第108話 雷霆の王と烈風の女王
実のところ、ジークフリード王は変身によって身体能力・回復能力を向上させており、生半可な攻撃では、大したダメージを与えることはできないようです。
しかし、それでもなお、電撃耐性を有する《レニード人形》は、国王にとって比較的相性の悪い相手でした。特に不規則な軌道を描く螺旋の魔法は、彼と言えど簡単に回避できるものではなく、徐々にではありますが、その身を削るように傷を増やしていきます。
「ち! 埒が明かん!」
さすがに業を煮やしたのか、ジークフリード王は大きく距離を取るように後退します。
「雷光よ、俺に従い、弾けて踊れ……《エンペラー・インドラ》」
その声と同時、王の頭上には激しく輝く紫色の光球が出現し、膨大な電子の奔流が彼の身体にまとわりついていきました。よく見れば、彼の身体の傷までもが、驚異的な速度で回復しているようです。
「電子の従属……ですか。あれが夜のジークフリード王の固有魔法というわけですね」
恐らくは、アンジェリカの《クイーン・インフェルノ》と同種の魔法なのでしょう。
「俺を謀った罪は、死をもって贖うがいい! 《パープル・ドライヴ》」
咆哮と共に駆け出したジークフリード王は、肉眼ではとらえきれないほどの速度でマスターめがけて突進していきます。
○ジークフリードの通常スキル(個人の適性の高さに依存)
『疾きこと雷霆の如し』 ※ランクA(EX)
活動能力スキル(身体強化型)の派生形。電撃に触れた時に発動。触れた電撃の強さに応じて、肉体を動かす速度を加速する。
『触れた電撃の強さに応じて』……つまり、荒れ狂う電子の嵐に常時触れ続ける国王は、それこそ光のごとき速さを獲得しているはずなのです。
「うわ、はやっ!」
驚愕するマスターに向けて繰り出される、鋼鉄でさえ貫きかねない雷撃の手刀。しかし、通常なら絶対に回避できない速度で放たれたその攻撃も、マスターの『ヴァーチャル・レーダー』による先読みの前では、必ずしも必殺とはいきません。マスターは余波の電撃に身を焼かれつつも『オリハルコンの盾』で手刀を受け流し、反対に相手の胴体めがけて回し蹴りを放ちました。
「ぬぐ!」
思わぬ反撃に即座に反応し、腕を折りたたんで防いだジークフリード王ですが、大きく身体を横に吹き飛ばされ、苦痛に顔を歪めています。この部屋には気絶しているとはいえメルティの姿もありますので、マスターの身体能力も『空気を読む肉体+』によってかなりのレベルまで高められているのでしょう。
マスターは続けて、『動かぬ魔王の長い腕』を発動させ、国王に『見えない拳』による追撃を仕掛けます。
「ぬお! ……今のはまさか……魔力による攻撃か? だが、ほとんど感知できなかったぞ?」
しかし、速度で勝るジークフリード王は、その追撃を回避するように大きく距離を置いて後退しました。
「あ、逃げるなんて狡い。……ってあれ? 《レノ》くんの攻撃は?」
そう言ってマスターが《レニード人形》のいるはずの場所に振り向いた、その時でした。
「わたしを忘れてもらっては困るわね」
室内に響き渡る轟音とともに、粉々に砕け散ったのは《レニード人形》でした。
雷撃耐性のある『ミュールズダイン』も、シルメリア王妃の『衝撃波』に対しては弱い面を露呈してしまったようです。
「もちろん、忘れてはいないよ。だからこそ、ほら、他にも『お友達』を用意してあげたんだ」
マスターが指を差したのは、宙に浮いたままのシルメリア王妃の足元に群がる、筋骨隆々とした黄色い人形たちでした。
「な! こいつらは、アトラス? でも、こんな金属の……」
しかし、彼女には、驚いている暇はありません。
〈造物主様ノ命ニヨリ、攻撃ヲ開始スル。──《バースト・レッグ》」
数体の《アトラス人形》たちは、一斉に膝を曲げて身を屈めると、彼女めがけて一斉に跳躍したのです。その勢いは、さすがに肉体自慢の『アトラス』による強化魔法のたまものなのか、王妃の魔法《ウインディ・コート》の結界をも突き抜けてしまいかねないものでした。
「舐めないでほしいものね。見えない友よ。わたしの傍で荒れ狂え……、《エンプレス・ルードラ》」
しかし、シルメリア王妃が冷静な声でそう呟くと、今にも彼女に迫ろうとしていた《アトラス人形》たちは、一瞬でバラバラに切り刻まれてしまいます。
肉眼ではわかりづらいですが、わたしが観測したところ、彼女の頭上には超高密度に圧縮された空気の塊が浮いているようでした。
先ほど人形たちをバラバラにした力も、超高圧の空気の刃によるものです。周囲の空気を従属させ、その圧力や形状を自在に操る魔法。それこそが夜のシルメリア王妃が使う固有魔法《エンプレス・ルードラ》なのでしょう。
「さすがにこれくらいじゃ、勝てないか」
自分が生み出した人形たちをことごとく倒されながらも、マスターは焦ることなく、いったん後ろへと大きく跳び下がりました。しかし、それを見逃す国王ではありません。
「逃がすものか!」
再び姿が霞むような高速移動で、マスターに追いすがる国王。
しかし、マスターはにやりと笑います。
「《ブルー・マリオネット》」
跳び下がる際、マスターは『動かぬ魔王の長い腕』で足元の床を『撫でて』いました。その狙いはもちろん、冷却却魔法と冒命魔法──二つの魔法の合わせ技です。彼が後退しながら触れた床からは、青い石でできた人形たちが出現しました。
「ちっ! 小賢しい! 《ライトニング・ボム》」
足元の床が凍りつくのを見て、ジークフリード王も人形たちが冷却効果を備えていることを理解したようです。不用意に近づくのは危険と判断したのか、途中で減速しながら両手を前に突き出します。
次の瞬間、そこから放たれた雷撃爆弾は、轟音と共に青い人形たちを飲み込み、その身体を打ち砕き、根こそぎ焼き払ってしまいました。『ニルヴァーナの王』の名に相応しい、すさまじい威力の魔法です。
「じゃあ、僕の番だ。《フリージング・レーザー》」
しかし、マスターは全く動じることもなく、ジークフリード王に向かって手を伸ばしました。すると、その掌からキラキラと輝く銀の光が放たれていきます。
マスターの使用したこの魔法は、レーザーとは言いながらも、『光線を放つ』ものではありません。光って見えるのは、急速冷却に伴うダイヤモンドダストであり、実際には『空間冷却』の効果範囲を細く直線状に指定することで遠方の敵への攻撃を可能にしたものでした。
「そんな攻撃があたるものか!」
ジークフリード王には、それが見抜けなかったのでしょう。戦闘のセオリーどおり、『紙一重』で攻撃を回避し、反撃を試みようとしてしまいました。しかし、当然のことながら、『絶対零度の帯状の空間』は周囲に存在する熱を奪います。
「ぐうう!」
国王は身体の間近を通過した冷却空間によって身体の表皮を凍りつかせ、慌てて飛びのきました。
「へえ? なかなかやるじゃない! でも、これはどう? 《エアリアル・カッター》」
シルメリア王妃が放った魔法は、先ほど《アトラス人形》を斬り裂いたときにも使ったもののようです。風という見えない武器を操る彼女の魔法は、ある意味、国王の雷撃より脅威かもしれません。
一方、マスターの『存在しない登場人物』は、実体としての『風』を無効化するものではなく、物理法則としての『空気抵抗』そのものから自身の存在を例外扱いするものです。それでカマイタチの類まで防げるかどうかは微妙なところでしょう。
さらに言えば、彼のこのスキルは、一度対象の法則を指定すると一定時間は対象内容を変更することができないのです。
しかし、わたしのそんな心配をよそに、風切音と共にマスターに殺到した不可視の刃は、虚しく空を斬り裂くだけでした。
一瞬で掻き消えた彼の姿が次に現れたのは、玉座に腰掛けたまま項垂れる、ベアトリーチェのすぐ傍でした。いつの間にか取り出していた《訪問の笛》を使い、空間転移をしたようです。
「おっと、危ない。ごめんね。このままここにいると、ベアトリーチェさんを巻き込んじゃいそうだ」
マスターはそう言うと、驚いて顔を上げたベアトリーチェに見向きもせず、そのまま駆け出していきます。
「もう……もう、やめてくれ……男のくせに、わらわに優しくするな……」
そのため、そんな聖女の呟きを聞き取ったのは、わたしだけだったようです。
一方、目の前で繰り広げられる激しい戦いを見つめるアンジェリカは、今にも泣き出しそうな顔をしていました。
「どうしてなの? どうしてキョウヤは、お父様たちと敵対してまで、聖女なんかを護るの?」
リズさんに抱きかかえられたまま、アンジェリカは裏切られたような顔でつぶやきを続けています。
「……確かに、今回ばかりは意味不明ですわ。ましてやあんな挑発をすれば、プライドの高い陛下がお怒りになることくらい、わかりそうなものですもの……」
そうは言いながらもエレンシア嬢は、マスターが所持する『枯れない花』から支援効果が発生させるべく、『開かれた愛の箱庭』を使用しているようです。
「くだらん小手先の技が俺に通じると思うな! 今度は逃げ場など与えん!」
ジークフリード王は咆哮を上げながら、竜と化した頭部の大顎を大きく開きました。
「《ライトニング・ストーム》!」
竜の口から吐き出された光球は、広大な謁見の間を覆いつくさんばかりに広がり、かつてない規模の電撃を嵐のようにまき散らしながらマスターに迫ります。
「範囲が広くても、威力が足りないんじゃないかい?」
マスターは『オリハルコンの盾』を掲げたまま、嵐の中を突っ切るようにジークフリード王に向かって駆け出していきました。盾の周囲に展開された力場は、『ヒヒイロカネ』ほどではないにせよ、国王の雷撃のほとんどを防いでいます。加えて、エレンシア嬢から付与された耐性もある以上、このまま走り抜けることは不可能でもなさそうでした。
しかし、その直後のこと。激しい雷撃の嵐にマスターが視界を奪われたタイミングを狙い、凛とした女性の声が響き渡ります。
「《エアリアル・ショット》」
シルメリア王妃のこの魔法は、言うなれば、『不可視の弾丸』による一斉射撃です。ましてや音と光で埋め尽くされた空間内での不意打ちである以上、回避は極めて困難でしょう。さらにマスターにとって絶望的なことに、彼女と呼吸を合わせるような動きで、国王が手にした『雷撃の剣』が彼へと迫っていました。
……ところが、その『絶望』は、彼のたった一言でくつがえされてしまいます。
「いびつに歪んだ『規則違反の女王入城』」
「がっ! ぐあああああああ!」
今にもマスターを斬り裂かんとしていたジークフリード王は、彼の呟きと同時、背中に無数の打撲傷を受け、苦悶の声を上げながらその場に崩れ落ちてしまったのです。
肉体面に限定した『傷の入れ替えスキル』。
マスターはこれを使い、シルメリア王妃からの風の弾丸魔法をかわすことなく受け止めて、その傷をそのままジークフリード王に転移させたのでした。
「まったく、後ろから攻撃するなんて、卑怯じゃないか」
マスターは言いながら、くるりと後ろに振り返りました。すると案の定、シルメリア王妃が動揺した顔のまま宙に浮いています。
「『眠れない夜の姿見』」
マスターは小さくそうつぶやくと、シルメリア王妃に一撃入れるべく、再び『動かぬ魔王の長い腕』を発動させました。
「無駄よ! いくら感知しにくい魔力とはいえ、十分に集中すれば、あなたの『見えない腕』には十分対処でき……って、え? 後ろにも!? うあ!」
ただでさえマスターの『長い腕』は、『わがままな女神の夢』の効果によって認識しにくくなっているのです。さすがのシルメリア王妃も、自分の背後に出現した鏡像からの攻撃には、気付くのが遅れたようでした。
背中を強打され、マスターのいる場所めがけて墜落してくるシルメリア王妃。
しかし、マスターはそれを迎え撃つでもなく大きく飛び下がり、もう一人、ジークフリード王に目を向けました。どうやら彼の『ヴァーチャル・レーダー』が、高エネルギー反応を感知したようです。
「……もう許さん。もはや一切の手加減は無用だ。俺と娘を騙したことを……地獄の底で後悔するがいい!」
再び大口を開いた竜の頭部。
その真っ赤な口内には、異常な密度で電子の渦が収束していました。
次回、「第109話 雷竜の咆哮と地獄の氷晶」
※なお、最近、色々と忙しくなってきてしまったこともあり、今後の更新については、当面の間、週1回程度とさせていただきたいと思います。楽しみにしていただいていた方には申し訳ありませんが、御承知おきください。