第13話 世界の魔法
「一口に『魔法』と言っても、わたしが知る限りでは、『王魔』、『女神』、『法学』、『愚者』の四つがある。まあ、四種類の『魔法使い』がいると言うべきかもしれないが……」
アンジェリカの話を聞きながら、ヒイロはマスターにも理解しやすいよう、テーブルに広げた紙に四つの魔法の名前を書き込みました。
「このうち、単純な威力だけで言えば、もっとも強力な魔法が『王魔』の魔法だ。わたしたち『ニルヴァーナ』が使用する魔法もこれに分類される。簡単に言えば、自身の『存在の大きさ』を世界に認めさせることで、周囲の魔力を『従えて』使う魔法だな」
存在の大きさ? 確かに彼女は、彼女自身を規定する【因子】の在り方が著しく強大ではあるようですが……、それを『世界が認める』とはどういうことなのでしょうか? まるで『世界』を擬人化するような物言いです。
「『女神』の魔法については、人間どもの中に稀に生まれる『アカシャの使徒』が使うものだな。なんでも……高い信仰心に基づく祈りによって、世界に満ちた『女神の力』を奇跡に変えるとかいうことだが……よくわからん」
『王魔』以外の話となると、随分と投げやりになるアンジェリカでした。
「『法学』は、その名のとおり学問だ。研鑽を積めば、たいていの人間が使えるようになるらしい。『知識』の量が『法力』に比例するだとかなんだとか……まあ、よくわからん」
「ははは。わからないことが多いんだね」
マスターがおかしそうに笑いました。
「うるさいぞ、そこ! ……もっとも、わたしから見れば、世界に満ちた『女神の力』も『法力』も、わたしの言う『魔力』と同じものだと思うがな」
「『女神の力』は『魔力』と同じ? だとすると、『女神』とは何なのでしょう? 迷信の産物ということになりますか?」
「さあね。わたしは『王魔』の魔法以外には大して詳しくない。残る『愚者』に関しても、詳しいことはわからない」
ヒイロの問いかけに、肩をすくめるアンジェリカ。ここでヒイロは、基本的な質問を彼女にしてみることにしました。
「アンジェリカさん。あなたに一つ、聞きたいことがあります」
「なんだ?」
「魔力とは、なんですか?」
ヒイロの問いに、アンジェリカは目を丸くしました。しかし、そのままニヤリと笑みを浮かべ、言葉を続けます。
「一言で言えば『道具』かな? その土地ごとに扱いやすい魔力もあれば、そうでないものもあるが……集め、手懐け、命を下して、望みの事象を引き起こす。そのことにかわりはない」
「なるほど……よくわかりました」
信じがたい話ではありますが、ここまでの話から論理的にたどり着ける結論は、ひとつしかありませんでした。
「わかっただと? でも、ほとんど説明らしき説明はできなかったと思うが……」
「いえ。……恐らくこの世界には、【因子】の他にもう一つ、知性体の精神によって世界に強い影響を及ぼす第二の『根源的情報素子』が存在しているのだと思います。恐らく、それこそが『魔力』なのでしょう」
「よくわからないが……逆に言えばヒイロは『魔力』に類似する別の力を使って、このような物品を生み出したということか」
水の入ったコップを掲げ、面白そうに笑うアンジェリカ。
「その理解でいいと思います。……ですが、これで助かりました。『第二の情報素子』の存在を前提に考えれば、『魔法』の解析自体は不可能ではないかもしれません」
ここでようやく、ヒイロは少しだけ安心することができました。マスターを護るべき世界に未知の要素があるということは、想像以上にヒイロにとってのストレスになっています。ですが、この情報を得たことで、『魔法』に対する対抗策も考えることができるかもしれません。
「……ところで、一個聞いてもいいかな?」
それまであまり興味無さそうに話を聞いていたマスターが、突然、思いついたようにアンジェリカに問いかけました。
「なんだ?」
「前から気になってたんだけど……実はアンジェリカちゃんは、最初からハイラムにわざと捕まったままだったわけじゃないんでしょう?」
「な、何を言い出す?」
露骨に表情をこわばらせるアンジェリカ。
「いや、いくらなんでも『目が覚めたら勝手に身体を運ばれていた』っていうのは、無理があるって。ハイラムが君を縛った縄はぐるぐる巻きだったし、そんな風にされながら君、まったく目を覚まさなかったの?」
「……う。な、何が言いたい」
「いやいや、僕は見栄っ張りな女の子は嫌いじゃないんだけど……でも、その見栄がばれちゃって恥ずかしそうにしている女の子を見るのは、もっと好きなんだ」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべるマスター。
「……ぐ、趣味の悪い奴め」
アンジェリカは憎らしげに、ぎろりとマスターを睨みつけました。
「ごめん。冗談だよ。僕としては『法学』の魔法とやらが、そこまで弱いモノなのかどうかの方が気になるのさ。侮りすぎるのも良くないだろう?」
「……わかった。そこまで言うのなら否定はしない。確かに、奴が数十年の歳月を費やしたというだけあって、あの《呪縛の縄》を解くにはそれなりに時間がかかった。だが、解いた後、わざとそのままにして満月の夜まで待つことにしたのは本当だぞ?」
観念したように言いながらも、これだけは譲れないとばかりに唇を尖らせるアンジェリカでした。
「うん。そうだろうね。……いずれにしても『法学』の魔法には、この世界でも上位クラスの力を持つ君でさえ、一時は封印されかかるくらいの力があるってことでいいのかな?」
「ああ。『法術士』は、大陸でもっとも数の多い人間種族が努力によってなる『魔法使い』だ。有名どころで言えば、彼らが数人がかりで発動させる『法術器』|《転移の扉》だが……あれは遠い場所へと一瞬で移動することを可能とした高度な代物だ。そう考えれば、数を頼みにする魔法の力というものも侮れないな」
「そうそう。油断するとアンジェリカちゃんみたいに捕まっちゃうもんね」
「な!」
「いやあ、でもすごかったよ。だってあの時、君、何て言ったか覚えてる? 『なあに、ただの暇潰しだよ』って……ぷくく! あたかも最初からわざと捕まってやってた、みたいな顔で堂々と胸を張ってた君が実は……あははは!」
「だから、笑うなー! 冗談だなどと言っておきながら、話を蒸し返すんじゃない!」
顔を真っ赤にして身体を震わせるアンジェリカの手の中で、比較的丈夫に造ったはずのコップが音を立てて砕け散りました。
「……あ!」
ヒイロはここで、思わず声を上げてしまいます。
「む? ああ、すまないな。せっかく作ってくれたコップを壊してしまった」
アンジェリカは申し訳なさそうに頭を下げてきましたが、ヒイロが声を上げたのは、そんなことではありませんでした。
「今、遠い地へ一瞬で移動する《転移の扉》と言いませんでしたか?」
「ん? ああ、そう言えば言ったかな?」
「……話からして『空間転移』を可能とする魔法なのだと思いますが……ちなみに、その《転移の扉》は、どんな形のものなのでしょう?」
「そうだな。わたしも、ハイラムの奴が街に置かれているものを暴走させた時に見ただけだが……細かい紋様が刻まれた光る扉だったと思う」
「……やっぱり」
ようやく、腑に落ちました。ヒイロの【超時空転移装置】が暴走したあの時、亜空間に見えた輝く扉の正体。あれは、この世界で『魔法』により生み出されたものだったのです。
「ああ、そう言えば、この世界に来るときに見たのって、そんな感じの扉だったよね?」
思い出したように言葉を挟んでくるマスター。すると、その言葉にアンジェリカが首を傾げました。
「む? 『この世界に来る』ときに見た? 何を言っているんだ?」
そう言えば、まだ彼女にはヒイロたちが異世界から来たという事実を話していませんでした。あまり大勢に言いふらすような情報ではありませんが、ともに旅をすることになるのであれば、彼女には一応の事情を話しておくべきかもしれません。
するとここで、ヒイロと同じことを想ったのか、マスターがアンジェリカに向かって語りかけ始めました。
「実はね、アンジェリカちゃん……」
「なんだ?」
もったいぶった態度で言葉を溜めるマスターに、軽く身構えるアンジェリカ。
「僕たちは……この世界に平和をもたらすために異世界から召喚された、選ばれし勇者なんだ!」
胸を張り、大げさな身振りと共に叫ぶマスター。ヒイロは呆気にとられて固まってしまい、フォローの言葉も口にできません。
一方、アンジェリカの反応はと言えば……
「……ああ。そうね。はいはい。わかった、わかった。悪いことは言わないから、そういうことは他の人間の前では、言わない方がいいぞ?」
悟りきったような目でマスターを見やりつつ、ものすごくドライな対応をしてくれました。
「あ、い、いえ、アンジェリカさん。これはその……」
「ヒイロも大変だな。わたしが言うのもなんだが、仕える主は選んだ方がいいと思うぞ」
「うう……」
何とも言葉が返せません。結局この後、ヒイロたちが本当に異世界から来たのだと彼女に信じてもらうのに、随分と時間をかけて説明する羽目になってしまったのでした。
マスターの悪ノリには、困ったものです……。
次回「第14話 王魔の魔法」