お祖父様
――――帰路についた馬車の中で 大公ウィリアム
王太子は間違いなく天才だった。
幼い頃から勤勉で、癇癪を起こすことも悪戯をすることもなく真面目、様々な才覚を発揮し、その賢さから未来予知のようなことにまで成功し、5歳になる頃には王族中から将来を期待されるようになった。
そんな王太子は国を豊かにするため、王権を強めるために様々な手を打とうとしていたのだが……それを先んじる者が現れた。
ウィルバートフォース伯の次男ブライト。
彼もまた王太子に劣らない才覚の持ち主だったようで、次々に様々な施策を打とうとし、様々な発明をしようとしていて……王太子はブライトにだけはそれをやらせてはならないと王権の全てを使って妨害するよう、王に進言した。
王も臣下達も、当然のようにそれに難色を示したのだが、王太子はその話し合いの場でまたも未来予知をし、それだけでなく忠臣達の隠し事を暴きまでし……その才覚でもって、ブライトは遠からず没落する、敵対しても何の問題もない、それよりもブライトのような悪人に手柄を立てさせる方が問題だと発言した。
結果として未来予知は成功、隠し事についても見事的中……そんな王太子が力強く断言するからにはその通りなのかもしれないと、そう信じた一部の者達が王太子の意見を強く推すようになった。
……恐らくだがあの予知のような力でもって弱みを握られた者もいたのだろう、秘密を暴かれるのを恐れた者もいたのだろう、そうした勢いを王は止めることが出来ずに、王太子の言う通りに策を実行。
ブライトから全てを奪い、その成果でもって国は富み、王権は強まり……全てが順調かに思えたが、ここで初めて王太子の予知が外れてしまう。
ブライトは悪人ではなかった、また没落するような気配もなかった。
全てを奪われても心折れずに着実な政策でもって小さな成功を積み上げ……そうして大きな富を得て、その富でもって更に大きな発展を得ることに成功した、してしまった。
一つ一つの動きが小さかったがために気付くのに遅れた王太子は慌てて再度の妨害をと声を上げたが……予知が外れてしまった上に二度目の略奪となると賛同する者が減ってしまい、それどころか欲深王子と批判されるきっかけとなってしまい……未来を切望される王太子こそが悪人として没落しかねない事態となった。
王はその頃からブライトとの関係改善に動こうとしたようだが、送った使者のほとんどは暴力で追い返され、どうにか伯と会うことが出来た使者が持ち返ってきた要求は全ての事実の公表と賠償をというもの。
王太子がやったことを思えば当然の要求ではあったのだが、それを受け入れることは難しく、王はせめて最初に奪った際に相応の対価を渡すべきだったと、家族には手出しすべきではなかったと後悔したが、全ては後の祭りだった。
今、強まった王権は再び弱まろうとしている、ただの金食い虫の役立たずだと王太子が断じたために投資をしてこなかった飛空艇は、ウィルバートフォース伯領にて経済的軍事的な価値を示し始め、それによって伯が力を持ち始め……今更飛空艇に投資しようにも、必要な資材も技術者も全てが伯領に集まっていて、どうにもならない。
王太子はそれすらも奪えば良いと、軍事的な手段さえも使うべきと進言したが……そんなことをしたが最後、ブライトに味方する貴族だけでなく、国外で大軍を率いているブライトの父、先代伯爵までが王都に攻め上ってくることは明白で、国軍が伯領に到着する前に王都は壊滅することだろう。
ブライトから力を奪うためにと行った工作だったが、その指揮能力と人徳でもって先代伯爵が国外軍を掌握してしまったのは全くの予想外で致命的だった。
(天才……だったはずなんだがなぁ)
馬車の中、未だに恐怖で震える膝をどうにか抑え込みながら、ウィリアムはそんなことを思う。
初めて相対したブライトは一廉の人物として成長していた、圧倒的な気配を放っていた、揺るぎない殺意に満ちていた。
王家は敵にすべきではない人物を敵に回してしまったと、深い深い溜息が口から出てしまう。
せめてもの救いは有力貴族のほとんどが、一応は王太子の側に立っているということだろうか。
……と、言ってもそれも薄氷だ、王太子と令嬢達が仲が良いからと、渋々味方になってくれているに過ぎず、いつまでもそうだとは言い切れない。
(……どうにかしたかったんだがなぁ……)
再びの大きなため息、王太子の陰謀に関わっていなかったウィリアムは、全くの悪意なく王家と伯との仲介をと思っていたのだが……その言葉すらも向こうからしてみれば侮辱でしかなかったようだ。
手は尽くしたが全ては裏目……そうしてもう一度のため息を吐き出したウィリアムは、御者台側の小窓を開き、王都ではなく自領に向かうように伝える。
……もう王都とは距離を取るべきだろう。
報告の手紙は送るが、同時に家族や仲間への手紙も送るつもりで……それをきっかけに王都から多くの人物が離れることだろう。
……これからこの国はどうなっていくのか‥…。
そうしてウィリアムは馬車が今日の宿に到着するまでの間、数え切れない程のため息を吐き出すことになるのだった。
――――祖父にハグをされながら ブライト
階段を降り、門が開かれた関所に入口へと向かうと、すぐさまお祖父様がハグをしてくれた。
……前世ではこのハグというコミュニケーションの良さが理解出来なかったのだが、今は理解出来る。
ハグとは相手からの信頼度をこれ以上なく分かりやすく示してくれるものだ。
心を許している相手であれば筋肉は緊張せず、抱きしめる力は柔らかく、愛情をたっぷりと込めて背中や頭を撫でてくれる。
逆に信頼のおけない相手ならば全身は緊張し、何もかもが硬く……相手の体臭やら何やら、相手の嫌な部分が異様に目立って鼻についてしまう。
父上やお祖父様からのハグは、他の誰よりも柔らかく優しく、愛情が詰まったもので……相手は社交界で百戦錬磨の大貴族だ、そうやってこちらを騙そうとしている可能性もなくはないが……しかしその仕草全てがこちらを思いやったものであり、そんな疑いはあっという間に霧散してしまう。
そんなハグを俺もまた愛情を持って受け入れて返していると……お祖父様が耳元で小さく囁く。
(人質は全て助け出した、安心するが良い、今は儂の領で保護をしておる。
遠からず会えることだろう)
それは全く予想もしていなかった言葉だった。
王城で人質となっている母と姉と妹、その全てをお祖父様が助け出してくれただなんて……そう頼んだこともなければ、どうにかならないかと相談した訳でもない俺からすると目から鱗、驚きのあまりに言葉が出て来ず、喉が詰まってしまう。
するとそんな俺のことをお祖父様は可愛らしいとでも思ったのだろう、その硬い頬を俺の頬にゴリゴリ押し付けてくる。
前世の俺だったならそんなことをされたなら嫌がったのだろうが……今の俺にとっては愛情表現として受け入れられる。
カイゼルヒゲが妙にくすぐってくるのだけはちょっとだけ嫌だったが……まぁ、うん、それは仕方ないことだった。
そんなハグをたっぷりとして満足したのか、俺の背中をバンバンと叩いたお祖父様は俺から手を離し……それからバトラーが持ってきた杖とカバンを受け取り、紳士としての居住まいを正す。
お祖父様の出迎えをと送り出したバトラーはしっかりと合流出来ていたようだが……お祖父様の考えを受けてか、ここで待機していたようだ。
……恐らくはお祖父様がやってきたのは大公のことを受けてなのだろう、それに合わせてやってきて俺に助け舟を出してくれたのだろう。
そんなお祖父様を歓迎すべく俺は、お祖父様を飛空艇乗り場へと案内し、ライデルとバトラーを伴って乗船、屋敷近くの駅へと向かわせる。
お祖父様もいるので甲板に立つのではなく貴賓室でソファに腰掛けての移動となる。
木張りの相応に広い部屋で、船で見かけるような丸窓があり、ネジで固定されたテーブルとソファがあり……ティーセットなんかも用意されているが、揺れのことを考えると使う気にはなれないな。
「ふぅーむ……これが最新の飛空艇か。
揺れない上に速い……これならば確かに色々と役に立つだろうなぁ、ブライトよ、よくぞここまで技術を育てたものだ」
貴賓室の中でも一番立派なソファに腰掛けたお祖父様が部屋の中を見回しながらそう言ってきて……俺もまたソファに腰掛けながら言葉を返す。
「結果として育ったというだけで、育てるつもりは全くなかったのですけどね。
……誰も注目していなかったからこそ挑戦出来て、誰も手出しをしていなかったからこそ成功出来たと、それだけの話です」
飛空艇を利用しての貿易、それ自体は飛空艇が開発された時から想定されていたのだが……コストの面から頓挫してしまったというのが、俺が手を出す以前の飛空艇事業だった。
製造コストがとんでもなく、相応に事故や故障が起きる上に、一度飛ぶ度に総点検が必要、更には船に比べれば積載量が少ない。
だったら船で良いだろうという意見が大半で……一部の好事家が遊びで作るのみとなっていたのが飛空艇だ。
前世の、こちらとは隔絶した技術で作られている飛行機ですら、運用は大変で毎年のように事故も起きていて……それを思えば飛空艇なんてのは遠回りな自殺装置みたいなものだった。
他にもどうにかコストや事故問題をクリアしたとして、では一体何を運んで貿易するのか? という問題もあって……これがまた難しい問題だった。
事故の確率が低くないことを思うと、貴重品などは運べない。
ならば大量生産品をという話になるが、薄利多売の品を少量しか運べないというのは大問題で……コスト少なく大金を稼げる何かを運ぶ必要があったのだ。
そしてその答えを出せる人間が国内にはおらず……俺には出すことが出来たというのが、飛空艇事業の成功のきっかけだった。
「……まさか氷がアレ程の利益をもたらすとはのう。
儂の目でも見抜けなんだなぁ」
「はい、氷ならばタダ同然で手に入りますから」
答えは氷……飛空艇を寒冷地の山上にある湖などに飛ばし、そこの氷を切り出し積み込む。
これを雪や氷を見たことのないような温暖な地域に持っていって売り払う。
居住者のいない山や、人類未踏の地などは探せば結構あるもので……言ってしまえばそこから天然氷を盗んで売っているという訳だ。
着地場所の整備や氷の切り出しなどで手間がかかるので、コストが皆無とは言わないが、他に比べれば格安で、尽きない量があり、需要もとんでもない。
特に保冷などしなくても、大きな塊を積み込めば何日かは保つもので……飛空艇ならば長距離でも運搬が可能。
需要がとんでもないからこそ得られる対価は莫大で、アイスドリンクの試飲や、かき氷の試食などをさせてやれば、向こうの富豪や貴族がこぞって買い上げてくれるという訳だ。
現状、まともな飛空艇の開発に成功しているのはこの国だけ、そしてその技術は俺が占有しているようなもの。
……儲からない訳がなかった。
氷の採取をしている場所や、そもそも氷を売っていることも極秘にしていて……船員への口止めや、事故率の高さへのフォローなどはその利益でもってゴリ押している。
死ぬかもしれないけど相応の大金あげるから良いよね? 一発逆転の商売に挑戦してくれるよね? もし何かあったら遺族に大金が行くから良いよね? 子供の未来や奥さんのその後だって俺がなんとかするよ? だから良いよね? という感じだ。
もちろんそれだけでなく、安全対策もちゃんと進めていて、複数の建造工場を同時稼働、技術者達にはどんどん競わせて新型を作らせ、新型出来たら旧型は即解体。
1%でも安全性が上がるのなら、そちらを採用……というこれまた利益によるゴリ押しを繰り返し……そうするうちに短距離であれば事故が起きない程度には技術が発達し、更には事故が起きた際の救命技術も発展し、自分で乗っても問題ないくらいの出来になってくれた。
「……あれが例の仕掛けか?」
あれこれと考えていると貴賓室の隅、壁に貼り付けるように置いてある大きな箱をお祖父様が指差す。
「はい、事故が起きた際の救命装置の一つで、魔法石の力で安全な形での地面への着地を促します。
仕組みにつきましては……後で技術者を紹介するのでそちらから聞いてください」
そして俺はそう返す。
ぶっちゃけ魔法石についてはよく分かっていない、使えはするけどもその仕組みを理解しきれていない。
前世の物理学知識と科学技術知識が理解を邪魔してくると言うか……そんな抵抗があるのと、スマホを使うことは出来るけど、どういう仕組みなのか細かい説明は出来ない……というのに近い、そんな感覚があって、理解とか説明は専門家に任せきっている。
「儂が聞いても良いのか……? 大切な秘匿技術だろうに」
「お祖父様であれば問題ありません。
……何なら最新型を一隻、土産として持っていってください。
……ああいや、家族のことへのお礼も考えると五隻かな、それくらいは贈らないと感謝の気持ちが伝わらないでしょうから……うん、五隻どうぞ」
お祖父様の言葉に俺がそう返すとお祖父様はニッカリと笑い……それからすぐにソファから立ち上がり、それなりに飛空艇が揺れる中、しっかりとした足取りでこちらへとやってきて、応えるために立ち上がった俺に先程以上の、愛情のたっぷりこもったハグをしてくれるのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は屋敷でのアレコレとなる予定です
恐らくは父親と祖父の溺愛に関して