第125話 紅の竜姫と緑の女王
「言っておくが、この孤児院に未来はない。『教会』に敵対すれば、この周辺の領主貴族どもも、残らず敵に回る。その意味が分からぬ汝ではあるまい」
「……ゲスめ」
苦々しげに吐き捨てるベアトリーチェですが、進退窮まっているのも確かなのでしょう。彼女の身体は小刻みに震えているようです。
そんな彼女に、マスターは気遣うような声を掛けました。
「ベアトリーチェさん。心配することないよ。孤児院はともかく、女の子たちが無事なら、それでいいんでしょ? だったら、僕に考えがある」
「良くはない! この屋敷は……」
「『地下室』のことかい?」
「な!」
小さく首を振ったベアトリーチェは、驚愕に目を見開いてマスターに視線を向けました。
「この屋敷に宿る記憶の想起。僕にはスキルでそれができるんだ。今まで君に聞けずじまいだったことも、ここでようやく把握した。君が地下にいる『モノ』を『殺さない』……んじゃなく『死なせない』でいる、その理由もね。大丈夫。地下にいる『ヒト』なら、僕が何とかしてあげよう」
「う、く……」
「それに……思い出は大事だけれど、ここで育つ少女に自分の姿を重ねることは、むしろ君の心の傷をえぐる行為に他ならない。だから僕は、屋敷そのものを護ることにこだわるべきじゃないと思うよ」
「……」
悲痛な顔で唇を噛み締めていたベアトリーチェは、ここでようやく、決心したように顔を上げました。
「わかった。お前の言うとおりだ。ここの子供たちは『ドラグーン王国』に保護してもらうのがよかろう」
「あれ? まだそこまでは言ってなかったと思ったけど、よくわかったね」
「『教会』の手が及ばぬ場所など、他にそうはあるまい」
二人の会話を聞きながら、ヨミ枢機卿は嘆息するように首を振ります。
「愚かな。『王魔』どもの力は確かに脅威ではあるが、それは我ら『アカシャの使徒』の絶対数が少ないがゆえのことだ。だからこそ……我が『研究』の意味があるのだがな」
ヨミ枢機卿は、掲げていた腕をゆっくりと下ろしました。
「さあ、『黙示録の聖歌隊』よ。神の敵を撃ち滅ぼせ」
その声と同時、一斉に動き始める不気味な白頭巾の男たち。
「言っておくが鎌に塗られた『毒』は、我が研究により『王魔』を殺すために調合した特別製だ。いかなる化け物だろうと死は免れない」
屋根の上から見下ろすわたしの目には、四方を埋め尽くす真っ白な集団が一糸乱れず動く姿が、あたかも蟻の行列のように見えていました。その異様な光景に、改めてヨミ枢機卿の持つ『スキル』のおぞましさを感じてしまいます。
○ヨミの特殊スキル(個人の性質に依存)
『彷徨える狂信の言霊』
『女神』への信仰心を抱く対象にのみ、常時発動。日々、己の『説教』を聞かせ続けることで対象の魂を縛り上げ、特定の『代償』を捧げさせることで心身の機能を強化する。
すでに防衛にあたる全員には、このスキルの概要は伝達済みです。そして、これまでのヨミ枢機卿の言葉から推察する限り、彼らはおそらく、『命令に従う程度の知性』と『殺意』を除くあらゆる感情を奪われ、その代わりに身体能力などを強化させられているのでしょう。
「哀れな奴らだ。せめて苦しむ暇など与えず、塵も残さず燃やし尽くしてやるのが情けと言うものか……」
狂気に満ちた突進を仕掛けてくる集団を待ち受けるのは、全身から淡い炎の揺らめきを立ち昇らせ、真紅の短剣を構えた黒いドレス姿の少女。
「アンジェリカさん。対王魔用の部隊というくらいです。対魔法銀の装備も含め、魔法に対する耐性は強化されているかもしれません。お気をつけて!」
凛々しくはあれど小柄で頼りなくも見えてしまう彼女の姿に、わたしは思わず忠告の言葉を発してしまいます。
「ああ、心配するな! 今が昼間だからと言って、『ニルヴァーナ』が『教会』の犬どもに劣ることなどありえん。西側の敵は、わたしがすべて焼き尽くす!」
高熱による空気の歪みでゆらめく魔剣イグニスブレード。彼女はそれを頭上高く掲げます。その先から噴き上がる炎は、わたしとマスターが彼女の『魔法』を初めて目にした時と同じものでした。
「わが炎に蹂躙されることを光栄に思うがいい。《クリムゾン・バスタード》」
天を衝かんばかりに立ち昇る、紅蓮の尖塔。その炎は無言のまま群がる『聖歌隊』の上へと、雪崩を打つように降り注ぎました。ヨミ枢機卿のスキルにより『音』が聞こえなくなった世界にあって、激しくまき散らされる業火の様は、まるで罪人を焼き尽くす神の裁きに見えてしまいます。
しかし、やはり『対王魔用』の戦闘部隊という言葉は、ハッタリではありませんでした。
「くくく! 馬鹿め。我が『聖歌隊』は『女神』の使徒。その程度の炎が効くものか!」
今や唯一聞くことのできる音となった『人の声』を高らかに響かせたのは、肩を震わせて笑うヨミ枢機卿です。どんな手段を用いてかはわかりませんが、彼はどうやら屋敷の周囲における戦闘の様子をすべて把握しているようでした。
「アンジェリカさん! 危ない!」
わたしはこの時、爆炎の中でも変わることのない『生命反応』を感知していました。しかし、わたしが警告の声を発するも既に遅く、アンジェリカの周囲には複数の白装束たちが飛び出してきています。
己の信奉しない神の裁きなど受け入れないとばかりに大鎌を振りかぶり、彼女めがけて振り下ろす狂信者たち。
鎌を手に突進してくる彼らの衣服は、対魔法銀を編み込んだ特殊なものだったようです。通常ならあっという間に全身が焼けこげるような魔法の炎に対しても一定の耐性があったのかもしれません。
しかし、そんな危機に直面しながらもアンジェリカが採った行動はと言えば……
「ま、まあ……今のは小手調べ程度の魔法だったしな。効かないかもしれないとは思っていたが……ここまでぴんぴんされていると、ちょっとショックかも……」
がっくりと肩を落とし、悔しげな顔で息を吐くばかりで、回避どころか攻撃を防ごうとする素振りすら見せません。
ですが、次の瞬間──
「……『明白な道化師の所在』」
突如としてアンジェリカの周囲に出現する、無数の鏡。それはそのまま、猛火を浴びてなお毒々しい輝きを放つ大鎌の先端を、音もなく飲み込んでしまいます。しかし、彼らの攻撃は『空振り』には終わりません。
マスターの周囲に同時に出現した鏡の中から現れたそれらの斬撃は、さらに合わせ鏡のごとく現れた別の種類の鏡『世界で一番醜い貴方』に再び呑み込まれ、ヨミ枢機卿の周囲に立った数人の『聖歌隊』の身体を斬り裂いていました。
「なに!? なんだ今のは……?」
突然血を噴き出して倒れていく味方の姿に、初めて驚愕の声を上げるヨミ枢機卿。
しかし、彼の驚きはそれだけに終わりませんでした。
「うん。やっぱり、キョウヤはすごいな。……とはいえ、わたしも情けないところばかりは見せていられないか」
どうやら先ほどの魔法は、敵の戦力を確かめるために手加減をしたものだったようです。とはいえ、敵の凶刃にあえてその身をさらすなど、マスターに対する全幅の信頼なしにはできない行動と言えるでしょう。
一方、味方を斬り裂いたことに微塵の動揺も見せないまま、第二刃を叩きつけてくる『聖歌隊』。しかし、アンジェリカは流れるような体さばきでそれをかわすと、華奢な少女の手にはそぐわない凄まじい威力の拳を彼らの胴体に叩きこみ、そのことごとくを弾き飛ばしてしまいます。
「さて、ここらでひとつ、新しい『魔法』のお披露目と行こうか! ……さあ、我が敵を喰らい尽くせ、《グレンのオロチ》!」
凛々しくも勇ましい少女の声とともに、彼女の周囲にとぐろを巻いて出現したのは、巨大な蛇の形をした炎の渦でした。
アンジェリカの身体から放たれた真紅の蛇は、『聖歌隊』へと食らいつくように襲いかかります。
しかし、相手は対魔法銀で防御を固めているのです。同じような炎の魔法では、先ほどと同じ結果になるのではないか? わたしはそんな危惧を抱きましたが、しかし、今回ばかりは違いました。
炎の大蛇はまさに生き物のように、一度で効かなければ二度、二度で駄目なら三度とばかりにその身をくねらせて『聖歌隊』たちへと襲い掛かり、文字どおり蛇行しながら彼らの前線を崩壊させていったのです。
「……な、なんだ、あの魔法は! 我が『聖歌隊』の対魔法銀は、世に流通するような粗悪品とはモノが違うのだぞ! それをあそこまで容易く蹂躙するだと? いったい何が……」
声を震わせるヨミ枢機卿。わたしも驚きは隠せませんでしたが、あの魔法には思い当たる節もありました。
「……『生きている魔法』ですか。あれもまた、マスターやエレンの魔法を参考にして生み出したもののようですが、恐るべきは彼女の応用力の高さですね」
『王魔』最強の魔法使いである『ニルヴァーナ』。その中でも貴種の血を引くアンジェリカは、エレンシア嬢に魔法を教えていた時のことからもわかるように、理屈ではなく、天賦の才によって感覚的に魔法を使っています。ですがそれゆえに、柔軟な発想で他者の長所を取り込み、新しい魔法を生み出すことができるのでしょう。
わたしが分析する限り、あの魔法は従属させた周囲の魔力を真紅の蛇に送り込み続けることで、持続性が高く、攻撃の軌道や効果範囲はおろか、攻撃回数ですら自由自在に制御しうるもののようです。
ちなみに蛇の形をしているのは、『魔法を打ち消す力で消滅する蛇』であれば、メルティのトラウマを克服する練習にはちょうどよいからなのだと、後で聞かされました。
「しかし、火力が強すぎます……」
わたしはとっさに西側へ《サーマル・バリア》の【因子演算式】を展開しました。彼女自身は『傲慢なる高嶺の花』のおかげで熱さを感じず、それどころか自身の身体能力さえ向上させているのでしょうが、あれだけの炎の乱舞です。屋敷は木製であり、あまり高温にさらされれば火事になる可能性は否定できません。
……まあ、彼女もきっとわたしのことを信じてくれているのでしょう。
そこまで考えていないだけ……とは、できれば思いたくないところでした。
「対魔法銀に含まれる『隻眼』の反転複写が追いついていないのか……。まさか生物を模して、『魔力』を循環させ続けているというのか? しかし、いくら『王魔』でも、そこまで繊細な魔力操作などできるわけが……」
なおも驚愕の声を上げているところを見る限り、ヨミ枢機卿にとっては、彼女のこの魔法は大きな計算違いだったようです。
それはさておき、反対の東に目を向けると、アンジェリカとは対照的に、一歩も動くことなく同じ場所に立ち続けるエレンシア嬢の姿があります。
周囲を護る三人の中では、彼女は突撃もせず、積極的に敵へと攻撃を仕掛けていないように見えます。しかし、それはあくまで見た目だけのことです。
実際には、彼女ほど屋敷を『護る』という目的を忠実かつ完全に実行し、彼女ほど多くの敵に攻撃を仕掛けている者はいないのです。
「エレン。大丈夫ですか?」
わたしが声をかけると、エレンシア嬢は『壁』に向けていた身体ごとこちらに振り返り、わたしのことを見上げるようにして頷きました。
「ええ、見てのとおり、心配はいりませんわ」
そう言って微笑む彼女の背後、そこには巨大な『壁』がそそり立っています。しかし、よく見ればその『壁』は、巨大な樹木が無数に絡み合い、隙間なく空間を埋め尽くすことによって築き上げられたものでした。
そして、その向こう側では今もなお、『聖歌隊』が大鎌を叩きつけ、これを破壊しようとやっきになっているようですが、傷一つ付けることができないでいます。
「ふふふ。ヒイロとの『生物学』のお勉強の成果ですわね」
実際、生物体が生み出す物質は、人工的なそれに比べ、硬度と柔軟性の両立という意味で優れているものも多くあります。
一方、彼女の魔法《ライフ・メイキング》は、あらゆる生命の『可能性』を究極まで追求可能なものなのです。そのことに気付いて以降、わたしは彼女に『生物学』を教えてきたのですが、まさか彼女の生命に対する造詣の深さによって、ここまで劇的に進化を遂げるとは思いませんでした。
しかし、何よりも彼女がこの戦いで絶大な『戦果』を挙げている理由は、言うまでもありません。当然のことながら、彼女のスキル『開かれた愛の箱庭』は、この農園地帯では極めて有効なものとなっているのです。
「殺意も敵意も織り交ぜて、あなたたちはわたくしが止めますわ」
戦闘開始直後、そんな言葉と共に発動した彼女のスキルは、半径十キロという広範囲に渡り、その威力を存分に発揮していました。
○エレンシアの特殊スキル(個人の性質に依存)
『開かれた愛の箱庭』
任意に発動可能。半径約十キロメートル以内に存在するすべての植物に、次の効果を持つ『芳香』を発生させる。効果の強さは、自分が対象に抱く感情の強弱に左右される。
1)自分が殺意を抱く相手の体内に致死毒を生み出す。
2)自分が敵と認識する者の体内に麻痺毒を生み出す。
3)自分が味方と認識する者の体内に思考速度・反射神経を強化する薬を生み出す。
4)自分が恋愛感情を抱く相手の体内にあらゆる環境耐性を強化する薬を生み出す。
ここは農園です。植物の密度には事欠きません。
はっきりと視認できない相手に対しては、強い殺意までは抱くことができていないようですが、それでもこの屋敷が先ほどから敵の一斉攻撃を受けずに済んでいる理由の大半は、彼女の麻痺毒により彼らの動きが鈍っていることによるものです。
「この壁をなくせば、殺意による致死毒で攻撃も可能なのでしょうけど……今は守ることが優先ですわ」
そんな言葉を口にしたエレンシア嬢は、相変わらず『壁の樹木』のすぐ傍に立ったままです。しかし、その『立ち位置』こそが、彼女にとっての敵への攻撃でした。
「あれは……繁殖サイクルを極限まで高めた植物、ですか?」
「ええ、そうよ。さすがはヒイロね」
わたしの問いかけに笑って答えるエレンシア嬢。その眼前にそびえたつ『壁』の向こう側では、彼女による激しい『攻撃』が敵を襲っています。
『閉じられた植物連鎖』
彼女の周囲五十メートル以内の空間。そこには彼女を女王とする、閉じた生態系が存在しています。樹木の『壁』を這うように次々と出現する緑の蔦は、千切れず、燃やせず、腐らないのに、数分も経たたずに自ら枯れて萎れていきます。そしてその直後には、それら死滅した植物は刃となり、炎となって壁に取り付こうとする『聖歌隊』を襲うのです。
威力こそ弱いものの、『魔法』に分類されないこの攻撃には、『聖歌隊』の対魔法用装備も意味を持ちません。次々と炎に包まれ、切り刻まれていく前線の仲間を前に、後続の敵は『樹木の壁』に近づくことさえ叶いませんでした。
「うふふ! 嬉しいな。キョウヤが言うからずっと我慢してたけど……ここにいる皆となら、『遊んで』もいいんだよね?」
続いて、弾むような笑い声がする方に目を向ければ、そこには白いジャケットの前を軽くはだけ、真紅の『隻眼板』を剥き出しにしたメルティがいます。
しかし、単独で何かを『防衛する』という役割は、彼女には全く向いていないようでした。 ……なぜなら、彼女のいる場所は既に屋敷の傍ではなく、敵陣の奥深くなのですから。
次回「第126話 四面狂歌」