消えてしまっていたようでした。
〈状況が分からなくなるほど焦るなんて、ヒイロって、実は結構子供好きだったりする?〉
からかうような声をかけてくるマスター。わたしは自分の頬が熱くなるのを感じてしまいます。次いで、先日、クレハや他の子供たちと遊んであげたことを思い出したわたしは、自分が思った以上に彼女たちに入れ込んでしまっていることに気付かされてしまいました。
〈マ、マスターが呑気すぎるんです!〉
〈ははは!〉
わたしはそんな自分をごまかすように声を荒げてしまいましたが、マスターはお構いなしに笑い声を返してきました。
〈……それはさておき、僕としては『ヨミ枢機卿』とやらの正体の方が気になるね〉
〈え? どういう意味ですか?〉
そう呼ばれていた男は、つい先ほど『鎖裂き』にされて死んだはずです。
しかし、マスターはわたしの問いかけには答えず、ゆっくりと腕を前に伸ばしました。
「君たちって、本当に血も涙もないんだねえ? 御主人様が見るも無残に死んだってのに、まったく動じた様子もないじゃないか」
「…………」
問いかけられた当の相手は、白装束に白頭巾を被った『聖歌隊』のメンバーです。マスターから距離を置いて陣取ったまま、ヨミ枢機卿が戦闘を開始し、さらには彼が八つ裂きになってもなお、動くことなく立ち尽くす数百人の『黙示録の聖歌隊』。
「なーんてね。もちろん、僕にはわかってるさ。君たちの御主人様が『亡くなっていない』ということはね。……まあ、その言い方も正確ではなさそうだけど」
「…………」
彼の気の抜けた呼びかけが続く中、彼らは答えを返さぬまま、ひたすらに『歌』を歌い続けています。一刻も早く彼らの歌を完全に封じなければ、アンジェリカや屋敷の子供たちが危険だと思うのですが、マスターには何か別の考えがあるようでした。
「最初に見た時から、おかしいと思ったんだよ。なにせ『仮面』って奴は本来、人の個性を剥奪する道具だ。なのにこの場の誰もが、その仮面こそが彼のアイデンティティであるかのごとく、『彼』を見ていた。それこそ『聖歌隊』の皆さんも含めてね。僕、そういう違和感には敏感なんだよ」
マスターが前に突き出した手には、いつの間にか『銀の仮面』が掴まれています。彼は『それ』を持ったまま、居並ぶ『聖歌隊』の面々一人一人を順番に指し示しました。
「だからさ……いい加減、変装なんかやめて、頭巾を外して見せたらどうだい? 『ヨミ枢機卿』さんたち?」
マスターが、そう言った直後のことです。
「……恐ろしいな。よくぞ初見で我が研究の成果たる『枢機卿団』の存在を見破ったものだ。さすがはヨハネ猊下が警戒する人物だけのことはある。……クルス・キョウヤよ」
白装束の男たちが一斉に頭巾を投げ捨てると、あらわになったものが陽光を反射し、銀の輝きを放ちます。笑い声の主は、目の前にいる白装束たち──その全員です。異口同音に声をそろえて笑う姿は、不気味を通り越して、おぞましさすら感じてしまうものでした。
「ぜ、全員が銀仮面?」
「白頭巾に銀仮面。偽装に次ぐ偽装。まったくもって君らには、『まるで心が無いかのよう』だね」
「し、しかし、どうしてマスターにはこのことが?」
わたしの問いかけに、マスターは右手に掴んだ『銀の仮面』をひらひらと翳して見せます。
「さっきベアトリーチェさんがあいつをバラバラにした時、『長い腕』でこの仮面をくすねておいたんだ。そしたら案の定、こいつに『強い記憶』が宿っていてね。『わがままな女神の夢』でそれを断片的にだけど読み取ったってわけさ」
「なるほど……」
わたしは納得したように言いながらも驚き、そして、あきれてしまいました。『鎖裂き』という残酷な手法で殺害された『枢機卿』の肉体から銀仮面を剥ぎ取るような真似は、やはり並の精神でできることではないでしょう。それも、わたしでさえ気づかないほどの手際の良さなのです。
「ちなみに、屋敷の子供たちに関して言えば、例えば……最初の襲撃で何人かの子供たちには攻撃するふりをして、『王魔』じゃなくても『聖歌』が通じるような仕掛けを施したとか……かな?」
確かにあの時、マスターは『殺意』をもった凶刃からは、彼女たちを救うことができましたが、そうした仕掛けの類であれば、防ぎきれなかった可能性は十分にあります。
「……歌の効果を最大限に高める『黙示を告げる御使い』さえ有効だったならば、狂戦士と化した孤児どもによって、今頃屋敷の中は血の海だったはずなのだがな」
銀仮面の男たちが苦々しげに吐き捨てる声を聞く限り、マスターの指摘はどうやら図星のようです。さらにマスターは手にした銀の仮面をしげしげと眺め、言葉を続けます。
「驚いたね。君には……『本体』がないのか。『枢機卿団』とやらはつまり、君のスキル『彷徨える狂信の言霊』で狂信的な信者たちの『個性』を奪い、自分の精神と能力を分散して植えつけているってわけだ。『天使』の力を使ってなお、通常モードのベアトリーチェさんに敵わなかったのも、そのせいかな?」
「……さすがに、そこまで来ると異常だな。どうやってそんな情報を得た? 貴様には能力を看破するような能力でもあるというのか?」
「推測はお好きにどうぞ。こちらも勝手に推測させてもらうけど、今ここにいる何百人かの『枢機卿団』。これが『君のすべて』ではないんでしょう?」
「くくく。そのとおり。ゆえに、我は不死身。我を殺しつくすことなど、何人にもできはしない。我ら『枢機卿団』こそが、こちらが数で劣る『王魔』に対抗するための切り札である。先ほど汝は、『分散』によって我の力が弱体化したがごとき言葉を吐いたが、それは思い違いである。枢機卿団の力の神髄──相互干渉増幅魔法の恐ろしさ、とくと味わうがいい」
数百人に及ぶ銀仮面の男の声が唱和するように響き渡ると、彼らの頭上には、銀い輝く無数の書物──《女神の黙示録》が浮かび上がりました。
「それから、クルス・キョウヤ。先ほどからの貴様の『推察』は見事だが、大きな誤りがひとつある」
「誤り? 何を言ってるんだよ。僕は誤ったりなんかしないぜ。……『間違って』はいるけどね」
「ククク。貴様がそうして平然としていられるのは、なぜだと思う?」
「さあね。僕が無神経だからじゃない?」
なるほど、さもありなんといったところです。……いえ、まさかそんなわけがありません。
〈ヒイロ? 今、ものすごく失礼なこと考えなかった?〉
〈いえ、何のことでしょう?〉
意外にも鋭いマスターに、高速思考伝達でとぼけるわたし。
「……愚か者め。『聖歌隊』の精神波は、対『王魔』用に調整したものだ。だが、孤児どもに仕掛けた『伝達糸』はそれを対人間用に変異させる」
「ふーん。それで?」
「ゆえに『伝達糸』すら付いておらず、『王魔』でもない貴様には『聖歌隊』の精神波は効力を及ぼさぬというわけだ」
「それ、自分は駄目駄目ですって言ってるようなものだよね? 自慢げに話すことじゃないと思うけど……」
呆れたように笑うマスター。しかし、銀仮面の男たちは不気味な声で言葉を続けます。
「……我の魔法は、本来『歌』ではなく、『言葉』を媒介にするものだ。言葉とは、すなわち『意思の伝達』である。想念をもって語る『王魔』には意思を『精神波』に乗せ、言葉を音として認識する人間には糸を媒介にした『音』で伝える。つまり、各々の種族で支配のための調整が異なるというわけだ」
「…………」
「さらに、ただの人間ではない『法術士』が相手であれば、こうだな」
《黙示録》の周囲から《琴線》の糸が無数に伸び始め、それはやがて空中で渦を巻くようにして大きな塊に変化していきます。その塊の中には、『文字』のような不可思議な紋様が浮かんでは消えていました。
「下等なる『法術士』風情が。汝が『法術士』であるがゆえに、絶対に回避不能な『文字』に意思を乗せた魔法をもって、すべてを終わりにしてやろう」
『王魔』でもなく『女神』でもない魔法使い。ヨミ枢機卿はそんなマスターのことを毛色の違った『法術士』だと思っていたようです。数百人の銀仮面の頭上に浮かぶ、金に輝く巨大な球体。そんな異様な光景を前にしても、マスターはまるで動じた気配を見せません。
しかし、その直後のこと。
「……うわあ。こりゃ、参ったね。これはどうにも骨が折れそうだよ……」
突然、マスターが顔をしかめ、大きく首を振ったのです。
「ククク! 今さら後悔したところで手遅れだ。骨どころが全身を圧潰させてくれようぞ」
それをマスターの怯みと見たのか、『ヨミ枢機卿団』は得意げな声で笑いました。
しかし、彼らはあまりにも鈍すぎました。『個性』を剥奪され、一人の人格を無数に分散してしまったことの弊害なのかもしれませんが……それでも、マスターは愚か、わたしやエレンシア嬢でさえ気づいたものに気付かなかったのですから。
「い、一体何が……起きて……」
震える声を出したのは、わたしに支えられて膝をついたままのアンジェリカです。
……その『気配』は、屋敷の北側に生まれていました。
空気が重い。そわぞわと、世界そのものが何かに怯えているかのような、奇妙な感覚。黒く、黒く、あまりにも黒い何かが、そこからあふれ出てきているような……
「うふふ……。あはは! あはははは!」
戦闘開始直後から派手な戦闘が繰り広げられていた北側には、今や生命反応がほとんど感知できません。『愚者』たちでさえ、恐怖のあまり逃げ出したのか、一匹たりとも残ってはいませんでした。
そんな中……ぐちゃり、ぐちゃり……と、おぞましくも身の毛のよだつ音が響いています。
「あはははは! もうおしまい? つまんないなあ……」
明るい少女の声。しかし、彼女の足元には、それまでヒトガタだった赤黒い物体がさらに凄まじい力で踏みつぶされ、液状の何かを周囲の地面にまき散らしています。
「……メルティ?」
普段の彼女からは考えられないような凶悪な気配に、わたしとエレンシア嬢、さらにはアンジェリカまでもが、驚いてそちらの方角に目を向けています。
すると、その直後のこと。屋敷の屋根の上をあり得ない速度で飛び越えていくものがありました。
とっさにマスターの方にセンサーを向ければ、ヨミ枢機卿団が掲げた『黄金の糸でできた球体』に向かって、禍々しい漆黒の籠手をはめた手を叩きつける影がひとつ。
黄金の球体が砕け散る轟音が、周囲に大きく響き渡りました。
「な、な! いったい、何が起きた!? なんだ、なんなのだこれは!」
渾身の魔法をあっさりと砕かれ、驚愕の叫び声を上げる『ヨミ枢機卿団』。
そんな彼らとマスターの中間地点に降り立ったのは、漆黒の髪を肩口でなびかせ、美しい肢体を真っ赤な返り血で染め上げた美少女です。
「……うわあ。イっちゃってるなあ。まったく、君らが変な刺激を与えるから悪いんだぜ?」
肩をすくめて彼女の後姿を見つめるマスターですが、その顔は手を焼く子供を見つめる親のようです。
「うふふふふ! あはははは! 敵、敵、敵! 壊す! 壊す! 壊しちゃう!」
けらけらと笑うメルティは、まるで獣のように四つん這いの姿勢のまま、マスターの方には目も向けず、『ヨミ枢機卿団』を見据えていました。
「……どう考えてもこれ、後から僕がメルティの暴走を止める役になるよね?」
次回「第128話 悪魔アスタルテ」