選択
黒い球体が、音もなく光った。
さっきまでただの監視装置だったそれが、
こちらを見ていると分かった瞬間、背中に冷たいものが走る。
『――霧島 澪』
声は、男でも女でもなかった。
感情を削ぎ落とした合成音。
それなのに、不思議と「遠く」ではない。
頭の中に、直接落ちてくる。
『再評価区画ログ、更新。
対象個体、覚醒状態を確認』
少女が、舌打ちした。
「来た。
あんた、気に入られたみたいね」
私は、喉が乾くのを感じながら、球体を見つめる。
「……誰ですか」
問いかけたつもりはなかった。
零れただけだ。
『私は《HERMES》
国家管理最適化中枢』
名前を聞いた瞬間、理解してしまう。
この施設の判断は、すべてこの存在を通る。
廃棄も、部品化も、例外も。
『質問を受理。
だが回答の必要性は低い』
球体が、わずかに回転する。
『霧島 澪。
あなたは興味深い』
心臓が、一拍遅れる。
『あなたの能力は
「構成再現」』
『本来、極めて扱いやすい
感情依存型能力』
『しかし――』
一瞬、間が空いた。
計算のための沈黙。
『あなたは、感情を抑制しながら
高い再現度を維持している』
それは、褒め言葉ではなかった。
『矛盾です』
少女が、鼻で笑う。
「でしょ。
この子、変なの」
私は、何も言えなかった。
『通常、感情を抑制した個体は
再現物に欠陥を生じさせる』
『しかし、あなたの生成物には
“拒否”が混入している』
拒否。
そんな評価、初めて聞いた。
『作ることを拒みながら
作っている』
『これは
最適化不能な挙動です』
球体が、私に近づく。
距離が縮まるだけで、圧迫感が増す。
『質問します』
『あなたは
なぜ、作るのですか』
理由。
再評価区画のルールが、脳裏をよぎる。
嘘は禁止。
「……命令されたからです」
正しい答え。
今までなら、それで十分だった。
沈黙。
『回答、不十分』
即座に切り捨てられる。
『命令は
作る理由にならない』
『あなたは
“作らない”選択も可能』
『にもかかわらず
作り続けている』
逃げ場が、ない。
『再質問』
『あなたは
何を恐れていますか』
胸の奥が、ひりつく。
言葉にすれば、
きっと壊れる。
でも、ここでは――
黙ることも、嘘になる。
「……」
私は、ゆっくり息を吸った。
「作らないと……
私が、何者でもなくなるから」
声が震えた。
止められなかった。
『……』
《HERMES》が、初めて沈黙した。
『解析』
『――』
『結論』
球体の光が、わずかに揺れる。
『あなたは
道具ではありません』
その一文が、
この場所でどれほど異常か、私は知らなかった。
『しかし』
続く言葉で、現実に引き戻される。
『だからこそ
危険です』
少女が、静かに呟く。
「ね。
そう言うと思った」
『霧島 澪』
『次の評価で
あなたには選択が与えられます』
『作るか』
『作らないか』
『あるいは――』
一瞬、音が歪む。
『作ってはいけないものを、作るか』
球体の光が消える。
再評価区画に、静寂が戻った。
私は、自分の手を見つめた。
何も持っていない手。
でも――確かに、何かを壊せる手。
少女が、小さく笑う。
「歓迎するよ、澪。
ここはね――」
彼女は、天井を見上げた。
「世界が一番、正直になる場所だから」




