第118話 少女の楽園
聖女の孤児院には、およそ二十人ほどの少女たちのほか、七人ほどのシスターたちが居住していました。もちろん、全員が女性であり、男性は一人もいません。さらに言えば、シスターたちのうち二人は『女神』の魔法使いであるため、護衛の必要もないのだそうです。
周囲の農園も繁忙期こそ、近くの荘園にいる農奴たちに報酬を払う形で作業を手伝わせているそうですが、それでもこの物騒な世界において、女性ばかりでひとつの施設を運営してしまうのですから、二人の魔法使いたちの実力もかなりのものなのでしょう。
聖女の美談の一つとして有名になるくらいですので、もっと大々的に孤児たちを集めているものと予想していたところですが、その点をベアトリーチェに聞くと、彼女曰く『ここには特にお気に入りの娘を集めておるのじゃ』とのことでした。
彼女の話を総合すると、『孤児院』のような形態をとっているのはここだけであり、他の多くの場所では、各地の町や村に簡単な拠点を設け、孤児たちの教育や生きるための仕事を与えるような仕組みを作っているのだそうです。
「まあ、わらわにとって、この屋敷は思い出深い場所じゃからな。良いことも、嫌なことも……色々とあった場所じゃ。手放すことなどできぬし、かといって手入れもせずに放置するわけにもいかぬ。ここを孤児院にすれば一石二鳥というわけじゃよ」
そんな風に少し物憂げな顔でつぶやく聖女様は現在、お遊戯室で少女たちと人形遊びに興じているところでした。
この『孤児院』に到着した直後、ベアトリーチェはわたしたちを客間に案内してくれようとしました。しかし、彼女の帰りを待ちわびていた子供たちは、我慢の限界とばかりにわたしたちを含めた全員をこの『お遊戯室』に引っ張ってきたのです。
「おはじき!」
「お人形遊び!」
「おままごと!」
「うむむ……。まったく、少しは休ませてくれてもよかろうに」
少女たちから次々と要求される遊びの内容に、律儀にも順番に付き合ってやる聖女様。しかし、流石に十人以上の子供たちが相手では多勢に無勢です。
いつの間にかわたしたちの目の前には、遊びの順番に遅れた子供たちが不満を漏らして泣き出し始め、世話役のシスターたちが困り顔でそれを慰めるといった『阿鼻叫喚(?)』の光景が広がっていました。
「うふふ。仕方がありませんね。それじゃあ、聖女様と他の子の遊びが終わるまで、わたしと一緒に遊びましょうか?」
あまりの惨状を見るに見かねたのか、リズさんが手をたたいて少女たちの輪の中に割って入っていきました。とはいえ、いつも慣れているはずのシスターたちが慰めようとしても聞き入れなかった少女たちです。素直に言うことを聞いてもらうのは難しいでしょう。
などと、わたしが思ったのも束の間のこと。メイド服姿の彼女が床に転がる猫のぬいぐるみを拾い上げ、顔の横に掲げながら子供たちに話しかけはじめると、途端に雰囲気が一変したのです。
「ほら、ネコさんだぞ? 貴女のお名前、教えてくれる?」
「あ……う、うん! わたし、レナ!」
「レナちゃんか。可愛い名前だね。よろしくね?」
たちまちのうちに少女たちの輪の中に溶け込み、受け入れられていくリズさん。普段の彼女も十分に世話好きで優しい女性ではありますが、こうして子供たちに対するときの彼女は、それに輪をかけて凄まじい母性を発揮してしまうようでした。
「……さすがは、リズさんだね。相変わらず、すごい人気だよ。僕もリズさんに甘やかされると嬉しくなっちゃうし、あの子たちの気持ちもよくわかるよ」
しみじみと言ったマスターですが、彼の隣では、その言葉に反応した者がいます。
「……リズ。なかなかやりますわね。わたくしも負けてはいられませんわ!」
なぜか対抗意識を燃やしたらしきエレンシア嬢は、勇み足で彼女の後に続いていきました。しかし、その結果は、かつて『アトラス』の蛮族たちから救い出した子供たちとのやり取りを思い出せば、推して知るべしです。
「おねーちゃんも、一緒に遊ぶの?」
「ええ、もちろんですわ」
「じゃあ、はい、これ」
「え? なんですのこれ?」
「お医者さんごっこ!」
そう言って五歳くらいの女の子が示したのは、自分の耳から垂れ下がる聴診器のようなものでした。この世界におけるそれは、原始的な道具の域を出ないものであり、性能もあまりよくありません。
仮にこれが本物だったとしても、服の上から心音が確認できるようなものではないのです。つまり、この世界で聴診器を使うとなれば……
「ほら、おねーちゃん。お洋服脱いで!」
「ええ!?」
「脱いで脱いで!」
いつの間にか、数人の少女たちが彼女を囲んでいます。
「あ、ちょ、ちょっと待ちなさい! そんなこんなところで脱ぐなんて、はしたないですわ!」
「どうして? お医者さんが診察するだけだよ?」
不思議そうな顔で首をかしげる五歳の女の子。
「え? そ、その、それは……」
「うふふふ! そうよそうよ、恥ずかしいことなんて、何にもないんだからね!」
しかし、周りに集まる少し年上の女の子たちの中には、明らかにわかっていてからかっている子も混じっているようです。
「だ、駄目ですわ! きゃあ! こ、こら! 引っ張るのはおやめなさ……!」
バタバタと騒がしくなりはしたものの、彼女は彼女で子供たちを泣き止ませることに成功したようです。とはいえ……これは決して、彼女の目指した形ではないのでしょうが。
「おお! いいぞ、いいぞ! みんな、頑張れ! あともう少し……」
「……マスター」
エレンシア嬢に聞こえない程度の声援を子供たちへと送るマスターに、わたしは思わず睨みつけるような視線を向けてしまいます。
一方、彼とは違って、もっと露骨に聞こえるような声を出したのはアンジェリカでした。
「ぷくくく! ……エレンって、つくづく子供に弄られる運命なんだな」
「こ、こら! アンジェリカさん! 貴女も笑っていないで助けてくださいな!」
「いやいや、せっかくのスキンシップを邪魔してはいけないしなあ」
意地悪く笑うアンジェリカも、積極的に子どもたちの輪に混ざりはしないものの、この状況を彼女なりに楽しんでいるようです。
「いいなあ……。みんな、楽しそう……」
身体をウズウズさせながら、指でもくわえかねない様子でそんな言葉を口にしたのは、メルティです。彼女もさすがにこれだけたくさんの子供たちを一度に見るのは初めてなのか、いつものように飛び込んでいくことは躊躇っているようでした。
「ふふふ。メルティ。貴女も遊んであげたらどうですか? みんな貴女より年下みたいですし、お姉さんらしく接してあげれば喜びますよ?」
「ほんとう? うん。やってみる!」
わたしの言葉に嬉しそうに頷くと、彼女は早速、少女たちの輪の中に恐る恐る近づいていきます。すると、それまでおままごとに興じていた何人かの子たちが、彼女の接近に気付いたように顔を上げました。
「……わあ」
ぽかんと口を開けた女の子の目に映るものは、にこにこと満面の笑みを浮かべた、輝くように美しい少女の姿でした。
「きれい……」
単なる女性としての整った容姿だけでなく、生物としてのしなやかな美しさをも併せ持ったメルティの姿には、老若男女問わず、誰もが一度は魅了されてしまうものです。しかし、その後の反応は常に二つに分かれます。
ひとつは、そのまま彼女の美貌に見惚れ、彼女を好ましく思う人たち。そしてもうひとつは、美し過ぎる容貌の裏に『不気味さ』を感じとり、距離を置こうとする人たち。
わたしとしてはその点だけが心配ではありましたが、しかし、やはり子供たちは素直な生き物です。
「ねえ、みんな。メルティとも遊ばない?」
メルティがにこやかに笑って声をかけた途端、我先にと彼女の元に少女たちが集まり、様々な遊びをせがみ始めたのです。
「うん。良かったね。ヒイロ。メルティもここの皆と仲良くできそうじゃないか」
「そうですね……」
どうやらマスターは、胸を撫で下ろしたわたしの気持ちをしっかり見透かしていたようです。
「……やれやれ、ようやく解放してもらえたわい」
他の三人の元に子供たちが集まったせいか、ようやく手の空いたベアトリーチェがこちらに歩み寄ってきました。
「すまなかったな。本当なら休憩がてら、お茶でも出させようとしていたのじゃが……」
「いやいや、いいよ。色々と眼福ものの光景を見ることができたしね。さすがにベアトリーチェさんが好みだと言うだけあって、どの子もみんな可愛いじゃないか」
「ぬふふふ。そうじゃろう? じゃが、見てくれだけではない。特にここの施設の食事には気を遣っておるからのう。どの子もみんな、お肌スベスベなのじゃ!」
胸を張って笑う聖女様。しかし、他のシスターたちもいるような場所で、こうして『本性』をさらけ出してしまって問題ないのでしょうか。そう思い、彼女たちの方へ目を向ければ、苦笑気味ではありながらも、誰もが皆、温かい笑顔を浮かべています。
「相変わらず聖女様は、冗談がお好きなんですから……」
「何を言うか。わらわは冗談など、言ってはいないぞ?」
「ええ、そうですね。子供たちの栄養状態を気遣うのも、『お肌スベスベ』のためだといつもおっしゃっていますものね?」
そう言ってくすくすと笑い合うシスターたち。どうやらベアトリーチェの日ごろの変態的な言動も、彼女たちのフィルターを通してしまうと、『自分の善行に驕ることなく、冗談でその場を和ませる聖女様の気遣い』と言った形に変換されてしまっているようです。
「これが『聖女の美談』の正体ですか……」
わたしはあまりの事実に、脱力感と共にがっくりと肩を落としてしまいます。そして、そんな風に視線を下げたわたしの視界に新たに飛び込んできたものは、綺麗な栗色の髪を伸ばした一人の少女の姿でした。
「……ねえ、おにいちゃん」
最初にここに来た時に会った、クレハという少女です。七歳くらいの外見でありながら、マスターを見上げるその表情は少し大人びた印象があります。
「ん? なんだい?」
いきなり声を掛けられて、マスターも少し驚いたように返事をしています。
「ねーさまは恋人じゃないって言ってたけど、じゃあ、おにいちゃんは、ねーさまの何なの?」
「え? 何って言われてもね。とりあえず、知り合いって言えば間違いはないと思うけど……」
マスターは、ベアトリーチェに気遣うような視線を向けながら答えました。
「うそだよ。だって、ねーさま、男の人が大嫌いだって言ってた。だから、この孤児院には、男の人が一人もいないんだもん。なのに、ねーさまが男の人を連れてくるなんて……」
「こ、こら、クレハ。それはさっきも言ったじゃろう。仕事上の必要性があれば、わらわとて男と一切関わらないというわけにはいかんのじゃ」
「でも、たまにこのお屋敷にやってくる業者の人たちの中に男の人がいると、すっごく嫌な顔をしてたよ。でも、いまのねーさまは……すっごく『いい顔』だもん。ねーさま。このおにいちゃんのこと、好きなの?」
「ば! 馬鹿を言うな! そんなわけがなかろうが!」
無邪気な子供の質問に対し、彼女は過剰なまでに大きな声で叫んでいました。途端に室内が静まり返ります。一方、怒鳴られた形となったクレハは、その顔を悲しげに歪ませて……
「なんで、怒るの? ……ねーさまのばか!」
そう叫び返すと、一気に部屋を駆け出して行ってしまいました。
「あ! クレハ! 待て!」
「あちゃあ、今のはちょっと、まずかったね」
「……うるさい。お前のせいじゃ」
他人事のように笑うマスターをギロリと睨みつけるベアトリーチェ。しかし、マスターは平然と言い返します。
「それは言いがかりってもんだぜ。僕はちゃんと君に気を遣って、『知り合い』だって言ったんだからね」
「ぐ……それは、そうじゃが……」
ベアトリーチェは言葉に詰まり、うつむいてしまいます。
「それより、どうするんだい?」
「え? 何がじゃ?」
「何がじゃないよ。クレハちゃんだっけ? 泣きながら出ていっちゃったじゃないか。早く追いかけた方がいいんじゃないの?」
「……む。しかし、あの子は強情なところがあるからの。謝ったところでそう簡単には許してくれん。少し冷却期間を置いた方が良いことも多いのじゃ」
しかし、マスターはその言葉に首を振ります。
「そうじゃなくってさ。子供ってああいう時、脇目も振らずにどこまでも走っていっちゃうものなんじゃないかな?」
「あ!」
マスターの言わんとする可能性に気付き、声を上げるベアトリーチェ。
「この辺の治安がどうだか知らないけど、野盗でもいれば、あんなに可愛い子がどうなるかなんてわからないよ? 僕はロリコンじゃないけど、断じてロリコンじゃないけど、世の中には、そういう奴も多いだろうしね」
「……どうして二度言ったんですか?」
思わずどうでもいいところにツッコミを入れてしまったわたしですが、確かにクレハのことは心配です。わたしたちは慌てて彼女の後を追うことにしたのでした。
次回、「第119話 ロリコンの作法」