第11話 美少女奴隷ゲット?
「ちがーう! 今のは無し! わ、わたし、降参なんてしてないもん!」
地面にひっくり返ったまま、アンジェリカは涙混じりに叫びます。とはいえ、その涙のほとんどは、さきほどまでの笑い涙の名残のようでしたが。
一方、そんな彼女に見事に勝利してみせたヒイロのマスターはと言えば……
「痛い! いたたた! これ、ほんとに痛い! 死ぬ! 死んじゃう!」
戦闘が終わった瞬間に『痛い痛いも隙のうち』が効果切れしたため、それまで十分の一で済んでいた痛みが一斉に身体を襲ってきたらしく、転げまわって呻いています。
「……しばらく放置しておきたい気分ですが、そうもいきませんね」
そう言ってヒイロは、【因子演算式】《フォース・エイド》を展開し、マスターの傷を癒やして差し上げました。ついでに、ボロボロになった衣服も修繕しておきます。
「ん? おお? すごい! 痛くない! ありがとう、ヒイロ! こんなに簡単に傷を治しちゃうなんて、やっぱり君はすごい女の子だよ」
「……これくらい、当たり前です」
ヒイロは、自身の声に喜びの色が滲まないよう意識しながら、さも当然のように言いました。マスターにとっては何気ない一言でも、こうして褒めていただけることは、ヒイロにとっては天にも舞い上がるほどに嬉しいことなのです。
「う、あ、あ……誇り高き『ニルヴァーナ』が……よりにもよって、『くすぐられて降参』だなんて……こ、こんなの酷い! 酷過ぎる!」
いまだに起き上がる気力もないのか、涙目のままに叫び続けるアンジェリカ。ジタバタと暴れる様は、駄々をこねる子供のように幼く見えました。
「ジタバタとみっともないなあ、アンちゃん。誇り高いんだったら、負けは負けとして潔く認めないとね?」
そんな彼女を悠然と見下ろし、得意げな口調で語りかけるマスターですが、さっきまでみっともなく痛みに転げまわっていたのが誰だったのか、ヒイロは忘れてはいません。
それはさておき、今の言葉は堪えたらしく、アンジェリカは悔しそうに唇を噛みつつも観念したように起き上がりました。
「ううー!」
そしていきなり、癇癪を起こしたように叫び声を上げるアンジェリカ。
「い、言われなくたって……わかってるもん! さっさと、『勝者の権利』を行使すればいいでしょ!? なに? お金が欲しい? それとも……わ、わたしの身体? 何でもいいから早くしなさいよ!」
彼女はボロボロのドレス姿のままで地面に胡坐をかき、それまでの尊大な口調が嘘のような子供っぽい言葉で叫んでいます。しかし、膝上丈のスカートでそんな恰好をすれば、下着が見えてしまいそうなのですが……。
「マスター? どうして首をそんなに傾けているんですか?」
「え? ……な、何のことかな? 僕はちょっと、『首の柔軟体操』をしていただけなんだけど……」
焦ったように言い訳をするマスターでしたが、ここで何かに気付いたようにアンジェリカへと目を向け直しました。
「はあ、はあ、はあ……」
荒かった呼吸を整えた彼女は、ようやく落ち着きを取り戻したようです。地面に胡坐をかいた体勢のまま胸を張り、傲然とマスターを見上げるようにして言葉を続けました。
「……で? なんだ? もう決まったのか?」
口調も元に戻っています。
「そういえば、アンちゃん」
「アンちゃんはやめろ」
憮然とした顔で睨みあげてくるアンジェリカ。年相応に可愛らしい女の子が拗ねているような顔は、先ほどまで狂ったように戦い続けていた悪魔の少女と同一人物にはとても思えませんでした。
「ああ、ごめん。ほら、戦闘前に言ってたじゃん。君が勝ったら僕を奴隷にするってさ。……ってことはつまり、僕が君を奴隷にすることもできるのかな?」
「……ぐっ!」
アンジェリカはその言葉を聞いて、痛いところを突かれたように顔をしかめました。
「なるほど。いいアイデアですね。これだけ強力な力を持った奴隷がいれば、ヒイロたちの旅も相当楽になるに違いありません。この世界の情報もまだまだ不足していることですし、ヒイロはそれがいいと思います」
マスターを奴隷にしようなどと言った彼女には、相応しい罰かも知れません。ヒイロがそう言うと、彼女は唇をかみしめながら憎悪の視線をヒイロに向けてきました。
一方、マスターはそんなことなど気にも留めず、言葉を続けます。
「異世界にやってきて、美少女奴隷を早速ゲット!……か。こんなの、物語の中の話だけだと思っていたけどね」
「うう……だ、だが1年だ。その間、我慢すれば……」
マスターの言葉に、それまで恐ろしい顔でヒイロを見上げていたアンジェリカは、力無く肩を落として項垂れます。どうやら本当に、彼女の特殊スキル『禁じられた魔の遊戯』には、使用者本人も対象とする絶対的な強制力があるようでした。
「まあ、焦らしていても仕方がないし、早速僕の『権利』を行使させてもらおうかな」
「…………どうして、こんなことに」
涙声でつぶやくアンジェリカ。さすがに少し気の毒な気もしますが、マスターが見事な機転で勝利をもぎ取ってくれなければ、逆の立場になっていたはずです。同情は無用でしょう。
「どうして、だって? 決まってるさ。君は絶対に勝てると思ったから、自分さえも巻き込むこんな危険なスキルを使ったんだろうけど、この世に『絶対』なんてないんだよ」
「……ふん。早くも主人気取りで説教か?」
「あはは。まあ、説教ついでに質問もさせてもらおうかな」
「……なんだ?」
「さっきヒイロに確認したんだけど、戦闘中、君はどうしてスキルを使わなかったんだい? 魔法は使えなくても、それ以外の力なら使えたはずだろう?」
そうなのです。それだけが疑問でした。マスターがスキルを使用して彼女に勝利を収めたように、彼女が戦闘中に自らの身体能力のみならず、スキルを使用していれば、マスターが勝つのは難しかったかもしれません。今となれば、彼女ほどの存在が特殊スキルひとつしか持たないとは考えにくいのですから。
「…………」
しかし、その問いにアンジェリカは黙ってうつむいたまま、答えようとしません。
「だんまりかい? 今答えなくても、後で口を割らせる方法はあるんだけどなあ」
意地悪くマスターがそう言うと、ようやくアンジェリカは顔を上げました。なぜかその頬は赤く染まっています。
「わ……」
「わ?」
「わ、忘れてたんだもの! 仕方ないじゃない! 楽しくって! 楽しくって! どうしようもないくらい、肉体を全力で操って、『熱く』なって、クルスと戦うことが楽しかったから!……だ、だから、能力のことなんて……全然、頭になくって……」
やけくそ気味に叫ぶアンジェリカ。どうやら彼女、興奮すると口調や仕草が年相応の少女のものになるようです。普段の尊大な口調や態度は、意図的に作っているのかもしれません。そんな彼女を見て、マスターは……
「ぶふ!? ぶは! あはははははははは!」
お腹を抱えて爆笑し始めました。
「う……うるさい、うるさい、うるさい! 笑うなあ! ううー! これから、こんなへらへらした奴の奴隷になるかと思うと、はらわたが煮えくり返る!」
頬を赤くし、涙目のまま抗議の声を上げるアンジェリカを無視して、マスターは延々と笑い続けていました。
「あーおかしい! いやいや、アンジェリカちゃん。君って最高! 僕、こんなに笑ったの、マジで久しぶりだな」
「うぐぐぐ……!」
二人のやりとりを見つめつつ、ヒイロは開いた口が塞がりませんでした。楽しかったから、スキルを忘れてしまっていた? 一体、どんな馬鹿なのでしょうか? 戦闘狂というか、刹那主義にも程があるというか……いえ、ここは快楽至上主義者というべきなのかもしれませんが。
「じゃあ、アンジェリカちゃん。いいかい? これから君は……」
「く……」
覚悟を決めたように目を閉じるアンジェリカに向けて、マスターは厳かに宣言します。
「僕のことを『キョウヤ』と気安く呼ぶように! いいね?」
…………は?
「な、なに?」
胸を張って堂々と意味不明なことをのたまったマスターに対し、ヒイロとアンジェリカは揃って目を点にしてしまいました。
「ちょ、ちょっと、マスター? どういう意味ですか?」
「え? どういう意味も何も、わからないかな? そのままの意味だよ。最初、彼女には意地悪をされて『クルス』としか呼んでもらえなかったし……」
ヒイロは当たり前の質問をしたはずなのに、『そんなことを訊いてくる方がおかしい』とばかりに、不思議そうな顔で首を傾げるマスター。……いえ、おかしいのは間違いなく貴方です。
「ま、待て! なんだ、それは? わたしを奴隷にするんじゃなかったのか?」
「奴隷になりたかったの? それならそれで大歓迎だけど?」
「い、いや、そうじゃないが……」
呆けたような顔でマスターを見上げ、尻すぼみに言葉を途切れさせるアンジェリカ。
「ほら、ルールは絶対だろう? 呼んでくれないかな?」
「う、うう……キョウヤ。どうしてだ? わたしに情けでもかけているつもりか?」
それなら許さないとばかりに、怒りの形相でマスターを見上げるアンジェリカですが、マスターは平然と言葉を返します。
「情け? どうして僕が、君に情けをかける必要があるんだい?」
「え? い、いや……その……」
逆に問い返され、アンジェリカは戸惑ったように言葉を詰まらせました。
「考えてもみて欲しい。せっかくの『美少女奴隷』が手に入るチャンスなんだよ? たかが『情け』なんかで、僕がそんな機会を逃すわけないじゃん」
「だ、だったら何故だ!」
「そう訊かれると困るけど……少なくとも情けなんかじゃないさ。実際、少し前までは君を奴隷にして、『あんなことやこんなこと』をできたらいいなあとも思っていたんだけど……さすがにさっきのアレは反則でしょ。まあ、加えて言うなら、ちょっとした『お礼』の気持ちもあるかな?」
「反則? ……お礼? どういう意味だ?」
意味が分からないと言った顔で固まるアンジェリカ。
しかし……ヒイロには、なんとなくわかりました。これは、掛け値なくマスターの本心でしょう。彼のような人が『同情心』や『良心の呵責』から、彼女に対して手心を加える可能性はゼロです。むしろ、自分を奴隷にしようなどと言ってきた彼女に対しては、同じ手段で『反射』をしても当然の場面でした。
しかし、そこに来て、彼女のあの言葉です。
彼女が自分を奴隷にするべく勝利を目指して戦っていたのではなく、自分との闘いそのものが楽しくて夢中になっていたのだとすれば、マスターにとって、彼女を奴隷にする意味などないのでしょう。
『お礼』という言葉だけが理解できませんが、とにかく、マスターは彼女を奴隷にするつもりはないようです。
「よし。僕としてはアンジェリカちゃんに名前で呼んでもらって満足だし、そろそろ行こうか?」
マスターは呆然として肩を震わせるアンジェリカに背を向け、ヒイロにそう語りかけてきました。
「……ふふ。まったく、あなたは本当に、ヒイロにとって唯一無二のマスターです。ヒイロは今この時、そのことを再認識いたしました」
「そうかい? 僕としては、いつヒイロに愛想を尽かされないか、冷や冷やしてたんだけどね」
朗らかに笑うマスターに、ヒイロはより一層の忠誠を心に決めたのでした。
次回「第12話 誇り高き悪魔の少女」