淑女
――――街道で マシュー
キャロラインの姿を見つけてマシューは、思わず馬上だと言うのに冷や汗をかいてしまう。
馬の高い体温が上がってくるのにそれ以上に寒気が勝る。
……キャロラインは昔から実家、ウィルバートフォースの屋敷に仕えているメイドだ。
自分が生まれた頃には大体20歳、思春期を迎える頃には30歳、伯爵家に長く真面目に仕え、女主人の側で多くを学び、女性としての魅力や所作を磨き上げ、知識は豊富で貴族相手でも臆さず会話が出来る彼女にマシューが初恋をしてしまうのは当然のことだった。
初恋以外にもあらゆることを知られているマシューにとって彼女は苦手を越えて一番の弱点と言える存在だった。
もういつ亡くなったとしてもおかしくない年齢であり、とうに亡くなったものと思い込んでいたのだが、血色の良い笑顔を浮かべているのを見るに、寿命が尽きるのはまだまだ先になるようだ。
(こいつは厄介なことになった……)
キャロラインが厄介なのは弱みを握られているという点だけではない。
マシューにとっての父や兄といった厄介な貴族相手でも臆さない度胸、教育を受けた貴族とも対等にやり合える小賢しさ、無駄に豊富な経験、メイドには不要な覚悟などを持っているという点にもあった。
そうしたものを持っているキャロラインは一度こうすると決めたら絶対に譲らない、その命が危ういとなっても決して退かない。
実際に兄からあるメイドを守るために立ち上がり、堂々とやり合った上に剣や槍を突きつけられても全く怯まず、しかし笑顔を絶やすことなく兄へと論戦を挑み、見事に論破してみせたという事件も引き起こしていて、それでも特に処分されることなく家に仕え続けているというのが、彼女の異常さを示していた。
ブライトがウィルバートフォース家らしからぬ性格に育ったのは、キャロラインの影響が大きいとマシューは考えていて……そんなキャロラインが自分の前に立ちはだかるという展開は全くの予想外の最悪のものと言えて、何度心を立て直そうとしても立て直せず、冷や汗がとまらない。
……後はもうキャロラインがどう出てくるかにかかっている。
正面からやり合うつもりなのか、軽くやり合うだけなのか……ただ様子見に来ただけなのか。
様子見は楽観に過ぎるが、それでもそう思わずにはいられずにマシューは冷や汗を拭うことなく馬を歩かせていく。
このまま通り過ぎることが出来たなら……そう考えて手綱を握っていると、会話が可能な距離となった所でキャロラインが声を上げてくる。
「ま~~、この人達あれよ、噂のあの追討軍。
可哀想なポーラちゃんを襲いに来たに違いないわよ、ホント王都の人達ってどうなっちゃってんのかしらね。
あんなよく分からないものまで持ってきちゃって、そこまでしなきゃ女の子に相手にされないのかしらね。
ほんっと嫌になっちゃうわねぇ~~、皆もお屋敷の人達に教えておかないと、どこの屋敷が襲われるか分かったものじゃないわよ」
そんな声を受けてマシューはホッと安堵する。
直接的、間接的な妨害ではなく道の端で噂話をしているだけ。
更には想定していた言葉よりも穏当な内容で、この程度であれば許容出来るもので……これならこのまま通り過ぎることが出来ると表情が明るくなって冷や汗が引っ込んでいく。
「ほら、あの先頭の人、見てよあの笑顔。
今からやってやるぞって顔してるでしょ~~、知ってるのよ、アタシ。
あの人ってこの辺りで女の子に手を出しまくって知らない人がいないってくらいの有名人なのよ。
あんな笑顔を浮かべるなんて、同じ男なのにブライト様とは全然違う! 男がモテずに飢えるとあんな風になっちゃうのねぇ~。
他のお仲間も同類なのかしら……皆しっかり顔を覚えておかないと、後でどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないわよ。
あんなに飢えているとアタシ達にすら襲いかかるんじゃないかしら!!」
そんな言葉もマシューには通用しない、その程度ならそよ風でしかないと堂々とした態度を示すが、それに続く騎士達はそうではなかった。
老齢のメイド、見た目も喋り方も上品で、相応の家の者だろうと分かる姿からの蔑みは想像以上に心蝕む。
正面からその様子を見られていたならマシューもすぐに気付いたかもしれないが、先頭を行くものだから気付く機会は少なく、他の意識が回っているので対応に遅れてしまう。
通り過ぎて離れていって、煽るような声が背後から飛んで来た時点で振り返れば良かったのだが、生まれた余裕がそうはさせずにマシューを前に進ませてしまう。
そうやって更に進むと、まず困惑した様子で斥候が戻ってくる。
そしてこの先に何がいるかの報告をしてきて……だからと言って足を止めることは出来ず、進んだ先に見えてきたのが教会関係者だった、それも女性ばかり。
その集団の長なのだろう、特別質の良い修道服を身にまとい、頭巾……ウィンプルと呼ばれるそれも質が良く、美しい女性が暗く沈んだ瞳をこちらに向けてきている。
その女性に率いられた、先程よりは若く見える集団もまたマシュー達に冷ややかな視線を向けていて、これにはマシューの軽薄な表情も固まってしまう。
教会関係者はまずい、騎士は職務に真摯であればこそ信仰心が強いものだ。
場合によっては殺人を行い、悲惨な現場に踏み込み、今回のような任務を遂行する者達にとって神々の慈悲と救済、免罪は欠かせないものだ。
精神的な支柱とも言って良い、忠誠と信仰、そして家族からの愛は欠かすことの出来ないもので、ここで彼女達に何かを言われればその支柱の一本が折れてしまうかもしれない。
他の支柱にはヒビが入っていて折れる寸前、だと言うのにそこが折れてしまえば連鎖的に全てが折れてしまうということもあり得るだろう。
(ブライトォ~~~、お前の仕込みだとしたらこりゃぁ趣味悪いだろぉ~~~。
お前はこんなことするガキじゃなかったはずだがなぁ~~~……。
家臣か他の奴の仕込みかぁ? 冗談じゃねぇよ、まったくよぉ。
どうしろってんだ、コレ?? 無視出来るもんじゃねぇし、蹴散らすなんてことも出来ねぇ。
戦車のせいで道を逸れるなんてこともできねぇし……おいおい、こんな形で終わるのか?
いや、終わった所で困りはしねぇんだが……くそっ、甥っ子にこれかよ)
そんな事を考え、更に思考を巡らせて何か対策がないかと悩みに悩むが答えが出ず……マシューは自分の器の小ささにため息を吐き出す。
これが父だったら祖父だったら兄だったら……ブライトだったら、何か良い手を思いついたに違いないが、自分に思いつくことは出来ない。
どうしてもどんなに悩んでも、思いつくことが出来ず……ヘラヘラとした顔を取り戻し、天を仰ぐ。
と、そこでその集団が動く、先程は道の端で噂話をしていただけだったが、今回は直接的に進行を妨害してくるようだ。
集団で道の中央に立ちはだかり、両手を広げて露骨な態度でそれを示してくる。
「ポーラ嬢を捕らえに来た卑劣漢共、この先に進もうと言うのであれば神々と教会を憤慨させると知りなさい。
この私が運営している施設で保護した以上は、この身と命を賭してでも守り抜きます。
……後悔したくないのであれば踵を返し愚かな主人の下に帰りなさい」
声は淡々としていて表情は変化せず、汗一つかいていないが確かな力強さを感じられる声で、その力強さに励まされているのか、他の女性達も堂々とマシュー達の前に立ちはだかる。
修道女服の一団にそうされてはどうにもならず、まずマシューが馬を停止させ、後続もそれに続く。
停止してしまえば相手の思惑通り、そこからどうしろと言う話になるのだがそうせざるを得ず、そうしてマシューはこれ以上ない程の渋面を作り出すことになる。
(ブライトォォォ~~、お前ほんとに悪趣味になったなぁ~~~)
そう考えてからマシューは指揮官としての応対をしようと口を開く。
「これはこれは、教会の方々にお出迎えをいただけるとは光栄ですなぁ。
しかしどうやら勘違いをなされているようで、オレ達は別にポーラ嬢を捕らえに来た訳ではないんですよ。
王太子と関係深いポーラ嬢を保護し、王都にお連れしようと善意で動いているだけです、ご理解いただけないとは悲しい限りで。
神々の前で誓っても良いですがね、オレはそんなゲスなこと、これまでの道中で一度としてやろうなんてこと思ったことはねぇんですよ」
そう言って下馬し、右へ左へフラついた足取りで長の前へと向かうマシュー。
(……誰だ? 知らねぇ顔だな。
オレが家を出てからブライトの下にやってきたのか。
……セリーナ司教と関係が深いとは聞いていたが、貴族令嬢を保護するような高位の聖職者とも縁があるたぁなぁ。
この展開は完全な予想外な上に更に士気を奪われかねん、さっさと追い返しちまいたいもんだが……どうなるかねぇ)
「卑怯卑劣、そして下劣な方ですね……ポーラ嬢のことであれば心配なく、神々の名の下に保護しております。
それともまさか神々のお慈悲を疑うとでも?」
またも淡々と感情が全く無いように思えるが、力強さだけは確かに感じられて、そのことに困惑しながらもマシューは、これしかないかと切り札を使う。
「ここはどうかお譲りください。
決してポーラ嬢には無体を働かないと誓いましょう、陛下と神々の名の下に揺るぎなき誓いを立てましょう。
保護は無理でもせめてお会いし家族のことに関しての聴取が出来なければ面目が立ちません。
いざとなればこのマシュー・ウィルバートフォース、この場に伏して頼むことも厭いません」
騎士としては絶対にあってはならない姿だったが深く頭を垂れて、更に地に伏せることまで約束しての言葉は、目の前の女性を少しだがたじろがせる。
頭を下げているので見えている訳ではないが、確実に彼女の靴は街道の石畳をこすっていて、気配からしてほんの少しではあるが後退したようだ。
まさか騎士であり追放軍の指揮官である男が、こんなにも下手に出るとは思っていなかったのだろう。
……そしてあの目、男という生物を見下している……いや、見限っている。
男はこうであるものと決めつけている、その例外となるマシューを前にして、更にマシューが口にした家名の効果もあったのだろう、女性から漂ってきていた凛とした気配が確実に崩れていく。
と、同時にマシューの背後でも動きがある。
何人かの騎士達が駆け寄ってきてマシューの背後に立ち、そしてマシューに倣って頭を下げ始めたようだ。
中には先んじて地に伏せた者もいるようで……士気を取り戻したのか、それとも心折れて自棄になったのか、どちらかは分からないがとにかくマシューにとって予想外の、都合の良い事態が起きてくれたようだ。
(……何人かは離脱するもんだと思ってたが、これは予想外だったぜ~~~。
たまには頭下げてみるもんだなぁ、他の連中なら嫌がるんだろうが、こういう結果になるんなら下げ得ってやつよ。
地面に伏せるのだって靴舐めるのだって構わねぇよ~オレは!
その程度で傷つくような安い誇りは持ってねぇからよ~~、恥をかいたように見えて成功さえすればこれも美談よ。
出世したならワイン片手にこれを語ればモテまくるぜぇぇ~)
なんてことを考えながら頭を下げ続ける。
先程のフラフラとした態度から一変、体が微動だにしないように力を全身くまなく込めて、きっちりとした姿勢も維持して。
そこからはしばらく無言の時が流れることになる。
お互いに色々と考えているのだろう……どちらが先に動くか、口を開くかという駆け引きも行われている。
そうして……先に口を開いたのは女性だった。
「……ここはお譲りしましょう。
しかしポーラ嬢のことは譲ることはありません、もし再び私の前に現れたなら、その時は神々の名の下に徹底抗戦いたします」
(よし! よしよしよしよし!! ざまぁみろ!! ブライトめ!!
ぶっ飛んだ奇策だったことは確かだがな! オレにはそんなの通じねぇぞ!
このまま残りの策もすり抜けてやらぁよ!!)
そう考えて、
「慈悲深いお言葉に感謝いたします。
では……早速通らせていただきます」
と、声を上げてそれから顔も上げる。
そうしてマシューはゆっくりと馬に戻り……顔がヘラつくのを、笑ってしまいそうになるのを堪えて震えながら馬に指示を出して前進していくのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回本当の意味での関所バトル




