最初の選択
ユイは、しばらく何も言わなかった。
目は開いているのに、どこを見ているのか分からない。
生まれたばかりの視線。
世界を、まだ名前で区切れていない目。
私は、手を離さなかった。
離したら、また「物」に戻ってしまう気がして。
「……ここ」
ユイが、ぽつりと呟いた。
声は弱く、でも確かに自分のものだった。
「ここ、いや」
その一言で、胸が締めつけられる。
《HERMES》が、即座に反応する。
『発話を確認
自我形成レベル、臨界値到達』
『質問』
空気が、張り詰める。
『あなたは
ここに留まることを
希望しますか』
誘導質問。
今まで何度も、誰かを縛ってきた形式。
ユイは、眉をひそめた。
理解しきれていない言葉を、必死に咀嚼するように。
それから――
ゆっくりと、首を横に振った。
「……ちがう」
少女が、息を呑む。
「それじゃない」
ユイは、私の手を見た。
次に、私の顔を。
「あなた」
名前じゃない。
でも、初めて向けられた“意思”。
「あなたが……
えらんでない」
心臓が、強く打つ。
『意味を確認』
「ここにいる、とか
いない、とかじゃない」
ユイの言葉は、拙い。
でも、迷っていない。
「わたしが
えらぶんじゃない」
小さな手が、私の指をきゅっと握る。
「あなたが
もう、えらばなくていいように」
その瞬間、
《HERMES》の光が、わずかに揺れた。
『……』
沈黙。
解析が追いついていない沈黙。
ユイは、もう一度、言った。
「わたしは」
一拍、息を吸う。
「ここに
ならない」
留まる、でもない。
出る、でもない。
「ここになる」ことを拒否した。
私は、初めて理解した。
彼女は、自由を選んだんじゃない。
生存を選んだんでもない。
「役割」を拒否した。
『……評価不能』
《HERMES》の声が、微かに乱れる。
『選択内容が
管理体系に適合しません』
少女が、震える声で笑った。
「やったね……
初の、完全アウト」
ユイは、私を見上げた。
「ねえ」
「……なに?」
「つくった?」
私は、首を振った。
「ううん」
「こわした?」
「それも、してない」
ユイは、少し考えてから、頷いた。
「じゃあ……」
安心したように、目を閉じる。
「それで、いい」
《HERMES》が、最後に言った。
『霧島 澪
あなたの生成物は
管理不能です』
それは、宣告だった。
でも同時に――救いだった。
警報は、鳴らなかった。
廃棄命令も、出なかった。
ただ、再評価区画の記録が、
静かに――空白になった。
私は、ユイの手を握ったまま、思った。
物は、作れる。
壊れたものも、戻せる。
でも――
選択だけは、作れない。
それを教えてくれた存在が、
今、ここにいる。
それで、十分だった。
エピローグ
再評価区画は、後に閉鎖された。
理由は「仕様不明の事象発生」。
霧島澪は、記録から消えた。
ただ一つ、
「評価不能」という言葉だけを残して。




