第126話 四面狂歌
メルティの身体に張りついた赤い金属板は、持ち主の喜びに共鳴するように輝き、額についた『隻眼』もまた、禍々しい真紅の光を放っています。
「こんなにいっぱいの人と遊ぶの、久しぶり!」
メルティは、蹴り出した足で大地を深くえぐり、爆発的な加速によって『聖歌隊』の真っただ中に飛び込んでいました。彼女が力任せに振り回す大剣は、行く手を遮る白装束の手にした鎌を打ち砕き、そのまま彼ら自身の身体をバラバラにする勢いで跳ね飛ばしてしまいます。
続けて彼女は、その両腕を大きく振り上げました。彼女の手にした『大剣』は、彼女の『サンサーラ』としての魔法である《ヴァリアント》の名前が示すとおり、その形を大きく変化させているようでした。静寂の世界の中、『音』もなく振り下ろされる破壊の一撃。すさまじい地響きがあたりを揺るがし、大規模な砂塵が宙へと巻き上がっていました。ヨミ枢機卿のスキルによって『声以外の音』が封じられているためか、まるで無音映画でも見ているような有様です。
やがて砂煙が晴れた場所に目を向ければ、巨大なクレーターの中央で真紅のハンマーを振り下ろしたメルティの姿があります。爆心地にいた白装束たちは跡形もなく消し飛び、その周囲にいた者たちもまた、無残にも五体をひしゃげて吹き飛ばされ、事切れていました。
「あははは!」
それからの彼女の戦いぶりは、まさに縦横無尽にして自由奔放。
伸ばした両手の先に大剣を突き出し、独楽のように回転して周囲を薙ぎ払ったかと思えば、次の瞬間には両手に持った二本の小太刀で駆け抜けざまに白装束たちを次々と斬り裂き、さらにその直後には、唐突に生み出した大槌で哀れな犠牲者を叩き潰し、周囲に衝撃波をまき散らしていきます。
究極の肉体強化系スキル『精神は肉体の奴隷』を備えた彼女の戦闘能力は、ただの人間をスキルで強制的に強化した程度では、到底太刀打ちできるものではありません。
一方的な殺戮劇とも言うべき『遊び』を続けるメルティは、おびただしい返り血を浴びながらもなお、嬉しそうに笑い声を上げ続けていました。
とはいえ、問題なのは屋敷の護りです。彼女が敵陣に飛び出して行ってしまったため、前線に残った白装束たちは、構わず屋敷の壁に接近しようとしていました。
〈やむを得ません。ここはわたしが防ぐしかなさそうです〉
制圧用の電磁バリアの類で彼らをどこまで止められるかはわかりませんが、生半可な魔法による攻撃よりは効果があるはずです。
しかし、そんなわたしの心配は、幸いなことに杞憂に終わりました。ベアトリーチェによる『調和』以降、メルティは確実に幼い子供の精神から脱却し、成長を始めていたのです。
「あ! みんな! 屋敷の方はお願いね!」
彼女は『遊び』に夢中でも、肝心なことを忘れてはいないようでした。
彼女の声とほぼ同時、わたしは自らの上空に太陽の光を遮る気配を感じました。驚いて見上げれば、そこには青い空を赤い光で染め上げ、今にも屋敷に迫ろうとするモノがあります。
空を飛ぶ愚者──『禍ツ鳥』です。
彼らは一斉に羽根の弾丸を『聖歌隊』に叩きつけ、屋敷を護るように北側一帯で羽ばたき続けています。ヨミ枢機卿のスキルのせいで羽ばたきの音こそ聞こえませんが、キーキーという『鳴き声』だけは、はっきりと周囲に響き渡っていました。
ギョロリとした真紅の瞳を輝かせる鳥は、初めて見た時同様、不気味極まりないものですが、それがまさか味方となって戦ってくれることがあろうとは……。
「でっかいトカゲくんも頑張って!」
さらに、彼女がつい先日『捕まえてきたでっかいトカゲ』こと、『災禍ノ鱗獣』もまた、寝床にしていた林の中から飛び出して来るや否や、その巨体を屋敷の前に滑り込ませてきました。そしてそのまま、迫りくる白装束たちを蹴散らし、大顎で喰らい、飲み込み、縦横無尽に暴れはじめたのです。
「……『愚者』を味方につける力、ですか。……すさまじいものがありますね」
するとその時、思わず呟いたわたしの声に重なるように、正門の前にいたヨミ枢機卿の声が聞こえてきます。
「……何だ? あの化け物は……。『愚者』の力と『王魔』の力? まさか、それではまるで……」
相変わらずヨミ枢機卿は、肉眼では確認できないはずの屋敷の反対側で繰り広げられる惨劇をはっきりと感知しているようです。周囲に魔法を展開させ続けながらも、ベアトリーチェを睨みつけています。
「他に気を散らしていてよいのか? 『押し比べ』はわらわの方が随分優勢なようじゃがのう?」
「……ふむ。確かに、さすがは天使の力を得ているだけのことはある。だが、支配領域の押し比べだけが勝敗を左右するものではない」
銀の髪を風になびかせ、《天秤》を掲げるベアトリーチェ。白い翼を背中に広げ、銀仮面の奥からこちらを睨みつつ糸を手繰るヨミ枢機卿。よく見れば、二人の足元では、『金の砂』と『金の糸』が互いの占める領域を争うようにせめぎ合い続けています。
「ベアトリーチェさん。ちなみに聞きたいんだけど『押し比べ』って何?」
「む? ああ、実をいえば、『アカシャの使徒』の『第一の神器』同士の場合、ある程度のレベルになれば、魔法そのものの強弱はあまりないのじゃ。性質の違いこそあってもな。しかし、攻撃特化型の第一の神器に対し、第二の神器はその補完や強化の役割が強い。ゆえに使徒同士の戦闘では、『第二の神器』を持つものが圧倒的に有利じゃ。じゃが、双方がそれを有しているとなれば……」
「なるほど、どちらが上手く『第二の神器』を使えるかにかかってくるわけだね」
「そのとおり。じゃが、枢機卿も大したことはないな。わらわは奴と違って未だに『天使』の力を使っておらぬと言うのに、このままでも十分押し勝ててしまいそうじゃ」
「でも、油断は禁物だよ」
「わかっておる……。というか、お前は何を呑気にしているのじゃ。先ほどから何もしておらぬではないか」
ベアトリーチェの言うとおり、マスターの問いかけに律儀に答えながらもヨミ枢機卿との『押し比べ』を続ける彼女に対し、当のマスターは何をするでもなく、その場に立っているだけに見えます。
「そうだね。さっきのアンジェリカちゃんへの攻撃以降、ほとんど反射ができてない。……まあ、他の皆が想像以上に一方的な勝ち方をしているせいもあるんだけど。ただ、それ以前に枢機卿の後ろにいる連中、ちょっとおかしいんだ。さっきから身動き一つしないのも気になるしね」
そう言って白装束たちに視線を投げかけるマスターですが、確かに少し不自然です。どうして彼らは、こちらに攻撃をしかけてこないのでしょう。
ベアトリーチェがヨミ枢機卿の相手にかかりきりになっている以上、マスターからの横槍を恐れるならば、当然彼らに攻撃命令を出して然るべきなのです。ましてや先ほど、周囲の味方が正体不明の攻撃に倒されているのですから、なおさらです。にもかかわらず、南の正門を除く三方面の白装束たちが一心不乱に鎌を振りかざして突撃してくるのに比べ、こちらはまったく攻撃の気配がありませんでした。
「……何か企んでおるのか?」
疑問の言葉を口にするベアトリーチェに対し、銀仮面の枢機卿は肩を震わせて笑います。
「くふふ! くはははは! 我は『枢機卿』である。ヨハネ猊下を除けば『教会』でも最高位の使徒ぞ。我が力は、汝がごとき新参者には及びもつかぬ領域にある!」
「負け惜しみを。……だが、小細工を弄される前に決着をつけてやろう」
いぶかしみながらも、ベアトリーチェは『金の砂』による支配力を強め、ここでついに、《女神の拷問具》による攻撃を仕掛けることにしたようです。
「うぬの身体を引き裂いてくれる! 《女神の鎖裂き》」
何もない虚空から出現した四本の鎖。それはヨミ枢機卿の周囲で『灰色』に変化した砂を吸収しながら肥大化し、あっという間に彼の四肢を拘束していきます。
「ぬぐ……」
両手両足を締めつける鎖の感触に、うめき声を上げる銀仮面の枢機卿。そしてそのまま、鎖はそれぞれが恐ろしい力で逆方向に引っ張られていきます。
「あ、あが! ぎ、ぎゃあああああああ!」
空気を引き裂くような断末魔の声と共に、まともな神経では正視に堪えない死に様を迎えるヨミ枢機卿。
「うわ、相変わらず、おっかないね。拷問と言うより処刑って感じだけど……」
そうは言いながらもマスターは、全く目を背けることなく、無残に引き裂かれたヨミ枢機卿を見つめています。
しかし、どちらかと言えば彼の様子は、目に見える光景から何かを探っているようにも感じられました。
〈マスター? どうかされたのですか?〉
〈何か妙だなと思ってね。あいつが死んだのに、他の連中がまったく動じた様子もない。それに『聖歌隊』は『殺意』の塊だと言う割には、他の三か所で戦っている連中からは、明確な『殺意』がなくなってる。……まるで、たった今、『奪われた』かのようにね〉
〈確かに、おかしいとは思いますが……〉
〈おかしいってことはさ。言ってしまえば何かが『間違って』いるってことだ。で、何が間違っているのかだけど……〉
マスターがそこまで思考を続けた、その時でした。
「歌声? 何じゃこれは?」
強敵を倒して一息ついていたベアトリーチェは、突然あたりに響き渡る『歌声』に戸惑いを隠せない様子で周囲を見渡しています。どういう原理なのか、周囲に隈なく反響し続ける『歌声』ですが、わたしが解析する限り、その出所は『聖歌隊』の戦闘員たちです。
「く! これは……? うう、あ、頭が……!」
最初に異変が起きたのは、アンジェリカでした。
三人の中では最も広範囲に攻撃可能な彼女の護る西方面は、ほぼ敵が全滅に近い状態となっていました。しかし、他の聖歌隊が『歌』を歌い出すと同時、彼女は頭を押さえて苦しみ出したのです。
〈マスター! アンジェリカさんが!〉
「うん……この歌に何かの効果があるのかな? アンジェリカちゃんに真っ先に効き目が出るあたり、『対王魔用部隊』ってだけのことはあるか。……ヒイロ。西側の残敵の対処とアンジェリカちゃんの救助、頼めるかい?」
「問題ありません。マスター」
西側の敵はほとんど残っていませんし、わたしにはこの『歌』も効果がありません。アンジェリカを護りながら敵の足止めをする程度であれば、簡単なことです。
「さて、とにかく耳障りな『歌』をなんとかしないとね。……まずは」
言いながらマスターは、小さく片手を振りました。
「《グラウンド・ゼロ》」
すると、彼の足元で何かが破裂するような『音』がします。
──音が消えたはずの、この世界で。
「な、なんじゃ……?」
何が起こったのか理解できず、呆気にとられた顔でマスターを見るベアトリーチェ。
「メンフィスさんの話だと、本来ウロボロス一族の《ヴァリアント》は、生み出した武器に込めた魔力を、『形状の変化』に合わせて発動・炸裂させるものらしいんだけど……メルティの場合、『変化』そのものに特化した魔法なんだってさ」
「何を言っておる?」
「うん。つまり僕が使った魔法はその反転版。つまり、『変化の逆転』ってことになる。《グラウンド・ゼロ》は、このあたり一帯で最も不自然な『変化』を元に戻す魔法なのさ」
「なんじゃと? それではまさか……」
何かに気付いたように声をあげるベアトリーチェ。
そうです。その『変化』とは……音がな……
「貴様、まさかメルティちゃんまで毒牙にかけよったのか!?」
……いえ、そうではなくてですね。わたしはアンジェリカの救助に向かいながら二人の会話を聞き取っていましたが、思わず姿勢制御を損なうところでした。……それに『毒牙』って……いや、まあ確かにベアトリーチェにとっては重要な問題なのかもしれませんが、ここでなぜ話題がそちらの方に……。
二人は随分と場違いな会話を続けていますが、ヨミ枢機卿による『声以外の音』を消すスキルの効果が『元に戻された』おかげなのか、それまで苦しげにうずくまっていたアンジェリカも、どうにか身体を起こすことができたようです。
次回「第127話 人の個性を奪うモノ」