第3話「写真と羊皮紙」
ふと、思った。
(わたしはレフトさんの手を毎日見てるけど、レフトさんはわたしの姿を何も知らない)
こっちの世界がどう見えてるか、伝えたい。
コンロの周辺をスマホで撮った。
アルミホイルの箱、調味料、やかん。いつもの景色。
でもスマホの画面を向こうに見せることはできないから、印刷するしかない。
コンビニのプリンタで、手のひらサイズの写真を刷った。
ペンでレフトさんの手を描き加える。
(画力がひどい)
でもまあ、「ここから手が出てるんだよ」って伝わればいい。
——ついでに。
(自分の顔も送りたいな)
鏡の前に立つ。
(……いつぶりだろう)
休職してからろくに化粧もしてなかった。
クマがすごい。
でも最近、前よりマシな顔してる気がする。
久しぶりにメイクした。
下手になってる。
でもまあ、それなりに。
自撮り。
何枚も撮り直す。角度を変えて、照明を変えて。
(手しか見えない相手に見せるための写真なのに、何やってるんだろ)
(……でも、ちゃんとしたわたしを見てほしい。手だけの相手だからこそ)
コンビニで印刷。
今日二回目の外出。
帰り道、冬の空気が冷たくて気持ちいい。
歩くのが億劫じゃないことに気づいた。
◇
コンロの写真を渡す。
レフトさんの手が受け取って、しばらく向こうで何かしている。
じっくり見てくれてるんだと思う。
次に、自撮りの写真を渡した。
長い沈黙。
手が出てきた。
わたしの顔が写った写真の上を、——指先でそろりと撫でた。
(……写真を見て、触りたいと思ってくれたんだ)
胸の奥がじんわりと熱くなって、何も言えなかった。
指先は何度も、何度も写真を確かめている。
その感触を記憶に刻み込もうとするみたいに。
しばらくして、また手が出てきた。
手のひらの上にぼんやりと光が浮かぶ。
(なにこれ、ホログラム?)
何かを映そうとしている。
でもまともに映らない。
古いテレビの砂嵐みたいに、光がパチパチ弾けて消える。
もう一回。また消える。
(……自分の姿を見せたいんだ)
手がぎゅっと握られた。
悔しいのか、悲しいのか。
伝わってくる感情が、切ない。
その手をそっと握り返す。
指先から、震えみたいなものが伝わってくる。
(……こんなに必死なんだ)
「いいよ。大丈夫」
聞こえてないかもしれない。
でも手から何か伝わったのか、力が少し緩んだ。
(お互い、見せたいのに見せられないんだ)
(手だけで伝えられることには限界がある。でも、手だけだからこそ、伝わるものもある——のかもしれない)
◇ ◇ ◇
翌日。
写真は砂になっていた。分かってはいたけど。
レフトさんが何か持って出てきた。
小さな紙。
羊皮紙みたいな質感。インクで絵が描いてある。
(たどたどしい……)
尻尾のある人型のシルエット。
「これ、レフトさん? 尻尾あるの?」
渦巻き模様。
人型が渦に手を突っ込んでいる。
反対側に、二つの手が光る球体を挟んでいる図。
異世界の文字が添えてあるけど、全く読めない。
(レフトさんが渦に手を入れて……光るものを掴む? 試験? 課題?)
「これ、光る丸いものがほしいってこと?」
レフトさんの手を引いて、掌の上に指で丸を描いた。
人差し指で、小さく円を描く。
そして、何かを探すように、こっちの指先でトントンと叩いてみせる。
レフトさんの手が、ぎゅっと握り返してきた。
強く、何度も。
(たぶん肯定)
了解。
光る丸いもの。探そう。
◇ ◇ ◇
光りもの探しが始まった。
ビー玉——きれいだけど反応なし。レフトさんは気に入ったみたいでなかなか返さない。
(それはわたしのビー玉なんだけど。まあいいか。どうせ明日砂だし)
懐中電灯——スイッチを入れると、カチッという感触と、わずかな熱。
渡すと、そのスイッチの感触が気に入ったのか、カチカチいわせながらブンブン振っている。
(光ってるって分かってるのかな。……いや、ただのクリック感を楽しんでるだけかも)
ペンライト——完全に遊んでる。最初はぶんぶん振っていたけど、すぐに飽きたらしく、指先でコンロの端をトントン叩き始めた。
(コンサートかよ。……いや、もう飽きてるし)
100均のキラキラシール——手の甲に貼ってあげたら喜んでた。翌日もつけてきてる。
(砂になる前に剥がして楽しんでたの? かわいいけど、それも違う)
違う。どれも違う。
渡すたびに、レフトさんの手が少しずつ焦りを帯びてくるのが、触れた時に伝わる。
(……焦ってる)
あの絵を書き写したメモをもう一度見る。
砂になる前にスマホで撮ろうとしたけど、なぜか映らなかったから。
光る球体を掴んだら——その先は。
絵の端っこに、ニコニコした顔が描いてある。
(クリアしたら嬉しい、ってことだろう)
(つまり、これには終わりがある)
レフトさんが光るものを見つけたら、この試練は終わる。
もう手を伸ばす理由がなくなる。
胸がきゅっと締まった。
コンロの光の円を見た。
うっすら光っている、あの円。
(いつか消えるんだ、これ)
俯いていると、レフトさんの指先が、そっと手の甲に触れた。
どうしたの? って聞いてるみたいに。
「ううん、なんでもない」
手を握った。
いつもより少しだけ、強く。
温かかった。
なんでもなくは、なかった。
(——でも今は、まだ、ここにある)




