第12話 誇り高き悪魔の少女
放心状態のまま座り込むアンジェリカを置いて、ヒイロたちはその場を後にすることにしました。彼女のプライドの高さを考えれば、あのまま放置しておいてもヒイロたちに襲いかかってくる可能性は皆無でしょう。
そして、しばらく歩いてから、ヒイロは思いついたようにマスターに話しかけました。
「それにしても、ヒイロは意外に思いました」
「え? 何が?」
「まさかマスターが、戦闘に喜びを見出すタイプの方だとは思いませんでしたので」
アンジェリカと戦闘していた際の、マスターの楽しそうな顔。今までにあまり見たことがない種類の狂気じみた笑み。しかし、マスターはヒイロの言葉に、不思議そうに首をかしげます。
「戦闘に喜び? いや、戦闘なんて全然楽しくないけど?」
「で、でも、随分と楽しそうでしたし……」
ヒイロがなおもそう言うと、ここでマスターは、何かに気づいたような顔になりました。
「ああ、アンジェリカちゃんとの戦闘のこと? いや、でもあれは仕方ないじゃん。だって、アンジェリカちゃん……あんなに短いスカートのまま、僕の目の前で飛んだり跳ねたりしてくれるんだぜ? そりゃ、ドキドキワクワク、楽しくって仕方なかったさ! それこそ、礼の一つも言わずにはいられなかったね!」
目を輝かせて叫ぶマスター。
あまりに台無しな彼の言葉に、ヒイロは思わず転びそうになってしまいました。
「おっと、大丈夫?」
「はい……。危うく立ち直れなくなりそうでしたが、ヒイロはまだ頑張れます」
こんなところで、くじけるわけにはいかないのです。
「そっか、よかった。……それにしてもあれだね。パンツのことは別にしても、せっかく第一村人……じゃなかった、第一異世界人を発見したと思ったら、えらい目に遭っちゃったよね」
「……でも、大変充実した情報を得ることができましたよ」
ヒイロにとっては大収穫です。彼らの言葉から言語の解析を完了し、彼らの身なりなどからこの世界の文明レベルを推測し、彼らの会話の内容からある程度の社会情勢まで理解できたのです。
「社会情勢? そんなもの、あの程度の会話でわかるものなの?」
荒野を歩きながら、マスターが尋ねてきました。実際のところ、重力を制御して飛行により移動する手段もあるにはあるのですが、今は『歩くこと』そのものが情報収集の一環でした。
「ええ、わかります。『地方領主』、『陪臣の騎士』などの単語は、この世界の社会情勢がマスターのいた世界で言うところの『封建君主制』に近い政治形態となっていることを示していますから」
もちろん、細部に関しては違うのでしょうが、少なくとも現代日本のような民主主義的国家とは異なるだろうことは明らかです。
「しかし、何より大きな情報は、『魔法』の存在でしょうか」
「うん。あれにはびっくりした。ヒイロが魔法なんて世界に存在しないって言うから、僕としては自信満々に『あるわけないじゃん』とか言ったのに、とんだ恥をかかされちゃったよ」
「……すみません」
ヒイロはマスターの言葉に、肩を落としてしまいました。
「い、いや、今のは冗談だって。そんな本気にしないでよ」
するとマスターは、少し焦ったような顔で慰めの言葉をかけてくれました。
「はい。気を遣っていただいて、ありがとうございます」
「……うーん。ま、今はいいか」
頭を掻きながら、何かを言いたそうにつぶやくマスター。しかし、実際には話題を変えるように尋ねてきました。
「それより、他にわかったことは?」
「……この世界の魔法には、【因子】とは似て非なる力が作用しているように思います。現在もヒイロは歩きながら、周囲の【因子】の挙動を観測していますが、不自然な点がいくつか認められますので……」
判断材料が少なく、はっきりとは言えないもどかしさに、ヒイロは言葉を途切れさせてしまいました。ヒイロによる世界の解析が思うように進まない理由も、このことが原因なのかもしれません。
「まあ、わからないことを考えても仕方ないさ。ところで、僕たちはどこに向かって歩いているのかな?」
「はい。ランドグリフたちが向かった方向です。恐らくそちらに人の住む街があるのではないかと思います。……そろそろ、地上の解析は十分ですので、空を飛びますか?」
「え? 空とか、飛べるの!?」
途端に目を輝かせるマスター。子供のようにワクワクした顔でこちらを見つめるマスターの姿に喜びを感じつつ、ヒイロは自身の機能を説明して差し上げることにしました。
「《レビテーション》という重力制御の【因子演算式】があります。これならマスターも含めて、数人はまとめて浮かすことが可能ですし、速度もそれなりに出せます」
「さすがはヒイロ! それ、早速やってみたい!」
「ふふ! じゃあ、行きますよ?」
楽しそうなマスターの声に、すっかり嬉しくなってしまったヒイロは、張り切って《レビテーション》を展開しようとしました。しかし、その時でした。
「あれ? なんか……ものすごい勢いで走ってくる子がいるけど……」
ヒイロの背後に目を向け、そんな言葉をつぶやくマスター。ヒイロは反射的に【因子演算式】《エレクトリカル・バリア》を展開しながら、振り向きました。
「ふ、ふざけるなああああ!」
黒いドレスを振り乱し、駆け寄ってくる金髪の少女。アンジェリカはそのまま、人間離れした跳躍力で大地を蹴り、ヒイロが展開した電磁バリアに激突しました。
しかし、まともな生物なら電撃に焼かれ、少なくとも確実に気絶するはずのところですが、彼女は高圧電流など意にも介さず、あっさりと突き抜けてきました。
「うわ! ……って、あれ? 今の光って、電撃じゃなかったの?」
「はい。対生物用の電磁バリアのはずなのですが……」
マスターの問いかけに答えを返しつつ、ヒイロは彼女が先ほど発動させたスキルについて、情報を解析してみました。
○アンジェリカの通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『傲慢なる高嶺の花』 ※ランクS(EX)
環境耐性スキルの派生形。究極の熱耐性スキル。炎や雷撃といった一定以上の『熱』を伴う事象が接触した場合に発動。その事象が有するエネルギーを無効化し、その分を自身の『養分』に変換して吸収する。
ランクS! 信じられません。そんなレベルのスキルなんて、ヒイロがスキルランクを設定・観察するようになって、一度か二度しか見たことがありません。それも有していたのは、極めて過酷な生活環境の世界にいた巨大生命体くらいのものでした。
それはともかく、まさかこの状況で追撃を仕掛けてくるなんて、ヒイロたちは彼女の性格を読み違えてしまったのでしょうか。
しかし、彼女は驚くヒイロたちの傍に着地を決めたものの、攻撃を仕掛けてくる気配はありませんでした。
「どうしたの? アンジェリカちゃん。何か忘れ物?」
鬼気迫る形相の彼女に、そんな風に気楽な声をかけることのできるマスターは、一体どんな心臓をしているのでしょうか?
「……あ、あの状況で、わたしを放置したまま出発するなんて……普通あり得ないだろう!」
「え? なんで?」
不思議そうに首を傾げるマスター。
「くそ……未だにどうしてこんな奴に負けたのか、理解できない……。い、いや、そうではなくてだな……」
「うん」
「その……このままではわたしも納得いかないというか……」
「うん?」
「だ、だから! 負けっぱなしで、挙句、情けまでかけられては、わたしの誇りがだな……」
「情けじゃないってば」
「うう。と、とにかく! 借りを作ったままには、しておけないだろう?」
……何でしょう、この問答は? アンジェリカの目的が、ヒイロにはさっぱりわかりません。復讐ではないとしたら、いったい何のために追いかけてきたのでしょうか。
「ははあん……」
顎に手を当て、にやりと笑うマスター。何かに気付いたようです。
「な、なんだ、その目は! そんな目でわたしを見るなー!」
悔しげに叫ぶ彼女。これまで他の人間たちがマスターに向かって口にしたのと同じ言葉でありながら、その意味するところは大きく異なっているようです。実際、彼女の声には、彼らが抱いていた恐怖や怯えのようなものは微塵も感じられません。
「いやいや、いいんだよ。アンジェリカちゃんも、素直になれないお年頃だもんね」
「ぬぐ……ば、馬鹿にしてくれて!」
「まあ、僕としては、可愛い女の子の同行者が増えるのは好ましいことだよ」
「む……」
マスターの言葉に、わずかに安堵した気配を見せるアンジェリカです。
「……でも、借りだなんて、本当に思ってくれなくてもいいんだよ? 僕に対して、ここまで『正面から』向かい合ってくれる人は、ものすごく貴重なんだから」
「正面から? どういう意味だ? そんなの、当たり前だろう? 斜めから話しかけてどうする」
どうやらこの女の子、実は少しお馬鹿なのかもしれません。
「そういう意味じゃないよ。とにかく、一緒に来てくれるってことで良いんでしょう?」
「……あ、ああ。キョウヤたちといれば色々と楽しそうだというのもあるが……遠い異国から来たのだか知らんが、このへんの常識には疎いのだろう? 借りを返すついでに、そのあたりの手助けもしてやろうと思ってな」
偉そうに胸を張って語る彼女ですが、一度『お馬鹿』だというイメージを持って見てしまうと、凛としたその立ち姿でさえ、何となく笑えてしまうから不思議なものです。
ですが、ヒイロが笑いをこらえるその横で、マスターはすごく真剣な顔でアンジェリカを見つめ、おもむろに彼女の手を取りました。
「ありがとう。アンジェリカちゃん。なら僕は、命を賭けても君を守ると誓うよ。君は強いのかもしれないけれど、今回みたいに狙われやすい立場でもあるんだろ? この世に絶対はない以上、僕の力だって無いよりはあった方がいいはずだ」
「え? あ、……う、うん。まあ、そうかな?」
両手を掴まれ、熱のこもった言葉で力説されたアンジェリカは、気圧されたように返事をしていました。
それから、ヒイロたちは少し予定を変更し、町に向かう前にこの世界に関する話を彼女から聞くことにしました。ヒイロは、荒野の中でもマスターたちが安心して腰を落ち着けることのできる環境を整備するべく、張り切って【因子演算式】を展開します。
「《マテリアル・オペレーション》を展開。《オーダー・アレンジメント》を展開。《エレメンタル・チェンジ》を展開。《オブジェクト・クリエイト》を展開……」
素粒子を操作し、分子配列を変更し、温度や密度と言った状態をそのもの微調整し、望みの物質を具現化していくヒイロ。
すわり心地の良い椅子。飲み物を置くためのテーブル。日射しを遮る天蓋付のスタンド。コップやその中に注ぐための水……。ヒイロの力で徐々に整えられていくそれらを見て、マスターのみならずアンジェリカも感心したような声を上げています。
「……驚いたな。どうやったらこんなことができる? 何もない場所から、こんなにも精緻な道具を生み出すなど、どんな『魔法使い』にも不可能だぞ」
「魔法ではありませんから。世界の構成要素たる【因子】に働きかけるための、極めて高度かつ複雑な演算処理を【式】として無数に構築し、ストックしてあるのです。後はその応用ですよ」
「……説明されても、さっぱりわからんな」
お手上げだとばかりに首を振るアンジェリカ。ですが、ここで話を終えてしまっては、本当に理解できないままで終わってしまいます。
とにかく、ヒイロの知る【因子】に基づく【式】とこの世界における『魔法』との違いについて、彼女との話を通じて少しでも理解しておく必要がありました。
次回「第13話 世界の魔法」