王
――――赤色に包まれた広くはない自室で
床の絨毯も壁も天井も、灯りの硝子さえも、好みだからと揃えた赤色の部屋で、王と呼ばれる男は一人、赤く大きなソファに腰を深く下ろし、頭を抱えていた。
次々に届く報告書、そこには様々な問題についての報告が書かれていて、その原因のほとんどが自分の子である王太子。
目下最大の案件となっているウィルバートフォース家との軋轢は王家全体で起こしてしまったものと考えることも出来るが、それまで全くなかった大気汚染という新たな社会問題を引き起こしたかと思えば学園設立に妙にこだわって宝物庫を荒らすなど、予想など出来るはずもない問題を次から次へと起こしてくれている。
令嬢達との関係や家臣達との関係、どこで結んだのか国外との勝手な繋がりなどなど、対人関係でも問題だらけだというのに、それ以外も山積させてきていて……お願いだからもう何もしてくれるなと、そんなことを思わずにはいられない。
王太子がそこまでの暴走状態に至ってしまっている原因は、確実にウィルバートフォース伯ブライトにあるのだろう。
同い年ながら自らの先を行き、王家という強権で潰そうとしても全く潰れず怯まず、むしろそれを糧にして伸び続けて、いつの間にか自分を追い越してしまった。
ふと気が付けば遥か先に立ってしまっているその姿を見て、妬ましくて仕方ないのだろうということは想像がつく。
しかしその想いを周囲に吐き出すことは出来ない、強権を持ちそれを振るっておいて何をとまず共感など得られないだろうし、王太子が何を弱気なことを叱られてしまうに決まっている。
全くもって王太子らしくない、王家としての誇りが感じられない、本当に王家の血が流れているのかと疑いたくなる程だ。
一方ブライトはどうだろうか、その血筋らしく何度叩かれても決して折れず、かといって暴虐にも至らず卑屈にならず……正しい態度を取っているのは間違いなくブライトの方だろう。
何かがある度に立ち上がり、立ち続けるために成長をし続けて、どこまでも伸びていって……王太子では決して成し得ない新たな道で大成功を納めた。
一貴族がそこまでの成功をしてしまったということは、確かに頭が痛い話ではあるが、しかし問題と言う程ではない……国内の貴族なのだから全く問題ではない。
成功したなら褒めてやれば良い、褒美をやれば良い、王としてその上に立ち正しき道に導いてやればそれで良い訳で、王が王であれば問題になるはずがなかった。
褒美が足りず導けず、台頭してしまったのだとしても所詮それは一代限りの話、老いて表舞台から去るまでは上手く付き合っていけばそれで良い。
その間に多少の好き勝手をされても後で修正するなり、対策を練るなりどうとでもなったはずだった。
それだけの力と伝統が王家にはあり、王家とはすなわち常に揺れ動き乱れる均衡の中にある貴族達を、外から俯瞰して見下ろし支配し制御するからこそ王であり王家である……はずだった。
「……立太子は早まってしまったなぁ」
一人の部屋で思わずそんな言葉をもらしてしまう。
それは誰かに愚痴を言いたいが立場がゆえに聞いてもらえないという、王だからこその彼のクセのようなものだった。
ならば立太子をやり直せば良いと臣下達は言うが、そう簡単な話でもない。
立太子が行われた時点で、他の王位後継者達はすぐさま王城から遠ざけられるとか、居城を移させるとか、紋章や爵位を献上させるとかと言った、相応の扱いを受けている。
よからぬことを考えぬようにと露骨なまでに中央から遠ざけられて……一応は予備扱いはされるがあくまで予備、中にはそういった扱いを嫌がって継承権を破棄する者まで現れていて、改めて立太子など簡単に出来ることではない。
出来なくはない、出来なくはないが相応に荒れるのは確実で……その乱れをブライトは見逃さないだろう。
何しろブライトは怒っている、それだけのことをしたのはこちらなのだから当然なのだが、怒ったまま冷めずに怒り続けている。
こちらが隙を見せたが最後、その怒りは真っ直ぐにこちらを貫いてくることだろうと王は確信をしていた。
「……あれも見誤ったなぁ」
若いと侮った、王太子にいいようにされる程度の器と見てしまった。
幼い身ながら、今ここで荒波を立てても不利になるだけと苦渋を飲んで耐え忍ぶ道を選んだなどとどうして思えるのか……まさかにも程があった。
それが今や国内随一の大人物、内政経済は見事としか言い様がなく、蛮族の姫を娶り戦力を手中に入れた外交策も見事、軍事においても父兄をよく助け、全く予想もしていなかった展開となってその父兄は大陸で覇を唱えつつある。
十四才、我が子と同い年でそこまでのことを成し、今も尚更に成長を続けて味方を増やし続けている。
あの悪名高き祖父を味方につけたまではまぁ良い、そこは血筋だからと理解出来るが、大公を宥めアレス男爵を手懐け、王兄を打ち破り、国内で名を知られる学者達を次々に惹きつけ、最近では芸術や銀行の大人物まで交流を持とうとしているとの噂が聞こえてきている。
そんな大人物、過去の歴史を見てもいなかったぞと、王は深いため息を吐き出す。
しかも近衛の報告によれば、反貴族を掲げて蠢いていた連中まで手懐けてしまったという。
彼がそうする間、我が子が何をしていたか……そう考えた王の頭に浮かぶのは荒らされた宝物庫の光景。
挙句の果てに王家を王家たらしめる宝物を売り払ったなど、我が子のことながら一体何を考えているのか、訳が分からず理解など出来ようはずがない。
……そうなったらもう頭に浮かぶ選択は二つ、殺すか廃太子か、そのどちらか。
頭の中のほとんどは殺すではあったが、廃太子という意見にも一理があって王は中々決断出来ずにいる。
事故や病死でも構わないと言えば構わないのだろうが、その場合ブライトの怒りがどこに向くのか、想像がつかないという問題がある。
ならば廃太子となるが、廃太子したからといってそれでブライトの怒りが収まるとも思えない。
むしろ王太子以外の全てに怒りが向かう可能性があり、そうなるとどうにも手がつけられなくなる。
「……いっそ差し出すか」
その方が良いように思えた。
ブライトの前に王太子を差し出してやれば、大喜びでその首を取ることだろう。
そして王太子の首を取ったことを軽めに責めてやってその勢いをいくらか落とさせたなら……制御出来るようになるかもしれない。
ブライト自身も交渉の前にまず王太子の首を寄越せと、言っていたと聞いている。
であるならばまず差し出しその後交渉し、この世界の誰よりも高く日が昇るブライトを味方として制御したなら、これ以上ない結果を得られるに違いない。
そう考えて王は……大きなため息を吐き出す。
それが可能かと言えば可能だ、今すぐに行うことも出来る。
……だが、それをやれば自分の評判はどうなるのか、歴史にどう名を残すのか……。
初代王以降様々な王がその名を残してきたが、その全てが名誉のある名ではない。
大欠地王、醜穢王、不道徳王……そんな王達の名の横に自分の名が並ぶことになるのではないだろうか?
子殺しというだけなら例がない訳ではない、大失態を演じた王太子を処分したという記録もいくらか残っている。
……しかしそういった王達は同時に、偉業と呼べるだけのことを成し遂げていて、それがなければ悪評が上回り、子殺し王などと呼ばれる可能性まで出てきてしまう。
それだけはごめんだ、歴史に汚名を残すなど王家のものとして耐えられるものではない。
歴史の授業において、名を残す三悪王がどんな扱いを受けていたか、どれだけの評価をされているのか……数々の本の中で彼らがどういう形で生きているのか。
王として深く知っているからこそ恐ろしく、それだけはごめんだと胸の奥で何かが悲鳴を上げ続ける。
……しかしこれ以上放置も出来ない、なんらかの決断はしなければならない。
王太子がせめて良い結果を残してくれたのなら、何らかの反省をしてくれたのならまだ良いのだが……今のところ、そういった兆候は一切ない。
王太子の予言、あるいは予測によれば、もう流行病が起きていてもおかしくはない。
そしてそれを理由にブライトが暴虐を開始し、周辺領を荒らし回って略奪をし、不当に財を溜め込むということも起きていない。
逆に周辺領が先に手を出し、反撃を受けて消沈するという事態は起きているが、それに際してブライトは略奪や不当な賠償を求めたりはしておらず……そもそもとしてかの地の経営は健全かつ好調、そんな真似をする必要がどこにもなかった。
だと言うのに、そういった報告を見せてやっているのに、王太子は未だにその予言にこだわり続けている。
流行病は絶対に起きるのだと断言し続けている。
「……むしろそれが起きそうなのは貴様が手を入れた地区の周辺だろうが……」
工場によって空気が汚れ水が汚れ、工場で働く労働者を集めるためにと無税地区なんてものを作ったせいで貧民が殺到し、家は足りずに一部屋に十人二十人が暮らすのが当たり前、汚物の処理は間に合わずそこらに投げ捨てられ、生活ゴミさえもが当たり前のようにばらまかれている。
逆に何故あそこまで劣悪な環境でどうして病が広まっていないのかと不思議に思う程で……近衛達は盛んにあの地区をどうにかすべきだと、最悪焼き払うべきだと声を上げ続けている。
王都の民も近衛も、大臣達も王城の誰も彼もが、最近の王太子を見て心を離している。
元々離れつつはあったのだが、最近は特に露骨だ、以前とは比にならない。
「ブライトの影響が大きいのだろうなぁ……」
つい最近までは大人しかったブライトだったが、最近は何故だか活発に動き、次々に成功を収め、その話がどんどん流れてきて……王太子を焦らせると同時に皆の心を奪っていってしまっている。
ブライトが王太子だったら。
王家の血筋でもない、泡沫貴族にそんな想いを抱くものまで現れる始末だ。
「……そんなことを言ったら儂だって我が子に欲しかったというに」
ブライトが我が子だったら、王太子だったら、こんな問題は起きていなかったはず。
もしそうだったら、今頃王都はどんなに栄えていたことか、噂に聞くように飛空艇が飛び交い、そこから富が降り積もり、暮らす誰もがその恩恵に与れ、飢えることなく苦しむことなく暮らしていけるリンゴの園となっていたに違いない。
「……いっそ、そう動くか?」
養子、婚姻、家系図の捏造、手がない訳ではない。
教会も巻き込み動かせば、そういう結果を引き出せなくもない。
そうして王都を富ませたならば、自分の名の残り方も変わるはず、ブライトに恩を売ればブライトが良い形で残してくれるかもしれず……将来の王族達の崇敬を集められることは間違いない。
自分で出来ないのであれば誰かにやらせれば良い、それは王家として支配者としての基本とも言えることで……そのようにすれば良いと天啓を得たような気分となって王は、これまでの人生で浮かべたことのないような笑みを浮かべて、笑い声を漏らし始める。
そうして王太子だけでなく王までが動き出し、西方へと意識を向けるようになり……ウィルバートフォース伯ブライトは、更なる苦難に見舞われることになってしまうのだった。
お読みいただきありがとうございました。
他の反応も入れたかったのですが、長くなったのでそちらはまた次回に




