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異世界ナビゲーション  作者: NewWorld
第5章 無垢な少女と気高き聖女
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第100話 ヒヒイロカネ

 ベアトリーチェとマスターが眠りに落ちた後、わたしたちはメルティの力を借りて、どうにか《女神の天秤》の魔法を解除することができました。


「お疲れ様です。メルティ」


「大丈夫。最初はちょっと大変だったけど、ベアトリーチェお姉ちゃんが眠った後は、結構簡単だったもん」


 わたしのねぎらいの言葉に、にこやかに返事をしてくれるメルティ。とはいえ、いくら彼女でも不意を打たれてしまえば、魔法による影響を免れることはできないということは、今回の件で得た一つの教訓でしょう。


「それに……エレンもよく、あの場面で動いてくれましたね。あのまま放置していたら、二人とも……特にベアトリーチェは再起不能になっていたかもしれません」


「そう……ですわね。キョウヤ様の想いも、それこそ『痛い』くらいにわかってしまいましたから……。自分と『同じ』存在が世界にいないだなんて、そんなの寂し過ぎますわ……」


 エレンシア嬢はそう言うと、悲しげな顔をして下を向いてしまいます。


「エレン?」


「『ユグドラシル』は、この世界では伝説にもなるような希少種です。……そんなわたくしにとって、今や世界中の植物たちの視覚や聴覚を共有することは他の何物にも代えがたいものですわ。わたくしの知らない場所で、わたくしと繋がる命が生きていることを知ることができる。それが……何よりうれしくて……」


「……そう、でしたか」


 わたしは、自らの胸の痛みを自覚しながら、彼女の言葉に相槌をしていました。マスターのあの姿を見て、恐怖や狂気を感じてしまったわたしに対し、エレンシア嬢はそれとはまったく別の感想を抱いていたのです。

 そしてそれはきっと……他の誰よりもマスターの心に寄り添うものだったに違いありません。わたしはなぜか、それがとても悔しかったのです。


 するとここで、アンジェリカがそんなわたしの心を読んだかのように声をかけてきました。


「……ヒイロ。気に病むことではないぞ。確かに、キョウヤと同じ気持ちになって、彼に寄り添うことも大事だと思う。……けれど、きっとそれだけでは駄目なんだ。おかしいことはおかしいと言ってやらなくちゃ駄目だし、狂っているなら狂っていると指摘してやることも必要だ。人が人と向き合うってことは……そういうことなんだと思う」


「アンジェリカさん……」


 まさか彼女の口からそんな言葉が飛び出すとは思わなかったわたしは、驚きに目を見開いてしまいました。


「そんな意外そうな顔をするな。……まあ、今のは全部、お母様からの受け売りだけどな。そのままの言葉を借りれば……『人生、考え方の違う奴同士が喧嘩をしたり、仲直りをしたりしながら生きることが大事なのよ』って、言ってたかな?」


「ふふふ。素敵なお母様なのですね」


「うん。……まあ、その台詞を聞いたのは、お母様がお父様を半殺しにして踏みつけているところを、わたしが泣きながら止めに入った時だけどな」


「うあ……」


 思わず絶句してしまうわたしでした。


「そ、それはともかく、早いところキョウヤさんを起こした方が良いのでは?」


 ここでそう口を挟んできたのは、リズさんです。するとエレンシア嬢が目を軽く細めるようにして、彼女に言いました。


「それはリズが適任ではなくて? いつもやっていることでしょう?」


「う……」


 頬を赤らめるリズさん。そんな彼女の背中をエレンシア嬢がマスターの方へと押しやります。


「わ、わかりました。……えっと、その……キョウヤさん? 大丈夫ですか? 起きてください」


「…………」


 リズさんに優しく揺さぶられながらも、マスターは全く起きる気配がありません。……というのは、他のメンバーにとってでしょう。わたしには、マスターの意識レベルが覚醒に向かいつつあることがわかっていました。


「キョウヤさん?」


 しかし、マスターは全く目覚めようとしません。


「……リズさん。申し訳ありませんが、『いつものように』していただけますか?」


「え? ……あ、う、は、はい」


 わたしのお願いにきょとんとした顔をした後、消え入りそうな声で返事をしたリズさんは、どうやら状況を理解したようです。


「……こほん。そ、それでは行きます。……ご主人様? 朝ですよ。そろそろお目覚めになってください」


 周囲から生暖かい視線を注がれるのを感じながら、リズさんは恥ずかしさに耐えつつ、ひたすらご主人様の朝のお目覚めを促すメイドとして振る舞い続けています。


「……う、うーん。あと、もうちょっと」


「……う、お、お寝坊はいけませんよ。ほら、そろそろ起きましょう?」


 リズさんはなおも恥ずかしそうにしながら、マスターの頭を優しく撫でました。すると、その直後のこと。


「うん! 目が覚めた! いやあ、やっぱり、メイドさんに優しく起こしてもらうと目覚めがいいし、最高だなあ!」


 先ほどまで寝ぼけた声を出していたとは思えない勢いで目を開き、マスターは素早く起き上りました。どんな動きでそれを為したのか、その時には既に、彼の手はしっかりリズさんの手を握り締めています。


「おはよう。今日もリズさんは綺麗だね」


 満面の笑みでリズさんに笑いかけるマスター。


「うう……! も、もう! いい加減にしてください!」


 リズさんはとうとう顔を真っ赤にして、立ち上がってしまいました。


「キョウヤ。お前という奴は……」


 先ほどまでの深刻な話とは打って変わった喜劇のような展開に、アンジェリカが呆れたように息を吐いていました。




 ──それからわたしたちは、壊れた部屋の内装をわたしの【因子演算式アルカマギカ】で修理した後、憮然とした顔で座り込むベアトリーチェを取り囲みました。


「……な、なんじゃ、これは?」


 壁に背を預けた状態で座る彼女は、両腕が不自由な状態で縛られています。自らの身体を拘束するモノを見下ろした後、不満げな瞳でこちらを見上げてきました。すでに恐慌状態は脱したのか、比較的落ち着いた顔をしています。


「うん。聖女様の縛られた姿って、背徳的で興奮するなあ」


「黙れ、気色が悪い! ……最悪じゃ。下劣なる男にそんな汚れた目で見られながら、相手の肉の一つも削り取ってやれないとは……」


 酷く物騒な言葉を吐き捨てるベアトリーチェ。彼女は何度か身じろぎしながら、身体に巻かれたそれを外そうと試みたようですが、当然のことながらびくともしません。


「よくも神に仕えし聖女たるわらわを、こんな鎖などで拘束してくれおったな! 天罰が下るぞ」


「うん。じゃあ、下してみてよ。天罰」


 憎しみのこもった目で見上げてくるベアトリーチェに、マスターはニコニコと笑顔のままで言い返しました。


「ぬかしおったな! この程度の鎖で……!」


 彼女は一声そう叫ぶと、魔法を発動するべく意識の集中を始めたようです。しかし、すぐにそれができないことに気付きます。


「な、なぜじゃ! どうして、《拷問具》が出現せん!?」


「なぜって言われてもね。きっと神様が愛想をつかして、君から魔法の力を奪ったんじゃないのかい?」


「そんな馬鹿なことがあってたまるか! 『女神』が『アカシアの意志』を魂に宿すわらわたち『使徒』を見捨てることなどあるはずが……!」


「ごめんごめん。冗談だよ。これからの君の立場をわきまえてもらうためにも、状況は正しく教えておいてあげよう。……君が魔法を使えない理由。それは君の身体を拘束する『鎖』にある」


 マスターが指差した先にあるモノ。それは、ベアトリーチェの身体に巻きついたまま、目に鮮やかな真紅の輝きを放つ鎖でした。


「こ、この鎖が? まさか……対魔法銀ミスリル?」


「まあ、そんなようなものかな?」


「馬鹿を言うな! 『女神』の教会で作る対魔法銀ミスリルには、『女神』の魔法だけは無効化できないよう細工を施してあるのじゃ。わらわの魔法を封じることなどできるわけがあるまい!」


 この聖女様は、かなり動揺しているようです。本来なら教会の機密事項だと思われる情報をぺらぺらと話してしまっていることに、自分で気付いていないのでしょうか?


「『そんなような』とは言ったけど、『そうだ』とは言ってないよ。その鎖は、対魔法銀ミスリルなんかより、ずっと優れた魔法耐性がある金属でできている。ちなみに僕は、それを『ヒヒイロカネ』って名付けてみたんだけどね。いい名前だろう?」


 マスターはさも自慢げに胸を張って言いましたが、わたしにはその元ネタが彼のいた世界のゲームやファンタジー小説であることは明らかでした。厳密には日本の古い文献にも登場する金属名ではあるのですが、きっとマスターにはそこまでの知識もないでしょう。


「ヒヒイロカネ……じゃと? あり得ぬ。教会以外が対魔法銀ミスリルと同じ対魔法性能を持った金属を作ることなど……ま、まさか、『教会』の秘匿技術が外部に漏れて?」


「いやいや、まあ、僕らは確かに対魔法銀ミスリルが『愚かなる隻眼』から作られていることくらい知っているけれど、この場合はそうじゃない」


「な、なんじゃと? どうしてそのことを……」


 ベアトリーチェはもはや、訳が分からないといった顔で首を振りました。


「『ヒヒイロカネ』を作ったのは、他でもないメルティなんだからね」


 そう言ってマスターが指し示した先には、紅い鎖の端を持って立つメルティの姿がありました。


「ぐるぐる巻きだね、ベアトリーチェお姉ちゃん」


 自分に注目されたことに気付いたのか、手にした鎖をかがげるようにして笑うメルティ。そんな彼女に、ベアトリーチェは呆けたような目を向けていましたが、やがて納得したように頷きました。


「……なるほどの。『愚者』と『サンサーラ』の完全体なら、確かに究極の対魔法銀ミスリルを生み出せてもおかしくはないか」


 彼女はここでようやく、抵抗を諦めたようです。大きく息を吐き、脱力したように背中を壁に預けてしまいました。 


「……く。もはやこれまでか」


「おや? 諦めが早いね?」


「この状況では、他の能力を使ったところでどうにもなるまい。こんなところで果てるのは口惜しいが、もし最後の望みを聞いてくれると言うのであれば……わらわのトドメは女の子にしてもらいたいものじゃな」


 皮肉げな顔でマスターを見上げ、投げやりな言葉を口にするベアトリーチェ。しかし、マスターはそんな彼女をなだめるように言いました。


「君に死なれちゃ困るんだよ。まだ聞きたいことがあるからね」


「ほう? うぬが困るなら死ぬのも悪くはないな」


 強い憎しみのこもった声は、彼女の言葉が半ば本気であることを示しているようでした。


「いいのかな? 話してくれたらメルティが……」


 マスターはそんな彼女に囁くように言いました。


「その手には乗らんよ。冥土の土産なら、ヒイロの柔肌の感触で十分じゃわい。なあ、ヒイロ?」


 ベアトリーチェは首を振ってそう言うと、マスターへのあてつけのつもりなのか、わたしに向かって満面の笑みを向けてきました。


「……うう、いい加減にしてください! いつまで同じことを言うつもりですか!」


「恥ずかしがることはないぞ。お肌がぴちぴちなのは、『女の子』として誇るべきことではないか」


「……はあ」


 前から感じてはいましたが……この聖女、実はかなりの変態なのではないでしょうか? わたしがあきれて物も言えなくなったところで、マスターが何かを言いたげにわたしたちの間へと割り込んできました。


「いやいや、ベアトリーチェさん。君だって十分、女の子らしい身体をしているじゃないか」


「う、うるさい! うぬに何が分かる! 気持ち悪いことを言うな!」


「そりゃあ、わかるさ。だって僕、君の胸を……」


「あ! うああああ! そうだった! お、おのれ……よくもわらわに、あんな辱めを……」


「柔らかくて張りがあって……いやあ、あれは最高だったね」


「言うな! 言うでない!」


「お風呂で見た時も思ったけど……『着痩せする』って本当にあるんだねえ」


「う、うるさ……い? お、お風呂で見た……じゃと?」


 何度目になるかわからない金切り声をあげかけたところで、彼女は何かに気付いたように動きを止めました。


「ま、まさか……あの時……」


「あ、いやいや……湯煙も多かったし、よくわからなかったから大丈夫だよ。……さすがに湯船に一緒に入るときは、ちゃんと目を瞑っていたからね」


 彼の言葉はあからさまな嘘であるうえに、何のフォローにもなっていません。わざとやっているとしか思えませんでした。そもそもあのスキルの場合、目を瞑ったところでまるで意味がないのです。


「こ、この覗き魔の変態め! うあああ! 死ぬ! 死ぬ! わらわは、わらわは……!」


 間接的に胸を触られただけでなく、自分の裸体まで見られていたと知ったことで、彼女の精神にも限界が訪れたようです。ガシャガシャと激しく鎖を揺さぶりながら、半狂乱の叫び声を上げ始めてしまいました。


〈マスター、さすがにやりすぎでは?〉


〈あはは。ちょっとお仕置きが過ぎちゃったかな?〉


 わたしが『早口は三億の得スピード・コミュニケーション』でたしなめの言葉をかけると、マスターはやれやれと言った風情で息を吐きました。


「ほらほら、ベアトリーチェさん。僕が悪かったから、少し落ち着きなよ」


「こ、これが落ち着いていられるかー!」


 なおも怒りの声を上げるベアトリーチェでしたが、マスターが次にとった行動は、そんな彼女の動きを止めてしまうものでした。


「ああ、でも、胸は服の上からだったし、見た目じゃ肌がすべすべかどうかまではわからないからね。ちょっと確かめてみようか?」


 そう言ってマスターは、彼女の頬を撫でるように触れたのです。


「……へ?」


 間の抜けた声を出すベアトリーチェ。

 そんな彼女の視界の端には、色を変えず、石にもならず、自分の頬に直に触れているマスターの手が映っているのでした。

次回「第5章 登場人物紹介(メルティとの対話)」

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