戦略的婚約
「正気かね?」
こちらも同じホテルに泊まっていたハミルトン大公ブルースの部屋に足を運んだ所、出迎えてくれた大公の最初の一言がそれだった。
「ええ、正気です。
お話があるとのことで足を運んでいただいたようで、用件を伺うために参上しました」
王へのちょっとした反撃というか嫌がらせをしようと考えて出た答えが、大公を籠絡するというものだった。
最初の一歩では多少のトラブルもあったりしたが、大公家にも大公にも思う所はなく、手を組めるのであれば将来の……新王朝樹立のためにも手を組みたい相手ではある。
フィリップに応対させた上に、かなりアレなことをしてしまったが……そんな怒りをしっかりと飲み込んでくれたらしい大公は、小さなため息を吐き出してから言葉を返してくる。
「……陛下から大体の話は聞いている、奥方との親密さは尋常ではないとのこと。
それでも縁を紡ぐと? 我が娘を受け入れると? 貴族である以上多少のことは仕方ないとはいえ、不幸になるのが分かっていて送り出す程、愚かではないつもりだがね」
と、そんなことを言いながらも大公は応接間まで案内し、ソファに座るよう促してくれて、それに従うと従者が茶の準備をし始めてくれる。
色々あったがそれでもしっかり歓迎してくれるつもりではあるらしい、決して仲が良い訳ではないが、それでも話が通じて話が早い相手と言うのは、なんともありがたいものだ。
「もちろん大公家のご令嬢を受け入れるとなったからには、最大限幸せになっていただけるよう尽力するつもりです。
……そういう訳で私ではなく兄上との縁ならどうかと考えています」
「……なに? 貴殿の兄上は確か今大陸のはず、まさか戦地に嫁げと?」
「言ってしまえばそういうことになります。
もちろん兄上に確認する必要がありますし、お嬢様にも確認いただく必要があるかとは思いますが、決して悪くない縁だと思っております」
我が家と縁を紡ぎたいというのなら、何も相手が俺でなくても良い訳で、兄上は独身で婚約もしておらず候補も不在、そこに大公家のご令嬢となれば諸々の事情を考慮した上でも良縁と言えるだろう。
「全くもって話にならんな。
我が娘は貴族の令嬢として過不足ないようしっかりと教育をしたつもりだが、戦地に行くなど考慮に入れるはずもなく、埃にまみれたことさえない生活をしてきた。
戦地の幕屋暮らしなど出来るはずがなく、そんな話をされるなど全く不快としか言えんな。
それとも、こちらがそれでも結婚を了承するような、そんな事情があるとでも?」
「はい。
こちらの地図をどうぞ、父上と兄上が築き上げた版図になります」
と、そう言って父上達からの報告を謙虚気味に反映した色塗り地図をテーブルに差し出す。
最初に拠点化した交易都市は濃い赤色に、その周辺はそこそこ濃い目の赤色、遠方になる程薄くしていって……ちゃんと支配出来ているか怪しい地域はかなり薄めに。
一目で分かるよう工夫したその地図をハミルトン大公は、最初はなんだこんなものと片目をつむっての見下した態度で見ていたが、すぐにそれが何を示しているかを理解すると、地図を握りつぶす勢いで手にとって、地図に穴が空くのではないかという鋭さでもって睨み始める。
「……これは本当のことかね? 少しでも偽りが紛れていたならば大罪となるぞ」
「直接現地に行って確かめた訳ではありませんが、父上達の報告は信用出来るものと思っております。
それらの情報が届いたのは最近のことでして未確認のことも多いのですが、数日あれば飛空艇にて偵察を行い、信憑性を高めることも可能でしょう。
その際に大公が手配した方に飛空艇に同乗していただいても構いません」
「……そ、それ程か。
……この版図の大きさはただ事ではないぞ、これだけの領地を得たというのなら、我が家との縁など必要ともしない程の大勢力になるはずでは?」
「いえ、全くの逆なのです。
これだけの領地を得たからこそ大公家との縁を望んでいます、これほどまでの広さとなるととてもではないですが、人手が足りません。
武人であれば余っているくらいの我が領ですが、内政官となるととてもではないですが……」
と、俺がそう言うと大公は目をカッと開き、そういうことかと得心した顔になる。
王家の親戚筋となる大公家ともなれば、その人脈はかなりのもののはずで、王城で働く者達にもかなりの影響力があるはずだ。
ハミルトン大公が一声かければかなりの数の信頼出来る人材が集まるはずで……父上達が手に入れた領土をそれらの人材で管理、安定させたのなら大陸での優勢は安定したものとなるだろう。
我が家だけでもやれないことはないが、どうしたって手間がかかるし人材の数も質も足りているとは言い難い。
どこかで無理が出るのは明白で、そこから崩されたなら折角の広大な版図も台無しとなってしまう。
父上も兄上も経営が得意という訳ではないからなぁ……今は無税ブーストでなんとかなっているけど、このままではそう遠くないうちに何らかの破綻をきたすことだろう。
一都市だけなら問題はなかっただろうけど、大陸の広大な領土で一国以上の土地を得たとなると……うん、絶対に管理など出来ないはずだ。
だからといって大陸の人材に丸投げしたでは支配した意味もなくなるからなぁ……今回の一手はあらゆる面においてメリットのある話となるだろう。
まずハミルトン大公家と王家の間にヒビを入れられる。
そして我が家との縁を結ばせることが出来る、その家は新王朝候補として最適と言えて……ハミルトン大公家による王朝樹立が不可能だとしても、別の候補を探す際には力になってくれるはずだ。
更に兄上の独身問題が解決出来て、大陸の人材不足も解決出来て、そうやって大陸領土の状況が安定化したなら、王家に今まで以上の圧力をかけることが出来る。
もしこれらが全て上手くいってハミルトン王朝が樹立したとしたら、ハミルトン王は拡張王とか大陸王とか、そんな二つ名で称えられる名君となることだろう。
そのための道筋を用意してやったなら、むしろハミルトン大公の方が今の王家を滅ぼしたいと言い出すかもしれない。
王家殺しにおける最大の味方を得られるとも言えて……これはかなりの良策だと思っている。
もちろん兄上やご令嬢の意思は確認する必要があるが、そこがクリア出来たなら最高も最高、わざわざ出会いを用意してくれてありがとうとエーリク王に礼を言いたくなってしまう程だ。
と、そんなことを考えているとハミルトン大公は、従者にペンとインクを用意させ、地図の一部を丁寧に線で囲い、そこを塗りつぶす。
「ここが欲しい。
ここはかつての祖先が有していた、古代よりの領地なのだ」
うん? と、そんなことを思いながらその地図を確認する。
父上が手に入れた都市から南の、今回得た領地全体の中央辺り、まぁまぁの広さのそこは確か……そうだ、大欠地王が失った領地の一部だ。
ははぁ、その際にハミルトン大公の持つ家系図の上位の誰かが、そこから追い出されてこちらの島に逃げてきたとか、そんな感じだろうか。
「分かりました、この場で確約は出来ませんが父上にすぐに話を持っていき、了承させます」
「そんなことが可能なのかね?」
「させます、現状父上達が消耗している予算も物資も全ては私が用意しているものですから、文句など言わせません」
そもそもとしてその領地を譲る前提条件は兄上との婚姻。
そこまで近しい親戚になら領地の一つや二つ譲ったところで問題はない。
「……分かった、今日聞けた話が全て真実ならば、こちらも最大限の尽力をすると約束しよう。
ただこの場で確たる返事が出来るような話ではないことは分かって欲しい。
そちらも色々と確認が必要なようだしな……ひとまずの第一歩として大陸の飛空艇偵察と、こちらの使者と父君、兄君との面会、こちらを確実に実行して欲しい。
それが無事に済んだのなら、娘の説得を含め全てを前向きに進めると約束しよう」
ハミルトン大公はそう言いながら、初めて見せる表情を浮かべる。
野心に溢れて目がギラつき、興奮しているのか顔全体が赤く、呼吸も静かではあるがリズムが上がって荒々しい。
……どうやら思っていた以上の急所をついたクリティカルヒットだったらしい。
まぁ、でもそうもなるか。俺が王殺しを望んでいるのは分かっていることだろうし、議会どうこうは知らなくても新王朝樹立は想像の範疇のはず。
旧領回復を成せた上に新王朝の主となれる、そう考えてしまうと感情を抑えられないのだろう。
「ありがとうございます、ハミルトン大公にそう言っていただけてこれ以上なく光栄です。
全てが上手く行くよう、我が家一同の尽力をお約束いたします」
と、俺がそう返すと大公はすっと立ち上がり、俺が続いて立ち上がると手を差し出してきて……固く力強い握手が行われ、約束が締結となる。
その時だった、タイミングを伺っていたのか何なのか、応接間のドアが開いて元気な声が響いてくる。
「お父様! ワタクシにもご挨拶をさせてくださいませ!」
どうやら大公のお嬢様のようだと視線を向けると、俺は思わず目を見開くことになる。
まさかの縦ロール、しかもツイン、そして紫髪。
現実に存在するとなんともシュールなその髪はなんとも目を引くが、フリルとバラを模した飾りをこれでもかと張り付けた紫色のドレスも中々のシュールさだ。
舞台の上とかで見たなら違和感はないのかもしれないが、日常の中で突然現れるとなんともリアクションに困ってしまう。
しかも紫……鮮やかな紫。
一応化学染料が出始めている時期ではあるが、貴族が身につけているということは天然染料の紫色なのだろう。
貴人の染料、金塊より高価な染料とも呼ばれるそれで染めたドレスを日常使いしているとは……驚かされた。
力強い赤い目は釣り上がり、口元は手に持った扇子で隠されているが、美人なのだろうということがなんとなく伝わってくる、身長はそこまで高くはないが、スタイルは良い方と言えて、なんとも言えないアンバランス感がある。
……果たして兄上の好みなのかは、うぅむ、判断がつかないなぁ。
「そちらがワタクシの婚約者なのかしら! とても立派な体つきで14歳とは思えないわね!
でも良いでしょう、ワタクシも貴族の娘、どんな夫であろうとも立派に支えてみせましょう!
オーッホッホッホッホ!」
う、嘘だろう、そんな笑い方をする人間が実在するのか!?
演技でもなんでもない素の笑いでそれなの!? 正気かアンタ!? 面白すぎるだろ!?
なんてことを考えて思わず吹き出しそうになっていると、慌てたハミルトン大公が駆け寄って、耳打ちをし始める。
耳打ちそれ自体を良くない行為と思っているのかご令嬢は扇子でもってそれを隠して……そうしたことにより顕になった真っ赤な口紅で染められた唇の左右が、話を聞けば聞く程に釣り上がり、ニンマリとした笑顔となる。
「なるほど! 未来の義弟でいらしたのね!
そう思ってみると可愛く見えてくるのだから不思議なものだわ!
ブライト、アナタの義姉となるマリアンネ・ハミルトンよ、この名と美貌をその記憶に刻み込んでおきなさい!
オーッホッホッホッホ!!」
クソッ、吹き出したくなる。
なんとか下唇を噛んで耐えているが、畳み掛けないでくれ。
「……初めまして、ウィルバートフォース伯ブライトです。
……兄上とマリアンネ嬢が婚約した際には、お二人が幸せに暮らせるよう尽力することをお約束します。
兄上の立場から考えると、この国を離れることも多くなるかと思いますが、その際の移動や生活に不便をかけないこともお約束します」
笑いをこらえるので精一杯で、今自分がちゃんと話せているかに自信が持てない。
これで良いんだよな? 間違ったこと言ってないよな?? と、内心は完全に乱れてしまっていて、自分にこんな弱点があったとは、本気で驚かされてしまった。
「えぇ、よろしく!
アタクシのことをそこまで思いやって頂けるなんて、マリアンネは幸せですわね、お父様!」
「ああ、ああ、本当にお前は幸せものだ。
お前のおかげでご先祖様の悲願も叶うのだから……お前という天使が我が家に生まれた時から始まった我が家の幸運は、今絶頂を迎えているのかもしれないな」
と、ハミルトン大公はそう言って、両目を垂れ下げてのデレデレとした顔となる。
……どうやら娘を溺愛しているらしい、それでも我が家に嫁がせようとしていた辺りは流石と褒めるしかないだろうなぁ。
ともあれそうして王に対する追撃の一手は成功となって、これを機に我が家の大陸への政策は大きな変化を迎えることになるのだった。
お読みいただきありがとうございました。
少し予定と違った形になったので次回こそ王とかコーデリアさんとかになります。




