主
「……しょ、正気か?」
司教様がやってきてから数日後、迎撃の準備を終えて執務室へと報告に来てくれたライデルの言葉に、思わずそう返してしまう。
「はい、既に招待の手紙は出し終えたとのことで……招待客が来た場合には関所を開けてやって欲しいとのことです」
「……じょ、情報を流して釣り上げるとは聞いていたが、まさか社交パーティを開くとは……。
そしてそこで直接自慢という形で情報拡散をすると……確かに噂よりは効果的だろうが、それは予想外だったなぁ」
「いつ相手に届くか分からない噂を無秩序に流すよりも、こちらで選んだ人物を集めたパーティで情報をばら撒く方が効果的だとのことです。
招待をした人物は、いずれも疑いのない人物ばかりで、今回の社交界はあくまで情報の拡散用とのことでした。
そうやって自分で状況を把握することで、あの手帳の主の特定も進められるとか。
色々騒がしくなるが、ブライト様には無関係を貫いて静観して頂きたいとのことでした。
……それとお祖父様とブライト様の仲が険悪だとの噂も流すつもりだとか。
ブライト様がお祖父様を助けたのはあくまで家族としての義務を貫いただけのことで、遠方の屋敷を与えて追い払ったと、そういった内容です。
こちらは噂という形で拡散するそうです……その信憑性を高めるためにも、しばらくは連絡を断つとのことでした」
「……そうか、分かった。
そういった腹芸はお祖父様に任せた方が良いのだろうな、今回のことで自分には不向きなことがよく分かった。
そんな方法全く思い付きもしなかったなぁ……とにかくそう言うことなら、ライデルはあちらに常駐するように。
お祖父様の安全を第一に、あちらの屋敷は焼け落ちても構わないから、何を優先するか間違えないように。
こちらの守りはアレス男爵とドルイド達がいるから大丈夫だ、俺も今回の件が片付くまでは屋敷から動かないようにする」
「了解いたしました、その通りにいたします。
……そう言えば司教様がこちらに移住してきたとのことですが、今はどちらに?」
「ああ、教会だ。司教様のための屋敷も用意しようとしたんだが、固辞されてしまったよ。
その代わり寄付を増額しておいた、こんな田舎に来て頂いたのだからそのくらいはしないとな。
それと聖都での会合などがあった場合には、飛空艇での送り迎えをするとも約束させて頂いた。
飛空艇であれば一日もあればあちらに到着するからな、喜んでおられたよ。
……その場合はライデルに護衛を頼むと思うから、よろしく頼む、何なら家族も一緒に連れていって構わないぞ」
大陸の南方、大きく伸びる半島にある聖都は一生のうちに一度は行きたい場所とされている……が、海路と陸路を使って片道十日程かかると言われる道のりは中々過酷な上に、相応の旅費もかかるので、それを果たせる人物は少ない。
司教様は若い頃から何度も聖都入りを果たしていて、聖都で行われる弁論会のようなもので活躍、いくつかの論文も提出していて、その名が大陸中にも知れ渡っている。
それ程高名な司教様が領内で活動してくれるというのは、とてもありがたいことで……飛空艇の一隻や二隻贈ったとしても十分な見返りがある。
寄付金増額も優秀な護衛をつけるのも必要経費の範囲内で……ついでにライデルとその家族に聖都観光をさせてやれたなら、ライデル達にも喜んでもらえるはずだ。
「……は、お任せください」
と、そう言ってライデルは真顔で背筋を伸ばして応えてきて……うん、多分喜んでもらえているはずだ。
それから俺達は細かい雑事についての話し合いを行い……それから解散。
それぞれその日のために……あの手帳の主がやってくる日に備えて、しっかりと準備を整えていくのだった。
――――数日後、子爵家の屋敷で エリザベス
「お父様、市井の噂で気になる話があるのですが……」
カーター子爵の屋敷のサンルーム……少し古いがしっかりと手入れされ、一見地味にも見えるが、木材一つとっても最高級品が使われているそこの椅子に腰掛けた子爵へと、シックなドレス姿の娘エリザベスが声をかける。
「……どうかしたのか?」
すると目を閉じて瞑想のようなことをしていた子爵は片目だけを開けて言葉を返し、それを受けて側に立つエリザベスは、その噂についてを話し始める。
北の修道院で起きた騒動、そこで行われていた何かを握ったらしい元グレイ侯爵は、社交パーティを開いてしきりにそのことを喧伝しているらしい。
腕を奪われたことに対する報復を匂わせながら、その証拠を手に入れたと自慢げで……以前は見せなかった侯爵のその姿は、それ相応の噂となって貴族社会を駆け巡っていた。
「ふーむ……それは恐らくブラフだろうな。
あの腹黒が己の欲だけで動く訳がない、何か裏の狙いがあるのだろう……。
北の修道院……修道院か……」
そう言ってカーター子爵は腕を組んで視線を彷徨わせ、思考を巡らせ……そして何かを思いついたのか両目を開眼させる。
「そうだ、若い頃に聞いたことがあるな、修道院と呼ばれる別荘での乱痴気騒ぎ。
娼婦を呼んで酒を飲んで、時には薬までやって楽しむとか。
……その証拠を握って誰かに出てこいと語りかけているのか?
……可能性としてはあり得る話だな」
それからそう声を上げて……その内容にエリザベスは顔をしかめて沈んだ声を上げる。
「……仮にも貴族がそんな恥さらしな。
……まさかお父様も若い頃に……」
「馬鹿を言うでない、この貴族の中の貴族である私がそんな真似をするものか。
そもお前の母親とは婚約者となった幼い頃から絆を紡ぎ、揺るぐことのない愛を誓い合ってきた……それを裏切るような真似をする訳がなかろう。
誓って言うが、生涯において一度たりとも妻を悲しませるようなことをしたことはないのだぞ」
そんな父の言葉を受けてエリザベスは目を丸くする。
父と母の仲が悪いとは思っていなかったが、そこまで良いものだとも思っておらず、その驚きは大きく……貴族令嬢としては情けない話だが表情を取り繕うことも出来なかった。
しかし父のカーター子爵はそれを咎めたりはせず、ただコホンと咳払いだけをし、居住まいを正し、瞑想を再開させようとする。
……と、サンルームの入口近くに気配を感じてエリザベスは思わず振り返る。
するとそこには自慢の黒髪を複雑に編み上げて積み重ねた、独特の髪型をした母の姿があり……先程の父の発言を耳にしていたのか母は、少しだけ頬を染めながらにこやかな笑みを浮かべている。
……先程の言葉が真実だったのか嘘なのか、母に問いかければ答えが返ってきそうではあったが……どうにも野暮に感じられたエリザベスは何も言わず、静かに笑みを返す。
すると母はそれに満足したのだろう、何も言わずにその場から立ち去って……それを見送ったエリザベスは、父と母の意外な一面を知れたことを喜びつつ、いずれは自分も両親のような相手を見つけなければならないのだなと思い……今までの婚約に関する失敗を思い出したことで少しだけ暗い気分になってしまうのだった。
――――更に数日後 ???? ??
そこはまるで書庫のようになっている部屋だった。
あくまで一室、決して書庫ではないのだがいくつも本棚が並び、隙間なく本が押し込まれた本棚が並ぶ異様な様は、個人の部屋であるとは思えない光景だった。
そんな部屋の中央には家族がティータイム用にと用意した丸テーブルが置かれていたが、その上にすら小さな本棚が置かれていて……そしてそこには革表紙の自作と思われる手帳のような小さな本が、11冊並んでいた。
……並ぶ本の中央には意図して作られた隙間があり、そのテーブルの前に置かれた椅子に腰掛けた中年の男の手はその隙間に押し込まれていて……まるで惜しむように、何かが足りないと悔いるように男はため息を吐き出し続けていた。
「……無くしたとばかり思っていたが、まさかあいつが持っているとはなぁ」
暗く沈んだ声でそう言った男は、本を一冊引っ張り出して中を開き……ページをめくっていく。
そこには今まで自分が殺してきた女性の記録が記されていて……1冊につき10人で12巻、自分の人生における功績……歴史に残る偉業だと思って進めてきたそれは、一冊の本を紛失したことで頓挫し、完結させることが出来なくなってしまっていた。
だが、それが最近になって見つかったという……いや、今まで隠していたものを表に出してきたのだろう。
腕を奪われた腹いせか……その件には関わっていないのだがなぁとため息を吐き出した男は、それでもと……罠と分かっていても自ら取り返しにいかなければならないだろうと、強い決意を胸に抱く。
あの一冊がなければいけないのだ、あの時、あの季節だからこそ意味があった女性とのひととき……それを歴史に残さねばこれまでやってきたことの意味が無くなってしまう。
だから部下や傭兵に任せたりはしない、自らが赴き自ら対処し……そして自らの手でもってあの本を取り返さなければならない。
誰かの手や目に触れるなどあってはならない……あれは自分と歴史のための一冊なのだから。
「……しかしただ取り返しに行くだけでは芸がないよなぁ……。
……ああ、あれの家族をやるか、孫娘や孫の婚約者が良いだろうなぁ……。
不仲を装っているのは分かっている、お前ならばそれくらいのことはやるのだろうさ。
だからこそそこを狙う……そして人質と交換で本を手に入れたなら、うん、偉業に新たな花を添えられるというものだろう……」
独り言が止まらない、それを誰かに聞かれてしまえば失脚は確実、そう思って今まではどうにか抑えてこられたのだが、あの一冊が見つかったとなって興奮が抑えられず、独り言も溢れ出てきてしまう。
また人を殺せる、それだけの大義を得た、大義があるのだからどんな結果になっても許されるはずだと、男は確信する。
何故ならば自分は王族なのだから、多少の無茶は許されて当然……最悪の場合でもあの甥のせいにしたなら、誤魔化すことが出来るはずだ。
……と、そんなことを考えていると思わず笑みがこぼれて、ガラスを引っ掻いたような甲高い笑い声までがこぼれ出て……それを聞きつけたのか、誰かが部屋のドアを開ける。
「……伯父上、如何なさいましたか?」
その声の主は愛する甥っ子のもので……甥っ子が手に持つ魔石道具の放つ光に照らされた男は、すぐさま居住まいを正して表情を整えて、いつも通りの至って普通の笑顔と落ち着いた声を返す。
「いや、良い兵法書を手に入れてね……その出来の良さを喜んでいた所なんだよ。
色々と参考になる部分があってね……これがあれば君が恐れている蛮族とも良い戦いが出来るはずなんだ」
「そ、そんなものがあったのですか!? 寡聞として知りませんでした!
……軍神とも呼ばれる伯父上は、俺に残された最後の切り札です、その伯父上がそれ程の兵法書を手に入れたとなったら、オニニカナボウです!」
「はっはっは、相変わらず君は変わった物言いをするねぇ。
……まぁ、自分のような足りぬ男に出来ることは武働きくらいのもの、王の兄としては情けない限りだが……これで少しは役に立てるかもしれないね。
……ついてはこの兵法書を活かすために演習を行いたいんだ、数少ないものと分かってはいるが、飛空艇を借りて良いかな。
それと鎧も……君の開発しているアレは流石に間に合わないだろうからねぇ、まずは鎧での演習をしておきたいんだ。
騎士は私の手の者を使うから、それ以外が欲しいんだよ」
そう言って男は自らの失態に内心で舌打ちをする、一体全体何に間に合わないと言うのか? そこを問い詰められると面倒くさいことになるが……しかし甥はそこに気付いた様子もなく、ただ笑顔と明るい声を返してくる。
「えぇえぇ、どうぞ、伯父上のお好きなようにしてください。
鎧もそう遠くないうちに時代遅れとなりますから、いくら消費していただいても構いません!
演習の結果、凄く気になるので帰ったら俺にも教えてくださいね」
それを受けて男はニンマリと笑い……そのまま去っていく甥こと王太子の背を見送る。
そうして男は王太子からの許可を得たということを盾に演習とは思えない規模の戦支度を進めさせ……愛する本がある国内最西の土地へと欲望のままに乗り込むのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回はいよいよ、迫ってくる手帳の主、です




